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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-2.Prologue/超越者の誕生
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2-(5) 願いの捌け口(前編)

 ドサドサッと、それは青年の頭上からなだれ落ちてきた。

 札束だった。人一人を埋め隠すほどの札束の山だった。ひぃひぃと、彼は震える声を漏ら

しながらそこから這い出ると、目の前にいたもう一人の脚に縋りつくようにして叫ぶ。

「もういい、止めてくれ! もう、もう充分だから! 大体俺は、こんな事を望んだんじゃ

ない……」

「却下だ。貴様の願いは既に受理された。俺はお前のその欲望を糧に、進化する!」

 だが青年の叫びは虚しく、縋りついたその脚で彼は手荒く蹴り飛ばされた。

 怪物だった。彼の目の前にいたのは、コガネムシを象った姿をした怪人だった。

 黒光りする硬い外皮、ギザギザに尖った五指。この怪人──スカラベ・アウターは金色の

両目を不気味に光らせながらそう言い放つと、もう片方の手に下げていたアタッシュケース

の中身をぶちまける。

 ドサドサと、同じくケース一杯の札束が青年に降り注いで再びこれを埋もれさせる。

 止め……。彼は叫びかけていたが、それも途中で聞こえなくなった。

「ふん。人間は大人しく、ただその引き金をひき続けていればいいんだ」

 そんなぐったりと倒れた彼を鼻で笑い、空になったケースを投げ捨てながら踵を返すと、

スカラベ・アウターはそのままこの狭い畳敷きの部屋を後にしていく。


『……』

 古びた小さな二階建てのアパート、さんかれあ。

 その入口を覗き込むように、二人の男がじっと物陰に潜んでいた。

 一人はスーツ姿の背の高い若い男。もう一人は厳つい眼光を湛えた、同じくスーツ姿の中

年男性である。

 二人は刑事だった。彼らは課とは別に独自の捜査を行い、遂にこの日、犯人のアジトと思

しきこのアパートを張り込んでいたのだった。

「……ひょうさん。本当にホシはここにいるんですかね?」

「ああ、間違いねえ。これまでの強盗は全部このアパートを中心にした円の中で起きてる。

手口も雑だが考えも雑──その短絡さの所為で被害がこれ以上増えない内に、俺達だけでも

奴を押さえる。いいな?」

「ええ。そりゃあまぁ、自分は兵さんについて行きますけど……」

 中年刑事は、そう苦笑いする後輩を黙して一瞥すると再びアパートの方へと監視の眼を向

け直した。

 俺の勘が告げてる。このシマは放っておけばやばいものになる。ホシの手口も行動半径も

捕捉した。後は奴がもう一度犯行を重ねようとした瞬間を取り押さえればいい。

(怪物……か。全く、最近の奴らは何を考えてるんだか……)

 ちょうどそんな時だったのだ。頭の中で諸々の情報が錯綜する中、遂にアパートの二階か

ら誰かが出て来たのだ。

 兵さん。後輩刑事が小声で呼ぶ。

 分かってる。物陰で息を殺し、彼らはその人物を見る。

「──」

 それはスーツ姿の男だった。

 一見すると何の変哲もないサラリーマン風。だが中年刑事は見逃さない。その粗暴な性質

を宿す眼の光は、どれだけ普通を演じてみた所で隠せやしない。

「よし。由良、追──」

 しかし二人の意識はその直後、真っ暗に消し飛ぶ事になる。

 突如として背後に現れた“般若面の侍”と、國子・睦月達。

 この二人の刑事は、そんな彼女らによって、刹那目にも留まらぬ峰打ちを受けて気絶して

しまったのだった。

「……。あの、死んでませんよね?」

「大丈夫ですよ。少し眠って貰っただけです」

 アスファルトの地面に倒れ込んだこの二人組を見下ろして、おずおずと睦月が心配そうに

訊ねている。その一方で、峰打ちを打ち込んだ國子と般若面の侍は平然としたものだ。

「ならいいんですけど……。やっぱり凄いですね、そのコンシェル。朧丸おぼろまる、でしたっけ?」

「ええ。暗殺に特化させた個体です。ステルス──彼自身と彼が触れたもの全てを不可視の

状態にする事が出来ます。直接的な攻撃能力では、ありませんが」

 肩越しにそっと振り向き、國子は言った。

 その手にはリアナイザ。彼女が率いる隊員数人も同じくこれを握っている。

(暗殺って、物騒な……)

 睦月は苦笑いを隠せなかったが、実際このコンシェルの能力があったからこそ彼らに気付

かれずにこの人数が背後に回る事ができたのだ。結構、便利な能力だと思う。


『皆人。陰山さん達のこれって……』

『ああ、リアナイザだ。お前のEXリアナイザが作られた経緯についてはもう聞いているん

だろう? 心配は要らない。元こそ改造リアナイザだが、博士達によって念入りにチューニ

ングが施されている。調律リアナイザ──とでも言おうか。これで実体化させたコンシェル

達がアウター化する事はない』


 出動の前、彼女達が鍵付きロッカーから各々のそれを取り出してきた時はびっくりしたも

のだが、戦力が大いに越した事はない。心強い。

 しかしそれは、あくまで越境種コンシェル対コンシェルである場合だ。人間の方は未だ奴らに触れる

事すらできない。いざ奴らに彼女達を直接狙われてしまったらおしまいだ。

 だからこそ……戦いにおいては自分という存在が肝となる。

「貴方達はこの二人を離れた場所へ。私達は、あのアウターを討ちます」

「……」

 しかしぼやっとしている場合ではなかった。敵はもうすぐそこに現れていたのだから。

 アパートの二階、入口へとぐるり回って降りてくる階段の途中。そこから一人のスーツの

男が、明らかに怪訝ではなく強い警戒の眼差しでこちらを見ている。

 朧丸ら、隊員達のコンシェルが臨戦態勢に入っていた。

 同族の嗅覚。それは即ち、あの男が件のアウターである証だ。

(チッ。あれが話に聞いていた“我々の敵”とやらか。どうする? あの人間にはもう暫く

死なれては困るんだが……)

 遠巻きに睨みながらの思案。

 だが次の瞬間、この男に般若面の侍──國子のコンシェル・朧丸が迫っていた。太刀を手

に大きく跳躍してながら横殴りに振り抜き、されど寸前でこの男を仕留め損う。

「……止むを得ん」

 ひらりと宙を舞いながら男はアパートの屋根に着地し、睦月達を睥睨していた。

 オォン……ッ! デジタル数字や記号のモザイクが彼の全身を覆い、次の瞬間男はその正

体を現す。越境種アウターだった。司令室コンソールのカメラ映像で見た、あの怪物に間違いなかった。

 不気味に金色に光る両目、黒光りする鉄甲のような外皮。

 するとその直後、彼──スカラベ・アウターは再び大きく跳躍し、遠く街の屋根から屋根

へと渡って行ってしまう。

「あっ、逃げた!」

「睦月さんは奴を追ってください。私達は、召喚者の確保に向かいます」

「うん!」

 逃げるアウター、追う一行。

 睦月は國子らリアナイザ隊の面々に場を託し、駆け出した。

 遥か上空を跳んでいく怪物の影。

 必死の表情になりながらも、彼は人気も疎らな細い路地の中を駆け抜けていく。

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