16-(5) 君は語り、彼は往く
それは学園にアウター達が忍び込もうとした日、その日の戦いが終わってから日が沈み、
司令室での作戦会議が終了した後の出来事だった。
『……』
二方面での警戒・捜索態勢が敷かれ、この日は解散となった後。
心許ない最低限のランプの灯が機材から漏れ、薄暗い中、司令室には皆人と香月だけが残
っていた。互いに黙り込み、一方はデスクの前、一方は通路の只中に立つ。
彼女がじっとこちらを見ている。もう勘付いているのだろう。皆人は思った。
だからこそ彼は、睦月達が出払ってたのをすっかり確認してから、ゆっくりと口を開く。
「香月博士。貴女に確認しておきたいことがあります。睦月の父は──小松大臣ですね?」
彼女は答えない。だがただ二人になったこの場での沈黙は、事実上の肯定だった。
じっと皆人を見つめ返して、だがややあってそっと香月の眼が逸れる。やはりかと皆人は
思った。認めたという体で、本題に入っていく。
「昨夜、父から聞きました。ブダイの一件で自ら動くようです。貴女には悪いですが、貴女
を三条グループに迎え入れる際、多少の身体検査はしていたようですね。貴女が学生時代、
彼と同じ大学の友だったことも、一時期交際していたことも」
「っ……」
僅かに、だが確かに香月の表情が動いた。きゅっと唇を結び、眉間に皺を寄せる。
「ですが勘違いしないでください。この話を余所にする心算はありません。父もそれは約束
しています。過去に何があったにせよ、貴女が極めて優秀な技術者であることに違いはあり
ませんから」
だから、皆人は予め用意していた言葉を紡いだ。別に、今更彼女を詰ろうなどと、そうい
った意図でこの場を設けたのではない。
「安心してください。睦月は勿論、他のメンバーには一切話していませんし、その心算もあ
りません。貴女達がそういう道を選んだのも、何かしらの事情があっての事でしょう?」
そう。例えば……政治的配慮。
皆人は口にこそしなかったが、大よそ見当はついていた。
片や頭角を現し始めた女性技術者。片や国内きっての有力政治家の息子。
正式に籍を入れることは諦めたという所だろう。実際、大臣には現在別の妻子がいる。
「……私達は同じ夢を追った友人だったわ。専門分野こそ工学と教育、違うけれど、互いに
高め合うことのできる最高のライバルでもあった」
「そして、やがてその友情は愛情に変わった」
「ええ」
やがて香月当人が語り出す。それは在りし日の、彼女と小松健臣の記憶だった。
「出会った時から、私達の描いていた理想は同じだったわ。人々を幸せにする──専門が違
うのなら、ハードとソフト、それぞれの方向から夢を叶えようって。私達は何度も会っては
語り明かしたわ。それぞれの技術と知識を共有した。……そう言えば美しいけれど、結局は
肉体関係に行き着いた訳だから、あまり他人に誇れるものじゃないのかもしれない」
「……」
ある意味必然の、惹かれ合った末の形だった。
だがある時状況は変わる。香月の妊娠が発覚したのだ。更にそこへ健臣に縁談が舞い込ん
でくる。事実上の政略結婚だった。彼は彼女に結婚しようと申し込んだ。機先を制する為だ
った。しかし香月はこれを断ったのである。
「皆人君もよく知ってると思うけど、私って研究以外は結構ずぼらなのよ。ましてや政治家
の妻なんて柄じゃないわ。私も、彼も、一時の夢だったのよ」
そんな立場を務めきれないという判断。大物政治家の家に生まれながら、教育者を志し、
しかし父の名声と周囲がそんな夢を許さなかった。
香月曰く、その後二人は別々の道を歩むことになる。自身は生まれた赤ん坊──睦月を育
てながら技術者として歩み始め、彼は数年の教員生活の末に現役を退いた父の後継者として
政界に進出する。志は消えない。思い描いていた形ではなくなっても、文教という畑に拘っ
たのはその為だろうと香月は言う。
「最初、出馬した時は驚いたけどね……。でも彼の眼は、あの頃と変わっていなかった。演
説でも教育に力を入れることを何度も訴えていたし、ああ、彼なら大丈夫だって思った。だ
から私は、私のできることを精一杯やろうって思ったの」
「……」
重苦しかった表情に、少しだけ解放感が宿った。今まで誰にも打ち明けられなかった父親
の正体を、自分の口から吐き出す事が出来たからだろうか。
しかし彼女は自嘲っている。後ろめたさの類があった。
最善ではなかったのかもしれない。もっと方法はあったのかもしれない。だがあの時は、
この判断が精一杯だった……。
「事情は分かりました。俺の胸に留めておく事にします。でも」
だから皆人は暫く黙ってこれを聞いてから、その意思を尊重した。しかしふいっと上げた
生真面目な表情には、強く圧縮されたとある感情が宿る。
「これだけは覚えておいて欲しい。そうして貴女達が取った選択──片親だということが、
あいつの修羅のような一面の遠因になっているかもしれないということを」
「っ……」
静かに告げた。香月はぐらっと瞳を揺らしこそすれど、何も言わなかった。
皆人の脳裏には再生されていた。時に“守る”ことに命を張り、この戦いに自らの存在理
由を見出そうとするかのような秘めた激情を。
何も言えなかった。
香月はそんな息子の親友の言葉に、反論の言葉すら持ち得ない。
「──どう? 小松大臣の居場所、分かりそう?」
学園での水際作戦から、早三日が経とうとしていた。睦月は学園の屋上でぶらぶらと夏の
日差しとそれを和らげてくれる生温い風に当たりながら、カタカタとノートPCを叩く仁の
方を見遣っていた。
狙撃犯のアウターをこの街全部から見つけるのは困難だ。だが、少なくともその狙いが健
臣であるのなら、彼の居場所さえ分かれば後は自ずとエンカウントを待てる。
「ああ。見つけたぜ」
そしてややあって、仁がキーボードを叩く手を止め、顔を上げた。にたりと得意げな表情
をし、くるりと手元の画面をこちらに向けてきた。SNSなどの無数の目撃情報から、今回
の目印となる人物の足取りを洗い出す。
「三条の話からすりゃあ当然だったんだけどな……。玄武台高校だ」




