2-(4) 街の影、街の貌
「──はふぅ」
それから数日後、睦月は退院した。
どさり。研究所側が出してくれたタクシーで自宅に辿り着き、仰向けに部屋のベッドへと
倒れ込む。
睦月は暫し独り、大きく溜息をついていた。
一週間ほど前に起きたあの襲撃事件、母達から引き受けた越境種との戦い。
今でこそ入院も一段落ついて落ち着いたが、それが故に気を抜けば、あの一連の非日常が
あっという間に何処か遠い場所へと置き去りになってしまいそうになる。
『ぷはー、やっと解放された~。ここがお二人のご自宅ですかあ。しっかし何というか……
地味ですね』
「研究所を基準にすればそりゃあね。それにもう知ってるとは思うけど、この家に住んでる
のは実質僕だけだから。母さんは基本、向こうの部屋に篭り切りの生活だし。正直、広過ぎ
るくらいだよ」
ごろんと寝転び、手元に投げ出していたデバイスの中からパンドラがぐぐっと伸びをしな
がら言った。
解放も何もデバイスの中にいるのは変わらないんじゃ……? 睦月は思わずツッコミたく
なったが、どうもこういう口調が彼女の地であるらしいので一々乗っからないようにと頭に
留めておく。
「それよりも」
代わりに、睦月はうつ伏せになってデバイスを取り、画面の中でふよふよと浮いている彼
女に向かって念を押した。はて? 尤も当の本人はあまり自覚はないようだが。
「病室でもちょっと話したけど、当面他の皆の前にしゃしゃり出るのは禁止だからね? 母
さん達が極秘に開発した君なんだ。僕にも秘密を守る義務がある」
『それはそうですけど……。EXリアナイザさえ見つからなければいいんじゃないですか?』
「最悪はね。だけどパンドラ。君だって大抵の人にとっては充分にイレギュラーだよ。こん
なに流暢に普通に会話できるコンシェルなんて聞いた事がない。それに僕は今まで汎用型の
コンシェルを使ってたから、急に君みたいな子に換えたってバレれば怪しまれるかもしれな
いし」
『なるほど……。そういう事なら了解しました。以後、マスターの指針に従います』
「分かればよろしい。……って、マスター?」
『はい。マスターはマスターです。今回正式に対越境種用システムの装着者になられた訳です
から。志郎からも卒業です。なのでマスターなのです』
「……まぁ、そうなる、のか」
ぴこぴこと三対の金属の翼を動かしながら、パンドラはにこにこと実に嬉しそうに笑って
いた。だが一方で睦月の内心は複雑だ。理屈は分からんでもない。だがそんな言い方をして
しまっては冴島が不憫ではないか。
実際あの時、彼は身を挺して自分達を守ろうとしていた。
確かに結果だけを言えば、変身に失敗して大ダメージを負ってしまったが……その傷口に
塩を塗ってまで母に近付く男性を哂って憚らないほど、この性根は腐ってしまってはいない
つもりだ。何より、実の息子を戦いに出す事になった母の心痛は、想像するに余りある。
悶々。睦月は画面の中のパンドラを眺めながら段々情けなくなってきた。
こちらは人間、片やコンシェル。
なのに彼女の方がより自分の気持ちに素直で、何より人間らしくさえ思えるのは……気の
せいだろうか。
『そう言えばマスター。三条の坊ちゃんから言われたこと、覚えてますか?』
「ん? ああ、覚えてるよ。帰って来たら連絡くれってアレでしょ?」
しかしそんなこちらの内心など知る由もないか、次の瞬間にはパンドラがそうぺいっと話
題を変えて訊ねてきた。
睦月は勿論と頷く。デバイスの画面を操作し、パンドラがその端から覗き込んでくるのを
そのままに、電話帳から新しく登録されている番号を呼び出す。
「僕に見せなきゃいけないものがあるって言ってたけど……。パンドラ、心当たりある?」
『ええ。多分あそこの事だと思いますけど……。まぁ、とにかく掛けましょうよ』
「そうだね。帰って来たって報告もしたいし」
『──帰って来たか。睦月、これから時間は空いてるか? お前に一度見せておきたいもの
がある。先ずはお前の家の北にある公園に向かってくれ。……ああ、ああ。そうだ、その公
園だ。そこに入って西奥にある、オブジェの裏を調べてくれ』
手早く遅めの昼食を摂って身支度を済ませ、睦月はパンドラと一緒に自宅を出た。
件の番号に電話すると、すぐに皆人が出てきてそんな指示を出してきた。
公園? オブジェ?
何のつもりなのかは分からなかったが、他ならぬパンドラも何か知っているようで大丈夫
ですよと言って微笑うので、小首を傾げながらも素直に彼の指示に従う事にする。
「むー君、どうしたの~?」
「あ、いや……。その、辺りを散歩でもして来ようかと思って。入院してて何だか身体が鈍
っちゃってるからさ」
「そっかあ。車に気を付けてね~?」
途中、家を出て路地を曲がる前に、二階の自室から海沙に見つかり呼び止められた時には
内心怪しまれないか肝を冷やしたものだが。
「……ここ、だね」
公園は睦月達が暮らす閑静な住宅街の一角、北に歩いて十分ほどの敷地にある。
幸い、人気はそう多くはなかった。元々そう普段から賑わいのある場所でもなかったが、
一応遠くでサッカーボールを蹴っている子供達に気付かれないにしつつ、がさりと植え込み
の中に入っていって目的のオブジェへと向かう。
「先ずこんなのがあるって事自体、うろ覚えだよ」
それは結構に歳月が経ったと思われる石造りのオブジェだった。天を指すようにして立つ
人間……のようだが、正直こういうアートな世界はよく分からない。
『マスター、ささ早く』
「うん。裏側裏側……ん? 何かここだけ草がなくなってる……」
パンドラに促されつつ、少し調べてみる。するとオブジェの裏には、明らかに人の手が加
えられたと思しき鉄製の床があった。
その大きさ、およそ二メートルほど。形状は四角いが、ちょうどマンホールくらいの幅の
ようである。更にぐいと乗せられていた蓋をスライドさせると、その中には深く地下へと続
く梯子が延びていたのだった。
「これって……」
『秘密の入口の一つですよ。さぁマスター、誰かに見つからない内に早く』
「う、うん」
よく分からないまま再び促されて、睦月は注意深く梯子を降りていった。
幸いぼやっとだが、内部は照明などの設備が点々とつけられているらしい。蓋も内側から
は開閉しやすくする為の取っ手も付けられている。
カンカン。睦月はおっかなびっくりになりながらも地下へと降りて行った。ポケットの中
のデバイスから、パンドラのお気楽な鼻歌が聞こえる。
何なんだここは? 皆人は自分に何を見せたいっていうんだ……?
「──お待ちしていました」
ちょうど、そんな時だったのだ。
梯子を降り切り、傍を下水が流れていくコンクリの地面に立って辺りを見渡し始めたその
時、カツンと、さも当たり前に何時もの淡々とした調子で國子が現れたのである。
「へぇ……避難シェルター」
「はい。元々は飛鳥崎が作られる際、大規模災害に備えて設けられた地下空間でした」
彼女の案内で地下通路を往く。
曰くこの空間は、かつて飛鳥崎が集積都市として整備される際に巨大な避難シェルターと
して作られたものらしい。
しかしそれから数十年。飛鳥崎全域をカバーするこの地下空間は、今新たなるプロジェク
トの為に転用されようとしている。
「着きました。こちらです」
入り組んだ内部を何度か曲がっては降りて。やがて國子は巨大な金属の扉の前で立ち止ま
るとそう言った。
睦月は唖然とする。何だかどんどんスケールが大きくなっている。
確かに皆人は、自分たち庶民とは比べ物にならないくらいのお金持ちだけど……。
「皆人様、睦月さんをお連れしました」
とはいえ巨大な扉を丸々開ける訳ではない。
國子は城門でいう所のくぐり戸部分を開けて、そう中にいるであろう者達に声を掛けた。
そして睦月は大きく目を見開いて暫し言葉を失う。
そこには──見慣れぬものと、見慣れたもの達がそれぞれ一堂に会していたからだ。
「……来たわね」
「やあ。暫くぶりだね」
「ようこそ、睦月君」
「ああ、貴方が香月博士の息子さんの……」
「よく来てくださいました。話は伺っています。装着者の件、本当に有難うございました」
ざわり。そこにはそれまでの殺風景な下水道とは打って変わった、機械仕掛けの広々とし
た空間が広がっていた。
形容するならば……司令センターとでも言うべきか。正面の壁に無数のカメラ映像を映す
モニターが並べられており、更にそこから左右にずらりとPC端末や諸々の機材が置かれ、
粛々ながらも忙しい様子が見て取れる。
「えっと……?」
「“司令室”だ。ここは俺達、越境種対策チームの頭脳となる場所になっている」
突然の、妙に期待の眼差しで出迎えられた格好に機先を制された睦月が口篭る中で、皆人
がこの面々の中から彼らを従えるようにして近付いて来た。
対策チームの……。そうか、もしかしてとは思っていたけど、それ絡みか。
「驚かせてしまってすまない。だがこの場所は関係者以外極秘でな。実際にここに来るまで
安易に口外する訳にはいかなかったんだ」
「ううん、それは構わないけど……。何か凄いね。あれって全部監視カメラでしょ? それ
に母さん達もいるし……」
睦月は苦笑しながらも段々興味が勝り、この部屋・司令室内部をぐるりと見渡していた。
職員らしきこの面々の中には、別途専用のスペースと機材を与えられた格好で母・香月ら
研究所の皆の姿もある。
「ああ。関係各所から協力を取り付けてあってな。ここで飛鳥崎全域をカバーする事ができ
るようになっている。香月博士たち、第七研究所の研究部門も順次こちらに拠点を移す予定
だ。敵に襲撃された以上、もうあそこを使い回す訳にはいかんからな」
「では睦月さん、これを。高性能の小型インカムです。アウター討伐時にはそれを通じて此
方で収集した情報やリアルタイムの街の様子をお伝えします。この司令室は貴方を、対アウ
ター用システムの装着者をサポートする為に作られました」
皆人に続き、睦月は國子からそんな事実を告げられつつこの小型インカムを受け取る。
何だかどんどんスケールが大きくなっていく……。
それだけ、越境種による被害が、密かにこの街の裏で酷くなっているという事なのだろう。
街中を監視されているというのは正直プライバシーも何もあったものじゃないなと思った
が、そもそもそういった向きは何も今に始まった事ではない。
「改めて自己紹介しよう。俺はアウター対策チーム情報部門・司令室室長、三条皆人だ」
「同じく実働部門・リアナイザ隊隊長代理、陰山國子です」
びしり。二人に改まってそう名乗られ、睦月は思わず身を硬くして敬礼し返していた。
「こ、こちらこそ……。装着者になります、佐原睦月です」
よろしく。司令室の職員もとい隊員達が心優しく迎えてくれた。同室に拠点を移すという
研究所の皆も、申し訳無さそうな表情をしながらも新たな仲間に心強さを覚えてくれている
ようだ。
「……」
勿論、その中には複雑な表情で苦笑する母・香月も含まれているのは言うまでもない。
「……さて。挨拶はこの辺りにしておこう。早速だが睦月、お前にも本格的にアウター討伐
に参加して貰う」
数拍の沈黙。だがそれを破るように、ぱんと一度手を打つと皆人が言った。
視線を正面モニター群に向ける。司令室の隊員達がすぐさま持ち場に戻っていって機器を操
作する。
映し出されたのは、幾つかの銀行強盗の一部始終だった。
逃げ惑う人々、銃を撃てど為す術なくぶっ飛ばされていく警官達。
そこには確かに映っていた。明らかに人ではない、怪物──越境種の姿が。
「これって……」
「ああ。アウターだ、間違いない。この容姿からして“黄金虫”をモチーフにした個体だろう。
アウターはそれぞれ、自身を呼び出した人間の願い──欲望に合わせた姿形や能力を備え
ていく傾向があるらしい」
睦月らも皆、モニター群の前に集まってこれを見上げる。皆人の言う通り、映像には甲虫
を模したような怪人が暴れているさまが見える。
「ここ数日、連続して起こっている強盗事件を知っているか? 警察や都市公社は公表して
いないが、一連の事件は全部こいつの仕業だ」
「何だって……!?」
ガタン。目を見開いて睦月はそう一見何ともないといった風に言う親友を見た。
南の方で起きている連続強盗事件。確か、見舞いの時にも宙が話していたような……。
「過去七件の犯行。その位置を地図上に落とし込んだ所、それらは全てある一つのエリアを
中心とした円内で起こっている事が分かった。厳密な中心点も計算した。コーポさんかれあ
という小さなアパートだ。おそらく、その近辺にこのアウターと、奴を召喚・使役している
人間がいる」
皆人がちらりとこちらを見遣る。睦月はぎゅっと唇を結び、懐にしまっていたリアナイザ
を上着の上から握ると、決意を固めた。
「……分かった。そいつを見つけて、倒してくる」
「ああ。ではアウター対策チーム──出動だ!」




