今さらの三層
ふわふわと通路を進む灯に、骸骨剣士たちが緩慢な動きで追いすがる。
骸骨だから当たり前かもしれないが、活気の失せた顔にはやる気が欠片も感じ取れない。
五層の黒骨たちは、もっと機敏で殺気に満ち溢れていたのだが……。
でも考えてみれば三層に来た当初の僕は、あんな動きにおっかなびっくりしつつ戦っていたんだな。
深層を体験した今では、余裕をもって見極めることが出来る。
やはり経験というものは、人をいつの間にか大きく変えていくのか。
とか、それらしいことを思いつつ、一瞬だけ背後に目をやる。
未経験者である白いローブ姿の黒長耳族のお姉さんが、足を震わせながら妹の肩をきつく掴む姿が見えた。
掴まれたモルムのほうは、鼻歌でも歌い出しそうなほど落ち着き払っている。
対照的な二人にちょっと吹き出しそうになって、急いで気を引き締めなおす。
次の瞬間に、何が起こるか予想がつかないのが迷宮だ。
骸骨たちが、ほぼ直線に並んだのを見計らい弓を引き絞る。
以前は六割引くのが限界だった蟷螂の赤弓だが、今は八割まで弦が引けるようになっている。
すっかり手に馴染んだ弓の重みを頼もしく感じながら、七割の力で黒骨の矢をひょいと放つ。
特に技能でもない只の射撃だ。
迷宮での矢は通常の場合、モンスターや壁に当たると威力を伝えて消え去るが、そうでない時もある。
与える威力が大き過ぎると、対象を破壊してからも更に飛び続けるのだ。
黒骨の矢は手前の骸骨の腰椎を砕き、二体目の脊椎を粉砕したのち、三体目と四体目の腰骨と大腿骨を燃え上がらせ致命的な損傷を与える。
黒骨の矢は熱に強い黒骨素材製なので、焔舌の熱が最大限に伝わるようになった。
おかげ様で火に弱い相手だと、こっちが驚くほどのオーバーキルな結果を生み出してくれる。
たった一射で半壊した骸骨の群れだが、奥の二体は下半身から煙を吹き出しつつも、いまだ闘志は健在だ。
こちらへ振り向いた骸骨たちの頸椎に、今度は節約して石の矢を撃ち込んで頭部を落とす。
わずか三本の矢で、通路を占拠していた骸骨剣士の群れは消え去った。
動くものがないかを目視しつつ、ドロップアイテムの確認を済ませる。
残念ながら、全て骨くずだった。
先日、四層の隠し通路番人で銀箱が出たばかりだし、やはりそうそう出る筈もないか。
「それじゃあ、お願いしますね。イリージュさん」
僕の呼び掛けに、イリージュさんはビクリと肩を揺らした。
何度かして貰ってはいるのだが、いまだに初々しい反応を見せてくれる。
そっと僕の背に近寄ってきたイリージュさんは、そのまま体を押し付けてくる。
とても柔らかい二つの重みが、僕の背中に伝わってきた。
「失礼します……」
耳元で囁かれる声は、消え入りそうなほど小さい。
密着した肌から漂う甘酸っぱい汗の匂いに、僕の心臓が高鳴り始める。
イリージュさんは基本引きこもりなので、普段はあまり運動しておらず、ちょっとしたことで汗をかいてしまう。
もっとも慣れない迷宮でのプレッシャーや、苦手な男性である僕にくっつかなければならないのも、汗の一因かもしれないが。
背中の丸みを堪能していると、僕に体重を預けていたイリージュさんの手が伸びてきた。
手首をさすり肘をなぞり、二の腕を優しく擦り上げてくる。
そして細い指を僕の両肩に掛けて、懸命に指圧しつつ甘い吐息を漏らす。
見る見る間に腕の張りが取れて、すっかり元通りに戻っていく。
「凄く気持ち良いですよ、イリージュさん」
「ありがとうございます。ところで……こんなにくっつく必要はあるのですか?」
「勿論ですよ。男性の場合は、こうやって回生を掛けて貰うと元気が二倍になるんですよ」
嘘はついてない。
心理的効果を考慮に入れただけだ。
背中の感触を十分に堪能した僕は、腕が楽になったのを確かめて背後の女性に声をかける。
「十分に楽になりました。もう大丈夫ですよ」
「あ、はい。どういたしまして」
頬を赤く染めていたイリージュさんは、安堵の息を吐きつつ僕から離れる。
たゆんとした感触が消えてしまったのは名残惜しいが、本来の目的を見失ってはいけない。
「モルム、行くよ」
「はーい」
寝息を立てるミミ子を担ぎあげた僕は、紐をつけた針鼠のハリー君を散歩させていた少女に声を掛ける。
自分が言うのもなんだが、女の子たちはちょっと気を抜き過ぎじゃないだろうか。
いやこうすることで、年上のイリージュさんの緊張を紛らわそうとしてるのかもしれないな。
…………駄目だ。こんな時にキッシェがいればさりげなく突っ込みを入れてくれるんだが。
午前中の現在、キッシェとリンは職業訓練所で新しい技能講義の真っ最中だ。
なので僕、ミミ子、モルム、イリージュさんの四人で経験値稼ぎをしている。
最初は慣れて貰うために、二層の剣歯猫とか迷宮芋虫を狩りに行ったのだ。
両方とも先客がいたので隅の方でひっそりと狩ろうとしたら、僕の目立つ赤い弓を見て大きく溜め息を吐かれた。
まあ、気持ちは凄くわかる。
必死で狩っている横で、女の子を引き連れた銀板がこれ見よがしに魔法具を取り出したら、嫌味の一つも言いたくはなるだろう。
そしてイリージュさんに密着回生を掛けて貰っていたら、露骨な舌打ちをされた。
うん。こっちのほうが敵対心を稼げるな。
と言う訳で要らぬ敵対心は稼がぬ主義の僕が向かったのは、馴染みの三層東エリアだった。
骸骨と狼の不人気エリアは、相変わらず人影一つ見当たらない。
盾がないのは少し不安だったので、ミミ子の狐火で通路の向こうに集めて貰って一掃すると上手く行った。
あとはほとんど疲れていないが、毎回イリージュさんに回生を掛けて貰って経験値に変えて行く。
小隊での貢献度が、経験値となる筈なのでこのやり方で良いはずだ。
以前の強敵が雑魚に成り下がった快感を味わいつつ、午前中一杯イリージュさんを連れ回したら、最後の方は疲れて座り込んでしまった。
まずは体力をつけていくのが、今後の課題かな。
▲▽▲▽▲
重みを増した石の拳が、盾の上に叩きつけられる。
足首をバネにして重みを逃がしながら、赤毛の少女は石造人型の一撃を真正面で受け止める。
体重差を考えればあり得ない光景なのだが、リンは見事にゴーレムの攻撃を盾だけでしのいでいた。
盾持の役割は攻撃を逸らすこと、弾くこと、そして止めることだという。
逸らす技能は、『受け流し』。
弾く技能は『盾撃』。
そして止める技能は『盾の加護』となる。
もっともこの『盾の加護』は、誰かを守るための行為である。
庇うことで攻撃を受け止めざるを得ない状況こそが、盾持の真価を問われるのだとか。
ただ大変危険なので、身体能力が上がったレベル3になってからでないと使用が認められていない技能だ。
真っ向からゴーレムの攻撃を止めたリンは、小さく頬を持ち上げた。
強敵と闘うことで、牛鬼の血が騒ぐのだろうか。
「――はい、どうぞ」
その呼び掛けにリンの後ろから、弓を構えた少女が身を現す。
絞りこまれた弦が至近距離から、ゴーレムの腕の付け根目掛けて矢を撃ちだす。
『必中矢』となった一射は、モンスターの脇をばっちり貫く。
だが、弱点ではなかったようだ。
ゴーレムが再び、拳を大きく振り上げる。
その瞬間、キッシェは盾の庇護の下からあっさりと飛び出した。
くるりと前転しながら、ゴーレムの横を抜けその背後へと回りこむ。
そして身を起こしたキッシェは片膝を突いたまま、もう一度弦を引き絞り必中の一矢を放つ。
首裏に矢を受けたゴーレムは、力尽きたかのように膝を折りそのまま消え去った。
今さらだが狩人と射手の違いは、戦闘中の動きによく表れていると思う。
基本的に射手は距離をとって、当たるまで矢を射続ける。
そのために専用スキルである『ばら撒き撃ち』があるのだ。
逆に狩人は、自らが動いて当てに行くのが基本だ。
当てやすい距離まで詰め寄り、『必中矢』で弱い箇所を突く。
より確実に当てるために『囮矢』や『影矢』を使いこなす。
同じ弓の使い手ながら、その戦闘スタイルは大きく変わってくる。
身のこなしが素早くダメージにもそれなりに強いキッシェに、狩人はよく向いていると思える。
「凄いな二人とも。ゴーレム相手にあれだけ動けるなんて」
「いえ、まだまだです。受けた時にちょっと足首を痛めましたし」
「私も狙いが、指一本分ずれてました」
悔しそうに宣うキッシェとリンだが、レベル3に上がりたての二人だけで石造人型を普通に倒せたりはしない。
「もうしばらくはここで練習して、納得できたら隠し通路の攻略に行こうか」
「はい!」
「そうですね。もう少し練習にお付き合い下さい」
女の子たちが強くなっていくのは、何よりも嬉しいことだ。
当分は午前中をイリージュさんの、午後からをキッシェとリンの修行時間にいたしますか。




