死者は語る
「はあぁ?!」
意表を突かれた時って意外と大きな声が出るんだなと、どこか冷静な自分を感じながら僕の手は既に矢を選びとっていた。
黒骨の矢を弓につがえながら、狙うべき箇所に目を走らせる。
腰まで伸びた真っすぐの黒髪、骨まで透けて見えそうな白い肌。
くっきりと整いすぎた目鼻立ちは、誰かの手による造形のような印象さえ受ける。
そしてその瞳。少女の両の眼の中心部は、ランタンの灯に照らされて金色の光を放つ。
ただミミ子のとは違い、その輝きはどこか暗い陰りを含んでいた。
咄嗟に武器を構えようとした僕を前に、少女は静かに瞬きをした。
その拍子に細い首筋に下がる菱型のプレートが、目映く光を跳ね返す。
寸前まで持ち上げていた弓を、僕は何とかぎりぎりで食い止めた。
サリドールとそっくりの少女は、探求者の証を身に着けていた。
「…………撃たぬのか?」
眼前の少女は、またもしわがれた声を発した。
その瞳の色は、なぜか今は黒に変わっている。
彼女がもし探求者ならば、ここで攻撃すれば迷宮の禁忌に触れて、亡者の手に地下深くへ引っ張り込まれる羽目になる。
それにモンスターだとしても、今の彼女にこちらを攻撃する意思は感じ取れない。
予想外の出来事にとっさに焦って反応してしまったが、ここは出方を見てからでも巻き戻しは十分に間に合うと思える。
それよりもまずは、状況の確認を済ませておかないと。
「えっと、サリドールさん?」
「何か食い物を持っておらぬか? お主ら」
「どうやって生き返ったの?」
「お、薔薇があるのじゃ。気がきいとるのう」
「あなたはもしかして、モンスターですか?」
「うがっ、なんじゃこれは! これが味というものか」
「…………薔薇は食べ物じゃないですよ」
薔薇のジャムとかはあるらしいが、そんな小洒落たものは僕は食い物とは認めない。
顔をしかめて黒い花弁を吐き出した少女に、背負い袋から取り出した黒パンを手渡す。
「ふむ、不味そうなパンじゃな。むむ、噛むと何やら感じるのう! これが美味いということか……」
黒パンの味が判るということは、モンスターじゃないな。
頑張ってパンを呑み込もうと頑張る少女を一旦脇に置いて、まずは関係者の取り調べに移る。
「ニニさん、大丈夫ですか?」
「え、ああ、うん……大丈夫だと思う。……これは一体どうなってる?」
「こうなるとご存じなかったのですか?」
「当たり前だ! サリーは……昨日、この手で……」
「やっぱり、本人ですか?」
「いや、声を聞いたのは初めてだし、物を食べている姿も初めて見る………………本当にサリーなのか?」
ニニさんは完全に動揺していた。
冷静なニニさんと、切れたニニさんと、泣いているニニさんしか見たことがなかったので少し新鮮な気持ちになる。
そんなニニさんを堪能しながら、ふと湧き上がった疑問を口にする。
「確かここに来ると言い出したのは、ニニさんでしたよね? こうなると予想してたとか?」
「いや、全く考えていなかった。今日ここに来たのは、遺言を果たすためだ」
「もしかしてサリー、あの子の残したやつですか?」
黒パンをひたすら噛み続ける少女を指差す。
その様子を未だに信じられないのか、ニニさんは小さく首を横に振りながらも僕の質問に答えてくれる。
「私を解放する条件の一つにあったんだ。出来れば形見を探して、この湖に沈めてくれと……口外を禁じられていたが、あれがサリー本人なら遺言自体が無効になる……はず」
「金板を探していた本当の理由はそれなんですね」
「見つからなかったが、変わり果てたとはいえ本人の形見の衣服だ。これで義理が果たせたと……やはり信じられないな」
ニニさんの事情は把握できたし、次はミミ子だな。
水辺に座ったまま、湖面をのん気に眺める狐っ子に問いただす。
「ミミ子は、何で判ったんだ?」
「うん? ここは黄泉に繋がってるからね~」
「黄泉? なんだっけそれ?」
「死者の国の泉よ。夜の泉、つまり光の差さない地下の泉を指す言葉ね」
こういう時は意外としっかりしているメイハさんが、ミミ子の言葉を補足してくれる。
つまり死者の国に通じてるから、ここから復活できたってことかな?
というか僕の質問に答えてるようで、少しずれた答えを寄越すってことはわざとはぐらかしてるな。
「ミミ子、もう一度聞くけど何で知ってたんだ? サリドールが蘇るって」
「死ぬときに上着を残したでしょ。あれ、身固めの儀式だよ」
さっぱりわからない。
ちらりとメイハさんを見るが、黙って首を横に振られた。
なんでも御存知な訳ではないらしい。
黒く広がる水面から目を離そうとしないミミ子に、僕は再び言葉を重ねる。
「ミミ子、ちゃんと教えてくれ」
「…………ゴー様、何も思い出さないの?」
逆に問いが返ってきた。
気がつけばミミ子の口調から、いつもの間延びした感じが抜け落ちている。
何を?と聞き返そうとして、不意に僕の脳裏に一つの風景が浮かび上がった。
黒い広がりの前に座り込んで、じっと蛍の群れを眺めている。
歌が聞こえていたような気もする。
傍に誰かがいて歌っていた……?。
あれは何時、どこの出来事だ?
全く心当たりのない思い出が、いつの間にか僕の心の中に存在していた。
そもそもこの場所に来たのは、ほんの少し前のはずだ。
なのに何でこんな――こんな記憶は有り得ない。
振り返ったミミ子が、僕を心配そうに見上げてくるのが目に入った。
「ミミ子、何を――」
「サリー! 大丈夫か?! おい!」
唐突に上がった叫びが、張り詰めていた危うい雰囲気を綺麗に吹き飛ばした。
奇妙な立ち眩みから解放された僕は、安堵の息を吐いて背後を振り返る。
ぐったりと横たわった少女を、ニニさんが抱きかかえていた。
サリドールの顔は苦しそうに歪み、その手は空をむなしく掴む。
慌てて介抱しようとするメイハさんを押し止めて、僕は背負い袋から取り出した水筒を伸ばされた手に渡す。
蓋を捻り一息に呷る少女。その喉が大きく動き、つっかえていたパンが胃袋へ落ちてく。
黒パンをふやかしもせず、呑み込んだのか。これだから、黒パン素人は。
「ふう、助かったのじゃ。お主はなかなか気が利くのう。うむ、下僕にしてやってもいいぞ」
「それは結構です。それよりも、良い加減ちゃんと説明して下さい」
「ふむ。この酸っぱい水は美味しいのう」
「そのレモン水、全部飲んでいいですよ」
「仕方ないのう。少しだけ教えてやるのじゃ」
何となく扱い方がわかってきた。
食べ物を与えれば良いんだな。
「で、何を聞きたいのじゃ」
「少し端折ってくれても良いですから、大体の流れをお願いします」
「死にそうだったので、死んで生き返ったのじゃ。それだけじゃ」
判っていたがさっぱり判らない。
「死ぬんですか?」
「うむ。はらわたが腐って来ておってな。やはり体の機能は、使わんと駄目じゃのう」
「なるほど。それでどうされたんですか?」
「禁命術を使い過ぎたツケもあったしのう。そろそろヤバイかと思っておったのじゃが、ちょっとした噂を聞いてのう」
「噂ですか?」
「反魂の宝珠が、この迷宮に隠されておるとな」
知らない単語が出て来たので、とりあえずメイハさんに視線で伺う。
するといつもは穏やかなメイハさんの顔が、驚くほど強張っていた。
「……人を生きたまま死者に変える魔法具。やはり存在したのね」
「そうじゃ。お主らが目の敵にしとる禁遺物じゃ。おかげで持ち出せる目途がつかんでのう。結局、現地で使う羽目になったという訳じゃ」
「えーとつまり、あの終世の神殿跡でその何とかオーブを使った訳ですね。それで死を忘れた者になったと」
「ざっくりじゃのう。まあそういうことじゃ」
「じゃあ、なんで階層主とかやってたんです?」
「ふむ。それはのう迷宮の強制力というやつじゃ。彼の地で死者に成れば、彼の地の仕組みに組み込まれるのは定跡じゃ」
「もしかして、それを判ってて……?」
少女は今頃何を言ってるのじゃと言いたげに、鼻を鳴らした。
「迎えに来るのが遅すぎじゃ、ニニ」
「そりゃ、ちゃんと説明しとかないからでしょ」
「ふん、訳を話したら絶対来んじゃろ。だからあえて執着だけを残しておいたのじゃ」
今までの話をまとめると、さんざん人に迷惑を掛けまくってたサリドールが死にたくないからと、迷宮で見つけた危ないアイテムを使ってアンデッド化して生き返る。
そしたら迷宮のシステムに組み込まれたので、今度はニニさんを呼び寄せておいて倒される。
で、遺品を残して遺言でこの地底湖に持ってこさせたと。しかし、その後がよく判らない。
「そこまでは何とか判りましたが、さっきのは何がどうなったんです?」
僕の質問に、少女はソッポを向いたまま口をつぐんだ。
じっと見つめると、ちらちらと視線を送ってくる。
「…………あとで美味しい物を食べさせてあげますよ」
「ふむ、約束じゃぞ。あの上着には我の執着が染みこんでおる。あとはそれを結目にすれば黄泉返りも容易いことじゃ」
そんなもので復活できること自体が、すでに僕の理解を超えている。
それと、そこまでする執念も理解できない。
気になったので、最後に訊いておこう。
「何でそんなに生き返りたかったんですか? 何かやり残したことがあるとか?」
「それはのう、もっと死をもたらすためじゃ。存在の喪失こそが我の使命、我が生まれてきた役割なのじゃ!」
「それじゃあ、採決を取りますね。巻き戻しに賛成の人は、挙手して下さい」
メイハさんが真っ先に手を挙げる。
意外なことにミミ子も手を挙げていた。やはり殺しまくり宣言が致命的だったか。
よく判ってないらしいサリドールも手を挙げている。
美味しい物を食べに行く参加者募集と勘違いしてそうだ。
そしてなぜかニニさんの手は下がったままだった。
こちらを見つめるその目は、捨て猫を拾ってきた子供のように潤んでいる。
「駄目ですよ。危なすぎます。そもそもニニさんは許せるんですか?」
「私の執着は、昨日で消え失せた。大丈夫だ。無用な殺生は駄目だとちゃんと言い聞かせる」
「その子は危険すぎますって。この先、トラブルを起こすのは目に見えてますよ」
「迷宮に連れて行けば、問題は起きないと思う。ちゃんと私が面倒を見るから……頼む」
庇護欲に満ち溢れた紫色の瞳で、僕をじっと見つめてくるニニさん。
なにかおかしい気もするが、今はサリドールをどうすべきかのほうが重要だ。
これ巻き戻しても、ニニさん単独で生き返らせに来そうだしな。
「判りました。ちゃんと躾けてくださいね」
「ありがとう、感謝する」
「私は反対です!」
「お願いだメイハ。あなたも子供を持つ身なら、親の気持ちが判るだろう」
「それとこれとは――」
「私にとって、サリーは家族だったんだ。今もその気持ちは変わらない」
「でもそれなら尚更、身内が厳しく対応すべきでしょ」
そういやサリドールに出会った時、いきなり切れて殺そうとしてましたよね。
大鬼のその辺りの考え方が、極端すぎて全く共感できない。
というか、今日はもう判らないことだらけで頭が痛い。
言い争いを始めた二人を放って、僕は渦中の少女に目を移した。
「お主には礼を言わんとな。さっきは助かったのじゃ」
「どういたしまして~」
なぜか水辺に座り込んで、少女たちも会話を始めていた。
「我の名はサリドールじゃ。お主の名は何という?」
「ミミ子」
「ふむ。それは真の名ではないな」
唐突にサリドールの瞳が金色に変わる。
そのまま顔をあわせる二人の間に、しばし沈黙の時が流れる。
そして少女は首を捻りながら、不満そうな声を上げた。
「やけに厳重に真名を隠しておるのう。さっぱり読み取れんのじゃ」
不思議な会話をしている二人を見ていたら、サリドールの視線がこちらへ向く。
「そういえばお主の名前を聞いてなかったのう。ふむ……お主……これは……」
「僕の名前に、なにか問題でもありました?」
さっきと同じようにサリドールは首を捻る。
そしてポツリと呟いた。
「永く生きとるが、真名のない人間なぞ初めて見たのう」
反魂の宝珠―生前の記憶を保ったままアンデッド化できるアイテム。使い捨て。使用箇所も終世の神殿に限られる。
神遺物―魔法具の上位版。禁遺物や聖遺物はまとめてこう呼ばれる。宗教団体が迷宮に潜る最大の理由
身固めの式―身に付けていた品に念を纏わせ、己の身を保つ式術。




