三層地図作り仕上げ
ゲーム内でジョブを変えながら、リアルでもこんな簡単に転職できたら良いなとか呟くでござる
巨大な獣が牙をむく。
三層の通路を我が物顔でうろつく灰色狼どもだ。
その体長は軽く二メートルを超え、肩高も僕の胸元に達する体躯を誇る。
狼特有の太い顎の一噛みは、迷宮蜥蜴の皮鎧程度なら容易く貫通する。
そしてこのモンスターの厄介な点は群れで行動することと、一人に対して攻撃を集中させてくることであった。
だが今はそれが都合良い。
目の前の通路にたむろするのは四匹。
僕は徘徊領域ギリギリの通路端に立ち、弓を引き絞った。
弦が大きく爆ぜ、真っ直ぐ飛び出した矢が手前の一匹を捉え――その頭部を弾き飛ばした。
地面に落としたスイカのように赤い中身がぶちまけられて、狼の姿は呆気なく消え去った。
仲間が襲われたことに気づいた狼どもは、一瞬の躊躇もなく僕目掛けて走りだす。
手前の一匹は僕の担当だ。
新たにつがえた矢を素早く飛ばす。
飛んできた矢を軽々と躱した獣は、空中で胸部に新しい矢を受けて地面にもんどりうって倒れる。
『二連射』。
一射目で動かし『行動予測』した先に、二射目を置くだけの簡単な罠だ。
迫ってくる三匹目に、僕の左後ろで待ち構えていたキッシェが矢を飛ばす。
だがそれも難なく躱される。
この階層になると 素早いモンスターは当たり前のように矢を避けてくる。
矢をかい潜った狼の牙は、僕に届く寸前で真横からの盾撃に阻まれた。
そのままリンは盾に全体重をかけ、通路の壁まで一気に灰色狼の巨体を押し立てる。僕にだけ集中していた狼は、あっさりとバランスを崩した。
正面からだと力負けするが、こうやって横からだとリンでも狼を動かすことは出来る。
もっとも、その体に流れる牛鬼の血が大きいとは思うが。
「いいよ! キッシェ」
「任せて!」
首根っこを盾と壁に挟まれてまともに身動きがとれない狼の脇腹に、キッシェが飛びつくように短剣を突き刺す。
心臓近くに深く差し込まれた刃に、モンスターは唸り声をあげつつ暴れ始める。
リンの腰がグッと落ち、足の踏ん張りを殺すことなくその両腕に伝える。
鎖帷子を着てるせいで、背中の筋肉が大きく盛り上がるのが見て取れた。
ガッチリと壁際に押さえこまれた狼は、キッシェに何度か刺されると力を失いそのまま消え失せた。
その様子を横目で確認しながら、僕は通路の真ん中で尻尾を丸めていた最後の一匹に矢を放つ。
肩に矢を受けた狼は、一転して牙を剥き出しにする。
同時に僕の右横で、モルムが中空に描いてた『恐怖』の呪紋が消え失せた。
魔術士の第一階梯呪紋は、軽い物理接触で簡単に解けてしまう。
どうもまだ新しい弓に慣れてないようだ。
新しい矢を矢筒から引き抜きながら、視線だけで当たりをつける。
そして僕を噛み砕こうと迫るその口に、予備動作を出来るだけ省いた一射を叩き込む。
うむ、今度はうまく行った。
腔内が一瞬で焼けただれ苦痛の鳴声を上げることも出来ないまま、灰色狼は僕に辿り着くことなく消え失せた。
▲▽▲▽▲
ドロップアイテムの狼の毛皮を背負い袋に詰めていく少女たちを横目に、僕は先日手に入れた『蟷螂の赤弓』の弦を軽く引きながら、今しがたのベストショットの感覚を体に刻みこむ。
巻き戻しても、この記憶が残ってくれるのはありがたい。
複合弓を扱うのは初めてなので、使い始めて二週間たった今でもさっきのように撃ち損じが出る。
もう少し精度を上げないと、怖くてなかなか下層へ進む気になれない。
ただその威力は眼を見張るものがあった。
あの灰色狼でも、当たりどころが良ければ一撃で倒せるのだ。
実戦投入前は弦を三本も使うなんて扱い難いだけかなと考えていたが、使ってみるとなるほど迷宮組合が高値を付けたのも納得できる逸品だった。
付随する不動で安定感は抜群。
過大の呪紋で軽く引いた矢でも恐ろしい一撃と化す。
さらに当たった部分が焼け焦げる焔舌の効果まで付いている。
所持してる探求者が一人いるだけで、パーティ全体のレベルを底上げできそうなぶっ壊れ性能だ。
だが残念なことに、僕はまだこいつの全てを使いこなせていない。
全力で引いた時に、どんな一撃が生まれるのかを見てみたいが、まだ無理なのだ。
うん。実は弦が重すぎて限界まで引き絞るには、膂力が足りてなかった。
たぶん適正レベルが、もっと高い魔法具なんだろうな。
「旦那様、次はどちらへ?」
ランタンを持ち上げたキッシェが、次の移動先を確認しに来る。
「たぶんこの先が東エリアの端っこだと思うし、それを確認したら南東周りで端を確認しながら戻ろうか」
「わかりました。リン! そろそろ行くわよ」
キッシェの呼びかけに頷いたリンが、地図を描き終えてぼーっとしているミミ子を抱き上げる。
嗅覚感知のモンスターしか居ないこのエリアでは、ミミ子の仕事は地図作りくらいしかない。
だが先日のレッドマンティスのような事態が、いつ起こるか判らない。
だからこそ、ミミ子を連れて歩かない選択肢はあり得なかった。
気が付くとそばに立つモルムが、僕の鎧の裾を引っ張っていた。
「…………兄ちゃん、行っちゃうよ」
「ああ、ごめんね」
少し考えこんでるうちに、皆を待たせてしまったらしい。
迷宮内で集中力を欠くことは、ろくな結果にならない。
僕は小さく首を振って、みんなの後ろを歩き始めた。
新しく増えた家族を養うために、僕らは現在レベル向上に勤しんでいた。
経験値稼ぎを兼ねた三層の地図作りも、あと一週間ほどで目処が立ちそうだった。
ほぼ八割方埋まっており、罠を避けて効率よくモンスターだけを倒して回れるルートも出来上がりつつある。
マップが完成すれば、宝箱を狙った高速巡回路を行き来しつつスキルを磨く予定だ。
そしてキッシェたちのレベルが上がれば、四層でまた同じように地図を作りつつ経験値を稼ぐ。同じことの繰り返しとなるが、それでも一緒にやれる仲間がいるだけで全く気持ちが変わってくる。
みんなと出会えて、共にパーティを組めてよかったと心底思う。
前を歩く少女たちを微笑みながら見ていると、ふいにモルムが振り返る。
僕の視線に瞳を合わせて、にぱりと笑い返してきた。
一番最初にあったときの、リンの後ろに隠れていた内気っぷりがウソのようだ。
三層での地図作りの作成再開に関しては『蟷螂の赤弓』の存在が大きいが、それと同じくらいモルムの転身も大きかった。
メイハさんたちが引っ越してきた翌日、突然モルムが魔術士の勉強をしたいと言い出した。
どうも前から職業訓練所の魔術士のじい様先生に、弟子にならないかと誘われていたらしい。
僕としてもモルムがやりたいことなら全力で応援する気だったので、喜んで講習の申し込みを済ませた。
現在じい様先生のお弟子になって、毎朝寝ぼけまなこをこすって訓練所へ通ってる。
今はまだ第一階梯呪紋の『恐怖』と『熱狂』しか使えないが、それでも狼を一匹足止め出来ている素晴らしい活躍ぶりだ。
そしてそんなモルムの姿に触発されたのか、僕から『速射の小弓』を引き継いだキッシェもせっせと射手講習に通い始めた。
弓なんて実戦で覚えるもんだよって言ったのだが、どうも基礎からきっちり学んで行きたいそうだ。
僕にはよく判らない感覚だ。
リンもレベル2に上ったら、両手武器の習得がしたいと少し前に漏らしていた。
こっちは火力不足を気にしているらしい。
まあリンは『闘血』持ちだし、思う存分暴れてみたいって欲求があるのかもしれない。
一人を除くパーティメンバーが向上心を見せてくれるおかげで、僕のやる気もどんどん上がっていく。
この調子なら三層の制覇も、あっという間だろうな。
四ヶ月前にレベル3に上がった時には、こんな風になるとは全く予想できてなかった。
本当に迷宮って場所は面白い。
『恐怖』―魔術士の第一階梯呪紋。恐怖で足止めする




