三層ジャイアントマンティス再戦
思い切って全財産はたいて買った装備が、アプデ後に叩き売りされてて涙が止まらないでござる
迷宮という大きな暗闇を、ランタンのわずかな光が切り取り空白を作り出す。
その白い空間に巨大な虫の顔がぬうっと現れた。
逆三角形の上部を占める一対の複眼が、ぐるりと動きこちらを見据える。
大顎が左右に開き、髭のような触手が口の端から覗いた。
ジャイアントマンティスが餌を見つけた時の仕草だ。
体高が三メートルを超えるせいで、その頭部はほとんど天井すれすれだ。
迷宮の通路奥に立ち塞がるモンスターは、異様なほどの威圧感を発してこちらを窺う。
その姿は、哀れな犠牲者の命を容易く刈り取る殺し屋のあだ名に相応しい容貌だった。
僕が大きく手を振ると、キッシェと彼女に背負われたミミ子が動き出す。
少年の幻影が挑発するように、モンスターの前に躍り出た。
その瞬間、凄まじい勢いで鎌が宙をなぎ払う。
離れた僕の頬にまで、風が押し寄せるほどの速さだ。
だがその一撃を、幻影はギリギリで躱していた。
しかし鎌が起こす風圧までは避けられない。
僕の姿をかたどった幻影は、少しばかりその形を歪ませる。
ジャイアントマンティスは、獲物を一撃で断ち切れなかったことに疑問を抱いたらしい。
小首を傾げるような姿勢で、続けざまに両手の鎌を交互に繰り出す。
形を崩しながらも幻影は、それを紙一重の見切りで躱していく。
ここぞという時に見せるミミ子の集中力は、僕も舌を巻くほどだ。
されど高圧を生み出す鎌相手では、やはり限界がある。
体感時間で五分ほどであるが、ついに幻影はその役目を終える。
ジャイアントマンティスの鎌に両断されて消え失せる影と入れ違いに、キッシェたちの後ろに控えていたリンが飛び出す。
「来い!」
鋭い呼気と共に闘気を乗せた『威嚇』が、モンスターへ叩き付けられる。
相手が替わったことを気にした様子もなく、カマキリは躊躇なく大鎌を少女へ振り下ろした。
キチン質が出したとは思えない硬音が通路に響き、弾き飛ばされたリンが大きく後退する。
だがその身に変化はない。大鎌は見事に『受け流し』されていた。
続けざまに振るわれる鎌の攻撃を、両手で支える盾でリンがことごとく左右に捌いていく。
鋼を擦り合せたような音と火花を宙に飛ばしながら、少女とカマキリの攻防は続く。
拮抗しているかのように見えた戦闘だが、やはりレベル差はいかんともしがたいようだ。
じょじょにリンの後ずさる距離が伸びていき、カマキリの腕の振りが大きくなる。
鎌が伸び切らない近距離で受けるからこそダメージをなんとか殺せるのであって、鎌のリーチを生かした距離になると一方的な展開になるしかない。
「あっ!」
それは一瞬の出来事だった。
伸ばした鎌が戻る際に、その上肢にびっしりと並ぶ棘の一つが盾に引っかかる。
盾を引っ張られて上体が流れたリンに、もう片方の鎌が空気を裂いて振り下ろされる。
瞬時の判断で盾を手放したリンは、その身を床に投げ出した。
くるりと綺麗な前転でカマキリの脇へ回避するリン。
指一本くらいの差で、その体があった場所を鎌が通過する。
獲物が逃げたことに気づいたカマキリは、即座に首を回し足元のリンの姿を捕捉する。
対する少女の腕には、もう自らを守る盾はない。
絶体絶命の状況のなか、緊迫する空気をぶち壊すような掛け声が流れた。
「いくよ~」
ミミ子が再び『陽炎』を発動したのだ。
僕の幻影が勇ましくジャイアントマンティスの前に躍り出る。
しかしミミ子の幻影盾は、幻ゆえに敵対心を稼ぐすべがない。
モンスターの目の前に現れたところで、カマキリの注意はリンに注がれたままである。
その隙を突くように、キッシェが動いた。
すっと持ち上げられたキッシェの手が真っ直ぐに振り下ろされ、短剣がカマキリの顔面目掛けて投じられた。
『武器投擲』。
飛翔する短剣は僕の幻影をかすりながら、カマキリに達する寸前その鎌に弾かれる。
だが目的は十分果たしたようだ。
ジャイアントマンティスは、目の前の僕の幻影を再び敵と認識した。
大鎌がまたも振り下ろされ、幻影はそれを間一髪で避ける。
その攻撃の合間を見計らって、リンは鎌の範囲外へ何とか転び出る。
ぐったりした顔の少女は、僕らの待機してる場所まで急いで下がってきた。
「お疲れ様」
「盾取られちゃったです。すみません」
「…………はい、どうぞ」
「ありがとうね、モルム」
手渡された強精薬を飲み干しながら、リンは開いた手でモルムの髪をくしゃくしゃと撫でる。
その額には玉のような汗が浮かんでおり、まだ少し肩で息をしている有り様だ。
一撃を貰えば確実に体の部位が損傷する状況は、やはりかなりの重圧なんだろうな。
「その鎧はどう? 動きに問題ない?」
「はい。前とあまり変わらない重さなんで、へっちゃらです」
先日、ぼろぼろになった黒殻甲虫の堅鎧が廃棄処分となったため、リンがいま着ているのは白磁鋼の鎖帷子一式だ。
この精緻に編み上げられた白銀の鎖帷子は、白磁鋼という素材でできており鉄よりも軽い上に硬さがさほど変わらず、耐熱性や耐電性にも優れた一品である。
少しばかり衝撃に弱いのと値段が高く付くのが欠点であるが、三層の敵相手なら余裕で相手できる。
現にミミ子のレベルが上がって『陽炎』の再詠唱が半分の五分になったとはいえ、それまでジャイアントマンティスの猛攻をしのげるほどの守りを見せてくれたし、銀貨20枚の価値は十分だと思う。
と、呑気に喋っていたらカマキリが切れた。
両手の鎌を天井に届くほど大きく掲げ、そのまま眼には捉えられないほどの速さで同時に振り下ろす。
『両鎌交撃』により発生した衝撃波が、通路を大きく揺らした。
高速の鎌を交差させる攻撃は巨大蟷螂の最強の攻撃技だ。
あれを正面からまともに受けると、がちがちに固めた盾持でも首が飛ばされて終わるだろうな。
舞い上がった突風に、幻影盾があっさり消え去ったのを確認した僕はそのまま退却を実行する。
唐突に今朝のベッドの上に戻された少女たちは、パジャマ姿の自分たちに気づいてホッと安堵の息を漏らした。
「あの最後の両手振り回す攻撃、あれヤバイです。たぶん受けたら死ぬです」
「陽炎も消されてましたね。あれを繰り返されると勝ち目ないんじゃないですか?」
「…………カマキリ、おっきかった」
一人を除いて不安げに感想を述べる少女たちに頷きながら、僕は先程までのカマキリの動きを思い起こしていた。
初めて三層に行った日に出会ったヤツは片手が既になかったので、あの技は使ってこなかった。
それを差し引いても……。
「う~ん。あんなに弱そうだったっけ?」
「へ?」
「はい?」
「…………そなの?」
さっきはひたすら様子見に徹したが、攻撃の間隔や足捌き、視線の動きと呼吸回数、どれもハッキリと見えていたし隙を突くのも容易そうだった。
当初の計画ではミミ子の幻影盾で時間を稼ぎながら、僕が『見破り』でピンポイントに毒矢を打ち込み動きを鈍らせる。
そしてカマキリが動けなくなったら、『ばら撒き撃ち改』で止めを刺す流れだ。
毒が回るのにどれほど掛かるか判らないので、ミミ子の幻影盾がやられた場合はリンが『陽炎』の再詠唱まで時間を稼ぐ。
そのためにゴーレムで『受け流し』の練習したり、装備を新調したりしたんだけど。
どうも腑に落ちないが、さっきのジャイアントマンティスは前に三層で初めて見た時よりも格段に弱そうだった。
うーん、これは僕がレベル3に上がったせいなのか。
ただ確実とまでは言えないが、ハッキリと分かったことはある。
「次やったら勝てると思うよ」
「え? でもあの鎌を振り回す攻撃はどうするんです? 隊長殿」
「それも大丈夫だと思う」
そう、簡単な話だ。出す前に倒せばいい。
▲▽▲▽▲
「それじゃ、始めますか」
「ふぁ~い」
僕の呼びかけにミミ子は大きなあくびを返す。
おんぶしているキッシェの不安げな顔付きとは、正反対の余裕っぷりだ。
僕を信頼してくれているのか、単に肝が据わっているだけか。
ミミ子の場合は、肝もぐ~すか寝てそうだけどね。
発光石のランタンの輝きに浮かび上がる僕の幻影に気づいたのか、通路の奥からのっそりと巨体が現れる。
この大通りは、階段までにモンスターの湧く場所がないので思う存分戦える。
しばし周囲を見渡したジャイアントマンティスはゆっくりと近づいてきて、不意に幻影へ襲い掛かる。
この静から動への急激な変化が、このモンスターの厄介な特性だと思う。
だが安心のミミ子だ。
動きの起こりを完璧に捉えていたようで、右鎌の射程外へなんなく逃げる。
同時に僕の放った矢は、カマキリの左鎌に弾かれていた。
そのまま前に出ようとしたカマキリは、バランスを崩してよろめいた。
その左前足の中関節より下の部分の色が変わり、腐り落ちていくのが見える。
さすがギルド特製の混合毒だ。効き目が早い。
よろめいた瞬間を見逃さず、僕は再び弓を打ち鳴らす。
『二連射』の第一矢で鎌を持ち上げさせ、第二矢で右の前足を狙う。
今日の連射は弓鳴が一つに聞こえるほど、僕の集中は高まっていた。
両前足の先端が腐り落ちたカマキリは、動けずその場にあっさりと這いつくばる。
そもそもあのサイズの外骨格にあの足の構造で、素早く動き回れること自体が不思議だったのだ。
その辺りをちょっと崩してしまえば、機動力が失われて脅威は簡単に消え去る。
何が起こったか理解できないようで、威嚇音を上げながらジャイアントマンティスは大鎌を大きく振り回す。
その合間を縫うように、僕の矢が腕、首、胴関節に次々と突き刺さる。
怒りが頂点に達したのか、カマキリは両鎌を大きくもたげた。
そのまま力まかせに振り下ろす。
『両鎌交撃』!
だが残念なことに腐敗毒のせいで、勢いよく振り回した鎌部分がちぎれ飛び明後日の方向へ飛んで行く。
半分だけになった腕を動かしながら、カマキリは顎をガチガチと咬み合わせて僕を睨みつけてきた。
そこに止めの角の矢を、撃ち込んでやる。
両目を射抜かれ手足がちぎれ落ち、全身を腐らせたまま巨大蟷螂はゆっくりと地に伏せた。
『規格外外骨格』―実は虫が大きくなったのではなく、人間側が小さくなったという説も




