六層西区探索
白い空に反響する鐘の音によって、小窓の奥の影人も復活したようだ。
灰色ローブの男が舌打ちしながら再度、鐚銭を小窓に投げ込む。
わずかな間を置いて、西の門の鎖格子は音もなく持ち上がった。
やはり代価を支払うのが、正解だったらしい。
つまらぬ揉め事は終わったとばかりに、世襲組の小隊は僕らには目もくれず門の奥へ姿を消した。
慌てて追いかけようとして足を止める。
イリージュさんとミミ子がまだ休憩中だった。
「サリーちゃん!」
「うむ、任せるのじゃ」
鎖格子が下りる前に、少女は門へ滑り込んだ。
今はまだ、彼らを見失うわけにはいかない。
会話中に鐘が鳴った時点で、彼ら以外にも鐘塔へ辿り着ける存在がいることが判明した。
だからといって完全に、世襲組小隊の疑惑が晴れたとは言い難い。
今回は僕らが東区へ行ってないので、鐘を鳴らさず戻ってきた可能性もある。
それに僕らと彼らを除けば、この層に居るのは――。
あり得ない考えが頭をよぎりかけたので、首を横に振って追い払う。
イリージュさんたちは、門からちょっと離れた場所でまだ座り込んだままだった。
眠りこけるミミ子を膝の上に乗せたまま、黒長耳族の女性は不安げにこちらを見つめている。
見知らぬ誰かと揉めていたら、急に鐘が鳴り始めたのだ。
全く状況が、掴めていないのだろう。
近付きながら、出発の意味を込めて手招きする。
しかしイリージュさんは困り顔のまま、立ち上がろうとしない。
どうやらミミ子を起こすまいとして、身動きが取れないでいるようだ。
仕方がないので駆け寄って、クースーと寝息を立てるミミ子を肩に担ぎ上げる。
あれほど騒がしかったのに、よく熟睡していられるな。
実は結構、寝汚い印象の強いミミ子だが、緊迫した場面では意外としっかり起きてたりもする。
今回は、さほど気にかけるような状況ではなかったということだろうか。
さて門は閉じてしまったし、南区まで行って鐚銭を集めるしかないな。
急がないと世襲組の連中と距離が空いてしまう。
背負い袋をイリージュさんに持って貰い、一足先に門番だけでも倒しにいこうと駆けだした瞬間、再び西門の鎖格子が持ち上がった。
驚いて立ち止まると、門の向こうから少女がヒョコッと顔を出す。
「ここ、中から開けられるのじゃ」
「そうだったのか。ビックリしたよ」
入ってみると、確かに内側には受付用の小窓が見当たらない。
代わりに門柱の裏に、小さなレバーが付いていた。
「ふぁぁ、あれ? 西区に入れたの?」
「起きたか。サリーちゃん、アイツらは?」
「犬が追跡中じゃ。あまり時間を掛け過ぎると、自壊してしまうがのう」
「流石はサリーちゃん、抜かりないね。入ったばかりだし、方向さえわかればすぐに追いつけるかな」
「ふふ~ん。ま、賢い我からすれば容易いことじゃ」
腰に手を当てて胸を張る少女の姿が余りにも愛らしかったので、つい頭を撫でそうになるが我慢する。
目上の人にやるには、大変失礼な行為だ。
目覚めたミミ子を下ろして、イリージュさんから背負い袋を受け取る。
「よし! 行きますか」
「ちょっと待つのじゃ。追いついてどうするつもりじゃ?」
問われてみれば、確かに連中に追いついたところで何か出来るわけでもない。
彼らが塔の鐘を使って嫌がらせをしたのだとしても、現場を押さえなければただの言い掛かりだ。
「そうだな。西区は初めてだし、まずは情報を集めるほうが大事か。それなら案内役になってもらうのは、どうだろう?」
「ふむむ、それなら良いじゃろう」
サリーちゃんの指摘は、当然のことだった。
僕らの目的はあくまでもニニさんたちの救助が最優先であって、遭難の原因究明や犯人探しは二の次でしかない。
焦りすぎて感情が先走っていたようだ。
「なあ、サリーちゃん」
「なんじゃ?」
「アイツら、怪しいと思う?」
「なんとも言えんのう。敵意はあったようじゃが、殺意とまでは言えんかったしのう」
僕と同じ感想か。
喋ってみた感触からは僕らを積極的に排除したいという意思は、ほとんど感じ取れなかった。
むしろあまり興味がないので、出来るだけ遠ざけておきたいといった排他的な思惑の方が強かったと思う。
それに今回の彼らの行動を見ていると、どうも合点がいかない。
例えば影花の脅威がないと分かったのに、また西区へ入り直している点とかだ。
しかもそのまま、探索を続行しているように見える。
いったん出てきたエリアへわざわざ戻るという謎に、理由を付けるとすれば一つしか思いつかない。
彼らも鐘を避けるために、出てきたのではないかと――。
「まさか、他にも誰かいるのか……」
「もしかしたらあの鐘は、ニニが助けを呼んどるのかもしれんのう」
「いやいや、鐘のせいで救助が余計、難しくなってるよ」
「あやつは、うっかり者じゃしのう」
うっかりで済むレベルじゃないよ!
心の中で突っ込みを入れながら、足早に霧の奥へ進む。
西区はこれまでとは一転して、曲線が多い構造になっていた。
低い建物の隙間を縫うように、弧を描く道が続いている。
全ての道が左右に蛇行しているせいか、見通しは今一つよくない。
通路は途中で円形の小広場に繋がっており、そこから新たな道が不規則に伸びている。
世襲組の小隊が先行しているせいか、モンスターの姿は見当たらない。
奇妙で無機質な眺めに、ぶるりと身が震えた。
霧の濃さは変わらないように思えるが、一段と寒くなっているようだ。
背負い袋に押し込んであった灰色狼の外套を取り出して、黒豹装備の上から着込んで矢筒を着け直す。
少しモコモコになったが、寒さで動きが鈍るよりは良いだろう。
着替えをしていると、こっそりミミ子が耳打ちしてきた。
「ねぇねぇ、鐘っていつ鳴ったの?」
「ミミ子が寝てる間に、一回だけ鳴ったよ。どうかしたのか?」
僕の問い掛けに、三角耳を生やした少女は不思議そうに首を捻るだけであった。
▲▽▲▽▲
「ううう、気持ち悪いのじゃ」
黒いリボンを揺らしながら、ドレス姿の少女は心底嫌そうに呻いた。
少女の視線の先には、長く伸びた影が建物の壁に張り付いている。
問題はその見た目であった。
ここに来て影人は、とうとう人の形ではなくなった。
いや、人としての特徴は残っているとも言えるが。
壁を這うその姿は、女性陣には大変不人気な節足動物、百足にそっくりだ。
もっともサイズは、軽く元の数十倍はある。
そしてその身体を構成するパーツは、ずばり人の足そのものであった。
人の腰から下部分が、数珠繋ぎになっているのだ。
人体のパーツのみで構成されたその姿は、あまりにも異様で嫌悪感を掻き立てる見た目だった。
「来るぞ!」
音もなく壁を這いずり回っていた百足モドキは、先頭部分を持ち上げてサリーちゃんへ挑みかかる。
空気を打ち据える鞭の音が響き、足首を砕かれた先頭が崩れ落ちた。
だが百足は気にも留めず、あっさりと足を失った部分を切り捨てて、少女の背後に回り込んだ。
一斉に蠢く二十本近い足の動きに、サリーちゃんは不快そうに唇を固く結んだ。
骸骨や死体は平気のようだが、虫っぽいのはどうも駄目らしい。
少女を幾重にも取り囲み、その華奢な体を締め付けようとする百足。
だがあっさりと絶圏に拒絶され、萎びながら弾け飛ぶ。
こいつと百足の決定的な違いは、ここからであった。
バラバラになったはずの足どもは、影の質量を減らしながらも瞬く間に再度くっつき合う。
百足の形態を取り戻した影は、またも少女に挑みかかった。
鞭が唸り、先頭の足が消し飛んだ。
頭の節を捨てた百足は、少女を締め殺すべく体を巻き付ける。
その様子にやきもきしながらも、僕はじっくりとチャンスを窺った。
確かに絶圏は強力だが、消せる量には限界がある。
サリーちゃんの絶対防御の範囲は、傍から見ても分かるほど縮まってきている。
対して百足の節の数は明らかに減ってきてはいるが、まだかなり残っていた。
激しく動き回る十数本の黒い足。
その周囲を懸命に飛び回る小さな輝き。
サリーちゃんに巻き付く少しの間だけ、百足の足が遅くなる。
狐灯たちが狙っていたのは、そのわずかな時間であった。
またも飛び散った百足が、集まりながら壁を走る。
熱を感知する狐灯は狐火より身軽な分、速度はかなり増している。
だがそれでも猛烈な勢いで壁や床を駆け回る百足についていくのは、非常に難しいようだ。
加えて分離と合体を繰り返すために、余計に難易度が上がっている。
だがじわじわと時間が過ぎる中、ついに五度目の巻き付き時に、中央に近い節の一つに狐灯たちが集中する。
光が指し示す節に、紫の矢をすかさず撃ち込む。
体内に侵入した蛇が影を食い荒らしながら、その熱を感じる器官で影人の核を見つけ出す。
核に牙を立てながら、飛び出ててくる小蛇。
要を失った足どもは痙攣しながらも、核のあった部分から順に霧に溶けるように消えていった。
「お疲れさん」
「まだ結構、手こずるのう」
この百足モドキは核に近いところにシャーちゃんを撃ち込まないと、途中で分離して吐き出されてしまうのだ。
絶圏で全て消し去るには大き過ぎて無理だし、骸骨たちは蹴りか巻き付きで簡単に砕かれてしまう。
結局、ミミ子に核を探して貰うのが、一番の早道であった。
イリージュさんに回生を掛けて貰う狐っ子の肩越しに、通路の先を覗き見る。
そこに見えたのは、小広間で戦う小隊の姿だった。
もっとも相手は百足ではなく、蜘蛛であるが。
こっちは逆に、人の腕部分だけで出来ていた。
胴体から伸びる八本の腕で地面の上を走り回りながら、粘つく影の固まりを飛ばしている。
鎧姿の前衛二人が巧みに蜘蛛の動きを遮りながら、粘糸の攻撃を盾で受け止めていた。
隙を突くように大剣が振り下ろされ、蜘蛛の足――といっても手だが――が一本切り飛ばされる。
向こうは分離したり再生したりはしないようなので、かなり楽そうだ。
とは言っても、重い鎧を着て動き回っているせいか、兜の口元から白い吐息が上がっている。
戦闘時間も、僕らより少々長い。
まあ向こうは、核をピンポイントで見つけ出す手段がないので仕方ないか。
見ていると、ほとんどの足が切断された蜘蛛の胴体に大剣が突き刺さり、霞に溶け去っていくのが見えた。
残った黒っぽいの袋のようなものを、灰色のローブを着た男性が引ったくるように拾い上げる。
蜘蛛を無事、倒した世襲組は、警戒しつつ通路を先へ進み始めた。
少しの間を置いて、僕らも後に続く。
尾行は依然として続いていた。
彼らは小広間を渡り歩き、蜘蛛を重点的に狩っているようだった。
この西区は場所によって湧くモンスターの種類が決まっているらしく、広場は蜘蛛で通路は百足となっていた。
蜘蛛のほうは花の蕾のように広場でじっと固まっており、通りすがる探求者に襲い掛かってくる。
だが百足の方は、建物と通路を横切るように移動しているため、タイミングを見計らえば回避は可能だ。
ただ僕らのように通路に留まる必要があると、壁伝いに襲ってくる百足を避けるのは大変難しい。
僕らがついてくるのに気づいているかどうか分からないが、流石に傍まで行くのは躊躇われた。
首を上げて、視線を上に向ける。
このエリアは建物が低いせいで、霧の向こうまで見渡すことが出来る。
視界の中央に屹立する巨大な塔は、もうすぐそこまで迫ってきていた。
影脚百足―百足となっているが、実際は二十本ほど
影腕蜘蛛―迂闊に攻撃すると、武器を白刃取りしてくる




