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鏡の向こう側

 押し黙ったまま、僕らは鏡のあった番人部屋まで戻った。

 女の子たちは先ほど聞かされた真実がショックだったのか、神妙な顔でそれぞれ物思いに耽っている。


 特に形姿が変わってしまったキッシェなんかは、うわの空で足取りがかなり危なっかしい。

 普段の仕事ぶりが真面目すぎるせいで、物珍しさが先に来てついつい観察してしまった。

 とは言え、流石にそろそろ気を引き締めて貰わないと不味いな。


「はーい、注目」

 

 声を掛けて、皆の関心を集める。


「この先はかなり怪しいと思いますので、さくっと気持ちを切り替えて下さい。考えたいことは色々あると思うけど、ここはいったん棚上げしておいてね」


 今さらなことだが、迷宮内で余計な思考に耽るのは頂けない。

 僕の言葉に彼女たちは互いの目を合わせたあと、腫れものにさわるかのような顔付きで口を開く。


「旦那様はお気にならないのですか? その……お名前がないとか」

「これまで問題にならなかったし、今さら気にしても仕方ないよ。それにないならないでナナシでもムメイでも、好きに名乗れば良いだけだし」

「そんなものですか……」

「そうそう、そんなもの。大事なことは名前の有る無しじゃないよ」


 僕の返しにキッシェは驚いた顔を見せた後に、唇の端を持ち上げて晴れやかな笑みを浮かべた。

 どうやら返答を気に入ってくれたようだ。


 結局のところ、根っこの部分が変わらなければ、これまでとこれからに大きな差はない。

 僕はただの探求者シーカーでしかなく、今まで通りこの迷宮で何かを探し求め続けるだけだ。


 しかし見慣れてみると青白い鱗に包まれた少女の顔は、これはこれで独特の美しさがあるな。

 あの鱗肌に僕の全身をぴったりと絡めた姿を思い浮かべながら、今夜のお風呂はぜひ一緒に入ろうと固く心に決める。


 気を取り直した僕たちは、鏡があった場所にぽっかりと空いた通路を覗き込んだ。

 幅は僕の肩幅よりやや広いだけで、並んで歩くのは無理そうな狭さだ。

 天井には豆電球ほどのか細い光を投げ掛ける発光石が、等間隔で埋まっており微妙に薄暗い。


 真っ直ぐに伸びる通路自体はそれほど長くはなく、十歩ほど奥で小部屋に繋がっているのが辛うじて見えた。


「あれって、宝箱ですよね? 隊長殿」

「僕も宝箱に見えるな」


 扉がないせいで、ここからでも目を凝らせば小部屋の中は丸見えだ。

 その小部屋の中央にドンと鎮座してるのは、どう見ても宝箱であった。


 単独で勝手に宝箱が湧いている。この迷宮ではありえない光景だ。

 鏡の分身を倒してのドロップかとも思ったが、距離が離れすぎている。

 しかも倒したのは一昨日なので、普通の箱ならとっくに消えてしまっているところだ。

 

「しかも黒いですね」

「黒いな」


 通常の宝箱の色は茶・銀・金・虹色だと言われている。

 だがその箱は真っ黒だった。灯りがないせいかとも思ったが、よくよく見ても黒い。


「怪しすぎるけど、中身を確認しておこうか。今日は巻き戻しロードが使えるしな」

「わっかりました」


 モンスターや罠の気配はなかったが、念を入れて先頭に立ったリンが盾を持ち上げたまま、そろりと小部屋まで移動する。

 正方形の部屋には、他に出入り口が見当たらない。

 一応モルムとミミ子コンビに壁を調べてもらったが、行き止まりで確定だった。

 どうやらこの小部屋は、黒い宝箱が一つ置いてあるだけの場所のようだ。


 床にランタンを置き、傘の部分を上向きに付け替えて部屋全体を明るくしてから、モルムが黒箱へ取り掛かった。

 帽子掛け代わりのミミ子に愛用の三角帽子をかぶせ、頭に乗せていた針鼠のハリー君を僕に手渡してくる。


 袖を捲りあげた少女は真剣な面持ちで、突起やへこむ箇所がないか入念にチェックしていく。

 さらに軽く叩きながら音の変化を聞き取ったり、細い針金を繋ぎ目に差し込んで引っ掛かりがないかを確認する。


 検査はあっという間に完了した。


「罠はあった?」

「…………ないと思う。これ今までのとはちょっと違うね」

「そうなのか? まあ真っ黒だしな。よし、安全なら鍵を開けてみようか」

「…………それは無理かも」

「えっ?」

 

 巻き毛の少女が黙って指差すその先、宝箱の中央部分には鍵穴らしきものはなかった。


「鍵が掛かってないのか」

「…………でも開かないよ」


 モルムが宝箱の蓋を開けようとするが、糊でくっついたみたいに動かない。


「モルムはもっとお肉を食べないとな。ここはお姉ちゃんにまっかしなさい」


 リンが力瘤を見せながら、妹をひょいと脇にどけて黒い箱の蓋に指を掛ける。

 そのまま赤毛の少女は、息を吐きつつ一気に全身を持ち上げた。


 ふくらはぎが盛り上がり、地面を踏みつける力が真っ直ぐに背骨を伝って広背筋を膨張させる。

 だが宝箱は微動だにしない。


 ぐぬぬぬといった表情をしていたリンの瞳が、不意に真っ赤に染まった。 

 同時にその身体が一回り膨れ上がり、食いしばった歯の隙間から荒い息が漏れ始める。

 しかし宝箱は小揺るぎもしない。


 やがて真紅眼クリムゾンアイの効果が切れたのか、リンはぐったりとその場にへたり込んだ。


「ハァハァ、これ何かおかしいですよ。箱自体が全く動きませんし」

「普通の宝箱じゃないのかな。そもそもここが蓋であってるのか」


 かまぼこ型の宝箱の上部に触れてみる。

 軽く押すとパカッと開いた。


「えっ?」

「あれ?!」

「…………開いた!」

「流石は旦那様です」


 触っただけで勝手に開いたぞ、これ。

 それと特に何もしてないのに、持ち上げるのは勘弁してほしい。

 

「もしかしたら、鏡の番人を倒したのが関係しているのかな……」

「そうかもしれませんね」

「きっと私の力で、ギリギリまで開きかけていたんですよ」

「…………それは違うと思う」

 

 口々に意見を交わしていると、ミミ子が横からひょいと宝箱の中を覗く。

 途端にその四本の尻尾が、大きく波打ちながら逆立った。

 そのまま耳をぴったりと伏せたミミ子は、僕の背後に飛び込んで隠れる。


「どうした? ミミ子」


 腕をきつく掴んでくる狐っ子をなだめながら、彼女が見た物を確認すべく僕も箱の中へ視線を移す。 

 一瞬、空っぽかと思えたが、よく見れば底の方に小さな何かが見える。



 それはとぐろを巻いた一匹の蛇だった。

 

 

 思わず身を起こして、反射的に弓に手を伸ばす。

 僕の動きに呼応して、女の子たちも一斉に距離を空けて武器を構えた。

 矢をつがえたまま、僕はもう一度宝箱を覗き込む。 


 空気の動きで気付いたのか、蛇はゆっくりと眼を開いて僕を見上げた。

 その眼は鮮やかな碧に染まり、全身を覆う鱗は紫色に彩られていた。


 蛇は小首を傾げたポーズで、チロチロと舌を出しながら真っ直ぐに視線を向けてくる。

 明らかに敵意を感じ取れないその姿に、僕は肩から力を抜いた。


「凄い綺麗な蛇ですね、こいつ」

「そうだな。しかし何で宝箱に入ってたんだ」

「…………可愛い。これ飼うの? 兄ちゃん」

「とぐろを巻くものは、すべからく殺すべきだよ」

「いきなり物騒なことを言うな。ミミ子」


 餌もない密閉された箱の中で生きていたということは、たぶんこの蛇はモンスターなんだろう。

 だが罠だとしても、余りにもお粗末すぎる。

 もしかしたら猛毒持ちなのかもしれないが、襲い掛かってくる気配も皆無だし。


 僕は蛇の動きを見定めながら、手にした矢で軽く突いてみる。

 眼をわずかに見開いた紫の蛇は、音もなく矢にするりと巻き付いた。

 そのままスルスルと上がってきたので、思わず矢を手放す。


 箱の床に落ちた矢は、異なる二つの音を響かせた。


「あれっ?!」


 宝箱の底に転がっていたのは、僕の矢のほかにもう一本の矢。

 それは紫色をしていた。


 手を伸ばして拾い上げる。

 重すぎず軽すぎず手に馴染む感じ。

 矢柄にはびっしりと鱗状の模様が刻まれている。

 矢羽は三方向に広がった魚の尾びれのような形状だ。


 そして鏃は、牙を剥いた蛇の頭部だった。


 眼に当たる部分に埋め込まれた翠玉が、ランタンの光に照らし出されて妖しく輝く。

 状況がさっぱり分からぬまま、僕は視線を戻してまたも驚きに出会う。


 黒い宝箱は消え失せていた。

 代わりにあったのは、床に穿たれた四角い穴であった。


 息を呑みながら覗き込むと、地の底へと伸びる階段が目に飛び込んできた。

 部屋の中央にはいつの間にか、下層へ繋がる階段が出現していた。


「…………あの蛇、どこに行ったの?」

「旦那様、五層への階段はここではありませんよね。この階段は一体……」

「黒い箱が消えちゃいましたよ。それは矢ですか? どこにあったんです?」

「よし、情報を整理しよう」


 番人部屋の真の終着点は、間違いなくここだろう。

 黒い宝箱は試練を突破したご褒美ってとこか。

 そして武器を得た探求者シーカーを、深部へ誘う階段が出迎える。


 この迷宮の主は、記憶を求めている。

 それならわざわざ、何層にも渡る大規模な迷宮を造る必要はない。

 何のためかと考えた場合、一番しっくりくるのは篩い分けだ。


 より深くまで辿り着ける者、強者の魂か。

 そのための経験値であり、レベルという仕組みなのかもしれない。

 そう考えると目の前に現れた階段が、僕らを喰らうためにぱっくりと開かれた口に見えてくる。


「どうされますか? 旦那様」 

「下りるのは止めておこう。確実にヤバい感じがする。それに五層以降に行くには、小隊パーティにレベル4以上が二人いないと駄目なんだ」


 この先については、迷宮組合ラビリンスギルドに任せた方が無難だ。

 どう考えても、罠だとしか思えないし。


 知らず知らずのうちに、手に力が籠ってしまったらしい。

 握りしめていた蛇が、キュウと可愛い悲鳴を上げる。


 慌てて力を抜くと、紫の蛇は僕の二の腕にくるくると巻き付いて、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

 目を細めてその様子に見入っていると、女の子たちが顔を引き攣らせているのに気付く。


「あのぅ、矢はどこに行ったんです? その蛇は触っても大丈夫なんですか?」

「…………撫でても良い?」

「皮を剥いで打ち捨てるべきだよ、ゴー様」

「まあ見てて」


 じゃれつく蛇の尻尾を軽く摘まみ、心の中で念じる――矢に変われと。

 その途端、紫の鱗を持つ蛇は真っ直ぐにその身を伸ばした。


 次の瞬間、僕の手に握られていたのは一本の矢であった。


「…………凄い! 凄い!」

「なるほど、蛇が矢になったんですね。どういう仕掛けなんです? これ」

「さあ、詳しくは分からないな。さっき矢に触った時に、なんとなく使い方だけ伝わってきたんだ」

「なんだか威力がありそうな矢ですね。おめでとうございます、旦那様」


 キッシェの祝福の言葉とリンとモルムの拍手を浴びながら、僕は改めて思い返す。


 この部屋に辿り着くのに、半年以上かかった。

 思えばそれなりに、苦労続きの番人ばかりだった。

 厄介な迷路のせいで、投げ出しかけたこともあったっけ。


 でもやり遂げれば、きっと何か得るものがあると心の何処かで信じていた。


 その結果がこれか。

 確かにこの矢は、とても強力そうだ。

 触っているだけで、何らかの加護らしきものがビリビリと伝わってくる。


 でも。

 でもなぁ…………。


 僕は深々と溜息をついた。

 この迷宮じゃどんな矢でも、一回撃ったら消えてしまうのだ。

 可哀想すぎて使う気になれないよ。


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