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隠し通路の終着点

 砕け散った無数の鏡たちが、キラキラと輝きながら宙を舞い上がる。

 光を孕んだ欠片は、床に落ちると雪の如く消え失せていった。


 幻想的な眺めを前に少女は安堵の息を漏らしかけて、さりげなくあくびで誤魔化した。 

 半分閉じた目で周りの様子を窺うが、気付かれた様子はないようだ。


 キッシェたち三人は振り返る素振りもなく、ようやく開いた番人部屋の入り口に我先にと飛び込んでいく。

 少年が血みどろになって闘う様を、手出し出来ぬ鏡のこちら側でじっと耐えて見つめていたのだ。

 一秒でも早く駆け寄りたくて、躍起になるのも無理はない。


 闘いの最中、彼女たちは一言も声を発せず、堅く手を握り合ったまま食い入るように鏡の向こうを見入っていた。

 その横顔には、さまざまな感情が浮かんでは沈んでいくのが見て取れた。


 信頼、崇敬、焦燥、心配、執着、不安、そして放心。


 今の装備と地力があれば彼女たちは彼がいなくなっても、もう十分に生き抜いていくことは出来る。

 だから格好つけて勝手に死にたがるような男なんて、さっさと見切りを付けたほうが良いのかもしれない。


 だけど誰一人として最後まで、諦める素振りを見せなかった。

 どうやら主の勝利を疑う人間は居なかったようだ。

 

 盲信や依存にかなり近いが、少なくとも心はしっかりと寄せられている気がしないでもない。


「メロメロ過ぎるのも、困ったもんだけどね~」


 ゆっくりと立ち上がった少女は、わざとらしく溜息を吐いてみせた。

 おなごにあんなに心配をかけるとは、まだまだ主も器量が足りてない。


 少女の呆れ顔に気付いたのか、顔を上げた少年が珍しく良い笑顔で親指を持ち上げてくる。

 その顔は乾いた血に覆われ、皮鎧から覗く肌のあちこちには火ぶくれと刺傷が並ぶ。


 全くなんて酷い有り様。

 爪先なんて革靴ごと変色しており、今にも腐り落ちそうだ。


 キッシェがテキパキと装備を脱がし、リンが目につく傷痕に血止め薬をぶっかけ火傷には痛み止めを塗り込んでいく。

 モルムは心配そうに主の背中にくっついて、うなじに顔を埋めてスンスンと匂いを嗅いでいた。

 

 そこは少女の定位置であったが、今は友情に免じて許すことにする。

 

「勝ったぞ、ミミ子。ちゃんと見てたか」

「ぎりぎりだったね~」

「勝ちは勝ちだ。結果オーライだよ」


 いつもよりも少し早口な主の声に、少女も少しだけ目を細めた。

 ぼろぼろな有り様で言い張られても滑稽なだけだが、それを笑えるような気分ではない。


 少年の満ち足りた眼差しに視線を合わせながら、少女は湧き上がる怒りを黙って飲み込んだ。

 見た目によらず、主は意外と闘争心が高い。

 あと密かに負けず嫌いで、細かいことをいつまでも覚えていたりもする。

 そのくせ追い詰められないと、やる気が湧かない面倒な性分。


 前の時も、その前の前の時も似たようなことをしでかして、苦労とか心配を当たり前にかけてくる男だった。

 

 立ち上がる力も残っていない少年の脇に座り、その汗と血にまみれた顔を覗き込む。

 巻き戻しロード――と主は思っているが実際はかなり違う――を限界まで使い切ったあとの凛々しい瞳をじっくりと眺める。

 しっかりと眼が開いた状態は、結構珍しいのでちょっとだけ嬉しい。

 

「もしかして惚れ直したか?」

「べつに~。こっぴどくやられたなぁって思ってね」

「ミミ子さんの言う通りですよ。早く治療室へ行きましょう」

「そうだな。今日はこれ以上の無理は止めておくか……手ぶらで戻るとちょっと不味い気もするけど」

 

 二人の会話を尻目に、少女は大鏡の後ろから現れた通路へと注意を移す。

 少女に宿った記憶の中には、この通路の存在はなかった。

 嫌な予感に身を震わせていると、少女の体が急に宙に浮いた。


「出来るだけモンスターのいない通路を選びますが、万が一ということもあります。ミミ子さんはしっかりと警戒をお願いしますね」

「りょ~かい」 


 少女を背負ったキッシェの声は、いつにもまして緊張感が溢れていた。

 背後から聞こえてきた少年の寝息に、その理由が窺える。


 死力を尽くした主は、リンの背中で事切れたように寝入ってしまっていた。


「キッシェならきっと大丈夫だよ、たぶん」


 目の前の力の篭った肩を軽くモミモミしながら、少女は根拠のない言葉で適当に励ました。

 振り向いたキッシェは、ぎこちない笑みを浮かべながら頷いてくる。


 さて通路の試練も無事に終わった。

 この先の景色で、主が色々と思い出してくれれば良いのだが――この迷宮のからくりに。

 こればっかりは、運とか拍子に頼るしかない。


 まあどんなことがあろうとも、少女はずっと主に憑いていくだけだ。

 離れたくても魂が、がっちりと結ばれているしね。


 心地良い温もりと振動を感じながら、少女は静かに目蓋を閉じた。

 眠りに落ちる前に先程の主の問い掛けが、不意に脳裏に蘇る。



「……惚れ直したかって訊かれても、直すような部分は元から残ってないよ」



 少しだけ赤くなった頬を誤魔化すように、狐っ子は俯いて自分の尻尾に顔を埋めた。

 そのまま穏やかな寝息を立て始める。





「あの、ミミ子さん寝てません? ねぇミミ子さん?!」

「だいじょ~ぶだよ。むにゃむにゃ」





   ▲▽▲▽▲




 迷宮一層の治療室で傷を無事塞いで貰った僕は、その日の探求を大人しく切り上げることにした。

 巻き戻しロード回数を使い切った状態は久々だったが、素っ裸で表を歩くような不安を思い出して少しだけ懐かしくなる。

 このところ安全重視で、ここまで巻き戻しロードてなかったしな。


 その反動なのか気疲れが抜けず、翌日もベッドでのんびりと過ごす。

 そして次の日、完全回復を遂げた僕は鏡の番人部屋へ再び足を踏み入れた。

 もっとも白鰐の鱗を仕込んだ灰色狼の革鎧は、先日の戦闘でボロボロになったので職人さんに預けて修理してもらっており、今は以前使っていた迷宮蜥蜴の皮鎧を着用している有り様だが。


 部屋は二日前と何も変わらない状態で、僕らを迎え入れてくれた。

 ぽっかりと鏡の後ろに空いた通路もそのままだ。


「さて、どうしようか」

「そうですね、どっちが良いでしょうか?」

「うーん、私的にはこの鏡の裏の道がピンときますね」

「じゃあ、鏡の方は後回しだな」

「えぇー」


 リンが当たりというなら、それは不味い方だと決まっている。

 僕は視線を横の壁へと移した。


 ちょうど解除が終わったようで、モルムが無造作に隠し扉を開けるところだった。 

 慌てて駆け寄るが、通路にモンスターや罠の気配は感じ取れずホッと息を吐く。


「…………ごめんなさい」

「次は気を付けような」


 一昨日の激闘の後なので、まだみんな少し気分が浮ついているようだ。

 モルムの頬に軽く触って元気付けながら、僕は慎重に通路の奥を覗き込んだ。 


 気配感知ディテクションに、引っ掛かるものはない。

 振り返って部屋を見渡した僕は、改めてこの部屋のいやらしさを実感する。


 鏡の番人部屋は、次へ続く隠し通路が二ヶ所あった。

 今、モルムが開けた方は、以前に女の子たちだけでこの部屋をクリアした時に見つけておいたものだ。

 そしてもう一つは、僕が分身とその本体を倒した際に出てきたものだ。


 普通に分身だけを倒して、これまでの部屋と同じように壁を探せばこの隠し扉に行き着く。

 その時点でこの部屋の攻略は終わったものだと、ついつい判断してしまうのも仕方がない。


 安直な思考の罠だとは思うが、同じ仕組みの繰り返しだった上に、攻略法が分かれば強敵ではない番人だ。

 気が緩んで見落としてしまうのも、十二分に分かる。

 現に僕もこの部屋に何度も足を運んでいたが、一昨日までは他に通路があるなんて考えはこれっぽっちも思い付いてなかったし。


「よし、今日はこっちにしよう。気を緩めずに、いつもの陣形で」


 明らかに鏡の裏道の方は何かありそうなので、そっちは後回しにする。

 本命がはっきりしている場合は、まず脇道を全部チェックして行き止まりの宝箱を開けておくのが基本だしね。


 キッシェを先頭に、僕らは警戒したまま隠し扉の奥へと歩き出した。

 通路の天井には発光石が疎らに埋め込まれ、ランタンの出番がないほどの光が降り注いでいた。


 延々と直線が続く単調な通路を黙々と歩いていると、いきなり先を歩くキッシェが立ち止まる。


「何かあったの?」

「水、を感じます」

「また泉でもあるのかな」

「いえ、もっと大きな水……でも精霊の気配が全く……」

「ミミ子はどう?」

「水の匂いは、ずっとしてるよ~。これ量からして北の湖だね」

「なるほど、かなり北へ上がって来てるんだな」


 四層の北は大きな地底湖になっている。

 水棲蒼馬ブルーケルピー狩りに通いつめたり、迷い火コープスライトの群れに手こずったりした場所だ。

 位置的に考えればスタートが西の泉で、そこからずっと北上してると言うことは、湖の西側か北側に回る込める可能性が高いな。

 

 眉唾だと思っていた宝物殿や隠し神殿の噂が、ここに来て信憑性を増してくるとは。

 はやる心を抑えながら、僕らは一本道をひたすらに歩き続けた。


 三十分程であろうか、唐突に通路が終わり開けた場所へと出る。

 かざしたランタンに浮かび上がる風景に、僕らは思わず息を呑んだ。


 足元は継ぎ目の分からない石畳に覆われ、床から伸びる巨大な螺旋状の柱たちは光の届かない天井へ消えている。

 ずらりと並ぶ柱の向こうには、真黒な空間が広がっていた。


「なんでしょうか、ここ」

「…………不気味だね」

「いったん休憩にしますか? 隊長殿。なんかすっごいモンスターとか居そうですよ」

「いや、感知には何も引っ掛からないな。先が気になるしこのまま進もう」


 太古の巨人ティタンズの住居だと言われれば、その通りだとしか思えないだだっ広い場所を、僕らは恐る恐る進んでいく。

 生き物の気配は全くなく、ただひたすらに圧倒される空気だけがあった。


 しばらく歩くと、前方で灯りが動いているのが目に飛び込んできた。 

 一つではない。

 少なくとも数十個の松明の激しく動き回る様が、ずっしりとした闇の先に浮かび上がる。

 同時に僕の鼻腔に、水の匂いが入り込んできた。


 用心しながら松明の群れに近づいた僕たちは、その正体の呆気なさに思わず息を漏らす。


 石畳がここで唐突に終わり、その先は真黒な水面へと繋がっていた。

 その水の上を明滅しながら飛び交う無数の光の玉。

 いやってほど見たことがある眺めだ。


「ここまできて待っていたのが、迷い火コープスライトの群れなんてあんまりだな」

「そうですよ、隊長殿。ここはやっぱり、鏡の後ろが当たりだったんですよ」


 勢い込んで話しかけてくるリンに頷こうとした瞬間、僕の髪がくいっと引っ張られた。

 

「どうした? ミミ子」


 珍しく起きていた狐っ子が、すっと上を指差す。

 それに釣られて僕も視線を上に向けた。


 星のように天井に散りばめられた発光石と、迷い火コープスライトの大群のおかげで僕の眼が次第に暗がりに慣れていく。

 最初に思ったのは、天井から大量に石板がぶら下がっているのは、どうしてだろうかという疑問だった。

 次に気付いたのは、その石板たちの大きさが、この距離から考えるに滅茶苦茶大きいという事実。


 ずらりと並ぶ巨大な白いそれは、端の位置がよく分からない規模でアーチを描いていた。

 まるで虹のようだと思いつつ、アーチの奥の暗闇に動いている何かを脳が認識する。


 赤みを帯びたそれは山のように見えた。

 山の天辺部分は伸びあがり、広がってはまた縮むを繰り返していた。


 そこでようやく僕の認識が、あれらを既存のモノと結びつけることに成功する。



「…………あれって…………まさか」



 それは湖に半分沈んだ状態の、巨大な誰かの口だった。



魂憑き―対象の魂に、自己の魂の一部を連結し関連付けておく呪法

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