紫蘭の本音
「ねぇ、ちょっとこの後時間良いかな?」
「え? 別に時間はあるけど……なに?」
いつも通り放課後に二人で今日の準備の進捗をまとめていると、不意に立花さんにそう聞かれた。
「ちょっと話があってさ。少し時間かかるかもしれないけど……いい?」
なんだろう……ひょっとして、告白だったり……
とかいうあまりにも都合の良すぎる妄想を振り払う。流石にそれはない。まあ、何か文化祭関連以外の頼み事でもあるんだろう、きっと。
「うん。時間はあるし、全然大丈夫だよ」
「そっか、良かったー。……いいってさ、紫蘭」
「……へ?」
急にクラスの入り口の方に顔を向けたかと思うと、外に向かってそんな声を投げかけた。するとゆっくり、とてもゆっくりと入り口の引き戸が開く。その戸の向こうにいたのは――
「……ひ、久しぶり」
「紫蘭……」
紫蘭だった。いつも以上に不機嫌そうな表情で、色気も可愛さもない仁王立ちでこちらをにらみつけている。
「アタシから話がある、とは一言も言ってないもんねー。……そういうわけだからさ、少しでいいから紫蘭の話を聞いてあげてくれないかな? 大丈夫、悪いようにはならないからさ、多分」
「そう言われても……」
正直、いくら立花さんからの頼みだとしても紫蘭と正面切って話なんてしたくないのが本音だ。でも、立花さんがわざわざ俺を騙すような真似をしてまでこの場を作った、という事はきっと何か意味があるんだろう。なにせ立花さんは、紫蘭が俺に今までしてきた所業を知っているのだから。
「そこをなんとかっ! アタシのおせっかいなのはじゅーぶん分かってるけど、それでも二人が今みたいな関係のままなんてよくないよ。……紫蘭は、藤川くんが思ってるような子じゃないよ。まあ、そういう面もあるかもしれないけど、それだけじゃない。……それだけは、知って欲しいかな」
まるで自分の事かのように鬼気迫る表情で訴えかけてくる。そこまでされたら、断るわけにもいかないだろう。
「……分かった」
「よかった……ありがと、藤川くん。――さあ、こっからは紫蘭の番だよ」
「……うん」
すっ、と紫蘭が俺の目の前まで来る。表情はさっきと変わらず不機嫌そうに唇をかみしめ、目を限界まで細め睨み付けている。けれど、その目元には明らかに涙を拭った跡がある。……どうやら、不機嫌ってわけではなく、なにか見せたくない表情を隠そうとしているようだ。それに気づいたのと、紫蘭が口を開いたのは、ほぼ同時だった。
「……ごめん」
その声は、小さく掠れ、ほとんど聞き取れない音量だった。それだけに、いまの発言の内容が信じられない。……謝った? あの紫蘭が?
「えっと、悪い、聞こえなかった」
俺が聞き返すと、紫蘭は顔を瞬間的に真っ赤にし、今まで以上に鋭い目つきでにらみ付けてきた。……ああ、やっぱりこうなるのか。
「……ごめんって言ったのよ! このク――」
「はい暴言禁止。約束したでしょ?」
「うっ……分かったわよ……」
いつもの罵詈雑言が始まりそうになった紫蘭を、立花さんがピシャリと鋭い声で止める。紫蘭もその声で我に返ったようで、首を振ったり深呼吸をしたりして落ち着こうとしている。そして少しは落ち着いたのか、再び口を開いた。今度は、ちゃんと普通に聞こえるように。
「……ごめん。……今までずっと、竣介に酷い事言ってた。……許して、なんて言わない。でも、ごめん。……それだけ。それだけは言いたかった。言いたかった、のに……」
見れば、紫蘭の目には一杯の涙が溜まっていた。それをボロボロこぼしながら、言葉を続ける。
「口を開けばいっつも、いっつも酷い事ばっかり言って! 竣介がなにも言い返してこないからって調子に乗って、ずっとそのままでっ! 辞めなきゃ、って分かってたのに、素直になれなくて、……気づいたら、竣介に捨てられてた。……当然よね」
「……紫蘭、おまえ……」
「もう遅い、なんて分かってる。許してくれるなんて思ってない。だから、もういいやって諦めてた。……でも」
そこで一旦区切り、紫蘭の隣でなぜかニコニコしてる立花さんの方を見る。向き直った紫蘭の顔には、苦笑のような笑みが浮かんでいた。
「こいつが、それじゃダメだ、って。素直になった方が楽になる、って。……そんなのできないって言ったら、じゃあアタシが隣で見張ってるとか言い出して。まったく、なんて女と仲良くなってんのよ。おかげでこんな恥ずかしい事する羽目になったじゃない、……バカ」
最後のバカ、がいつもの罵詈雑言と違う照れ隠しなことは丸分かりだった。何故かって、そりゃ……
――気づけない方がおかしいだろ、ってくらいに晴れやかな表情してたからな、こいつ。
*
「さて、藤川くん。今の紫蘭の言葉を聞いて、何か返答はある?」
涙ぐんで言葉を発せなくなってしまった紫蘭を見かねてか、立花さんが俺にそう聞いてきた。
「ああ、ある」
俺もまた深呼吸をする。紫蘭があそこまで正直に俺に話してくれたんだ。俺も正直な気持ちを明かさないと。
「紫蘭、いいか?」
「っ……な、なに……?」
「正直に言う。俺、やっぱり紫蘭の事は苦手だよ。目があえばひどい事ばっかり言ってくるし、すぐ睨んでくるし、まるで召使いかなんかのような扱いをしてくるし」
「……っ、そっか……そりゃ、そうよね……」
「でも」
「え……?」
「それでも、紫蘭がそれをちゃんと謝ってくれたんだから、俺は許す。もちろんこれからもそんな調子だったらこんどこそ絶縁してやるけど……とりあえず、紫蘭の本音が聞けたから、許す」
それが俺の出した結論。紫蘭が反省して改めてようとしているというのに、それを受け入れないってのは少し大人げないだろう。普通の友人関係になれるんなら、それが一番いいに決まっている。
「だってさ。……良かったね、紫蘭」
「……うん」
立花さんに笑いかけられ、紫蘭もぎこちなくではあるけれど笑い返す。……この二人、いつの間に仲良くなったんだ……? まあ、紫蘭の素顔を知っている同性の友人がいる、というのは紫蘭にとってもいい事だろう。
とかなんとか思いながら二人の様子を見ていると、急に立花さんが自分の荷物を引っ掴み、俺たちに向かってこんなことを言い放った。
「さて! じゃあ無事に仲直りできたことだし、こっからは幼馴染二人水入らずで昔話でもしてくださいな。アタシは先に帰ってまーすっ! じゃあねっ!」
「はい?」
「え?」
唐突な宣言に、紫蘭と二人そろって疑問を返す。……って紫蘭も想定外なのかよ。
「ほら、紫蘭。せっかくだからあの話までしといたほうがいいって」
「いや、でも、それって――」
「大丈夫。今の藤川くんならちゃんと聞いてくれるって!」
「いや、そういう問題じゃない――」
「じゃーねー!」
紫蘭の抗議を華麗にスルーして、立花さんは颯爽と教室から出て行ってしまった。
「……えっと」
「……うん」
教室には紫蘭と二人きり。いくら和解したとはいえ、ちょっと気まずい。
「……よし」
「紫蘭?」
紫蘭は再び決意に満ちた表情を浮かべながら、口を開く。その顔が少し赤いのは、きっと夕焼けのせい、なんだろう。
「あいつの言う通り、少し昔話をするわ。……私が、アンタに対して素直になれなくなった、そのきっかけの話」




