ヴァラク再び②
◇◇◇
宿の大部屋。
セシル、リズ、ガストンが集まって話をしていた。
意外ではあるが、ガストンも同じ部屋だ。
間違いなど起こらないかと不安になるかもしれないが、ガストンと多少なり接してきたセシルやリズは表面的な態度以上にはガストンを信頼していた。
それはガストンの良識だとか善性だとか、そういうものよりも彼の情けなさをこそ2人は信頼していた。
勿論悪人だとも思ってはいないが。
実際ガストンは情けない男ではあるが、非道な男ではない。
それ以前に、ガストンは自分の安っぽいプライドが為にパーティを抜けて自尊心を保とうとした程の男であるので、婦女暴行の汚名を被る事を決して良しとはしないだろう。
だが、言うまでもないが3人一緒の部屋を取った最大の理由は金銭面という非常に大きな理由が影響している。
◇
「ぐううう~……も、もう恋人が居たなんて…」
リズが唸り、歯軋りする。
そんな様子にガストンとセシルはもうウンザリしていた。
なぜならリズの愚痴の様なモノは、もう彼らの感覚では100回か200回は聞いていたからだ。
「美人だったしなあ。しかも俺達が殴りあいを始めそうになった時止められただろ?腕も相当なもんだぜあれは…。ギャハハ!リズ!完敗だな!」
ガストンが腹を抱えてリズをあざ笑うと、リズはキッとガストンをにらみつけ、しかし事実を否定する様な恥知らずな真似をする事も出来ず、仕方が無いので脳内でガストンをバラバラに引き裂くだけに留めた。
「で、でもさ。ヨハンもあの人の事を恋人だと明言したわけじゃないでしょ?」
セシルが無駄なフォローをするが、それを聞いたガストンはまるで包丁と鍋の蓋で魔族へ挑むと豪語し、実際に挑み当然の如く悲惨にくたばった狂戦士ゲルニカを見ているような目でセシルを見た。
ガストンの余りにも冷たい視線に耐え切れなくなったセシルは、グウともヌウとも付かぬうめき声をあげる。
◆◇◆
SIDE:ヨルシカ
「ヴァラクは明日には出立しようかと思うんだが、別に急ぎではないし、他に用事でもあるなら言ってくれ」
宿。ヨハンの言葉に私は首を横へ振った。
特に用事はない。
ただ、ラドゥ団長は他にも知っていそうだから色々話を聞いてみたいけれど、私から見てもあの人はちょっと苦手だ。
信頼は出来る人なんだろうけれど、少し怖い。
それを考えるとカナタの肝の据わり方はとんでもないな…。
ヨハンの話では、こと勘働きだけに限るならアシャラの上級斥候も及ばない程の能力がある…との事だった。
ちなみに、それ以外の面では…あまりに酷い例えの為、私からは言えない。
■
翌朝。
おきろ、ヨルシカ…と頬をパチパチ叩いて彼女を起こす。
昨晩は特に何事もなく普通に眠ったのだが、旅の疲れが出てるのか最近はやや寝起きが悪い。
いや、俺もそうか。
何かしら夢を見た時、俺も大体寝坊してしまう。
彼女も何か夢を見ているのだろうか?
「おはよ…今日は君の方がおきるのが早いんだね…」
ヨルシカは俺の目から見て、6割方は寝ているように見えた。
仕方ない。
■
木杯に手を被せ、一片の樹皮をその甲に置く。
この樹皮は水呼樹という水分を大量に含んだ樹木の皮だ。
――若樹の精。其の伸びた手より滴る水が我が愚昧を潤す
俺が呟き、その手をどけると木杯には十分な量の水が満たされていた。
水で満たした木杯をヨルシカへ渡す。
ややぼうっとしていた彼女がそれを飲み干すと、すぐに表情が引き締まったというか、“ああ、目が覚めたんだな”というような感じになる。
ちょっとした水を湧かせる術だ。
触媒を使う以上、費用対効果が優れている…とは言いがたいが、触媒自体は安いのでわざわざ節約するまでもない。
旅をするのが趣味の青年がいた。
青年は愚かだった。
旅が好きなくせに旅に必要な知識に欠けていたのだ。
しかしそれ以上に美しかった。
青年は容姿に優れていた。
そんな青年はある時、精霊がすむという森を旅しようと思い立つ。
だが、容姿の美しさ等は森歩きには何の役にも立たない。
当然の様に青年は森で迷い、食い物も飲み物も切らせてしまう。
森ならば食料も水分も、正しい知識さえあればいくらでも補給は出来る。
しかし、何が食べられて、何がのめるかもわからない。
なぜなら青年は愚かに過ぎたからだ。
飢えはともかく、乾きには耐えられず、青年は堪らずに若樹に爪を立てる。
旅人の美しさと愚かさが同居した姿に若木の精は彼を見初め、自らの樹液を青年に分け与えた。
青年は活力を取り戻し、無事に森を抜け出ることができた…そんな寓話から引っ張ってきた水だ。
寓話の教訓は分かりやすく言えば、馬鹿でもツラさえよければなんとかなる…というものだ。
身も蓋もない。
大量には出せないが、飲むとちょっと元気になる水である。
「なんか…凄く美味しいね。どうも体が重かったのだけど、いますぐ全力で走れるくらい元気になった…気がするよ」
それは良かった。
ちなみに、この術の問題点はそれなり以上の容姿の者以外には全く効果がない点だ。効果がないどころか、腹を下す。
容姿の良し悪しは術者の認識次第だが、それでも使い所が難しい術だ。
まあ樹木に纏わる術というのはこういったささやかなものも多く、普段使いにはなかなか便利な術が揃っている。
が、悪辣なものも当然あり、その悪辣さは自然という人の身では御し得ない大きな力、あるいは存在の凶暴的な一面を具現化させたかの様な術もある。
ただいずれにせよ、触媒の持ち運びがネックとなる事には変わりはない。
勿論他の触媒を用いた術も使えなくはないのだが、思い入れの無いモノを使った術というのは、それは例えるならば右利きの者が左手で文字を書くようなもので、極々稀に失敗するのだ。
例えば先ほどの術であるなら、美味しくてちょっと元気が出る水ではなくて、毒の混じった水が出たり…
そして、伝承などから力を引っ張ってくるタイプの術…すなわち連盟式のそれは、そういった失敗が酷い結果を齎すことも決して珍しくは無い。
だが、俺はこのあたりの欠点を改善できないかと考えている。
いますぐはどうにもならないが、ゆくゆくは、という形だ。
要するに、思い入れがないのならば、思い入れを造ってしまえばいい。
しかし、記憶を完璧に改ざんするというのは難しい話だ。
仮にそれが出来たとしても、必要に応じて改ざんを重ねていく事は余りに危険が過ぎる。
であるならば、人格自体を増やせないだろうか。
そうだ、さながら挿し木の如く…必要な人格を必要に応じて作り出せたなら…
今は無理でも、思索を深めていけばいずれは可能になる気がする。
…と思ったところで考える事をやめた。
なぜなら愚案だと分かったからだ。
少なくとも現時点では。
仮に俺の考えが全て実現可能だったとして、各人格を統合する人格が絶対的に必要だ。
それがなければ俺の精神は俺自身によってばらばらに引き千切られるだろう。
だが、子人格がそれぞれ改ざんされた記憶を持っていたとしても、親人格がそれを把握してしまっていると、恐らく術の安定性も効果も増強される事はないだろう。なぜなら親人格の俺は子人格の記憶が欺瞞だと分かってしまっているためだ…。




