★人格の欠損
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「では、勇者についての一件は教会が対処すると受け取ります」
俺がそういうとザジは頷き、答えた。
「ええ、我々にお任せ下さい。なるべく、穏便に済ませようとは上の者も考えている様なので……」
それから俺とザジは軽く情報交換等をして別れた。
配達人は住まいだけ聞いて、解放してくれるように頼む。
不安材料はありすぎる程にあるが……一先ずは落着と言った所か。
だが、霊感が告げる。
また彼とは会う事になるのだろうな、と。
それも、今度は不穏な状況で。
なんだか少し疲れてしまった。
少し早い時間だが寝てしまおう。
懐に手をやった。
「む?」
なぜ懐に手をやったのだろうか。
よく分からない。
配達人の所へは明日行こうかな。
◆◇◆
SIDE:ヨルシカ
ヨハンの泊まっている宿へいくと、丁度彼が宿から出てくる所だった。
「やあヨハン。おはよう、どこへ行くんだい? まさかギルドなんていわないだろうね?」
ヨハンは笑いながら否定した。
「勘弁してくれよ、今日は配達人の所へいくんだ。それ以外には用事をいれていないよ」
配達人?
話を聞いてみると、なるほど、その彼が遅れたから教会からの援軍が遅れたと。理由次第だと思うけれど、ふざけた理由だったら確かに腹が立つな。
私がそう思っていると
「理由次第ではその場で縊り殺すよ」
不穏なセリフにヨハンの顔を見ると、彼はきょとんとしていた。表情は少し眠そうな事を除けば普通だ。
でも、ヨハンの言葉には言い知れない凶兆を感じた私は彼について行く事にした。
普段の彼なら、殺す前にもう少し段階を置くんじゃないか?
例えば痛めつけたりとか……。
説教したりとか……。
即殺すのは彼らしくない……気がする。
◇◇◇
冷たい義手がぎちりと音を立てて肌に食い込む。
青年と言うにはやや幼い顔立ちの男の首を締め付ける。
真っ赤になった青年の顔はまるで熟れたトマトの様だった。
ヨハンはその様子を目を細めて観察していた。
まるで後どれ位力を入れたら死ぬかを推し量っているかの様だった。
そんなヨハンを見て、一瞬呆然としたヨルシカがヨハンに声をかけた。
「彼をどうする気だい?」
ヨルシカはヨハンを止める事は無かった。
ただ、一応聞いただけなのだ。
どうにも様子が違うような……いつも通りのような。
微妙な違和感が拭えないからだ。
(何が違うのかと言われるとわからないんだよね。そういえば初対面の時、新米傭兵諸共殺される所だったし)
ただ、とヨルシカは思う。
ヨハンに何かしらの異変が起きているのなら、配達人を殺す事よりも優先しなければいけない事がある……と考えている。
ところで……仮にこの配達人が私欲を満たし、その怠慢ゆえに教会戦力からの援軍がなく、ヨハンが切り札を切らざるを得なかったのだとしたら……と。
その時は。
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とりあえず挨拶がわりに首を締め付けてやり、恐怖心を植え付けてから話を聞いた。
配達人の男が言うには、休憩代わりに立ち寄った宿場町に好みの女がいて、話が弾んで酒を飲んで……との事らしい。
俺の感情基準では死に値すると思う。
率直に言って相当に苛ついている。
この場ですぐぶち殺したい。
見ろ、この頭を。
叩き潰してしまえば良い具合に破裂しそうじゃないか?
だが、それはあくまで俺達が大変な目にあった、という観点からの判断に過ぎない。
通常はまあ…… 罰金やそこらだろうか……。
それともたかが職務怠慢だ、職場で1,2日冷遇されるくらいだろうか?
どうあれ死ぬ程の事ではない。
ヨルシカを見習うべきだな。
俺はこの男の話を聞いてかなり苛々したが、彼女は冷静そのものだ。
どうしようか迷う。
迷うべき事ではないように思うのだが、この些細な殺しが何か俺に決定的な変革を齎してしまう様な気がしてならない。
今の俺は、かつて俺が俺自身に“かくあるべし”と定めた俺ではない様な気がする。多くは重なっているだろうが、重ねてみれば相違があるはずだ。
恐らくは秘術の影響だ。
人格の保全が十全に為されていなかったのだ。
恐らく以前より俺は粗暴な性格になっているだろう。
感情を優先する事が増えてくるはずだ。
ふと思う。俺がこういった術を多用していき、俺自身が消えてなくなった時、さて、残った俺はどんな俺なのだろうか、と。
きっとろくでもないに違いない。
◇◇◇
結局ヨハンは配達人の男を殺す事は無かった。
1,2発引っぱたいただけだ。
それは酷く甘い事なのかもしれない。
だが、ヨハンは何をするにも自分の意思を100パーセント介在させて物事を決めたいと思っている。
感情に引っ張られた判断をしそうな時は、その判断を下すに相応しい理由を作ろうとする。
ヴァラクでヨハンが相対するものに剣を抜かせたがったのもそういった考えから出た行動だ。
殺したい相手が居たとき、感情のまま殺すのではなく、客観的に見ても殺すに値する理由を欲しがる。
面倒くさい男なのだ。
この時のヨハンは、どうにも自分が感情に引っ張られている様な気がしてならなかった。
なるほど、完全に私欲塗れの理由での遅れ。
それにより切らされた切り札。
失ったもの。
我慢がならないだろう。
ただ、ヨハン自身そこまでの危急を予測して配達人に文を託したかといえば答えは否だった。
急いでほしいとは言ったが、魔族の出現だのなんだのを予想してたわけではないので緊張感も十分に伝わったとは言いがたい。
であるなら、殺すというのは些かやりすぎなのではないか?
理屈と感情がせめぎ合い、今回は理屈が勝った。
だから配達人は命を拾う事ができた、とりあえずは。
連盟術師ヨハンが重んじるものは自身が敷いたルールだ。
術の影響とはいえ、外側の要因で自分自身の人格に欠損が出るなど、術師としてのヨハンにとっては我慢がならない事だった。
記憶を触媒に捧げるなんて真似は連盟でもヨハン以外にはやらかさない。
正確にいえば、ヨハン以外には出来ない。
記憶なんて本当は切ったり繋げたりなんて出来ないのだ。
ヨハン以外の者が花界を使った日には、欠損した記憶からボロボロと他の記憶まで零れ落ち、すぐに廃人になってしまっただろう。
だが彼の病気とも言える自我がそれを為し、同時に人格欠損を食い止めている。
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翌朝。
あの配達人が死んだらしい。
俺は殺していない。
情けない話だが、自分の中でなにかがせめぎあって、なんだか中途半端な行動をとってしまった。
配達人が死んだ事を教えてくれたのはヨルシカだ。
仕事中、森に戻ってきた獣達に食い殺されたそうだ。
運が無かったな。
◇◇◇
時は少し遡り、ヨハンが配達人の頬をバチバチと引っぱたいた日の夜半。
森を歩く人影があった。
ヨルシカだった。
血に濡れたナイフを地面に埋めている。
冒険者ヨルシカは優しいが甘くは無い。
山賊討伐の依頼を受けた時には、身ごもっている女山賊の胸を剣で貫いた事もある。
為すだけの理由があるならば、唇を奪ったヨハンの事とて殺害するだけの肝がある。もっとも、その理由の値段は恐ろしく高くなるだろう、あるいは自分の命よりも……。
ヨルシカにとって自分の命とヨハンの命は高額なのだ。
それこそ、関係ない他人の命などよりもずっと……。




