聖剣一閃
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「で、どう見る」
東域の金等級、ザザが隣に立つ男……ランサックへ尋ねた。
ランサックは元法神教の異神討滅官であり、糞味噌のような任務を言い渡された際にルイゼに命を救われ、以降は彼女の飼い犬をやっている。なお、現在法神教は存在しない為、ランサックの帰る場所はルイゼの所しかない。
「さてなあ、どうだろうな。俺達が出来る仕事があるのかどうか疑問だ。槍で突いて、剣で斬って、それで解決する問題なのか? 俺にはそうは思えない。俺は俺の事を弱者だとは思っていない。アリクス王国でも有数の戦士だろう。ついでにツラも良い。だがなぁ、荷が重すぎる様に感じるよ」
普段は自信に満ち溢れているランサックだが、この時ばかりは消沈していた。魔王城とこの場にはまだ距離はあるが、それでいてなお発される瘴気に圧されているのだ。傲岸不遜なザザも同様であった。ランサックの言葉ではないが、槍で突いて、剣で斬って、それで解決する問題なのかどうかという話である。
「ビビってるんだな?」
ザザが薄い嘲笑を浮かべながら再びランサックに言った。
ああ、とランサックは答える。
「仕事がきちんと出来なければ俺はルイゼに捨てられてしまう。いつだったか、ほら、クロウとお前と三人で魔将と戦った事があるだろう。結局取り逃がしちまった……というか、普通に勝てなかったわけだが。あの件でも実は俺はルイゼから叱られているんだ。"魔将とはいえ末端の木っ端、なぜ取り逃がすのですか"ってね。ルイゼは普段は寛大なんだぜ、何したって最終的には許してくれるんだ。俺はルイゼの白く美しい足の指、親指と中指……あれ? 足の指って親指の隣はなんだ? 中指だとおもっていたが、実は人差し指なのか? まあいいや、その指をな、俺の鼻の穴に……」
あれ、とランサックは隣を見た。そこにザザはいない。
見れば、立ち止まっているクロウに声を掛けていた。
§§§
「どうだ」
ザザの短い問いかけにクロウは頷く。
「あそこです。とても怖い場所だ」
クロウの言葉にザザはかぶりを振った。
言葉では怖いと言いながらも、クロウの口端にはうっすら笑みが浮かんでいたからだ。
事実、クロウはこの状況に昏い歓喜を覚えていた。
──死ぬには良い日だ
どこかで聞いたフレーズを思い浮かべ、コーリングの柄頭を指で優しく撫でる。
§§§
「む」
練達の連盟魔術師、ヨハンが短く言う。
その短い声色に濃密な警戒の気配がぎゅうぎゅうにおしこめられているのを察知した一同は、ヨハンの視線の先を見遣った。
赤黒い瘴気が一点に集中しているのだ。
渦を巻き、蠢き、うねり。
魔王城まではまだ距離はある。
だが魔力を佳くあしらう者なら、視力を強化する程度の事は容易い。
「何か、来る。気持ち悪いものが」
カプラが呟いた。
声が少し震えている。
一同の中でもっとも視力強化に長けているのはアリクスの密偵、カプラだ。無口、不愛想。存在感がなくコミュニケーション能力も皆無である。認識を阻害する業を使う為、魔王城の偵察要員として抜擢された。ちなみにクロウとは因縁があるが、彼女はまだそれには気付いていない。
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"それ"は眷属であった。
魔王の眷属ではない。外の神と呼ばれる存在の分体である。
外の神とはその名が示すように外の世界の神を意味する。外の世界、つまりこの世界、ひいてはこの星の外の神という事だ。
しかしこれは誤解を招く。彼等は実際には神などではない。彼等は惑星寄生型の恒星間生物であり、この生物は宇宙を遊泳し、目に付いた惑星に寄生することで生き延びている。
惑星とは一つの生命体であり、その星に住む人々はその星の眷属とも言える。しかしこの恒星間生物によって星が寄生されると、その眷属たる人々の心身に深刻な "汚染" が発生する。この汚染は人々の精神を蝕み、身体を変容させてしまう。
汚染の程度は個体差があるが、基本的には本体に近い生物ほどその影響を強く受ける。この汚染は人々の心に深く入り込み、その思考や行動に影響を与える。
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ヨハンらが "瘴気" と見定めたそれは、正確には微細な生物の群体であった。小さい小さい、霧の様な生物だ。しかしそれ自体に意思はない。本体の意を受けて動く端末のようなものである。これは言ってみれば本体から剥がれ落ちた皮膚片の様なものである。例えば人間も、日常生活を送るうちに体毛が抜け落ちたり、古い皮膚片が剥がれおちたりするものだが、これもその様なものだ。
ただし、旧アステール星王国の航空機動艦隊を一夜で滅ぼす程度には脅威的だが。
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協会術師、“地賢”のケロッパの表情が歪む。
フィールドワークを生業とする彼の生存本能がガンガンと警鐘を鳴らしているのだ。
──あれはよくない
術を使うか、と小さい両の掌を組む。剣士でどうにかなる規模のものではない。あれは術師が対応すべきものだ、そうケロッパは考える。敢えてもう一人の術師であるヨハンのほうは見なかった。ヨハンもまた大技を使ったところは見ているからだ。それに、術行使にあたっては甘な気持ちは枷となり、術の起動を阻害する。
だが、とそれでもケロッパは精神の深奥に弱気が萌芽するのを止める事ができなかった。魔竜との連戦があり、更に精神的にもベストとは言えない状況でどこまで術が広がってくれるか。
──絶好調時を100とするならば、今の僕は30かそこらか
命を削る必要があるな、とケロッパは思った。
問題はどこまで削るかだ。
──どれだけの命を支払えばいい?
「Hulva zintari, morglus gravithar, vornath shorun!」(ハルヴァの理よ、モルグルスの極重よ、ヴォルナスの圧迫よ!)
Hulvaというのは、小人族の言葉で、これは簡単に言うと一般常識全般を意味する。
例えば火は燃える、触ると熱い……これがHulvaだ。
夜は暗くなる、朝は明るい……これもHulvaである。
酒を飲めば酔うが、酒に強い者は酔いづらい……これもまたHulva。
一つの単語が様々な意味を包括するという事はままあるが、小人族の“Hulva”は特に意味する所が多い。
ここでは自然の摂理、物理の法則を指す。
morglusは大地、そしてgravitharはその極端な形態、すなわち一点に集中した重力、一時的な極重力地帯を意味する。
vornathは呪縛、制約を指し、この場合はその極重力地帯で敵対者を押しつぶす力、圧迫を意味する。
任意の一点に重力を集中させ、対象を圧殺する理術。
これを極めるとあらゆる物体、それこそ光でさえも逃れられない空間を生み出す事ができる。そして術師ケロッパはそこまで極まった術師ではあるが……
──発動しない
ケロッパは目を見開いた。
詠唱の失敗ではない。しかし不発。
願望成就の源泉たる魔力が欠乏しているのだ。
「ヨハン君!」
思わずケロッパは叫んだ。
術行使にあたっては他人に頼るなどという甘な気持ちは枷となり、術の起動を阻害するが、そもそも起動ができないのならば仕方がない。
だがヨハンは怪訝そうな表情である方向を見つめていた。
危機感が欠如しているとか注意がかけているとかではなく、なにかもっとより奇妙でとんちんかんなモノを見ている表情だった。
◆
「死にたい。意味のある死を遂げたい。皆から惜しまれ、悲しまれ、後世まで残るような偉業と共に、この世界のあらゆるしがらみから解き放たれて人生を終えたい。偉業はただの偉業じゃだめだ。それこそ世界を救うような、全世界の生きとし生ける者すべてを救うような偉業でないと。俺は、俺は俺は僕は、何度か葬式に参加したことがある。過労で自殺した同僚の葬式だ。彼女とは仲がよかった、彼とは仲が良かった。同期だった。一緒に新入社員の研修を受けたんだ。山に登ったんだっけな。何故だろう、いつからか頭が鈍くなってきたような。気付いた時、一人、また一人と姿を消した。会社の人間は葬式には来なかった。上司の目は僕らを人間じゃなく部品を見る目で見ていた。怖いのはそれに憤慨するでもなく、僕もまたそれに納得してしまっていたことだ。部品が二つ、壊れただけ。いつからそうなったのか僕には分からない。あんな寂しい葬式があっていいのか? 駄目だ! 一人でも多く悲しんでくれないと、悲しんでくれないと、僕が、俺が──嬉しくない」
「うっ……これは魔術の詠唱かい? 何という魔力だ! 僕はいままでこんな後ろ向きな魔力は見た事がない! 確かに魔術の詠唱は本人の願望成就に近い言葉ならば何でもいいのだけど……」
ケロッパが呻きながらいった。
ケロッパの言う通り、魔術とは術者の願望を成就させる為の祈りの言葉のようなものである。その言葉で魔力はこの世界の法則に従って術者の望みを顕現させる。クロウのトチ狂った文言はとても魔術の詠唱には思えないが、それでも魔力が励起されているならばそれは魔術なのだ。
クロウが常軌を逸した魔術詠唱を行ってるのをみて、ヨハンは僅かに後退った。恐れているのではない。陰気すぎて近づきたくないのだ。
他の者達も同様だった。
タイランは "辛い事があったのね" などと言っている。
「一人でも多くの人々に悲しんでもらう為に」
クロウの殺意が振りかざしたコーリングに収束した。
殺意、殺す意識、殺害の希求を成就させるべく、魔力が脈動する。
「一人でも多くの人々を救いたい」
一心不乱な想いが奇跡を為す。
かつて発動(3章・第9話:頑張る)に至った、距離を無視して標的を断斬する呪いの斬撃術式が再び起動した。
ゾン、と彼方の赤黒い霧が真っ二つに切り裂かれる。
それだけではない、切断箇所から伝播するのは強烈な希死念慮だ。
一心に訴えればその気持ちはよくもわるくも相手に伝わるように、雑念無しに振るわれたクロウの一撃は、斬りつけた対象に想いを浸透させる。余程強固な精神を持っていないかぎり、対象はクロウが抱く希死念慮に強制同調してしまうだろう。
ここまで見ればクロウはただの危ない野郎なのだが、距離を無視して標的を断斬する呪いの斬撃術式にせよ、想いの強制同調にせよ、クロウという青年の本質は相手に気持ちを伝えたい、自分を知ってもらいたいというピュアなものであることが見て取れる。
赤黒い霧が急速に色あせていく。
生きていくことに意味を見出せなくなり、自壊していっているのだ。
クロウはふらりと足をよろめかせた。
その体をファビオラが抱き支える。
「素敵です、クロウ様。わたくしはフラガラッハ家の次期当主として、クロウ様の曇りなき剣刃に惜しみない賞賛を捧げますわ」
顔を赤らめて呟くファビオラ。
クロウは目を瞑り、寝息をたてていた。
一生懸命というのはどういう形であれ疲れるものなのだ。
そして、そんな二人を他の者達はやばいもんを見る目で見つめていた。
「彼って本当に勇者なのかい?」
ヨルシカがヨハンに問う。
ヨハンはうーんと唸って、その場に腰を下ろした。
類まれな霊感、その名に刻まれた霊質(愚神礼賛①)により大体のことは何となくわかってしまうヨハンだが……
「ちょっとよくわからないな……違うかも、いや、勇者か? いや……」
クロウという青年が勇者なのかどうなのか、ヨハンをしてどうにもよくわからなかった。




