帝都の日常④
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帝都冒険者ギルドでの上級冒険者達との出会いは、ヨハンとヨルシカにとっても良い経験だった。
2人の目からみてもカッスルとゼラは並々ならぬ業を持つように見えた。
(癖は強いが)
そうヨハンは思うが、そもそも癖のない金等級などは存在しないな、と苦笑を浮かべる。
よくも悪くも、一般社会で生きられない逸脱者達だが、味方である分には心強い。
カッスルやゼラもヨハンとヨルシカの事をそんな風に思っていたのか、癖者4人はそれからもちょっとした雑談をする。そして“死んでいなければまた会おう”などという情緒のない挨拶をかわしあって、ヨハン達はギルドを後にした。
道中、食料や物資を少し購入し、屋敷へと戻る。
その日の夕食はヨルシカとヨハンとで作った。
ヨルシカが軽く掌底を打つと衝撃が芋の全体に伝導し、内部からの圧力で芋がグチャグチャに潰れていく様にはヨハンも複雑な心境を禁じえなかったものだ。
この爆縮現象は先立ってヨハンが上魔将マギウスの追手との戦闘時に、先手を打って放った魔法からインスピレーションを得たものらしい。
◆
夜半。
ベッドで。
ヨルシカは義手が外されたヨハンの腕の断面に指を這わせ、少し屈むとついでそっと口付けた。
「おい、拭いてくれるんじゃないのか?」
そんなヨハンの野暮ったい声は黙殺し、ヨルシカの指は腕だけではなくヨハンの上半身のそこかしこに触れていく。着痩せをする方なのだろうか、ヨハンの肉体は引き締められ、戦闘者としてそうあるべき肉体の見本という様な塩梅だった。
よくよく見れば大小様々な古傷があり、それはまるで術師というよりは歴戦の剣士のような。
ヨハンはヨルシカのされるがままとなり、黙って月を眺めていた。
その日の晩は紅月だ。
この季節、西域には南域からの色砂が飛来して月が赤く染まる晩がある。
「…ねえ、勝てると思う?」
ヨルシカの問いにヨハンはすぐには答えなかった。
良く分からなかったからだ。
ただ、いつか視たあの夢が思い出された。
人間、魔族、分け隔てなく骸と化し横たわる死屍累々の凶気的な場所。
そこでヨハンはなにかに向かい合っていた。
恐らくは勇者であろう青年、ヨルシカ、知らない男。
あの時対峙していた存在が魔王なのだろうか?
やがて月を眺めたままヨハンは口を開いた。
「勝てなければ逃げるさ」
ヨルシカはそれを聞き、苦笑を浮かべた。
これまでの付き合いでヨハンという男が敵に背を向けた事は一度もない。
「本当に逃げるとも。遁走だよ」
ヨハンは月から目を離し、ヨルシカの目を見てもう一度言った。
「世界が滅んじゃうかもよ?」
2人は精神世界の奥深くで繋がっている。
ゆえに本心、本音は何となく分かる。
答えを知っていながらヨルシカは敢えて尋ねた。
「世界は滅ばない。西域や東域…この大陸は滅ぶだろうが、逃げ場所はいくらでもあるさ。勿論…心が痛まないという事はないし、俺にはいくつか手管もある。切り札だ。使っていい切り札、使うべきではない切り札…後者を使えばあるいはなんとかなるかもしれない。然るべき、代償を払えば」
その代償が何を意味するのか、ヨハンもヨルシカも良く知っている。
「だが俺は払わない事に決めた。その事で“敵”に勝てないのならばそれはもう仕方がない。逃げるよ。世界より君だ。俺は多くの人命よりも、ヨルシカ…君の命を惜しむ」
それに、とヨハンは続けた。
「俺も命が惜しいからな。君も俺が死んだら悲しいだろう?俺は君が死んだらとても悲しい」
ヨルシカは頷いて、自身の体をぴたりとヨハンのそれに寄り添わせた。
肌を通して感得する魔力は人の域にない。
通常そこまで極まれば、わずかなりとも意識は傲慢に寄るものだ。
この力があれば、これほどに強ければ、と。
だがヨハンはともすれば怯懦とも取られるような事を言った。
かつての彼ならば自身の命やヨルシカの命でさえも勝利の為の布石としただろう。
ヨハンは弱くなったのだろうか?
恋を、愛を知る事で、護るものが出来た事で中途半端な存在になってしまったのだろうか?
ヨルシカの心中の奥深くに、そんな不安が過ぎる。
しかし、不安が過ぎった瞬間に唇をふさがれた。
気が狂いそうになるほどの甘い口付けは、ヨルシカに快楽と戦慄すべき事実を否応無く叩き込む。
ヨルシカは知った。
ヨハンはある意味で以前より遥かに危険な存在となっている事を。
以前の彼でも使用に躊躇した禁じられた技法、非人道的な秘術…これらをヨルシカと自身の生命を保全するという目的の為ならば躊躇なく使用するだろう事を。
“逃げる為”ならばヨルシカとヨハンの命以外の全てを使い潰す積もりであろう事を。
“全て”には世界も入るという事を。
それはある意味で人類種にとっては魔王と等しい凶性であった。
なぜなら魔王は確かにイム大陸に住まう人類種を殲滅しようとはしている。
だがそれはあくまでも魔族という種のためだ。
王としての義務を果たそうとしているだけである。
その点ヨハンはどうか?
女と自分の命のためなら、世界そのものを犠牲としたって構わないとすら思っている。
これは人間社会にとっては魔王以上のロクデナシと言っても過言ではないだろう。
「まぁ、レナード・キュンメルからの依頼もある。出来る事はするさ。帝都に土地付きのでかい屋敷も貰える事だし」
それに、とヨハンはやや言い淀んだ。
「…君と、一緒になったら帰る場所も必要だろう」
一緒になったら、という言葉の意味が分からないヨルシカではない。
だが一言足りないな、と思った。
「結婚っていう事?」
ヨルシカがストレートに尋ねると、ヨハンは気圧されたかのように怯んだ。
なぜなら、確かにその気はあるが今この場で確言する事になるとは思って居なかったからだ。
ヨハンはとりあえず今は“一緒になる”という言葉で将来の方向性を匂わせて、などという甘な考えでいた。
それは言葉を業に磨き上げる術師として余りに無様な振る舞いと言わざるを得ない。
だが人間生きていれば勇気1つを胸に前に進まねばならない事がある。
――それがいまだ
がばり、とヨハンは起き上がった。
ヨルシカもそれに続く。
「…っ、そうだ。結婚だ。結婚をしたい。ヨルシカ、君とだ!」
これで断わられたら可及的速やかに精神を慰撫する術を自身へかけよう、と思いつつヨハンは言い放った。
ヨルシカは胸がぱあっと晴れるような喜びを覚えたが、彼女は彼女でやや世間ズレしている部分もあるというか、男心に疎い部分があり、ヨハンがなぜ緊張しているのかさっぱり分からなかった。
だから…
「良いよ!喜んで!これからもよろしくね!」
そんな朗らかな返答と共に、ヨハンの頬へ口付けを落とす。
ヨハンはその軽さというか男らしさに内心首をかしげながら、ヨルシカの腰へ手を回す。




