戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ⑥
ヴァラク防衛戦とカナタの掘り下げを同時にやります。
といってもボスとの接近遭遇までかなりはしょっていますが。
ほとんどは掘り下げです。
2/6時点の更新は①~⑥の計6話なのでご注意ください。
カナタ掘り下げが長くなりましたが、書いてて楽しかったので良しとします。
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「薬の材料がない。荘の裏手に御山、その麓に広がる森林の奥に咲く黄想花という花が材料となる。見れば分かる。夜にのみ咲く花なのだ。闇の中でも薄っすらと黄色い光を発している。森の奥地にしか生えていないのだ、奥の何処だといわれても困るがね。ただ奥に、ひたすら奥に進めばわかるうさ。珍しい花ではないのだよ。生えている場所がやや難儀するというだけで」
グレゴリの言葉にカナタは視線を向けるのみだった。しかしグレゴリはその視線の余りの冷たさに背筋を凍てつかせる。
――この年で、このような目が出来るとは。悪魔の子に操られているに違いない。しかし、麓の森の奥まで子供が行って、帰ってくることは至難であろう。魔獣の餌となってしまうがいい。それに、もしあそこへたどり着いてもあの花は…
去っていくカナタの小さい背を見つめるグレゴリの表情は醜く歪み、仮に法神がその場にいたならば果たしてどちらに罰を下しただろうか。
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翌朝、カナタの父ドーマとカナタの母であるユーカが息子がいない事に気付いた。
屋敷は立ち入りが禁じられている。
であるなら、荘のどこかにいるのだろうか?
二人はカナタを探し回るが、当然その姿は見当たらない。
だがある人物に話を聞く事でカナタの行方がわかった。
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「では!あなたはまだ成人も迎えていない息子をみすみす森に向かわせたというのですか!?」
常は穏和なユーカが怒気を露にし、グレゴリへ詰め寄った。ドーマもそれを止める事はしなかった。腕を組み、目を瞑っている。
良く見ればその腕がぶるぶると震えている事に気付いただろう。
ドーマはまさにグレゴリを殴り殺してしまうことを堪えているのだ。
ドーマの忍耐力は荘でも並外れている。
忍耐とはドーマの代名詞と言えるだろう。
ユーカの詰問にグレゴリが答えた。
「私が向かわせたとは言っていない。あくまで息子さんが自発的に向かったのです。私は事実を伝えただけです。息子さん…ああ、カナタと言いましたか?彼があんな真似をしてまで悪魔の子の命を救いたいという気持ちに打たれたのですよ。ですが肝心の薬の材料がない。だからそれを伝えたまでです。私も胸が張り裂ける想いですよ。まさか1人で向かうとは。森は危険だ。魔獣もいる。特にこの時期は単眼大蛇が繁殖期ですからなぁ…うごォッ!?」
ドーマの鉄拳がグレゴリの頬に突き刺さる。
「あ、あなた!?」
「下がっていろユーカ!このクソジジイをぶち殺してやる!!いいか貴様!今からお前を殺す!だが息子になにかあったならもう一度殺してやる!」
ドーマの激情が沸騰し、灼熱の怒気が全身より吹き出た。左眼に激怒、右眼に殺意を宿したドーマがぎりぎりと拳を握り締めてグレゴリに詰め寄る。
そしてその握り込んだ鉄槌がグレゴリの頭を叩き潰してしまう、その寸前。
グレゴリの肩に置かれた手があった。
「待ちなさい」
そこにはげっそりとやせ細ったレイゲンの姿あった。目は落ち窪み、明らかに尋常の様子ではない。であるにもかかわらず、一種異様な妖気とも呼ぶべき薄ら寒い気配が滲み出している。
レイゲンは一人ではなく、何人もの私兵を連れていた。
身分の差はあるとはいえ、友情を感じていた男の変貌に、ドーマは頭から氷水を浴びせかけられたような気分を覚え、気付けばあれ程煮えたぎっていた怒りは冷め切っていた。
「調査隊を組みましょう。幸い人数はそろっている。そこの老人を殴り殺しても何もなりません。勿論後ほど彼の責任は問います。どういった意図があったにせよ、子供をけしかけるような事を言った事は事実。大人の責任と言うものがありますからね」
理路整然とそんな事を言うレイゲンであったが、ドーマはレイゲンの様子に違和感を覚えた。
歪んだ口元。
――嗤っているの、か?
◆
時は遡る。
真夜中、カナタは森を彷徨っていた。
乳白色の宝石が夜空を美しく彩り神秘的な光条を森に投げかけるも、それらは葉々に遮られ光源の役を果たせない。
それでも辛うじて足元が見えたのは幸運であった。カナタはひたすら森の奥へ、奥へと歩を進めていく。
その歩みに迷いや怯え、恐怖、不安といったものはなかった。
なぜならここで足を止めてしまえば大切なものを失ってしまうとカナタには分かっていたからだ。
悪路に足を取られ転んでしまう事は2度や3度では利かなかった。その度に彼の脳裏に浮かぶのはメイサの顔だ。
――大丈夫、大丈夫だからね。すぐに良くなるから
切迫感と焦燥感。
まるで何かに追われているような気持ちをカナタは抱いていた。
目の前には夢想が広がり、しかし後ろからはヒタヒタと現実が差し迫っている。
だが彼は決して歩みを止める事はない。
やがて木々の隙間から月光が差し込む場所を見つけ、そこに向かって歩いていく。
開けた場所だ。
そこには黄色い光を放つ花が群生していた。
――こんなに沢山?
一瞬呆気に取られるも、カナタは花を摘み取り、上着を脱いでその上に置いていく。
どれだけの量を必要とするか分からないから、可能な限り持って帰るつもりであった。
やがてそれ以上はもう置くスペースがないという所まで花を摘み取ると、ほぅと息をついて上着を丸め、袖の部分を縛り紐として結わいた。
――戻らなきゃ…どこに?
ふらりとカナタの足がたたらを踏む。
――メイサの所だ、忘れるなんて…疲れがたまっているのかな
カナタは頭を振り、花畑に背を向けた。
花畑からは先ほどよりきらきらと眩い光が放たれ、甘い香りも漂ってくる。
疲れた体、そして心にそれらが染み込み、カナタはその場にうずくまってしまいたい気分になった。
その時、ふと視界に白い影のようなものが映り込み、その影がカナタの肌着の裾を引っ張った…ような気がした。
その時カナタの意識はぼんやりと霞がかかったように曖昧になっていた為、幻でも見たのかと思ったのだが、カナタを引っ張っているのはどこかで見たことのある、いや、決して忘れてはいけないあの少女…
――嗚呼、メイサ
花畑から十分離れた時、カナタの意識は持ち直してはっきりとしていた。
裾を引っ張る感覚はもうない。
きっとメイサが急かしているのだ。
カナタはそう思い、歩を早める。
それからも妙な事が立て続けに起こった。
カナタがどちらの方向へ進めばいいのか、ありていに言えば迷いかけていたその時、視界の端を白いなにかがちらつくのだ。
はっきり見ようと視線を向ければその影は跡形も無くなる。
まるでカナタの意識をそちらの方向へ向けようとしているかのようだった。
ある方向へ進もうとした時などはふくらはぎに強い痛みを覚えた。
子供の足で悪路を強引に進めば筋肉が引き攣ったりする事などは当然の仕儀であるかもしれない。
しかしカナタはその痛みに何か意思が介在しているかのような不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。
どれだけ歩いただろう。
空は白み、気づいた時には夜が明けていた。
カナタの視界の先には森の出口が広がっている。
◆
「では、調査隊を…む?」
レイゲンが森の方角を見た。
ドーマもユーカも、グレゴリもそちらへ視線を向ける。
小さい人影が歩いてくる。
「カナタぁ!」
ユーカが走り出し、あわててドーマもそれに続いた。
レイゲンは色の無い視線をカナタに注ぎ、ややあってその視線をグレゴリに向けると、グレゴリは目を見開いて驚愕している様子であった。
「どうかされましたか?」
レイゲンがグレゴリの異変をまるで慮っているかのように声をかけた。
しかし本心からグレゴリを案じているわけではない事は耳が千切れた小鹿でさえも理解できるだろう。
その声色には隔意というよりは敵意、いや、いっそ害意すらが滲んでいたのだから。
◆
「取ってきました。さあ、早くメイサに薬を」
カナタが上着をグレゴリの前に差し出した。
縛っていた袖を解くと、中には一杯の黄色い花が顔をのぞかせる。
「うっ!これは!」
ドーマが表情を歪めた。
植物に詳しいドーマはこの花が何であるかよくわかっている。
まだ早いと思い、カナタにも教えていないその花は、帝国法で禁忌指定にもされている劇物であった。
死想花と呼ばれるこの黄色い花の花粉は、極めて危険な作用を有する。
その作用とは何か。
花粉を吸いこんだ者は一つの想念を抱くのだ。
その想念とは、自身の肉体を花の成長に贄として捧げたくなるというものであった。
もしカナタがあの場を離れずにいたならば、カナタの四肢は力を失いその場に崩れ落ちていただろう。
そして食べる事も飲む事も出来ず、やがて呼吸すらもできなくなり、土に還ったはずだ。
カナタの死体を飲み込んだ土壌は肥え、花は更に美しく咲き誇る。
「馬鹿な!カナタ!なぜこんなものを…。き、貴様か!貴様がカナタをそそのかしたのか!」
ドーマの怒りが再燃した。怒りの矛先はグレゴリだ。
――こいつ、最初からカナタを殺すつもりで?
ドーマはグレゴリへの殺意を膨らませていく。
しかし、そんなドーマの怒りに水を差した者がいた。
またもやレイゲンであった。
「まあまあ、ドーマ。この花は確かに危険なものだね。毒に等しいと私などは考えている。しかし、毒と薬は表裏一体だとも聞いているよ。教会が秘して明かさない…薬師殿の知る薬の調合にはこの花が必要なのだろう?きっと薬師殿は薬を調合してくれるに決まっている。カナタが命がけで危険な森の奥へとこれを採りにいってくれたのだから」
言葉とは裏腹に、レイゲンの眼はギラギラと危険な輝きを宿していた。
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「う…む…そう、だな。分かった。しばし待たれよ。調合は暫く時間がかかる…」
グレゴリはふらついた足取りで住居へと向かっていく。
その背にレイゲンが声をかけた。
「花を忘れているぞ。これが無ければ調合は出来ないだろう?」
そんなレイゲンに、グレゴリは忌々しげな視線を向けてカナタの上着にくるまれた花々を、まるで酷く危なっかしい物を持つような手つきで拾い上げて去っていった。
グレゴリが家に入ったのを見届けるとレイゲンは傍らに控えていた男に何かを呟き、男は駆け足でその場を立ち去る。
男は他の者達…レイゲンの私兵達に何やら指示を出していた。
すると男たちはグレゴリの家に駆け足で向かい…
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「何をする!離せ!」
怒声が響く。
グレゴリのものだった。
男たちの一人がレイゲンの元へ駆け寄ってくるなりこう告げた。
「裏口から逃げ出そうとしていた所を捕らえました。懐には短刀を隠し持っており、これは没収してあります」
レイゲンは黙って頷いた。
ひったてられてきたのはグレゴリだけではなく、彼の従者達も同様であった。
皆、レイゲンの私兵に縄を打たれ、半ば引きずられるようにしてその場で突きだされる。
ドーマとユーカはこれを茫然と見つめていた。
一体なにが起こっているのか、あるいは起こりつつあるのかまるで分からないからだ。
カナタだけはただ無言、そして無表情のままに佇んでいた。
いや、違う。
カナタもまた呆気に取られ、その衝撃の大きさに表情筋の機能を一時的に失調していたのだ。
なぜなら…
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「メイサ…?」
カナタが呟いた。
視線の先には白い病衣を纏ったメイサがいた。
青白い肌、そして虚ろな瞳。
いかにも不健康そうではある。
しかし、以前見た時のように骨と皮だけの痛ましい姿ではない。
「なおったんですか…?病気は…」
カナタのつぶやきにレイゲンが反応した。
地獄の底から響いてくるような低い声であった。
「死んだよ。娘は。昨晩…君が部屋を去った後に。静かに息を引き取った」
――え?
カナタはあわてて視線を"メイサ"が居た方へと向けた。
そこにはもう誰もいなかった。
――え?
◆
捕らえられたグレゴリは表情を歪め、憎々し気に吐き捨てた。
「誰が悪魔の子を救うために手など貸してやるものか。法神は救いの手をこの世界に遍く照らして下さる…しかしその光は万人に照らされるわけではない!悪魔の…魔族の…魔に属する民などを救う知識を儂は持たぬわ!そこの小僧も悪魔の子に洗脳でもされたのだろう、愚かしくも儂を脅しおった!森の奥の花畑まで行ったのだろう?あんなものは薬の材料であるものか!儂はあの小僧に末期の救いをくれてやろうとしたのよ。邪悪に惹きつけられた穢れた者であっても、せめて森の糧となり転魂の輪に乗れば再び法神の光を受ける資格を得られるやも、とな!だのにまさか戻ってきてしまうとは!あの小僧は救いの手を自ら振り払っ…ゴ、ア…ァ…」
「もう、宜しい」
ぐちゅり
いつの間に引き抜かれたのであろうか、レイゲンが腰に佩く真銀の細剣がグレゴリの口に突きこまれていた。
「死想花は帝国法により禁忌と指定されている。この持ち込み、利用は死罪に値するが、もしこの花の有効利用ができるのならば私はそれを帝国薬機院に持ち込むつもりであった。しかし貴様は虚偽を述べ立て、サルモン荘の治安を著しく乱した。よって荘園領主の権限により処断する。この正当性はレグナム西域帝国国法に帰し、中央教会として異議があるならば帝都ベルンにおわす皇帝陛下へ述べられたし…という事だ。分かったかね?」
己の行為の正当性を説明しながらも、レイゲンの細剣はグレゴリの口中を掻きまわし、グレゴリに多大な苦痛を与え続けた。グレゴリはこれに抵抗しようとするが、屈強な私兵達に押さえつけられ身動きが取れない。
剣先はなおもグレゴリを苛み続け、そしてついには後頭部より剣先が飛び出し、グレゴリは息絶えた。
そして剣に付着した血をそのままに、レイゲンの眼がグレゴリの従者達へ向けられる。
視線にも温度と言うものがあるのだと従者達は思い知った。
レイゲンの視線にはあらゆる生命活動を停止させる絶対零度の冷たさが宿っていたからだ。
従者達は戦慄しながらも頷いた。
抗議もしない。
レイゲンの行為は中央教会への敵対行動と捉える事もできようが、レグナム西域帝国に属する貴族としては当然の仕儀であると理解していたからだ。
レイゲンはそれを確認すると、カナタへ向き直る。
カナタはいまだショックから抜け出せないでいた。
それはレイゲンの凶行によるショック、ではなくメイサが既に死んでいるという事実へのショックだ。
「カナタ。メイサと仲良くしてくれたことを感謝する。そして……いや、何でもない。メイサの遺品を形見分けさせてほしい。後でドーマと屋敷へ来てくれ」
そして、の先にレイゲンは何を言おうとしていたのであろうか。
レイゲンがあの晩、カナタへグレゴリの事を告げたのは娘を想う父としての悲哀の発露がゆえだったことは間違いないだろうが、果たして他の意図がないとは言い切れるのだろうか。
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それからのカナタはまるで生気が抜けてしまったかのようであった。
かといって自失のままに忘我であり続けたわけではない。
彼は思う所が沢山あったのだ。
メイサを好きになり、メイサともっと仲良くしたいから僕は頑張った
早起きもしたし勉強もした
メイサが病気になって、僕は彼女を治したいとおもった
僕が頑張って薬の材料を採ってくれば彼女は治るんだとおもってた
メイサは死んだ
僕は頑張ったけど何も意味はなかった
メイサは死んだ
何をしても無駄だった
メイサは死んだ
色を失ってしまったカナタをドーマもユーカも案じたが、ただ傍に寄り添う事以外には何もできなかった。
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それからしばらくして、カナタは何の気はなしにファラッド邸に向かう父についていった。
精神が復調したわけではない。
それは殆ど気まぐれのようなものであった。
だがドーマは例え気まぐれのような曖昧な動機でも、愛する息子が再び外へ目をむけるようになったことを喜びカナタを仕事場…ファラッド邸の中庭へと連れていった。
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「こういうのは剪定しなきゃならないんだ。じゃないと際限なく伸びて、他の木々の成長を邪魔してしまう。コイツにとってもそれは不幸な事だ。全体の安定感が失われて、幹が歪んでしまうからな」
ドーマの説明にカナタは頷いた。
お前がやってみろ、というドーマの言葉に従い、剪定鋏を受け取って枝葉を切っていく。
「中々うまくやれたじゃないか」
ドーマは言葉少なにカナタを褒めた。
カナタとしても手際よく事をこなせたというちょっとした満足感を覚える。
それはカナタの心に久しく訪れていなかった"快"の感情だ。
その時、ふと何かが呼びかけているような、そんな幽けき気配をカナタは感じた。
無意識のうちにカナタの視線はファラッド邸の二階…メイサの部屋の窓へ向けられる。
当然少女が顔を出す事はない。
しかし、視界の端に何かがちらついた気がした。
その時、カナタの心で何かがぱちりと弾けたような気がした。
――ああ、もしかして
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それからというもの、カナタは自身の心に"快"を齎す事を積極的にやるようになった。
それは褒められるようなことばかりではない。
時には叱られて当然の様な事までした。
だがドーラもユーカも、カナタを叱る事などは出来なかったのだ。
何がきっかけで再びふさぎ込んでしまうかわからなかったというのもあるし、一時は感情が欠落したかのようなカナタがたびたび笑顔を浮かべるになったことが喜ばしかったからでもあった。
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ああ!そうなんだ!
楽しい事、気持ちがいい事、そういう事をしていれば僕はもしかしたらまたメイサに逢えるかもしれない
僕が悲しんでいるとメイサも悲しんでしまって、姿を見せてくれないんだ
だったら僕はどんどん自分を喜ばせなければいけない
そうすればメイサに、もう一度
◆
カナタは労苦を厭い、ただただ快楽を求め続けるようになった。
その心境の変化を一言で堕落といっていいのかどうか。
とはいえ、そういった楽を追い求めるというような姿勢は、どこかで手痛いしっぺ返しを食らうものだ。
楽な道というのは往々にして地獄へとつながるものであるから。
ドーマもユーカも、カナタの余りの快楽主義者ぶりが流石に看過できないとおもったのか、注意や叱責を与えはするがカナタは少しも堪えない。
そんな調子で一年が経ち、二年が経ち。
それでもカナタは相変わらずであった。
不思議なのは、カナタのような生き方は後で必ずツケが回ってくるものなのだが、カナタは違った。
カナタは危うい状況になるとなぜか彼の都合の良い方向へ事が進むのだ。
というより、良くない状況を招く危険な選択肢に直面すると、悉く正解を選ぶ。
ゆえにカナタが真の意味で危機に陥る事はなかった。
そして三年が経ち、四年が経ち。
カナタはサルモン荘から姿を消した。
いくつかの理由がある。
一番の理由はカナタの変貌にドーマとユーカが悲しみ、焦燥し、カナタもそれは心苦しく思っていたからだ。
そして二番の理由は、それでもなおカナタは生き方を変える気が無かった為である。
なぜなら快楽に身を浸している限り、カナタはメイサを近くに感じる事が出来るからであった。
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カナタは自身がトチるとは思っていない。
不運に足を取られて転倒し、怪我をするとは欠片も思ってはいない。
なぜなら何をしても結局どうにかなるのだという自信があるからだ。
まずいな、と思ったとき、必ずそれを咎める、邪魔をする"何か"が起こる。
自身はそれに従って選択を変えていけばいい。
そうすればなんだかんだで上手くいく。
上手くいけば楽しくなれる。
そうしたらまた白いアレが目の端にちらつく。
それは素敵な事で、幸せな事だ。
それに、もし破滅してしまって命を落としてもそれはそれでいいではないか。
だってその時はメイサの傍に逝けるのだから。
そうカナタは考えている。
だが気づいているのだろうか?
カナタが無謀な事をするたびに、楽を追い求め、目の前にぱっくり口をあけている落とし穴に目を向ける事すらしないでいるたびに、カナタに対して彼を案じるような気づかわしげな視線が向けられている事に。
気づく事があるのだろうか?
◆◆◆
――さて、どちらに行こうかな
カナタは周囲を見渡した。
自身の選択が多くの人命に関わる事をカナタは知っている。
それに対してなんら重圧を感じていないわけではない。
魔族は怖いし、戦ったって勝てやしないだろう。
「あっちがいい気がします。何となくですけど」
カナタが一行を先導していく。
視界の端には白い何かがちらつく。
ならば安全な方向とみて間違いはないだろう。
「う!」
カナタが蹲った。
傭兵達が気づかわしげな視線を向けてくるが、カナタにとってはいつもの事だった。
「あっちに行こうとしたら目に砂が飛び込んできて…よくなさそうだな。向こうにいきましょう」
転進。
魔軍が広く展開しているはずなのに、誰とも出くわさない。
カナタはそれを不思議だとは思わない。
結局最後は上手くいくのだから。
「ねえ、ほら、見てください…あの偉そうにしている人…団長はあの人の事を探していたんでしょう?」
岩に隠れながらカナタが言う。
ラドゥはカナタを呆れたような、半ば賞賛するような視線で見つめて答えた。
「恐らくはそうだろうな。指揮を飛ばしているのが身振りで分かる。奴を狩るぞ。それにしてもカナタ、お前は…いや、良い」
ラドゥが大剣を引き抜いた。
視線の先には、魔将。




