戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ②
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「どうしたんだ?最近随分頑張ってるじゃないか」
ある日、少年の父がそんな事を少年に言う。
というのも、少年が変わったからだ。
苦手だった早起きをするようになり、家事を手伝い、また父の仕事も頻繁についていくようになった。
良性の変化である。
そしてアレはなに、コレは何と庭の植物を指差し質問を重ねるようになり、少年の父親も息子がやる気を出したのなら、と己の知識をこれ幸いと少年に詰め込んでいった。
「…父さんはさ、ご領主様から信用されているよね。たまにお屋敷からお土産を持って来る事もあるし。僕も信用をされたいんだ」
なぜ?と少年の父は聞こうとしたが、ふとある事に思い至った。
「ああ、もしかして…お嬢様に惚れでもしたか?」
それは冗談交じりの問いだったが、少年が俯き、黙り込む事で真であると悟った。
「…そうか、まあ…そうか…だから最近ずっと頑張ってるんだな…会う事くらいは出来るかもしれないが…」
少年の父は少年の恋を頭から否定する気にはなれなかった。愛するわが子の恋を“そんなものは身のほど知らずの愚者の恋である”と否定できる親がこの世界の何処にいるだろうか?
ましてや少年の父は、息子がここ最近直向きに努力をしている姿をその目で見ている。
「ほんと!?じゃあ僕もっともっと頑張る!父さん、僕一生懸命仕事を覚えるから、これからも色々教えて…ください!」
ぺこりと頭を下げる息子の後頭部を、少年の父親は複雑な気持ちで撫でた。
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「ドーマ、最近庭で君の息子の姿を良く見かけるね。彼が我家の将来の庭師殿になるのかな?」
ある日、サルモン荘の荘園領主であるレイゲン・ファラッドは、春の木漏れ日の瞬きにも似た柔らかい微笑を浮かべながらドーマに言った。
「はい、つい先頃まではどうにも内に籠り勝ちだったのですが。なにやらここ最近はやる気を出しておりますな」
あなたの娘さんに惚れたからですよ、とは流石に言えないドーマは無難に返事をした。
「そうか、確か君の息子は10…2、3…その辺りだったかな?」
ええ、とドーマが答える。
「うちの娘は11になる。ところで君は娘の事情を知っているね。息子さんも知っているのかな?」
ドーマは再びええ、と短く答えた。
その態度はあるいは礼を失するかもしれない。
しかし、まさか“ええ、知っているどころか、それを知ってなお大した事じゃないとし、ついでにいうなら貴方の娘さんにぞっこんです”などとは言えないから仕方が無いのだ。
「だったら一度娘にも会って貰おうかなとおもってるんだ。年齢も近いし、君の事は信用しているからね。その子供ならなおさらだ。それに、娘には…まあ事情があるからね、友達も余り居なくて…内にひきこもってばかりでは色々と良くないだろう?」
禁断の恋が燃え上がるなどやめてくれよ、と思いつつも、ドーマは頷かざるを得なかった。
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父であるドーマから領主レイゲンの言葉を伝えられた少年は飛び上がった。
まさかこんなにあっさり夢が叶うとは!
少年は有頂天となり、喜びの活火山が噴火したかとおもいきや、次瞬たちまちに休火山となった。
そもそも夢とは?という現実が押し寄せてきたからだ。
貴族と平民が結ばれる事など夢よりも遥かに儚いという事を、少年はこの年にしてよくよく理解していたのである。
「分かっているとは思うが…」
ドーマの言葉に少年は珍しく何も答えなかった。
分かっているとは思うが、どころか、分かりすぎていて憂鬱だったからである。
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「…………」
「…………」
沈黙がその場を満たしていた。
だが沈黙にも種類がある事をその時少年は知った。
少年が放つ沈黙は焦燥と狼狽が充満した切迫感のある沈黙であるのに対し、少女…メイサが放つ沈黙はまるで凪いだ湖面のような沈黙であった。
凪いだ湖の水面下に何が潜んでいるか、それを察する事が出来るほど少年は精神的に成熟していない。
「メイサです。メイサ・ファラッド。貴方はお屋敷の庭師の息子さんですね。名前は聞いています」
黙りこくった少年に業を煮やしたか、メイサから名乗った。ちなみにこういう場合、女性に先に名乗らせる事はマナー違反である。
「ヴぉッ!!!…くは、カナタ、です」
少年が返した返事はまるで豚の断末魔のようで、一言で言えば“悲惨”であった。
悲惨であり、そして滑稽だった。
少年は…カナタはこの場を去ったら自殺しようと心に決めた。
しかし滑稽さが場の緊張を解すことはままある。
「ヴぉ…って…。ふふ」
口元に手の甲を当て令嬢然として笑うメイサに、カナタは二度目の恋をして、先ほど心に決めた自殺の決意を無かったものとした。
ちなみに初恋の相手もメイサである。




