35.闇のなかの攻防
一条の光すらささない闇のなかの攻防だった。
『おまえは誰だ!』
と、小賦が言うと、エコーがかかった。
『私はおまえだ』その老人は言った。これも反響する声。闇のなかなので、姿はつかめない。
『なに言ってんの、おまえはあたしなんかじゃない』
『そのあたしが、私なのだ』
『ウソだ!』
『ウソなもんか。私はおまえであり、ちゃんと一個の人格をそなえたもう一人のおまえなのだ』
『そんなわけない! あたしはあたしだけのものだ。誰のものでもない。あのころのように明け渡したりはしない』
『いいや、わかっちゃあいない。私は分裂したおまえの一部だ。一部にして、おまえそのものでもある』
『わからない』
『わからないだと?』
『わからない。さっぱりわからない』
『わかろうともしないだけだ。思考停止させるな』
『なにが分裂なもんか。見えすいたウソを』
『おまえは放棄したじゃないか。おまえは私を捨てた。私を見放したんだぞ!』
『えっ……祐? 祐遍なの? それともちがうの?』
『あいにく奴ではない』
『えっ』
『私はおまえに産み捨てられた胎児だ』
『そんなはずはない! そんなたとえはよして!』
『認めるのだ。認めれば楽になる』
『認めない。ぜったい認めるもんか』
『そんなこと言わず、認めておくれ』
『いやだ』
『本来あるべきところに、私をおさめるのだ』
『いやだ、入れたくない。入れようがない。おまえなんか、おさめるスペースはない』
『なぜだ。どうしてもいやか』
『いやだ、ムリ』
『なぜ頑なになる。解放するのだ』
『いやだ。一度ゆるせば、いっぺんに侵入してくるに決まってる!』
『どうして拒む』
『どうにもならない』
『鍵を開けるのだ』
『開けたくない』
『罪を贖え』
『いやだ』
『ならば、私はどこへ行けばいい? おまえはこの殯の部屋に、私を呼び寄せたではないか。もとはと言えば、おまえの落とし子なのだぞ。いまさら知らぬ存ぜぬでは通らない』
『どこへでも行け』
『私は離れられないんだぞ、おまえから。私はおまえから分裂したのに、なにをいまさら、突き放す』
『知らないよ、クソジジイ! あっちに行け!』
「おまえは誰だ!」
闇に向かって小賦は叫んだ。
仄暗い殯船のなか、黒い人影が床に腹這いになって張りついていた。
禿げた頭をあげた。イグアナよろしく近づいてきた。
にゅっと、頭を剃りあげた見たこともない老人の顔が光に照らされた。
青い死者の顔。
眼は黒目がなく、豆腐みたいに白くふやけていた。祐遍が変わり果てた姿ではない。
小賦は眼を見開いて、今度こそ悲鳴をあげた。
「なによ、この化け物? おまえはなんなのよ!」
「私か?」と、老人は言い、口角を吊りあげ、のどの奥で下卑た笑いを洩らした。歯茎には緑色の藻がびっしりとこびりつき、白い眼球にはゴカイらしき環形動物がもぐり込んで、のたくっていた。「私は金光坊。お目にかかれて光栄だ、お嬢ちゃん」




