73話 猛る贅
責任のある立場とはいかほどのものか
就くものもあれ 就かされることもあれ それらは人生に多いに影響を与えるものだ
階段を見上げるか見下ろすかの違いではあるのだが
面白い事に 見上げて首が疲れるか 見下ろし腰が痛くなるかの二択が多いのが世の常であり
すれ違い こすれ合い 互いにかすり傷を付ける事が非常に多い
下位者と上位者の気持ちを知ることは難しいが方法はあり
まずは階段の見方から変えるところから始める事が重要だ
駅の階段には下りと上りが記されてはいるが 段数は変わるか?
答えは否
下りは見上げれば上りとなり 上りは見下ろせば下りと変わる
横幅という可能性が無限に広がっているだけで 階段は同じ
同じ 人である
商いにおいて財力と情報こそが武器であり、築いた縁故の繋がりこそが力となる。
「戦時に鋼はよく渡れど、死者を祀る石には敵わぬ・・・ふむ、困ったものですな」
王国においてその頂点に立つ豪商と呼ばれる男が部屋の中にある高級な牛革を使った椅子に座り、書を読みながら独り言を呟いていた。
交渉の場において彼が味方に付けば買ったも同然の力を持つが、頑丈な鎧を持つ相手に金銭的価値しか持たない装飾や宝石では通じないし、よく回る口と頭で戦う彼は戦場の場では無用であった。
理論上で頭を働かせることなら常人よりは圧倒的に上だが、生まれた時から裕福な生まれであった守られる者に戦いの経験など嗜む程度しか持ち得ず、でっぷりと贅のついた体では鋼の剣ですら重くて振っただけで怪我を知らない体に汗が滲むだろう。
戦時となった今、彼に出来る事は戦後処理の準備ぐらいであり、それらも夜には全てが終わる。
そんな彼は城から離れ、貴族街にある今は亡き父の残した庭付きの邸宅へと戻り、自室で書を読んでいたのだ。
「おとう様!おへやにおられますか?」
扉の向こう側から幼くも礼儀の正しい声が聞こえ、豪商は何度も読み返していた本を畳んで立ち上がる。
「もちろんだとも!入りなさい」
「はい!」
ほつれが無いか?
身なりを手で優しく払い、整えたところで扉はゆっくりと開かれた。
扉を開いたのは声の主ではなく亡き父の代から仕える老執事であり、本命は開かれたと同時に入ってきた子供だ。
質の良い服を身につけて豪商と同じ茶髪にくるりとした髪型は父を真似て整われたものだ。
「おとう様!このご本、ぜんぶよみおえました!」
「はっはっは!もう読み終えたのか!流石は我輩の息子よ!」
「わーい!」
子供の頭ほどもある分厚い本を小さな両手で掲げては自慢をするように見せつけてくる子供を見て豪商は高らかに笑い嬉しさでふくよかな顔を破顔させる。
齢は今年で7となる豪商の息子。
城にも彼専用の自室が設けられてはいるにも関わらず、わざわざ邸宅にまで来た理由がそこにある。
今尚身を削って戦っている者達に憂いたまま城に篭って政務に励むなどと、精神が参ってしまうだけ。
豪商にとって心休まる癒しの場とは、息子と触れ合うことのできるこの邸宅だ。
「おとう様は、おしごとちゅうでしたか?」
「なぁに、同じように書を読んでおっただけよ」
「どんなご本ですか?」
「ふむ」
宝物のように息子を抱き抱え、自身の座っていたであろう椅子へと座らせ読んでいた本へと手を伸ばす。
表紙には”世渡り人”と書かれており、世界を旅したと言われる男の日誌を頼りに執筆されたという話だ。
数日前に売りに出していた商人と交渉して得た物だった。
まあ、書いてある事のほとんどが眉唾物であり、そもそも売りに出してた商人は時より絵芝居を披露する、いわば英雄譚や童謡などの好んで本を扱う人物であり、本の内容は真実味があるものもあれば架空物も多い。
「これは冒険譚を描いた物でな、お前が読む前に一通り目を通してみていたのだよ」
「ほんとうですか!?」
「ああ、本当だとも!中々、ふむ。奇抜な内容であったな」
確かに息子に渡そうとした事は本当だが、そう考えたのは内容を半分ほど読み進んでからだ。
抽象的で詩的な表現が多く、吟遊詩人や夢見がちな子供には好まれるだろうが、頭の硬い者が見れば解釈に悩み不満の声をあげるだろう。
気になる点としては遥か東方には獣の姿をした獣人なる人がいるだとか、長耳の住む森の合言葉など。
そういった気がかりとなる文を見た時は興味が惹かれたのだが・・・原本となった日誌を読む方が大変面白いものが見えただろう。
何せ、気になった部分に限って具体的かつ注釈がそのまま書かれているかと思えば、次には怖さや強さだけが一点張りをしたモンスターが出てくる場面で突然抽象的となるのだ。
そのままじゃウケが良くないから、話を膨らませて盛った節があり、こうやって歴史や伝承がズレていくのだと実感できる代物ということを学ばせてもらったと豪商は実感することができた。
ちなみに日本らしい話は一切出ていない。
子供にも読めるようにと努力した著者の表現力は理解はできる内容ではあるが・・・彼の素直な感想を例えるならこうだ。
香辛料のクセが強すぎて元の味の台無しにされた料理を食わされた。
「東の獣人か・・・なるほどなるほど」
「じゅうじんとは、なんでしょうか?」
だが、東の地に住む獣人という言葉に豪商は大きく記憶を思い返された。
以前、馬車を共にした聖女が説明してくれた、当時は信じてはいなかったが、夢のような国に住まうという獣姿の住人と重なるのだ。
国内においてそれらしい話こそあれ、実際に見たという物は行商人の間でもいない。
少なくとも、豪商の元へは届いてはいないが、もしかしたら信憑性が薄く届いてなかった可能性は大いにあるだろう。
根も葉もない噂という表現に倣うのなら、葉に埋もれて根が見えないと言うところか。
次は情報という葉をどかして根を見つける算段をしなければならない。
「おっと!話しの種をバラしてしまうところだったな!はっはっは!」
「あ!おとう様ずるい!」
「すまんすまん!許しておくれ、息子よ!」
悪びれた様子も見せずに笑って誤魔化す父親に子供は不満を漏らすが釣られて笑顔になってしまう。
険悪な空気は欠けらもなく扉の近くに立つ老執事のように側から見ても仲の良い親子であった。
その時、コン、と遅れてコンと扉にノックが掛かる。
豪商は目線で老執事に合図を送り無言で会釈をした後に扉の隙間を開けて応対に出る。
そして、知らせを受けた老執事が室内へと戻り、口重く豪商に告げた。
「火急の知らせです。小桜咲様のお付きの使用人の2名が・・・帝国の間者として捕縛された、とのことです」
「な、なんと!?」
この邸宅に移っても、このでっぷりとした体躯の彼の心を休める事はできなかった。
方や知将、方や自身の王に連なる者達から選ばれた使用人なのだから。
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王国の市民外と商店街の境にある衛兵の詰所へと揺れを感じさせない豪華が馬車が訪れる。
馬車から降りる煌びやかな服を纏った男の姿が現れると同時に待機していた衛兵が敬礼をし、室内へと案内をされていく。
詰所の1番奥の階段を降りれば罪人、もしくは疑わしい人物を一時的に放り込む牢屋が設けられているのだが向かうまでに椅子に座る白髪の少女に目が入る。
「サキ様!ご無事でよかった・・・!」
「う、うん。おかねもちのおじさん、こんにちは」
老執事の続く説明で安否の確認は取れてはいたが、実際に目にすることでまず一安堵。
「怪我はされていないのは、確かですかな?」
「咲だいじょうぶ!メイドのおねえさんやさしく、あ、あと、えっと」
「・・・む?」
「じゃ、なかった!なんでもない!なんでもないよ!」
豪商が聞いたのは少女誘拐の企てだと聞いてはいたが、咲ちゃんの様子の違和感を一見で見抜く。
嫌いな料理を食べなかった時に嘘がつけずに隠そうとした時の自身の息子と姿が重なったのだ。
「本当に、何もないのですかな?」
素直に言いたいはずなのに、まるで隠し事をしなければならないような、椅子に座りながらモジモジと手を弄り出して見上げてくる咲ちゃんに豪商は言葉で踏み込んだ。
真実かそうでないかにしろ、見えない何かに脅されている可能性があったとしたら後手に回るからだ。
咲ちゃんは慌てた様子で身体で表現しながら小さな口を開いた。
「メイドのおねえさんが、ナイショできてくださいっていってたの!それだけだよ!」
「・・・ほう」
豪商は2つ確信を得ることができる。
1つは少なくともこの詰所で留置されている日本では主流らしいメイドと慕われる使用人に子供達に危害は無い事。
もう1つは、内緒とは誰に対してかだ。
「豪商様、恐れ入りますが会話はその辺りで。・・・奥へと、ご案内いたします」
「・・・ふむ、すまぬな!では奥へ案内しておくれ。コザクラサキ様、また後ほど」
「う、うん!」
咲ちゃんとの会話を終え、豪商はさらに思考を巡らせる。
王の臣下である人物に含みを聞かせて奥へと進む衛兵についてだ。
囚人の顔を拝む為に牢屋に訪れた事があるが陰鬱とした空気には慣れたい者好きはいない。
牢は地下に6部屋。
ここで留置された輩は数日のうちに証拠の有無の確認に判断され王国の外れにある懲罰施設へ向かわせるかが判断される。
「豪商様!?豪商様ですかっ!!?」
「おい!!声を控えろ、女!」
「ひっ!?す、すみませっ・・・」
鉄格子に両手を当てがい、見張りをしていた衛兵の一喝に身をすくませる影に豪商は大いに聞き覚えも見覚えがあり、自信に仕えていた使用人で間違いないことに豪商は何を話すべきかを心に決める。
一考していた豪商が奥に向かうよりも早くに先導していた兵士が見張りへと告げた。
「事情の説明も兼ね、この場の担当は自分が引き継ぐ」
「事情、ですか?」
「この使用人は以前は豪商様のお付きであり、妙なことを口走っていた。・・・万一の事に備えてほしい」
もし、牢に閉じ込められているのが臣下と繋がりの持たない相手であれば侮辱とも取れる発言に見張りの衛兵が鎧越しでも身を強張らせるのが見て取れた。
「了解!自分はサキ様の近辺警護へと移させていただきます」
見張りをしていた衛兵はそのまま牢から離れ、扉の錠が占められる。
この場には衛兵と豪商、牢に閉じ込められた使用人の3人だけとなり、逃げ場は無いが、割り込む者もいない。
「して・・・頭を回してまで人払いをした要件は何かね」
途端に、衛兵は手に持つ槍を地に置き、深く跪く。
「誠に申し訳がございません・・・!!これも王国が為、無礼を承知で内密に話したいことがあり小細工を要しました!」
「しょ、処罰でしたら!!私に非が、あります!!この方は、協力を・・・!」
確かに、咲ちゃんの言う通りに内緒の話であった。
その献身的なまでの地に沈むような深い2人の姿勢。
「1つ、問わせてもらいますかな」
「はい・・・!!」
使用人の顔は地に伏せてしまって表情を伺うことができないが、これだけは聞きたかった。
「をことぬし様は、何処におる?」
豪商の問い掛けに真新しい鎧を着た衛兵が僅かに驚き兜が上がる。
たったそれだけだが、豪商にとって答えはもう得たような物ではあるが、結んでいたはずの髪がボサボサと乱れ悲痛の使用人は追い討ちをかけるように悲痛の声で答えてくれた。
「ぬし様はっ・・・知将の、知将、様の、邸宅におらればすぅ・・・!!」
涙声のままに話す使用人の言葉に、豪商は高らかに笑う。
「はっはっは!!はーっはっはっ・・・」
だが、その表情を見た衛兵は屈んだままに釘付けにされたように身体が動かせなくなってしまう。
ふくよかなその顔、瞳には短剣や槍を用いるような鋼のように冷たく、鋭いものが宿っていた。
「ついにぃぃ・・・尻尾を出したなぁ!?売国奴めぇっ!!!」
当然、彼には帝国との関わりは持っておらず心当たりはない。
豪商は深い、深い怒りに呑まれてしまっていた。
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