30話 紫鱗の魔蛇
かつて ここは闘技場であった
人同士で戦うこともあるが 目玉はモンスターとの決闘であり
体躯に恵まれた大きな敵を打ち倒す夢に憧れた そんな者達の集う場所で賑わっていた
中でも 太く大きな体に恵まれたその獣はとても強かった
多くが挑み 多くが破れ 多くが獣の血肉となっていく
だが 強くなりすぎるあまり誰にも手が付けられない程に
その獣は力を身に付け 挑む者もいなくなってしまったのだ
闘技場はいつの間にやら処刑場となっていき
囚人が放り込まれては 獣の餌となり糧となる
長い年月が経つにつれ人が離れ 腐り 倒れ 喰われ
果てには寄り付かなくなってしまった
廃墟となった未来
ここには強大な力を蓄えた獣の国となっていた
「ぎゃあああっ!!!?」
「おお」
杖を右手に、ぬしちゃんを左腕で抱えてがむしゃらに彼女は走りだした。すぐ後に、背後で勢いよく落ち砕ける重い音が鳴り振り向けば、大岩。
「ひっこわ・・・!?」
留まっていれば潰された虫のように土俵のシミとなっていただろう。幸いにも危険な事に変わりはないが、落ちてくる物が小石や砂利ばかりになってきているのがせめてもの救いか。
魔法は強力で便利なものが多いが精神力を用いるために、気を揺さぶられたりと集中力が途切れてしまうと魔法が発動しなかったり止まってしまう欠点がある。
特に脳が左右に行き来しやすい女性は魔力の増強が見込める反面感情に圧し負けやすくもある側面も持つのだ。
普通の子供であれば尚更と言ったところだろうか。
「ぬしちゃん!?あなたサキちゃんに何したのよ!」
「へびさんにおねんねしてもらうんだ」
「また・・・あぁあもう!!」
普段は置物のように佇んでいるのにやたらと弓使いに食って掛かった原因の一端が垣間見えた。そのぼーっとした顔からは感情を読み取ることはできないが、飛び出そうとしたぬしちゃんを咲ちゃんは引き留めようとしたのだろう。
「止めてくれたのにあんたは叩いたってわけ!?こんな時に喧嘩なんてしちゃだめでしょうが!」
「けんかじゃないんだ」
「言い訳しないであとでサキちゃんに謝って!ついででトンガリにも!いい?」
「うん、あやまるんだ」
結果がこれだ。作戦どころか現状すら丸潰れとなってしまったのだ。周囲を見てみるが、落石の残骸だらけで視界が遮られてしまっており、大蛇がこちらに向かってきているかも判断がつかない。
唯一つ、観客席に陣取っている震源地、魔蛇のどでかい頭は隠れようが無いが。
「ていうかこんなまっ平な壁を登れるわけないでしょ!?」
過去は闘技場であったらしいこの場所は壁が煉瓦状になっているがどの部分も研磨された後がありツルツルとしていて特有の溝がまるでない。逃亡阻止のためだろう。
こんな壁を道具も使わずに登れるわけがない。
「そうなのか」
「そうなの!とにかく男共とサキちゃんと合わなきゃ・・・」
瓦礫の影に隠れながら風使いは剣士達と合流するために立ち上がり行動に移す。彼女に大蛇を撃退する手段は・・・一応いるがそれは最後の手段だ。
「こっちに来ないでよぉ・・・?ぁ、でもサキちゃんぁあどうしよ、どうしよ・・・」
それでも、やっぱり怖いものは怖い。彼女の杖を握る両手は手汗で滑って落としそうなほどだ。
横の壁を伝っていけばあの大化け物の脈動がこちらにまで響いてくるのではと。
大蛇が実は岩の影に隠れていてこちらを覗いているのではないかと。
また大岩が振ってきたら・・・嫌な発想力だけは人一倍なのが今はとても悔しい。何かがあれば黒髪の少女から貰ったお守りを投げつけるしかない。
「ぬしちゃん、ついてきて、こっち」
後ろを一度振り向いて手招きをするついてに手汗も振り落とし前に向きなおす。
・・・
「ゔぇ!?」
イナイ。
どこだ?どこに?
左、右と見直して風使いの深緑色の短く揃えた髪が乱れては額の汗が飛ぶ。
岩、土、岩、石、壁、壁・・・!
いた。見つけた。よかった。いやよくないよくない。
黒髪の少女、ぬしちゃんと向かい合うはそそり立つ壁。指が入る隙間も無い壁の上へ上へとそのぼーっとした顔で眺めている。
まさか・・・とは 思うが・・・ないない。まてよ?まて。
だが、今は嫌な想像力にかけては一級品を誇る風使いは呼吸も忘れて走り出した。
必死の形相でぬしちゃんへ向かう風使いの全力疾走など見向きもせず、黒髪の少女は両腕を後ろへとピンと伸ばし、がに股でお尻を出すように深く腰を下ろすその姿は・・・踏み込み。
そして跳躍。
助走もつけずにその場、自身の脚力と軽い重量だけを使い、首が痛くなるほどの壁をたった一度で到達に成功した。
してしまったどんぐりのように茶色い服装を纏う黒髪の少女を例えるのならば、ノミだ。
目が慣れてこないと見つけることができないあの矮小な姿には他の生物では成し得ない驚くべき跳躍力を誇るのだ。
確かに、道具を使わなければ壁を登る事はできない。そう彼女は言った。
「だめってばこら!?ああああだめだってぇええなにそれ!?おかしいでしょ!!!??」
だからって飛び越えればいいものでもないだろうに。できない者はどうすればいいのか教えてほしい。
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黒髪の少女、ぬしちゃんは観客席へと1人到達し、魔蛇は突如現れた小さく、小粒のような存在にはさすがに興味が惹かれたのかお互いが相対する。
「風っ子ぉおおお!!あの馬鹿どうにかしろぉおおおっ!!!???」
下から周囲を気にしないでかい男の声が聞こえるが、関係ない。
「おっきなへびさん」
その小さな口から放たれた言葉が届いたかは不明だ。足元の高さこそ揃ったが、距離も広く相手は5歳児が100人いても収まらないでかい蛇だ。
返事はない。それはぬしちゃんにとってはどうでもいい。
「へびさんはみんなをいじわるするんだ」
おねえさんなんか怒っているし、おっさんはうるさいし、おじさんはおばかさん。
それに、咲ちゃんはとても怖がっている。
みんなみんな、ヘビさんとネズミさんのせい。
修道院で貰った白きカバンに手を伸ばし、取り出すは白くて薄っぺらい紙細工。折り紙で作った手裏剣を右手に1枚、左手にもう1枚。
「おねんねである」
守る。咲ちゃんを守る。ついでで他も。
少女は走る、駆けて駆けて、元凶へと立ち向かった。
一直線に立ち向かってきた魔蛇は壁に打ち付けようとした頭をすぐさま止め、標的を変え始めた。
すばしっこく小さくて食べがいのない小動物のよう。
だが、その素早くも武器にして向かってくるのだから不思議に思ったのだろうか。
「逃げてぇええええっっ!!!!」
ぬしちゃんではない女性の絶叫とも言える叫びと同じ時、魔蛇は大きく、照明の行き届かない岩肌の天井にぶつかりそうなほどに巨大な頭を伸ばし・・・
何者をも、万物ですら砕きかねない超大型の大金槌を黒髪の少女に目掛けて、振り下ろした。
顎、額、頬、首、鼻先に至るまで、頭と思われる部位には鉱石だと勘違いしていた鈍い紫色に輝く突き出した鱗がスパイクのように広がっており、その威力は岩すらも容易く砕き、大地も揺らすことから威力など想像に難くない。
たかだか人間、それも子供に向かって放たれる攻撃などではない。直撃すればそこらに転がる瓦礫と同じように潰れて肉片となるだろう。
黒髪の少女はピタッと止まる。逃げない。
平手持ちで手裏剣を構えた右腕を真っ直ぐ伸ばしヒョイと真上へと縦回転をさせながら放り投げる奇妙な物だった。
紙で作った手裏剣と魔蛇の頭を天秤にかけたとしたら、魔蛇の頭が天秤を支える土台ごとぶち壊す結果で終わるだろう。
キィンッ
そんな常識など、この闘技場の壁と同じように飛び越えた馬鹿による不思議な力で跳ね返されるのだから、訳が分からない。
放り投げた紙手裏剣は鱗にぶつかり、あろうことか魔蛇の巨体ごと打ち上げられたかのように弾き返された。
その性質と音は質量とは無縁。刃だけではなく、その者すらも否定される。
土俵、下の方が何やら騒がしいが最も驚いてるのは誰か。
シュ・・・!?
それは魔蛇だ。なぜ自分の体が打ち返されたのか理解ができていないのだろうか。
蛇に表情があるかはわからないが、それは黒髪の少女も同じだ。
だが、持ち上がってしまったのならば、また叩きつければいいではないか。
魔蛇の巨大な大金槌がまた振り下ろされる。
まあ、落ちてきたのならまた打ち返せばいいではないか。
左手に構えた紙手裏剣を同じように魔蛇の頭へとぶつけて、また打ちあがる。
最早これは芸だ。少女が圧倒的体格差を持つ巨大な生き物でお手玉を取る。
踊らされる、そんな芸だ。見物料でも取ればいい稼ぎになるだろう。
さすがに二度もやられれば、獣の頭にも思慮が宿るようで。
ジュァァアアアアッッ・・・・!!!
この観客席では狭く幅の足りていない尾をが大きくうねりバシバシと床を叩いて大きな音を上げ、警戒し始めた。
相対する小さな生物は獲物などではない。ご自慢の冠を弾き返したのだ。
その巨体ですら警戒せざるを得ない、敵となる。
投げた手裏剣はひらひらと木の葉のように舞い落ちる中、ぬしちゃんは変転、逆方向へと走りだす。ぬしちゃんの走りは速度もそうだが、特筆すべきはその初動が見切れないほどの加速。
威嚇をしながら追いかけようとした魔蛇は自らの大きな欠点に気づいていない。
下の土俵と違いこの観客席は遥かに狭く、鈍重で巨体の魔蛇にとって俊敏で小さな黒髪の少女相手では最悪な戦場となっており、頭が邪魔で動きが遥かに鈍くなっている。
追いかけようとするが明らかに追いつけていない。
戦術を見極めたからとはお世辞にも思えないが、魔蛇とは離れた位置で白いカバンから再度お手製の武器をまた2つ取り出してはまた反転、また直進。少女自身がまるで矢に撃ち放たれる。
魔蛇は迎え撃とうと頭を振り被ろうとする、がそれは間違いだ。
少女が接近が速すぎるあまりに間合いがまったく足りずに懐に潜り込まれては首が勢いを止めようと背後へとのめりだす。
また一投。ぬしちゃんが投げつけた物は紙ヒコーキ。
山を描いて昇っては谷へと降り速度を上げた。
対する魔蛇は巨大な頭を地へと打ち付け、攻撃ではなく防御のために迎え撃つ。
だが、少女の牙は冠を盾にしてもやる事はまったく変わらない。いくら頭を地に付け踏ん張ろうが問答無用で冠ごと巨体がまた吹き飛ばされた。
なんとも不気味で奇妙な光景か。
頭を押さえつけるが如く吹き飛ばされた魔蛇は児戯にも等しい武器を振るう5歳の人の子相手から逃れるがために後退をしだす。
勝っては嬉しい、負けては悔しい。一進一退 花いちもんめ。
をことぬしと魔蛇、両者の命の花を賭けた攻防により大岩の雨が止む。
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「邪、魔なんだよぉっ!!!!」
向かってきた大蛇の牙を大剣の幅広い鎬を使い叩き割り強靭な大顎を無力化に成功するが致命傷には至らない。
「急げっ!早く仕留めろ!!」
「わかってんだよんなこたぁ!!」
怒号飛び交う先々にいる男2人は前線で剣を振るい大蛇を1体ずつ相手をしていた。
持ち前の身軽さと風の加護を用いて大蛇1匹を相手をしているが、彼の剣術では攻め手に欠けており分散させるので手一杯だ。
剣士は風の加護の効果が切れてしまい動きが若干ではあるが鈍くなり、攻撃を受けた左の籠手が硬い物に打たれたがために凹んではいるが大きなダメージはない。
だが、手負いの獣ほど厄介なものはない。
力任せに突っ込んでくるだけの愚か者達とは違い、この2匹とは2戦目だ。
怯えからか引け越しに隙を窺う奴らは怖くはないが、一刻も早く倒さねばならない今では最も嫌な相手となってしまっていた。
「逃げてんじゃねぇぞクソ蛇っ!!」
単に突っ込むだけの相手であればその腕力と重量を持ってして叩き伏せるのが得意な彼ではあるが、剣先の届きにくい今の大蛇の戦い方に剣士は怒りを募らせる。
何よりも落ちてきた大岩が邪魔だ。大小問わず土俵に散らばるその残骸に足を躓いたり、大剣が衝突してしまいそうになるどころか、下手に岩の周りを動き回ると大蛇の長い尾が待ち受けていたり戦況は芳しくない。
「ぬしぢゃんがんばれぇえええええ!!!」
剣士達の背後、幼くか細く絶叫と相違ない声援を上げる白髪の少女ではあるが、幸いにも大蛇はそちらに興味を示さない・
魔蛇へと突っ込んでいったぬしちゃんとは違い。咲ちゃんは言う事を聞いてくれて盾に隠れてくれているのが救いか。
だが、地が揺れもせず大岩が落ちてこないところを見るとその大馬鹿にも救われているのが確かであり、それがさらに剣士を苛立たせる。
幼い彼女達の強力な力こそ利用はするが、前線に立たせるなどするつもりが全くないにも関わらず、これだ。
もし、魔蛇の攻撃にでも直撃してしまったら・・・
そんな不安を煽るように、壁を叩きつけるような音がまた響きだした。
だが先ほどとは打って変わって小さいもので、天井から大岩が落ちてくることは無い。
だが、そちらに集中することができない。目の前の歯欠けが煩わしい、鬱陶しい。
剣士は大剣を片手持ちに変え空いた右手でもう1本の剣を取り出しさながら二刀流の構えだ。
「うざってぇんだよ!!」
前方の歯欠けの大蛇に向かって駆けだすと同時に右手に構えた剣を大蛇へと乱雑に投げつける。軌道こそあって入るが乱暴な投げ方により刃は明後日の方向へと向いていている。
威嚇をしながら長い胴と尾をうねらせて回避。鋼が瓦礫に衝突し耳に響くような金属音が鳴り、落ちた。
大蛇はそのまま剣士へと歯の欠けた大顎を開いては残った歯で噛みつこうと迫り・・・硬い物にかぶり付く。
フー・・・!?
だが、それは剣士の肉体どころか鎧ですらない剣の鞘。
とんだ食わせ物であり、目当ての相手ではなくほんの一瞬だけ大蛇は硬直する。
その一瞬が剣士の狙い。動きが一度でも止まってくれればいいのだ。
「らぁあああっっ!!!」
縦一文字の真っ二つ。
助走をつけた本命の一撃が鞘ごと脳天を叩き斬り、血と脳漿の飛び散り割れてしまった頭もう戻らない。
残るは一匹。片目を失っている大蛇のみ。
「お前はとっととあの馬鹿連れ戻しに行け!!」
あとは弓使いと交代し、幸か不幸か魔蛇を食い止めている黒髪の少女をどうにか戻してもらうのみだ。
「了・・・っ!?な、ぁ!?」
のどに物を詰まらせたかのような感覚が遅い弓使いは声を出せなくなる。
弓使いが振り向いた遠く遠く、魔蛇がいたと思われる方から闇の爆発と共に土俵・・・こちらへと高く打ち上げられ飛来する物体。
身に付けていた革の服が凶悪な鞭にでも叩かれたように無残にも引きちぎれ、その幼く柔らかかった肌には大きな裂傷がはみ出て見える。
5歳の女の子、をことぬしという珍妙な名前の少女。
「ぬしぃいいいいっっ!!!!!!」
マスクを剥がし、弓使いの心の声が叫びとなって轟く。
ぬしちゃんが魔蛇に吹き飛ばされ・・・鮮血を散らばしながら今にも大地へと叩きつけられようとしていた。
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