第72話 秘策
しょんぼりとしたエンマを慰めるために行ったのは、ユークたちの引き剥がしだ。ユーク以外の子蜘蛛たちは大人しく離れたが、ユークがなかなか離れなかった。
「離れてくれ」
「嫌です!絶対離しません!」
「ユーク、俺でも怒ることがあるんだぞ?」
「それでも……」
ユークが言い終わる前に目の前から消えた。
その理由は俺がユークの視覚外で背中の腕によって蜘蛛の巣を作り出し、【転移巣】を発動させ、スライム戦でつくった天網に転移させたからだ。不意打ちでの転移巣。蜘蛛じゃないユークでは逃れられない。
頭上で悲鳴が聞こえるが、当分の間、反省してくれると助かる。邪魔者がいなくなったので、エンマを手招きして呼び出す。少しだけむくれていたが、口元が緩んでいるので、怒ってはいない。
いそいそと歩み寄って来たので、抱きしめて頭を撫でた。顔がゼロ距離にあるが、蜘蛛のときもやっていたので。蜘蛛になったからといって辞めるわけがない。
エンマが自身の甲殻並みに真っ赤になってしまったので、背中に乗せて落ち着かせることにした。他の子蜘蛛たちも抱きしめて欲しそうにしているが、そこまで活躍していないのでお預けだ。
真っ赤に茹で上がったエンマを羨ましそうに見つつ、空で叫んでいるユークを子蜘蛛たちは心配した。ユークが調子に乗っていたことについてはいいが、八雲の言うことを聞かない程に増長していたのは、子蜘蛛たちにとっては許されないことだ。
甘い八雲だが、アラクネになってから少しだけ厳しくなったと感じた子蜘蛛たちはいつもなら存分に話を無視してでも甘えていた行為を辞めた。これからはそういかないと確信している子蜘蛛たちは、子蜘蛛同士で情報を共有して八雲の言うことには耳を傾け、八雲の言いたいことを噛み締めるようにした。
もちろん、幼い子蜘蛛たちには存分に甘えるようにしてもらっている。子蜘蛛たちにとっても愛おしい存在が、八雲にとってもより愛おしいと思っているので、我慢をさせようとは思っていない。
あくまでもアラクネの段階まで到達した子蜘蛛だけのルールだ。幼子蜘蛛には関係ないことだ。今までの自分たちがそうだったように。
エンマを背中に乗せてスライムの解体をする。回収したアイテムは泥だ。普通の泥よりもねばぁっとした泥だ。なんの使い道があるか謎だが、エリアボスの素材には間違いないので保管しておく。
頭上で暴れてるユークを回収して子蜘蛛たちに拘束してもらい、肩に担いでボスエリアを出た。出迎えた子蜘蛛たちは肩のユークを見てキョトンとして、背中のエンマを見て羨ましそうにしていた。
次は数の多い四季彩の蜘蛛5人を連れていく。ユークはもちろん、お留守番だ。ミノムシ状態のユークをボールに見立ててバレーしてるので、俺たちが次のエリアボス戦にいってるとは思わないだろう。
許せ、ユーク。子蜘蛛たちのヘイトを集めたのはユーク自身なんだ。俺からはなにも言えない。
ボスエリアに入ると、シーズナーたちは沼の泥の色に甲殻を変色させた。肌の色までも変えることができるのか、すでに俺でさえも見失っている。今回のエリアボスもマッドスライムなら、ここのエリアボスは確定だが、あれがもし特殊な場合、今回はさらに弱いことになる。
沼でガサゴソ動く物体を見つけた。それは泥にまんまるのスタンプを押しながらピョンピョンしていた。色は泥で薄汚れているが、識別すると、普通の無形粘体だった。戦闘が始まると同時に進化する可能性もまだ残っているので、あえて手を出さず、相手に気付かせる。
そばで眺めているのだが、ピョンピョン跳ねるだけで全く攻撃してこない。友好的?いやいや、そんなわけ。あまりにも無防備だったので、持ってみた。弾力感のある身体は、手が軽く跳ね返された。
油断させて顔に張り付いて窒息を狙いに来るかと思ったが、スライムは微動だにしなかった。これがエリアボス?と疑問が浮かぶ。だが、シーズナーたちに周囲を見てもらったが、こいつしかいなかった。
あまりにもなにもなかったので、シーズナーたちもスライムを囲って見ている。心なしかスライムがブルブルと震えている気がしたが、スライムだし、そういうものだろう。
「うーん、どうしたらいいのかな?」
「ママ、倒したらいいよ」
「でもさ、こいつなんもしてこないぞ?無抵抗なスライムをいじめていいのか?」
「いじめはだめだよ」
「だったら、どうする?」
「連れて帰って大精霊様に聞いてみよう」
「そうする?」
「うん!」
子蜘蛛たちが連れて帰ると決めたので、どうにかしてこのスライムを持って帰らないといけない。クナトパターンだとすれば名前つけたらいいのか。
それにしても、このスライム喋らないな。言語学をもつ俺はスライムの言葉が分かる。だが、このスライムは一向に喋ろうとしない。エリアボスは喋らないのかもしれない。
「よし、お前の名前は今日から粘魔だ」
《無形粘体を使役しました。》
《称号【エリアボス使役者】を獲得しました。》
《【エリアボスソロ討伐者】【エリアボス懐柔者】【エリアボス略奪者】【エリアボス使役者】を【エリアボスの天敵】に統合しました。》
《PM専用報酬:無形粘体の風船、無形粘体の水まくら、無形粘体のクッション、生存ポイント500P、スキルポイント5SP、ステータスポイント5JP》
エリアボスの称号シリーズが一つになった。エリアボスの天敵の称号はエリアボス討伐時の報酬が少しだけ豪華になる、というものだった。お得な称号とスラマを手にいれたので、微量の経験値を得るよりも戦果があった。
ボスエリアをでると、解放されたユークが抱きつこうとしてきたので、スラマを預けた。嫌そうな顔をしていたが、ユークの後輩に当たるため、しっかり指導しておくように言い渡し、帰ってもらった。
人数的にもエリアボス周回するには多すぎるので、一人二人減るだけでも大分変わってくる。今度は使役できる状態であっても一思いにやるとして、メンバーは暇そうにしてる者から順番に周回した。
ほっといたら飽きてくるのが、子蜘蛛たちの特性でもあるので、終わったものにはここら辺の探索を頼んだ。それを何度か繰り返し、憂鬱な作業を終わらせた。身体の使い方をいち早く掴むためにもエリアボスを倒しに来たのに、この程度では何も得るものはできない。
俺たちはスライム討伐を終わらせ、北西に向かった。これが最後の第一エリアボスだ。ここは西とは違い、草が短い。なにより、湿度が低いので、ジメジメとした嫌な空気をしていない。
照りつける太陽が眩しいが、それがいい。歩いてみると草原の芝生がクッションになり、沼地のようなドロドロとした感覚はない。方角が違うだけでこれだけ環境が違うとなると、次の第二エリアも違うのだろう。
そう考えると、最初にくまさんのいる森を選んだのはよかったといえる。もし、最初に沼地かこの草原を選んでいたら、これほどまでの大家族はつくれていなかっただろう。視界の悪い沼地と視界のよすぎる草原。これでは蜘蛛の特性である糸を森以上にうまく使えなかっただろう。
草原は広大で、遠くに魔物がポツポツといるのが見受けられるが、こちらを襲おうとする魔物はいなかった。牛や豚、羊といった、現実での家畜にされて食料として育てられる部類しかいなかった。
つまり、この草原は肉エリアだ。子蜘蛛たちが肉を求めて乱獲したそうにしているが止めておく。どうせ料理するのは鬼たちだ。ここでとっても鮮度が落ちるだけだし、獲りすぎてしまう可能性もある。
ここのエリアボスを討伐し終わったら、昼御飯に狩りをしよう。のどかな草原を散歩しながらボスエリアに向かうと、見慣れた列があった。俺達に気づいたその者たちは武器を構えたが、間近まで来たところで、瞳孔を開いたまま固まってしまった。
今日は争うつもりもないので、俺たちはその列に素直に並んだ。ちらちらとこちらを見てくる者もいるが、無視を決め込んだ。ただ、絡まれたら容赦はしない。
そんなことを考えていると、前の方から一人の青年が来た。骨が剥き出していないのでカルト関係ではない。角がないのでカレー炒飯関係でもない。つまりPHだ。常識があればなにもしないつもりだが、なにしに来たのやら?
「◆▼▲&##@!」
ごめん、何言ってるかわかんない。
「●○&**&#♡##♡*!」
ん?なんて?
「☆◎*♡♡*○♡♡@◎@」
必死に何かを伝えようとしてくる。無視してるわけではない。言葉が通じないのだ。それでも子蜘蛛たちはうんうんと頷いている。それがまずかったのか、そのPHは両手を広げながらスイマに近付いていった。
なにをするかと思えば、スイマに抱き着いた。その瞬間、スイマは一時的に硬直した。それもほんの数秒だけ。気持ち悪いと感じたフウマがそのPHをスイマから引き剥がして空中に投げ飛ばした。
俺は投げ飛ばされたそれを受け止めるように天網を発動させた。天網に磔にされたPHは困惑と恐怖で悲鳴をあげた。だが俺たちに喧嘩を売ってしまったのだ。なにをされても問題ないだろ。なにより今のは問題行動だ。俺と子蜘蛛たちは磔にされたPHの男に向けて魔法を発動させた。
無抵抗のそれを数十発の魔法が襲う。一瞬でHPを失ったそれは身体の力を失った人形となった。すぐに転移巣でお取り寄せし解体した。まだ進化したばかりなのにここまで連携がうまくいくとは思わなかった。
前の方にいた彼のパーティーには悪いが、変態行為に及んだ彼が一方的に悪いので、弁明はしない。変態を抑え込めなかった自分達を恨むといい。
列は順調に進み、あと残すところ一つというところで、あとから来たパーティーが横入りしてきた。その集団は男五人の女一人の要は姫の囲いパーティーだった。姫は青髪で小柄だった。髪が長く表情は見えないが、男たちが何か言っても反応してないところをみるに、本当に姫ポジだ。
彼らの行動はまるで列に割り込むことが当たり前。そう考えているとしか思えない行動だった。当たり前だが、言葉が通じないので、対処方法は暴力になるわけだが、毎回これをするとなると、無駄な争いが生まれかねない。
まさかこんなつまらないことで人の言語を取得するとは思わなかった。俺だけでは心許ないのでフウマにも覚えさせる。
「俺、先に並んでたんだけど?」
「あぁ?なんだてめぇ、ころ……」
最初に話しかけた男は狂犬の立ち回りで、脅迫してきた。怖かったので、間違えて先程変態が磔にされていた天網に飛ばしてしまった。いなくなってしまったなら、仕方がない。次にいこう。
「先に並んでたんだけど?」
「はぁ?『蒼姫』の御前だぞ。列を譲るのは当たり前だろうが!」
どうやらそういう常識がPHの中ではあるらしい。知らないなぁ、誰だろう。彼もまた天網に飛ばしてしまった。天網にも重さ制限というものがあってだな。そろそろ落下してしまう。次でまともな回答が聞けるといいが。
今度の男はふくよかなお腹の持ち主でゲームにまでその脂肪を持ってきて、どうするのか。確かにここではお腹も空くし、食べ物もいっぱい食べられる。だが、ここでのそれはハンデにしかならない。
「言い分は?」
「『蒼姫』のお言葉は絶対でござる。聞けぬというなら、我が村崎の錆びにしてくれようぞ」
包丁をおもむろに取り出して、宣言してきた。包丁が錆びてたら飯がまずくなるだけなんだが。それで戦うのか。
「戦うなら、一撃で決めるぞ」
「望むところぞ」
包丁を構えたその男に対して左手に転移巣を持って対峙する。子蜘蛛たちも空気を読んで離れて戦場をつくる。相手側のパーティーメンバーは見向きもしてない。すでに二人脱落しているが、いいのか蒼姫。
「参る!」
肥満体とは思えない走行を見せる。が、しかし。俺からしたら遅すぎた。背中の腕で包丁を弾き飛ばし、がら空きのお腹に掌を押し当てた。転移巣を発動するまでもなく、彼は吹き飛んでいった。
「ぐぬあああ……ぁぁぁーっ!?」
天に召されてしまった三人は、重量オーバーで落下してしまった。かわいそうに、誰も助けようとしないなんて、パーティーメンバーとしてどうなんだ。残りは蒼姫含めた三人だ。
面倒なので二人は早々に拘束して、蒼姫とやらに直接問いただすことにした。近寄ってみても身動きひとつしない。
「言い分はあ…え、たおれ…ん?」
直立不動の蒼姫の肩を押すと、なんの抵抗もなく倒れた。ガシャンと倒れ伏したそれは人ではなく骨で出来た人形だった。
「ねぇ、これ……」
「ひ、姫に触れるな!」
「それは……あれだ、あれ、そう、あれなんだ!」
必死に言い訳を述べようとしているが、これはどう考えてもあれだ。人形を姫に見立ててもてはやしている。もちろん、姫から反応はない、人形だから。
それでも彼らにとってはそれでいいのかもしれない。人の想像力は偉大だ。彼らには自分達に都合のいい返事が返ってきているのだ。動きもない、言葉もない、感情もない。それでも彼らは自身の妄想でその全てを補っている。
「一応、戦利品としてもらっとくね」
「鬼か貴様!」
「我らの傑作をよくも!渡さぬぞ!」
「こんなもの持ってたって仕方ないだろ。ここはゲームだろ。ゴーレムでもなんでも魔物を使役するなりして理想の彼女でもつくれよ」
「「あっ……」」
「そういうことだから、今度からは順番抜かすなよ」
唖然とした彼らを屠って漸くボスエリアに到着した。こっからは俺たちの番だ。8回くらい。




