第八十七幕 星見の宴(3)
突然現れたシルヴェスターにコーデリアは目を見張った。
会場に行かなければいけないだろう人物はこんなところで油を売っていていいわけがない。付き人も近くには見当たらず、一体どうして一人でこの場所に来たのかと、コーデリアは驚きのあまり礼をとることも忘れてしまった。
しかしシルヴェスターは息を整えることもしないまま、コーデリアのそばに近づいてくる。
その様子を見ながら、ようやくコーデリアは挨拶せねばならないのだと思い至り、慌てて礼を取って言葉を紡ごうとした。
だが、その前にシルヴェスターの歩調は速くなり、つには走り出し……コーデリアの身体に衝撃が走った。
それが抱きすくめられているからだと理解したのは、耳元に落ちてきた声を聞いてからだ。
「よかった」
「え?」
いや、この状況はよくない。
シルヴェスターの行動がコーデリアには全く理解できず、ただただ瞬きを繰り返した。混乱で身体が硬直してしまい、まるで木になったような感覚さえ感じてしまった。
しかしその時間は決して長くはなく、シルヴェスターは弾かれたように急にコーデリアから腕を離し一歩下がった。
「急に、失礼しました」
「い、いえ……」
驚いたが、シルヴェスターにそれを伝えるのも躊躇われ、コーデリアは言葉を濁した。そしてシルヴェスター自身も謝罪は口にしているものの、申し訳なさそうというよりは、安心しているように見える。そうなるとコーデリアも申し訳なさを感じてしまう。
「あの……騒ぎをお聞きになられたのでしょうか?」
なんとも言い難い思いを抱きながら、コーデリアはおずおずと切り出した。
もちろん今の言葉でそれは理解しているのだが、ほかに何も話題がない。可能であれば挨拶が待っているのだから早く戻るようにも言いたいが、ここまで心配してきてくれた相手に言うのも気が引ける。だが、避け続けてきた相手にここまで心配されるのも非常に不思議な気持ちである。
シルヴェスターは緩やかな表情のまま頷いた。
「確かに報告もあったのですが、妙な魔力反応を感じました。申し訳ございません、危険な目に遭わせることになったこと、心より謝罪いたします」
「いえ、殿下にそのようにおっしゃっていただくことなどなにひとつございません」
今回のことだって、何かことが起こった際には即座に反応できる要員が会場には配置されていた。コーデリアは間に合わないと感じたが、本来あれも間に合うものだったのかもしれない。それにそもそも狙える機会が少ない王族や重要人物ならまだしも、場内よりその他の場面のほうが狙いやすい一般招待客に正面から害をなそうとするなど考えにくく、今日の警戒自体は妥当だったとコーデリアは思っている。
その返答でシルヴェスターは困ったように笑っていた。
その表情からコーデリアは主催者としての責任を感じていたことと、それが顔見知りの相手だったから、というのが彼をここに導いたのかもしれないと感じたが、ただ、そうだとするといきなり抱き付かれたのはいささか度が過ぎると思うのだが――。
(って、あれ?)
シルヴェスターに対し、今も特に好感はない。
好感はないが、『コーデリア』と決別し、シェリーもシルヴェスターとは関係がない存在になるだろうことを考えれば、コーデリアがシルヴェスターを不吉だと避けていた理由もなくなったのではないかと、ふと思い至った。
(ううん、でも、だからと言ってなんだっていうことはないのだけれど――、うん、今まで通りでも問題ないわよ……ね?)
避ける必要もないかもしれないが、特に近づく必要もないはずだ。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、それよりも……殿下は本日、ご挨拶をなさるご予定もあるのでは……」
「まだ、大丈夫です。でも、それを放り投げてここに留まったら、貴女には怒られてしまいそうですね」
そしてシルヴェスターは自分の羽織っていたマントを外し、コーデリアを包んだ。
「風が少し冷たくなっています。お帰りの際はお気を付けください」
「で、殿下、これでは汚してしまいます……!」
まだドレスが乾ききっていないことはコーデリアにもわかっている。
もう汚れが移ってしまっているかもしれないが、それでも慌てて外そうとすると、力強く押さえられた。
「大丈夫です。貴女がもしも風邪をひいてしまえば、そちらのほうが大変です」
「しかし、せっかくの装いが……今からご挨拶なさるのでしたら、なおのことです」
「ご迷惑ですか?」
「い、いえ」
「ならば、気になさらないでください」
それはできないのだが、シルヴェスターがひかないだろうことは予想できた。承諾したくはなくとも、今返そうとしたところで受け取ってくれる雰囲気ではない。
「もし気にされるようでしたら、それをお返しいただく際にお菓子をつけてください」
「え?」
「ヴェルノーに自慢されていますから。貴女の家の菓子は絶品だと」
「……かしこまりました」
最大の譲歩がそれというならコーデリアもそれに従うほかはない。むしろ菓子でいいものかと悩むくらいだが、これ以上問答すればシルヴェスターの挨拶が遅れることになりかねない。
「返していただくのは急ぎません。落ち着かれたときにでも、ゆっくりと」
「はい、ありがとうございます」
「でも、本当に腕輪が守ってくれてよかった」
その言葉でコーデリアは【目を見開いた】が、すでにシルヴェスターはコーデリアに背を向けていた。
そして間をおかず「殿下!」と、聞き慣れたヴェルノーの声が聞こえた。
「クライヴが血相を変えて探してましたよ」
「すぐ戻るって言ったのにな」
「心配性なのは知ってるでしょう。早く戻ってください」
そのような会話を聞き流しながら、コーデリアは自らの左手の中に収めた腕輪を見た。
シェリーの暴走を聞いたとしても、あの場で砕けた話をシルヴェスターは聞いたのだろうか? そのようなことまで第一報で報告されることなのだろうか?
(いえ、聞いているかもしれないけど……)
だが、ひっかかる。
コーデリアさえ知らなかった、何らかの防御の魔術が込められた腕輪――その正体を知っていたとすれば、それは――。
(まさか、ね)
コーデリアは自分の頬が引きつるような気がしたが、それこそ気のせいだと思うことにした。しかし気のせいだと思いたいのに、一度ひっかかるとよくある『ジル』という呼び名も『シルヴェスター』という名前に近い気がして仕方がない。
(でもヴェルノー様のジル様に対する態度と殿下に対する態度は違う)
しかしジルがシルヴェスターであったのなら、名がすぐに明かせなかった理由もわからなくはない。殿下のお忍びタイムを軽々しく口外することができなかった――そう説明できてしまう。
(考えすぎなの? でも)
コーデリアが戸惑っているうちにシルヴェスターと話を終えたらしいヴェルノーがそのままコーデリアのほうに近づいた。
「ディリィ、馬車の用意ができたそうだぞ」
「え、ええ」
「だいぶ派手にやらかしたな」
そう言いながら渡されたハンカチを受け取り、コーデリアは髪に当てた。すでに滴るほどではなくなっているが、やはり色は移ってしまった。この分だとマントにもやはり色が移ってしまっているだろう。
「私がやらかしたわけではございませんわ」
「あらかた話は聞いた。何もなくて何よりだが、それはどうするんだ?」
それ、というのはシルヴェスターから借りたマントのことだろう。
「……汚れを落としてきちんと返します」
「いや、そうじゃなくて。どのタイミングで返しに来るんだ?」
「折を見て、考えますわ。今日はもうあまり何も考えたくありませんから」
疲れたとばかりに言って見せれば、ヴェルノーも「そうか」と言っただけでそれ以上追及することはなかった。
(……ヴェルノー様に聞けばはっきりするかもしれない。でも、もしもジル様が殿下ならヴェルノー様は協力していたのだから仰るわけがないわ。そして私の勘違いなら……絶対にからかわれるわ)
どちらにしても答えに繋がるわけでもないのに、やはり不用意に尋ねるのは下策だろう。
「どうしたんだ?」
「なんでもございませんわ」
「そのわりに不機嫌そうな気もするが……まあ、今日の状態で機嫌がいいほうがおかしいか」
理由は全然違うのだが、コーデリアもその勘違いをただすこともしなかった。説明するほうがややこしいことになるのは明らかだ。
「今日はもう帰ったらゆっくりいたしますわ。明日も予定がいっぱいですから」
解決したことと、新たな疑問。
いろいろと浮かぶことはあったが、それでも一番最初に片づけなければいけないのは、このマントの返却だ。だが、それも明日考えることにしようとコーデリアは溜息をついた。
(仮にジル様が殿下だったら、どういう顔をして話せばいいのかわからないわ)
失礼なことをしていなかっただろうかと振り返るが、そもそも出会い頭に次期国王に説教をしていたのかと思えば頭が痛い。願わくば思い過ごしであって欲しいが――それなら、ジルは誰だというのだろう?
(帰って寝よう。とにかく寝て、一回頭をすっきりさせよう)
しかし帰宅したコーデリアの装いがとんでもないことになっていたことや、羽織っているマントの持ち主がシルヴェスターであったことや、さらには騒ぎの一部始終を聞いて激怒するエルヴィスをなだめるため、結局眠ることができたのは空が白み始めたころだった――。
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既刊と合わせまして、ご興味を持ってくださったかたはよろしくお願いいたします ( *・ω・)*_ _))ペコリ




