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第八十五幕 星見の宴(1)

 星見の宴の当日。

 ドレスアップしたコーデリアは姿見を見て少し戸惑っていた。

 ゲームの中の『コーデリア』は強気で高飛車で意地が悪かったが、外見は華やかで可憐というイメージのほうが先行していたはずである。


 しかし、今見る自分の姿はなぜか見るからに強そうだと思ってしまう。


「……周囲に高圧的に見られないかしら」


 思わず言葉を零しながら、コーデリアは頬をひくつかせた。

 いままで自分を鏡で見て、ここまで強そうだと思ったことはコーデリアにはなかった。

 赤か、赤が原因なのかと考えるも、『コーデリア』も赤であったのだから色味が原因だとも思えない。そうなれば、コーデリア自身の性格が外見にも反映されてしまっているのだろうか? だが、内面は『コーデリア』よりは穏やかであると思っていた――いや、そもそも考えるまでもなくそうだと思っていたのだが、これは少しショックを受ける事柄である。


「もう少し肩の力を抜いてくださいませ。今日のお嬢様は緊張なさい過ぎていますよ」

「え、ええ……」


 エミーナが苦笑してしまうほど、コーデリアは表情を固めてしまっているらしい。

 だが肩の力を抜こうとしても抜くことはできず緊張がほぐれることはなかったが、コーデリアは改めて意識的に笑みを浮かべてみた。すると、先ほどコーデリアが感じた威圧的な雰囲気は薄れたように感じた。


 化粧はいつも通り控えめではあるが、今日はドレスに負けないよう、いつもよりはっきりした色目の紅を使っている。髪飾りにはジルから贈られた薔薇の髪飾りを使っている。それは赤いドレスであってもよく映えた。

 最後に、薔薇の香りを身に纏い、戦闘準備は完了だ。


「さて、参りますか」


 鏡の中の自分に向かってコーデリアは声をかけた。



 **


 そろそろコーデリアも慣れるくらいには登城しているが、夜会の会場へ向かうのは初めてだ。人々のやり取りも多く行き交う中、コーデリアは会場への入り口でいったん足を止めた。


「イシュマお兄様?」

「ああ、コーデリア」


 夜会への参加ではなく仕事のためにここにいるのだろう、騎士服姿のイシュマにコーデリアは近づいた。


「今日はいつもより気合いが入った格好だね」

「やっぱり、強過ぎるように見えますか?」

「いや、そんな風には見えていないよ。でも……やっぱり家以外でも会うとなると、大きくなったなぁ、と、思うな」


 先日一緒に成人を祝ってくれたはずの兄の言葉に、コーデリアは苦笑した。


「お兄様。それはお父様が言うようなセリフですわ」

「なかなか可愛らしい妹を持つと心配だからね」

「まあ、お褒めに預かり光栄ですわ」


 しかしそこで互いに笑ってから、イシュマは声を落とした。


「父上とクライドレイヌ伯爵の仲が、最近危険なほどよろしくない。あちらから敵視されても父上は気にしていなかったが、最近ははっきり悪い感情を抱いておられる」

「……それは、やはり私が関係していますよね」

「心当たりは充分、といったところだね。困ったことがあれば、父上に相談しなさい。もちろん私でもいいけどね。ただ、私も仕事だから、今日もあまり近くにいられない」

「ありがとうございます、お兄様。でも、大丈夫ですよ。私、今までも困ったことがあればすぐにご相談させていただいてきておりますから」

「そうか。ならば、安心だ」


 冗談だととったのか、それとも本気で受け入れたのか、イシュマの表情はコーデリアにはわからなかった。だがその言葉を切にして持ち場へ向かうイシュマの背に一礼し、コーデリアはゆっくりと息を吸いこみ、一歩を踏み出した。


 広々としたホールではシャンデリアに暖かな光が灯り、大理石の床を照らしている。静かでゆるりとした音楽が流れているのは、まだ今が正式な開会前だからだろう。しかし既に多くの若い男女が集まり、話に花を咲かせている。若年層のための会だからだろうか、女性のドレスもいつもより鮮やかな色合いが多く、華やかさはいつもにも増している。


 コーデリアはざっと視線を走らせたが、まだシェリーは来ていないようだった。

 これなら注意さえしておけば、不意打ちを食らうことはないだろう。まずはひとつ、ほっとした。

 夜会のスケジュールは王族の開会宣言――つまりはシルヴェスターの挨拶があった後、楽団がダンスのための音楽を響かせる。その後は基本的にはあまり他の夜会と変わらないと聞いているが、夜空の鑑賞を助ける学者が待機していたり、星座版の貸出しがあったりするらしい。そのことを初めて聞いた時にはジルが喜びそうな催しだなと思ってしまった。


(もしかしたら変化を施されていないジル様もどこかの夜会にいらっしゃるかとも思っていたけど……それらしい方はまだ見ていないのよね)


 ジルの様子であれば元の姿でもヴェルノーと共に行動することもあるだろうが、それらしき青年は見ていない。

 今日もいないのかもしれないが、それなら次に会った時のために土産話でもできればいいかもしれないが、果たしてそれも叶うのだろうか。残念ながら身に付けている腕輪の礼も、未だ告げることができていない。

 そんな風に考えながらも、コーデリアは少し壁際へと足を進めた。

 コーデリアが歩みを進めると、通り道にいた令嬢たちがコーデリアのほうに視線を向けているのが感じられる。そして騒めきの間からは香りでコーデリアを判別しているような声やうずうずとした雰囲気は感じるものの、すぐに話かけてこないのは開会の挨拶の前だからだろうか。盛り上がる前、もしくは盛り上がっている最中に会話が途中で途切れてしまうことを嫌っているようにも感じられた。


 なんだか一人だけいるというのも珍しい気分だと思いながら、コーデリアはホールの中をゆっくりと見渡した。すると、その中で一人固まっている人物を見つけて首を傾げた。


(クライヴ様?)


 そう、声は出さずに口だけ動かしてみると、相手も目を瞬かせて、やや広い歩幅で近づいてきた。


「……コーデリア嬢?」

「え? はい、コーデリアでございます。お久しぶりでございます、クライヴ様」


 なぜ疑問形で話かけられたのかと思いながら、コーデリアは一礼した。

 クライヴとはマイルズのところで遠目で姿をみたものの、シェリーのおかげでまともに話す時間はなかった。しかし今のクライヴの挙動は、まるでまだ見ぬ相手と待ち合わせをしているような、そんな用心深い確認があるように感じられた。


「……どうかなさいましたか?」


 もちろんそれは気のせいかもしれないが、どうもこうも反応には困ってしまう。

 しかしそんなコーデリアに対しクライヴは一つ咳払いをすると、特に何の表情を浮かべるでもなく、口を開いた。


「失礼しました。殿下から言伝を預かってきています。あとで少しお話をなさいたいとのことです」

「殿下が私と……ですか?」

「ほかの人間が相手なら、私が貴女に伝える必要などないでしょう」


 確かにクライヴの言う通りではあるのだが、コーデリアにはそれが理解できない。


「殿下でしたら、あらかじめ仰っていただかなくてもお話させていただけると思いますが……。おそらく、誰も遮りませんわ」


 そう、シルヴェスターが話しかけたい理由も知るわけがないのだが、それ以上に先に断りを入れておかなければならない理由はもっとわからない。コーデリアとしては話などないし、関わりたいとも思わないのだが、王族で主催者が自由に話しかけてはいけない相手など、この場には存在しない。しかしコーデリアの言葉に、クライヴは溜息をついていた。


「だからこそ、でしょう。会話の中断で貴女が気を悪くするのではないかと配慮されているのかと」

「私、そこまで心は狭くありませんわ」

「そのことを殿下がご存知であるわけがないでしょう」


 自分はあくまで伝言で来たという雰囲気のクライヴに、今度はコーデリアが目を丸くした。


「何を驚いているのですか」

「クライヴ様からそのようなお言葉がお聞きできるとは思っていませんでしたわ。クライヴ様は、私が人並みには心にゆとりがあると御承知くださっているのですね」


 コーデリアの言葉にクライヴは露骨に顔をゆがめたが、それでも否定はしなかった。


「くだらないことを言うのはやめていただきたい」

「あら、それなりには大事なことですよ」

「相変わらず、そのようなところは残念なほどヴェルノー殿にそっくりですね」


 その言葉からはクライヴこそ変わらずヴェルノーと意見が合わないことを表していた。


「仲がよろしくていらっしゃるのですね」

「戯言に付き合うほど私も暇ではありません。失礼いたしますよ」

「あら、申し訳ございませ――」


 そのコーデリアの謝罪は、中途半端なところで途切れた。それは視界の端でシェリーの姿を認めたからだ。不自然に言葉を止めたコーデリアの視線をクライヴも追った。


「……クライドレイヌ伯爵令嬢ですか。貴女は近づかないほうがいいでしょうね」

「ええ、私もそう思います。でも……彼女、少し様子がおかしくありませんか?」


 会場に姿を現したシェリーと、コーデリアは一度目が合った。

 しかしシェリーはそこで強気な笑みを見せると、準備を行っている給仕の所に向かっていき、そして相手に言葉を投げかけ始めた。何の話をしているのか、あるいは何かを尋ねているのかもしれないが、給仕はしきりに困惑している様子であった。


「行くのですか?」

「はい」

「貴女が首を突っ込むことではないでしょう。しかも相手は彼女ですよ」

「ですが、クレームの対応についてはいろいろ準備させていただいておりますので、お役に立てるかもしれませんわ。それに殿下がいらっしゃる前に収めているほうがいいでしょう」


 コーデリアの問いに、クライヴは溜息をついた。

 知っている、と、いわんばかりの様子だが、納得しているとは言い難い。

 だが反論されなかったのはコーデリアにとって幸いだった。


「では、クライヴ様。また後程」


 そしてコーデリアはクライヴに背を向けた。


(シェリーはこちらを認識したうえで、何かを企んでいる。誘いに乗りたくはないけれど、使用人を困らせているのだもの。放っておくこともできないわ)


 それに、今までのパターンから考えても人前で受ける攻撃は些細なものだ。転倒に巻き込まれるか、失礼な言動を平気で行うか、前回のようにドレスをわざと勢いよく踏みつけられるか……すぐに思い浮かぶのはそれくらいだが、『コーデリア』ならともかくコーデリアにとっては逆上するほどではないので冷静に対処することはできるだろう。


 近づいて、もうすぐ声をかけてもよいと思われる範囲に入った時、コーデリアの視線はシェリーの青い瞳とぶつかった。挑発的な笑みを浮かべたシェリーはやはり何かをしでかす気だと感じ、コーデリアは気持ちを強く持ち直したが、けれど予想してないことがそこで起こった。


 まさか複数のグラスが飛んでくるなど、誰が予想できただろうか。

 それがシェリーのしでかしたことだとコーデリアが気づいたのは、自分にかかった冷たい液体が肌を滑り落ちたときだった。



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