第八十四幕 出陣の準備
できるだけ早く赤のドレスを仕立てたいと希望したコーデリアに、エミーナは少し驚いていた。
「お嬢さまが赤のドレスを御希望なさるのは、初めてですね」
「ええ」
「ですが、きっとお似合いになられますね」
おそらく急にドレスを仕立てたいということ自体にも驚いているのだろうなとコーデリアは思いつつ、苦笑した。似合うと言われているのに気持ちが浮かないというのは複雑な心境だ。
濃い赤色は強くはっきりとした印象を与えるし、勝負ごとには適した色でもある。そして、エミーナの言う通り間違いなく似合う色でもあるはずだ。なにせ、『コーデリア』が自分に似合うことをよく知っていた色なのだから。
(それでも避けていたのは、死に装束でもあるからなのよね)
だからこそ抵抗があるし、そもそも『コーデリア』と同じようになることを望んでいない。だからこそ、
(それでも、シェリーが『赤いドレスのコーデリア』で納得するのなら……こちらもその姿で違いをはっきりさせたい)
正直に言うと、やはりまだ気は進まない。
だが、やはり赤い衣装以上にその場に相応しい装いは思いつかない。
(それに『コーデリア』との決別の意味でも、一度袖は通した方がいいとも思うのも確かだわ)
せっかく正面から向かうと決めたのだ。
ここで自分に妥協するのは戦う前から負けているような気がしてならなかった。
「けれど、今からだと少し時間もかかるかしら」
「通常ですと、そうですね。けれど、実はいつも仕立ててくださっていますリンジー様が、コーデリア様にぜひ着ていただきたいと暇さえあればお嬢様のサイズに合わせた赤のドレスを作られていたので、調整や仕上げで整うかと」
「え? 私、一度もお金を払った記憶がないのだけれど」
確かに何度か進められた記憶はあるが、その度にコーデリアは別の色を選んでいた。だから想像すらしていなかった言葉には驚きしか浮かばない。そんなコーデリアにエミーナは淡々と続けた。
「あの方は自分の理想とする衣装を一番映える方に着用してもらう姿を予想することが趣味ですので、いつか着用していただこうと発注がなくても勝手に作られています。ご購入されると、大喜びなさります」
「そ、そうなのね……」
「ただ、コーデリア様がそのドレスにご納得なさっても、ご試着いただいた瞬間から新たなインスピレーションが沸いたなどと仰って少し調整が出ることになると思いますが……それでも、今からですと、星見の宴にも間に合いますね」
「それは、とても助かるわ。ありがとう」
コーデリアにはシェリーが参加する夜会を知る方法はない。
だが、調べなくても必ずシェリーが参加するだろう会がひとつだけわかっている。それが星見の宴だ。
星見の宴は年若い青年や令嬢が集まる王家主催の夜会で、コーデリアのもとにも招待状は届いている。今年の主催者は成人したばかりのシルヴェスターとのことだが、さすがに王都にいる以上、こればかりは理由なく辞退することは憚られ、最初は憂鬱な気分でもあった。
だが、シェリーに正面から向き合うのであればこの期に乗じない手はない。
(殿下のためといいつつ、王家主催の公式の場で『夢』の再現のために率先して不作法を起こすようなら……いよいよ彼女は夢に憑りつかれているのでしょうね。おいたをした子は諭してあげないと、かな)
実際にシェリーが行っているのはコーデリアを主とした一部に対する癇癪じみた振る舞いだけだ。『コーデリア』と似たように思うことも多いが、まだ『コーデリア』のように命を落とすかもしれないような過激な行動には出ていない。
(……でも、そう考えれば彼女も暴走して命を落とす可能性もあるのかもしれない)
そう考えれば、やはりコーデリアはシェリーにまっすぐ向き合わないといけないと感じてしまった。
コーデリアはシェリーに対して面倒で縁起が悪いと思っている。けれど、命を落としてほしいなんて微塵も思っていない。苦手であるし、近寄りたくもないが、ただ一つ――シルヴェスターの地位に固執した『コーデリア』と違って、初めはシルヴェスター本人の役に立ちたいと言っていた。途中で暴走してしまったようだが、もしも彼女がその力の使い方を間違えなければ、本当に彼の支えになったのかもしれない。
(力を持っているせいで、きちんと諭す者が側にいなかったから、かな。もともと彼女も話を聞く方でないことは、私も充分知ってはいるけど……)
それでもきちんとシェリーを諭す者が側にいれば、こうはならなかったのかもしれない。コーデリアはいつもシェリーと話をした時の印象を幼いと思っていた。
エミーナの前から退出して、一人廊下を歩きながらコーデリアはぽつりとつぶやいた。
「シェリーさんは夢と、私は『コーデリア』と決別できるようなお話になればいいのだけれど」
だが、部屋の側まで戻ってから、コーデリアは踵を返してロニーを訪ねることにした。
シェリーと正面から向き合う前に、一つ確認しておきたいことがある。
自室で夕食前にくつろいでいただろうロニーは、コーデリアの顔を見て目を瞬かせ、それから眉を寄せた。
「どうしたんですか? 深刻そうなお顔ですけど」
「ねえ、ロニー。ひとつ教えてほしいのだけど……私の使う魔術の中で、過剰行使の結果、命を落とす――なんてものは、ないわよね?」
コーデリアには『コーデリア』がどのような魔術を行使しようとしていたのかいまだはっきりとわからないが、いずれにせよ騒ぎを起こすつもりはないのだから、同じ魔術を使うこともないはずだ。だが、念のために確認しておきたかった。
「……俺の知る限り、お嬢様が使うものでそこまでなるものはありませんよ。ただ、実体験もお済でしょうがオーバーワークになれば倒れる可能性はありますけどね」
「そう。よかったわ」
「まったく。何を考えているのかしりませんけど、なにか危ないことをしようとしてませんよね?」
「もちろんそのつもりよ。私も平和が好きだから、危ないことはしたくないわ」
だからこその確認だ。
コーデリアはそう思うが、ロニーにはあまり伝わらなかったらしい。
「念のために言っておきますけど、もしも呪いとか見つけても自分で解こうとしないでくださいよ。絶対に。お嬢様だと一人じゃ呪いに喰われるだけですから」
「さすがに解呪が必要な場面には、なかなか出会うことなんてないんじゃないかしら」
過去にララの件があったからの忠告だろうが、さすがに今回はその必要性が生まれるとはコーデリアも思わなかった。ならば、今のコーデリアが自身を殺めるほどの魔術を行使することはない。それだけがシェリーと対峙する上での唯一の安心点になるだろう。
(でも、ララのあれもドゥラウズの魔術だったっけ)
そこから一瞬幽霊のことも連想してしまったが、余計なことが起きないようにと、コーデリアは切に願った。




