第八十三幕 対峙の決意
翌日、午後から店に顔を出したコーデリアは目が合ったケイリーの表情で、昨日の結果を大体悟った。隠れていた目が、今日はドレスでなくともしっかりと見えるようになっている。ケイリーの仕事が続いていたのでなかなか話しかけることはできなかったが、店の片づけを終えたころ、ようやく二人で話す時間がとれた。
「コーデリア様、あの……ありがとうございました」
「いえいえ。誤解が解けたようでしたら何よりです」
それ以上の言葉は不要だったのか、ケイリーはほっと笑った。
「ケイリー様、昨日の香りはお気に召しまして?」
「あ、はい! その、お返ししようと……」
「もとよりお渡ししようと思っていたものですので、かまいませんわ。実は、こちらがその香りと同じブレンドのものなのです。もしよろしければ、お持ちくださいませ。いつものお礼です」
「え、でも……」
「お祝いです」
そして押し付けるように渡せば、ケイリーも微笑んだ。
「ありがとうございます」
「お気になさらず。デートの際には気にせずお休みなさってくださいね」
「え……そ、その……」
真っ赤になるケイリーに、コーデリアも微笑み返した。
「それより、昨日の今日でお疲れでしょう。お送りさせていただきますよ」
「あの、その。今日は大丈夫です。母と、待ち合わせがありますので」
「待ち合わせですか? それなら、なお急がなければいけませんね」
実際にケイリーも急いではいたのだろう。
慌てて片づけた後はそくささと部屋を後にした。
だが、コーデリアも帰ろうかと思ったときに小さなポーチが置きっぱなしになっていることに気が付いた。
「あら……お忘れ物かしら?」
いつもこれだけを持ってきているのに、よほど慌てていたのだろうか。
明日でも困らないものかもしれないが、道中で落としたと思えば慌てるかもしれない。
「まだ遠くはいってらっしゃらないわよね」
すぐに追えば間に合うかもしれない。
そう思ったコーデリアは店で片づけをしていた女性にケイリーが向かった方向を聞き、そちらへ向かった。
だが、通りは広く視界がいいにも関わらず、ケイリーの姿は見当たらない。
小さく姿くらいは見えるはずなのにと思っていたため、逆に来てしまったのかと思ったほどだ。だが見落としているだけかもしれない、もしくはケイリーの歩く速さが思いのほか早かったのかもしれないと、そのまま周囲を見ながら歩いていると、突然聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「ねえ、私の言っていること、間違っている?」
それは、シェリーの声だった。
この通りにシェリーがいること自体はおかしくないし、声も大きいわけではなかった。
けれどコーデリアにとって聞き逃すことができない声であるし、シェリーの声でなくとも苛立った高圧的な声はこの場所には似合わない。
そっとコーデリアが小道をのぞき込めば、そこにはシェリーと、ケイリーの姿があった。
二人ともコーデリアから見れば横顔で、シェリーは睨みつけているし、ケイリーはやや下を向いている。コーデリアはそのままそっとそのやりとりを見守った。
ヘーゼルから二人の関係性を聞いてはいたが、実際に二人が揃う姿を見るのは初めてだ。そして、少なくとも今のケイリーの様子を見る限り好意的な関係でないのは明らかだ。
「貴女、あの女がどの夜会に出るなんて知らないって言ってたじゃない。なのに、昨日貴女とあの女が同じ夜会にいたって聞いたんだけど、どういうことなの」
「……」
「何か掴んでいたら教えてって言ってるのに知らないの一点張りだし。本当はいろいろ知っているんでしょ?」
言葉を重ねるごとに余計に苛立ちが募っているのか、シェリーの形相はヒロインらしさの欠片も見当たらない。
(そして、以前からケイリー様はシェリーに詰め寄られていたということ……?)
シェリーの性格であれば、かなりきつく言っていたことだろう。
だがケイリーはそのうえで知らぬ存ぜぬを貫いていたということだ。事実、いまの状態も一方的にシェリーが問い詰めている。
その時、ケイリーが顔を上げた。
正面から二人で顔を合わせたのは初めてだったのだろうか、その動作だけでシェリーが少し驚いたようだった。
「失礼ですが……私は、シェリー様のお言葉が正しいように感じられません」
その反論に、シェリーは一瞬言葉を失ったが、すぐに強く言い返した。
「どうしてそんなことを言うのよ!? あの女のせいで殿下がお心を痛めたり、皆に迷惑が掛かったりすることになるのよ!? 親の立場にものを言わせるあの女が!!」
『コーデリア』に憤るシェリーは、コーデリアにとってはもはやヒロインが気に食わなくてしかたがない様子であった『コーデリア』のようだった。明らかに関わりたくないと思わざるを得ない様子は、夜会でほかの令嬢に見せた様子とも違っている。
(憎まれているというのが、一番近そうだわ)
しかし、ケイリーに対する言葉はあくまでコーデリアに対する怒りと八つ当たりで、ケイリーが面倒なことに巻き込まれる必要はない。本人が話をするのを苦手としているなら、口ごもってその場をやり過ごしてもらうのが一番だ。無理に対峙する必要がないのだから、言い返してもらうより、ケイリーには一番迷惑がかからない選択肢を選んで欲しい。
だがコーデリアの想いとは対照的にケイリーは言葉を続けた。
「……コーデリア様は御存じありませんでしたが、私はずっとコーデリア様に憧れてきました。だから、たとえ自分の利益にならないことでもなさってくださることを知っています」
「貴女の見識なんて聞いてないわ。貴女だってクライドレイヌ家からの支援のこと、わかっているのでしょう?」
「それはすぐにクライドレイヌ伯爵家から融資いただいたものを前倒しでお返しせよ、とのことでしょうか……?」
「ほかにどうとれるの?」
自分が先ほど言った『コーデリア』と同じ振る舞いであることにシェリーは気付いていないようだった。ケイリーは静かにシェリーを見つめ、やがて頷いた。
「わかりました」
「じゃあ」
「私一人で判断できることではございません。ですが――人を陥れてお金をお借りすることを、領民は許してくれるのか――両親にも、相談させていただきます。お返しするにしても、すでに使用している分に関して手配が必要ですが、当初の契約とは関係ない一方的な変更ですので、その辺りはお待ちいただけたらと思います」
「それ……私のことを結局信じていないということ?」
その鋭くなったシェリーの声を聞き、コーデリアは足を進めた。
状況は充分把握した。これ以上はケイリーだけに任せておけない。
「そこまでになさってくださいな、シェリー様」
「あ、貴女……!!」
「ケイリー様、お忘れ物をお届けに参りました」
シェリーに動じないコーデリアがにこりと微笑みかけても、ケイリーは戸惑っていた。
だが、すでにシェリーの視線はコーデリアに移っており、もはやケイリーのほうは見ていない。コーデリアは押し付けるようにケイリーにポーチを渡すと、まっすぐにシェリーを見た。
「私にご用事があるのでしたら、直接どうぞ。交渉はカードも大切ですが、貴女のそれは脅しに見えるので、私は好みではありませんね」
「わ……私は間違っていないわ!! そもそも……貴女が本性を隠しているのが原因じゃない! 貴女だけ、夢の通りに、全然ならない……!!」
顔を真っ赤にするシェリーはコーデリアを睨みつけたが、コーデリアは軽く受け流す。
「貴女の考えはわかりかねますが、私の参加する夜会がどうこうなど、お門違いのことでケイリー様を責めるのはおやめくださいませ」
さすがにここまでケイリーが言ってくれた中、コーデリアもいつも通り無言で去るということはできはしない。聖女との噂がある少女だと思えない様子に、コーデリアも表情を険しくした。
「シェリーさん。貴女は以前、殿下が恩人で、そのご恩をお返したいとおっしゃっていましたね。私を目の敵になさるのはご自由ですが、殿下のお役に立ちたいのであれば、あくまでご自身で殿下のために動かれてはいかがですか?」
「だからやってるのよ……! でも、夢には真っ赤なドレスを着た貴女がいつもでてきて殿下に取り入ろうとしているのよ! 心当たり、あるでしょう……!!」
「私、生まれてこの方赤色のドレスは着用したことがございませんよ」
コーデリアの返答で、シェリーは眉間の皺を濃くした。
「……覚えてなさい、今にその正体、皆の前で暴いてやるんだから!!」
そして踵を返して大通りに戻って行く。
(今は人前ではないから、無意味だっていうことかしら)
だが、それはコーデリアにだって同じことだ。
シェリーが納得するなど思えないし、平行線を辿るのであれば去ってくれたのはありがたい。すっきりとはしないが、ケイリーのことも考えればまずまず良い結果だろう。
コーデリアはケイリーの方を見ると、ケイリーは表情を固めていた。
「こ、怖かった……です……」
どちらかといえば今だからこそ怖さがあふれてきたという様子のケイリーにコーデリアは緩やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。ずっと、私を庇ってくださっていたのですね」
「いえ、そんな……ただ、知らない振りをしただけです」
それこそまさに庇ってくれているということなのだが、ケイリーは真っ赤にした顔を伏せた。
「クライドレイヌ伯爵も娘の言葉のみで契約破棄を行うとは思いませんが、何かがあった際は私もお手伝いさせていただきますわ。私が原因ですし」
「いえ、そんな……コーデリア様のせいではございません」
「ケイリー様が仰っても、実際のところはそうですし、それがなくともお友達が困っているのを、放っておくことはできませんから」
クライドレイヌ伯爵家にできる融資であれば、パメラディア伯爵家でもおそらく可能だ。伯爵家の財産はコーデリアが自由に動かせる金ではないので、何らかの条件は必要になるかもしれないが、庶民が困るという話であればエルヴィスも前向きに検討してくれる可能性が高い。
コーデリアの言葉に、ケイリーは恥ずかしそうに笑った。
「実は……ハック伯爵家からも復興のお手伝いのお話をいただいている、ようなのです」
「あら、クリフトン様が?」
「はい。……その、実は……お恥ずかしいことに、クリフトン様は……なんといいますか……私の返事だけが必要な状態に、なさっていました。外堀は完璧で、その……復興支援もいろいろと考えてくださっており、家族も知っていて……」
「それは策士……と言いたいところですが、肝心の本人にだけ勘違いさせていたのは重大な過失ですね」
いや、一生懸命だったのに空回っていたというのだろうか。しかしこれからその分の幸運が巡ってくるようにと心の中で祈っていると、ケイリーは慌てていた。
「そ、そのようなことはございません……!! その、私があまりに鈍いからだと、家族は申しておりました……」
「あらあら、仲がよろしいことで」
これならコーデリアは自身の祈りなど不要だなと思ってしまった。
その後、コーデリアはケイリーを送ってから自身も帰路についた。
馬車の中で、コーデリアは一人考えていた。昨日と今日のケイリーのことは嬉しい話だ。
だが、シェリーのことを少し甘く考えすぎていたとコーデリアは反省した。
(用心は必要だけど、関わらないでいれば済むと思っていた)
シェリーは夢を信じ、それを利用してコーデリアに近づいてくると思っていた。だが、自身の立場を利用し、人の弱みに付け入るようなことがあるのなら時が過ぎるのを待っているだけではいられない。
「逃げてばかりではいけない、ということね」
これ以上の引き延ばしは、他にも影響を及ぼしてしまう可能性が高い。
「『赤のドレスを着た』私、ね。それなら、それで勝負させていただきましょうか」
そう呟いたコーデリアは、帰宅後、仕立て屋の手配を早速エミーナに願い出た。
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