第八十二幕 想いと言葉と友人たちの縁結び
誘われた夜会の日、最初はコーデリアとケイリーを迎えに行くといっていたヘーゼルから先に行っていて欲しいという連絡が入った。手紙には『ちょっとケイリー様のお化粧直しをしてから行きます! せっかくの可愛いお顔が隠れてしまっていますわ』とのことだった。どうやら、髪が気に入らなかった様子である。
(ケイリー様、ドレスアップされても前髪、長いままだったのかしら)
抵抗があった濡れ羽色の誤解も解けたはずなのだが、まだやや目を隠すような髪のままだった理由は「それに慣れてしまっているので恥ずかしい」とのことだった。
(ヘーゼル様のお姉様根性に、ここはお任せするべきね)
コーデリアにはできないその世話焼き加減は、絶対にケイリーを綺麗にするのだろうと思いながらコーデリアはハールシ家へ向かった。
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ハールシ家に到着したコーデリアは、すぐに夫人に歓迎された。
夫人はさすがニルパマと張り合うだけのことはあり、華やかさと気の強さがある様子だった。
「お久しぶりですね、コーデリアさん。今日はお越しいただけて、とても嬉しくおもいますわ」
「ヘーゼル様からお招きいただけるとお伺いしまして、大変光栄です」
「とんでもございません。折り入った相談をしたかったのだから、お越しいただけたことがどれだけありがたいことか」
「折り入った、でしょうか……?」
しかし言葉とは裏腹に、ずいぶんオープンな場での相談だ。
首を傾げたコーデリアに、夫人は口の端を吊り上げた。
「パメラディア伯爵家にはとても素敵な浴場があると聞いていますの。一度、見学させていただくことはできないかしら?」
「え? そのようなことでしたら、もちろん喜んで」
もしかするとハールシ夫人も足湯から興味をもってくれたのだろうか?
だが、それにしても『浴場がある』ではなく、『素敵な浴場』という辺り、人伝に聞いたというような口振りだった。
「ありがとうございます。実は、我が家の使用人が、そちらで働いている方から非常に素敵な浴場があるという話を聞いたと申しておりましたの。コーデリア様の浴場も素晴らしいけれど、使用人用のものも素晴らしいとか」
コーデリアはその言葉で使用人たちに深く感謝しながら微笑んだ。
「テスターが商品の確認をする場として利用していますので、当家の魔術師も張り切って作った施設ですので、ゆっくりご覧くださいね」
商品の説明からだったのか、それとも雑談の一環だったのかはわからないが、蒸し風呂文化が一般的であるところで、このような噂に興味をもってもらうように図ってくれていることはありがたい。
「ありがとうございます。では、詳しい話は後日、よろしくお願いいたしますね」
「はい」
しかし、ヘーゼルから聞く限りは来場を熱望されたと思うのだが、もう話は終わりでいいのだろうか? 思った以上にあっさりと終わった気がするとコーデリアが不思議に思っていると、夫人は扇で口元を隠しながらくすりと笑った。
「ねえ、コーデリアさん。一つだけ我儘を言わせていただきたいのだけれど……見学のあと、すこしお茶の時間をいただいても?」
その言葉で、コーデリアも合点がいった。なるほど、詳しい話はそちらでこっそりしたいということか。
「はい、もちろん」
「重ねて御礼申し上げますわ」
そして、そのあと口元を隠したまま、しかも非常に小声だったが、コーデリアの耳にはひっそりと届いた。
「ほら、ご覧なさいニルパマ、これで私だってコーデリアさんとお話できることになったわよ……!」
どうやら、伯母と何か張り合っていたらしいことは、何となく理解ができた。
けれどなんだかんだで仲がよい由縁なんだろうなと、コーデリアも思わず笑いそうになるのを必死にこらえた。きっと、二人の性格はよく似ているのだろう。
「コーデリアさん、ゆっくりしていってくださいね。ここには失礼な方はいらっしゃいませんから。どうぞ、楽しんできてくださいませ」
にこにことしながらも辛辣な言葉は、辺りにもよく聞こえている様子であった。そしてそれを特に気にかける必要もないことだろう。
そしてその『ゆっくり』の言葉は周囲へも影響があったのか、いつもと違いコーデリアの周囲に人だかりができることはなかった。ただしそれは興味を持たれていないわけではない。ちらちらと気にかけられている雰囲気はあるが、 ハールシ夫人の言葉が効いているのか、コーデリアが自分から会話に向かっていけそうな雰囲気だ。
ハールシ夫人との話が終わっても、ヘーゼルやケイリーの姿はまだなかった。けれど、代わりにクリフトンの姿を見つけた。
「こんばんは、クリフトン様。進捗具合はいかがですか?」
「あはは、いきなりだね」
提案をして以降コーデリアのもとにはクリフトンからの連絡は一切なかったが、視線を逸らしている辺り、クリフトン自身も少しは気にしていたらしい。
「実は出来上がったらイメージと違っていてなかなか進まなかったんだけど、ようやく試作品にも満足できたよ。今までこれだ! って思っても完成するとズレていたけど……考えたものが形になるっていうのは難しいんだって思い知らされたよ」
「ですがそれだけ想いを込めれば、すごく素敵な贈り物になりますね」
「そうなるよう、祈ってる」
自身無さげな言葉とは対照的にクリフトンの表情は穏やかだった。どうやら、それほど満足いく仕上がりになってきた。それを聞くとコーデリアも自分のことのように嬉しくなった。
「お渡しする女性の、どのようなところに惹かれたのですか?」
「……それ、聞くの?」
「興味本位ですが、多少はお手伝いさせていただいたのですから少しくらいよろしくありませんか?」
そこまで強く押す気はないが、クリフトンの様子を見れば照れてはいるものの、そこまで嫌がる雰囲気でもない。クリフトンはしばらく考える様子をみせたものの、躊躇ったわけではなかった。
「落ち着くところ、かな。口数は少ないほうだから、小さい頃から会う機会が多くて、でも一緒にいるわりに会話はそこまで多くないんだけど……なんていうか、言わなくても伝わる……っていうか、その、察してくれてるっていうか」
「あら、すでにご夫婦みたいじゃないですか」
「いや、その、僕の方が察せているかはわからないから、それは違うと思うけどね」
「でも、本当にお好きなんですね。クリフトン様のご様子を見ていると、私まで少し照れくさくなってしまいます」
そんな素直なコーデリアの言葉に、マイルズは少し慌てていた。
だが、一つ咳払いを落とすと、再び穏やかな声を発した。
「なんていのかな、好きかどうかっていうより、一緒にいれればいいなって思う。ドキドキするというか、そんな風な気持ちではないんだけど、なんだか温かくとなるというか……」
「胸が高鳴ったりはしないのですか?」
「うーん、その、しないというわけではないんだけど……あんまりそういうイメージじゃなくて……」
はっきりとしないクリフトンの言葉に、コーデリアは首を傾げた。
初恋未経験のコーデリアが胸を張って語れる恋愛論などなにもないのだが、恋というものは胸を高鳴らせているものなのだと思っていた。だが、クリフトンの話を聞いていると彼が恋愛をしているということは疑う必要などない。
「……恋愛って難しいんですね」
ぽつりと漏らしたコーデリアの率直な言葉に、クリフトンは吹きだした。
「それ、コーデリアさんが言うと似合わないね」
「どういう意味ですか。私に恋愛の言葉は似合わないと?」
「違う違う。コーデリアさんはいつも余裕があるように見えて、悩むようなイメージがあまりなかったから」
その言葉にコーデリアは思わず問い返したくなったが、ぐっと堪えた。
クリフトンを含め、周囲からコーデリアの姿がそう映っているというのなら決して悪い話ではない。実際には迷ったり考えたりすることも多々あるが、交渉などを行う際は、どちらかといえばそのほうが都合がいいし、確かに親しい者以外の前でそのような様子を見せたことはほとんどないはずだ。それなら、そのイメージは壊したくない。
だからコーデリアは口角を上げた。
「あら、社交界デビューを果たしたばかりの私が、恋愛について百戦錬磨であれば、末恐ろしくはありませんか?」
「いや、うん。確かにそうだけど。その言い方もなんだか怖いよ」
「もちろん冗談でございますよ」
「それもわかってるけど。やっぱり、そういうところが余裕があるなって思うんだ。見習わないとね」
そうして、互いに顔を見合わせ笑ったとき、コーデリアは視界の端でヘーゼルの姿を捉え、軽く右手を上げた。するとヘーゼルもすぐにコーデリアに気付き、となりの黒髪の少女に声をかけてコーデリアのほうへ近づいた。
その黒髪の少女がケイリーであることはコーデリアは知っていたが、その姿だけを見てすぐにケイリーだとはきっと気づけなかっただろうともはっきり思った。
ケイリーは前髪をきっちりと横に長し、普段は見え隠れしていた目がはっきりと見える。それだけでもだいぶ印象が普段と異なるのに、普段とは異なる大人しめのデザインでありながらも煌びやかなドレスで、まるでお姫様だと思ってしまうほどの艶やかさがある。
「ケイリー様、とてもお綺麗」
あまりに似合うその様子にコーデリアが驚き、同時にそしてさすがヘーゼルが手を加えると言っただけのことはあると思っていると、隣から声が降ってきた。
「……やっぱり、あれ、ケイリーなの?」
「え?」
「というか……コーデリアさん、ケイリーと面識あったの?」
どのような意図の質問だろうか? そう思いながらコーデリアがクリフトンを見ると、彼の顔はずいぶん紅潮していた。それは、先ほどまで穏やかな言葉を告げていた人物と同一には見えず――。
「もしかして、クリフトン様の想い人は濡れ羽色の君ですか?」
「な、そ、どうし」
「そこまで動揺しないでくださいませ。安心してください、伝わっていませんでしたから」
「え? え、あの、コーデリアさん? どういう意味?」
「あとで、お話いたしましょうか。とりあえず、そのお顔をなんとかしませんと不自然に思われますよ」
コーデリアとしては早めに伝えておきたいが、近づいてくるケイリーの前でそれを言うのは憚られた。
だからコーデリアも平静に務めた。そして同時に確かに今の今までクリフトンにとっての恋愛は胸が高鳴るようなものではなかったのかもしれないと強く感じていた。
ケイリーが自身の髪を濡れ羽色だと称した人物にどういう思いを抱いているのかはわからないが、悪い感触でもなかったはずだ。
しかしコーデリアがそう思っていた中、ケイリーはあと少しでコーデリアたちのもとにくるという時に目を見開いて、急に体を百八十度方向転換させ、急ぎ足でその場から離れていく。
「え? ケイリー様?」
驚くヘーゼルの横をコーデリアもまたすぐに通り抜けた。
そしてコーデリアはヘーゼルに「ちょっと、二人で内緒のお話しをしてきますね」と、伝え、ケイリーを追いかけた。突然のコーデリアの言葉にもヘーゼルは驚いていたが、状況が呑み込めていないのか戸惑いながら返事をするに留まっていた。
だが、コーデリアも詳しい説明をする時間など今はなかった。ヘーゼルは前を向いていたので気づいていないが、振り返る直前のケイリーに浮かんでいた表情は驚愕だった。そして、次に零れはしなかったものの、瞳に涙が浮かんでいたように思う。
(まさか、会いたくないほどにクリフトン様のことがお嫌いというわけではないはずよね?)
だとすれば、知り合いに髪を上げた姿を見せるのがそこまで恥ずかしかったということだろうか? いや、むしろそれよりも……考えたくはないが、嫌な予感がする。
ケイリーが向かったのは中庭で、休憩している人がぽつりぽつりといるだけだ。
「ケイリー様、どうなさいましたか?」
「申し訳ございません、でも、大丈夫です」
「そのお顔で大丈夫だと仰っても、説得力はございませんよ」
そういってコーデリアがハンカチを差し出すと、ケイリーは両手で顔を覆った。
「わかってはいたんです、ただ、目にして……。クリフトン様とコーデリア様が……。その、コーデリア様はお気付きではないのですか……? その、クリフトン様は、コーデリア様のことを……」
(やっぱりその顔、盛大な誤解ですよね……!!)
最後まで言い切らなかったのはクリフトンのことをおもいやってか、それとも口にすることができなかったのか、コーデリアにはわからないが、意図することは充分伝わった。そして思い浮かんだ中で一番可能性がないと信じたかった言葉にコーデリアは顔を引きつらせた。
「……どうしてそのように思われたのですか?」
「先ほど、コーデリア様といらっしゃった時のクリフトン様の顔、コーデリア様はご覧になられませんでしたか……?」
(見ていましたが、それは絶対に貴女の今の姿を見てのことです)
そう言いたい言葉をコーデリアはぐっとこらえた。これは自分が言ってはいけない、クリフトンが言わなければいけないセリフだと思っているからだ。
コーデリアが知らない風に装っていると、なおもケイリーは言葉を続けた。
「わかってはいたんです。クリフトン様が初めてコーデリア様とお出会いなさったあと、私に素敵なご令嬢がいたとのお話を聞きました」
「それはたまたま会話に上がっただけではないでしょう。マイルズ様と一緒にご挨拶した程度ですわ」
「でも……その時に、緊張して落ち着かないと……。それまでご令嬢のそのようなお話、おっしゃったことがなかったのに……。でも、私も一度見たことのあるコーデリア様なら、その……わかると思ってしまって」
(それは、クリフトン様にとってケイリー様といたほうが安心できると仰っただけです)
「その、濡れ羽色に関しては勘違い、だった可能性を教えていただけましたが……やはり、それを除いても……と……」
(もしかして、そのタイミングだったせいで誤解に繋がった……!?)
それらは本来なら気にもかけないような雑談だっただろうし、『濡れ羽色』の誤解を解くのが早ければなんの問題もなかったかもしれない。だが、元から自信のないところにとどめをさしたのだとしたらタイミングが悪すぎる。
「それでも、私も……その、少しでも、と思って……。コーデリア様のことが知れたら、と、コーデリア様が王都を離れられた跡ではありましたが、移動図書館のお話にも関わらせていただきました。今回ヘーゼル様からお話をいただいたときも、間近でコーデリア様の御様子が見れたら、と……」
「……」
「ですが、知れば知るほど私とは違っていて。おまけに、私は……その、家が……苦しい状況ですし……」
前からコーデリアに対する評価がやけに高すぎると感じてはいたのだが、主な原因がこのようなところにあったなど、どうして想像できただろうか。そして同時に、コーデリアはもはや自分がどうこうできる問題ではないと感じ始めていた。
「私、今からクリフトン様を呼んできますわ」
「え!?」
「ゆっくりお話しなさいませ。ただ、私の立場からは勘違いだと申し上げますよ」
「で、ですが……」
「ケイリー様。ご自身をもっと信じてあげてください」
「でも」
「でも、じゃ、ありません。今のお姿でしたら、周囲もきっとはっきり見えるでしょう。それに、もしもケイリー様の予想通りだとしても、諦めきれないならやはりお話しする必要がありますでしょう?」
それはケイリーもわかっているのだろう。だが、返事は帰ってこない。
コーデリアは忍ばせていた缶に入れたアロマストーンをケイリーに手渡した。
「これは、お守りです。いらっしゃるまでにこれで気持ちを落ち着けてくださいな。バラやラベンダーを混ぜています。応援していますよ」
「え……」
オレンジにゼラニウム、ラベンダーにローズオットー、それからパチュリにサンダルウッドを混ぜた香りには、リラックスができる効果がある。
「本当は一緒にこちらに来るときに、途中でお使いいただけたらと思っていたのです。気分転換にご使用くださいませ」
「よろしいのですか?」
「ええ」
ケイリーが戸惑っているのは、普段コーデリアが薔薇の精油に関しては店でもまだ正式には取り扱っていないことをしっているからだろう。
「ケイリー様。一つだけご助言申し上げます。せっかくですから、不安よりも笑顔でお話なさってください。そのほうが、きっと魅力的ですから」
コーデリアはにこりと笑って言葉を残し、会場に戻った。
会場では戸惑いながらもまだ顔を赤くしているクリフトンと、それをからかうヘーゼルの姿があった。ヘーゼルはコーデリアが一人で戻ってきたことに少し戸惑う様子だったが、コーデリアは笑顔を返した。
「お待たせいたしました。早速ですが、クリフトン様。急ぎ中庭に行ってくださいませ。このままでは、誤解のまま振られますよ」
「え!? な、コーデリアさん……?」
「詳しくは申し上げませんが、中途半端な言葉では余計に誤解が深まる可能性が高いと申し上げておきますね。『濡れ羽色』、悪い意味だと誤解されていた前科もあるとお伝えしておきましょう。プレゼントよりお言葉を伝えてくださいな」
コーデリアの言葉にクリフトンは慌てたが、それ以上コーデリアが説明する気がないのを悟ったのだろう。言葉通り歩幅を広くしてその場を去っていった。
「お疲れのご様子ですね、コーデリア様」
「ええ。まさか、知らないうちに恋の障害になっていたなんて想像だにしていませんでしたわ」
「あらあら、そのようなことがございましたの? クリフトン様の反応なんて、さっきの一度だけで私もだいたい想像できましたのに」
「近すぎて見えないこともあったのかもしれませんね」
「でも、結局コーデリア様が恋の成就にも関わったのですから、よしとしてはいかがでしょうか」
「いいのですが……まあ、羨ましい限りですね」
ただ、勘違いといえばヘーゼルからもコーデリアは受けたことがあるのだが……。
予防するのは難しいかもしれないが、コーデリアもやはりできるだけ周囲の言葉に耳を傾けようと心に決めた。今も注意しているつもりではあるが、いずれやってくるはずの恋愛に関しては余計に慎重にならねば……と思ったが、果たしてそれは周囲に聞けるものなのか。
(……やっぱり、恋愛は難しい)
ドキドキするだけでもないというし、かといって常に穏やかなだけでもない。
そのような感情を自分ではっきりと理解することができるのだろうかと思うと、なかなか難しさも感じてしまう。
「ねぇ、コーデリア様。今度ケイリー様のお話を詳しく聞くために、またお邪魔してもいいかしら?」
「ええ、もちろん。楽しみですね」
しかしまだ不確定な未来の自分のことではなく、どうもうまく通じていなかった二人の話のほうが気になってしまっていた。




