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第七十九幕 再会の夜会(3)

 気配にまったく気付いていなかった中、突然現れたシェリーを見たコーデリアは固まった。

 どうしてここにいるのか――それは、彼女もクライドレイヌ伯爵家の令嬢だからかもしれない。仮に彼女自身に招待がなかったとしても、知り合いと連れ立ってやってきている可能性もある。


(そんなことよりも……私の名前、ですって?)


 まさか見覚えがないということはないだろう。

 あれだけの啖呵を切られているのに忘れられるというのは、かなり間が抜けている。

 そもそもコーデリアのことをあまりよく思っていないことを零しているなら、コーデリアを知らないというそのセリフは矛盾している。知らない振りをするにしても、頭がいいとは言えない選択だ。


(何を企んでいるの? でも、覚えがある台詞のような気もする――)


 どこで聞いたことがあるのだろうか?

 そう考え、はっと気が付いた。


(これ、もしかして『ヒロイン』と『コーデリア』が初めて顔を合わせる場面……?)


 ゲームの中では確かヒロインが緊張のあまり、目についた美しい令嬢……もとい『コーデリア』からアドバイスを受けようと挨拶するつもりが、失敗し、激怒させてしまう場面である。『コーデリア』の怒りには失礼な振る舞いに加え、シルヴェスターと話したい、あわよくばダンスをと願っていた場面を邪魔されたことが含まれていたのだが、その怒りのせいでシルヴェスターが『コーデリア』から『ヒロイン』を保護するために『ヒロイン』をダンスに誘ったのが火に油を注いだという話でもある。


(ゲームの中ではクライドレイヌ伯爵から楽しんでおいでっていわれてたくらいで、どこの家かなんて一言もなかったけど、ここだったの!?)


 付け加えるのならば、あのコーデリアはダンスをしたいと願っていただけであり、ダンスをしたという状態ではなかったはずだ。

 そして――なにより、シェリーの目には緊張や不安など浮かんではいなかった。

 感じるのは明確な敵意だけだ。


(もしかして、再現しようとしてる……?)


 シェリーの夢の力がどういうものなのか、コーデリアにはまだ明確には見えていない。

 けれど、彼女がこのタイミングでこのセリフを吐いているのであれば――それは、おそらくコーデリアを怒らせる……いや、彼女からすればコーデリアの本性を暴き出すための行動だとでもいうのだろうか。


 いずれにしても、既に知り合いであるはずの彼女の行動はコーデリアにとっては信じられないものである。だが忠告することで争いに発展させたくはない。今の目的はただこの場から逃れることだけだ。しかし、素直にシェリーの求めに応じて名乗るだけではコーデリアがシェリーにへりくだっているように見えかねない。


(仕方がない)


 そう割り切ったコーデリアはシェリーに笑顔を向けた。


「お久しぶりでございますね、シェリーさん。私のことはお忘れですか?」

「……え?」

「二年前になりますが、一緒にお話させていただいたコーデリアでございます。コーデリア・エナ・パメラディア、この度成人いたしましたので、改めてよろしくお願いいたしますね」


 実際によろしくしてもらうつもりはないのだが、シェリーのシナリオに乗るつもりはない。シェリーは目を丸くしたまま、小さく「うそ」とこぼしていた。それは周囲にも聞き取れないような音であっただろうが、コーデリアにはしっかり届いた。

 コーデリアはシルヴェスターとヴェルノーを振り返り一礼した。


「では、失礼いたします。殿下、ヴェルノー様」


 そう言いながらコーデリアはその場から離れた。

 女性たちと話していた時間が長いこともあり、時間もなかなかいい頃合いになっている。会場を離れても不自然な時間ではないし、


(……ホントに、改めて役者がそろってしまったわね)


 とはいえ、台本通りに動く気など毛頭ない。

 少なくとも今日のシェリーは、ゲームと『コーデリア』の行動を見た可能性が高い。


(シェリーは『コーデリア』が殿下の害になると思っている。それがシナリオに沿った夢だったのなら、今後も同一の行動を起こそうとする可能性があるわね)


 もしその通りであれば、『コーデリア』とは異なる人格や経緯を有するコーデリアには躱すことも叶うはずだ。『ヒロイン』やシェリーのように天気や紛失物を見つけるような予言はできなくとも、シナリオは知っているし、そもそも『コーデリア』の思考は異なっている。


(私の邪魔をするより、私を放っておいてくだされば彼女が殿下の御目に適うこともあるでしょうに)


 そもそもシェリーの夢が外れているということは、伝道師の記述と状況が同様であればシルヴェスターをコーデリアから守るのではなく、自分が『ヒロイン』になると願っているのかもしれないとコーデリアは思った。

 クライドレイヌ伯爵がシェリーに家庭教師を探していたということから、シェリーも貴族の礼儀作法について疎いわけではないだろう。わざと愚行をシルヴェスターの前で披露するくらいであれば、もう少し状況を観察していたほうが賢明だ。

 少なくともあの場でコーデリアはシルヴェスターにダンスをねだるのではなく、シェリーがこなくとも下がるつもりであったのだから。


(この様子なら、駆け引きが必要になることもないかもしれないわね。ただ、何をやらかすかわからないという意味では油断はできないでしょうけど)


 回避が可能だとはいえ、あちらが近づいてくるというのなら別の面倒事が引き起こされる気がしてならない。ゲームとは異なるとはいえ、コーデリアとシェリーはやはり相容れない存在でしかないと再確認してしまった。


 今日の夜会でシェリーに出会ってしまったことはアクシデントではあるが、いくつか確認できたこともある。結果的にではあるが、それならそれでよしとするしかないだろう。今日はこれを収穫として一旦切り上げようとコーデリアは思った。


 ホールから出て、コーデリアが馬車の手配をしているとヴェルノーがやってきた。


「大丈夫か? だいぶ強く引っ張られていたようだったが」

「お気遣いありがとうございます。幸いにも、彼女もそれほど力があるほうではないようですから」

「そうか。帰るのか?」

「ええ」


 子爵夫人と話せなかったことは心残りだが、それは後日手紙を送ることで代えさせてもらうほうがいいだろう。シルヴェスターの側でシェリーがコーデリアに纏わりつけば、悪い意味でも色々目立つ。


「そうか」


 ホールに戻る様子を見せないヴェルノーは、コーデリアに迎えが来るまでは一緒にいてくれるつもりらしい。


「殿下と一緒にいらっしゃらなくてよろしいのですか?」

「クライヴがいるから構わないさ。それに俺も人混みで少し疲れたから休みたい」


 ヴェルノーがそう言うならば、コーデリアも特に何も言わなかった。

 あの唖然とした様子であればシェリーが再びコーデリアのもとにやってくる……ということはないだろうが、他の夜会の参加者に先程の状況を尋ねられるのは面倒だ。だからありがたいとは思いつつ、せっかくヴェルノーがきているならば言わなければいけないこともある。


「借りはお返ししましたよ。お兄様と踊ったときより注目を集めているようすら思いました」


 コーデリアの言葉にヴェルノーは軽く目を見開き、それから肩をすくめた。


「あれくらいで清算とは、少しずるいんじゃないか?」

「どこがですか。まったく、お忍びで目立つことはよいことなのですか?」

「いいんだよ。殿下も婚約者のいない身だ。あからさまには仰ってなくても、ご自身で相手を探すおつもりなら様々なご令嬢と話す必要もあるだろう。その一環だ」

「それと私と踊ることと何の関係があるのです。夜会へのお忍びも初めてではないでしょう? どうしていままで他のご令嬢をお誘いにならなかったのです」

「……まあ、一番最初に躍るご令嬢に、大きな誤解を与える可能性が高いから慎重にもなるだろうな。普通なら成人の時でなければ気にするものじゃないが、殿下だからな」


 責めるコーデリアの言葉に、ヴェルノーはやや視線を逃がしながら答えていた。

 それを見てコーデリアは眉を吊り上げた。


「つまり……勘違いをしない私ならちょうど都合がよかったというわけですか。いつかのヴェルノー様からのご依頼と同様に」


 なんという生贄だ、と、コーデリアは溜息をついた。

 シルヴェスターにも事情があり、なおかつ彼自身ではなくヴェルノーが勝手に手配しただけである。むしろ、あの場で誘わなければ失礼にもなりかねない状況だった。


「私を巻きこまないでくださいませ」

「別にディリィが押すつもりなら止めないが。応援してやろうか?」

「ご冗談はよしてくださいませ。あまりに荷が重いです」

「どちらが冗談だ」

「ヴェルノー様です」


 どれだけ人が避けようと頑張っているのだと思っているのか。

 たとえ自分が避けていなかったとしても、あのような状況でいきなりシルヴェスターに声をかけられればびっくりしてしまう。そんな度胸など訓練しても身に付くようなものではない。

 ただ、シルヴェスターが自身で妃を探しているという話を直接聞くと今の国が政略結婚を必要としていない程度には安定しているのだろうなと感じた。ゲームでは確かにシルヴェスターの意思で相手を選ぶことは叶っていた。しかし現実には内政の都合や外交の都合もあることなどが考えられる。以前ちらりと北に不穏な動きがあると聞いたこともあったので、シルヴェスターが自由に選べる状態だというなら、それは一人の民として喜ぶべき状況ではあるだろう。


「しかしそのようなご事情ゆえにとのことでしたら、後日私がご令嬢方に色々と尋ねられそうな気がいたします」

「それは楽しそうだな」

「どこがですか」


 令嬢に勘違いさせないために一番にコーデリアを選んだとしても、周囲がコーデリアをそういう相手だと捉えかねないというのは困る。これは随時否定していかないとあとが大変そうだ。否定をせねば自身の相手探しに支障をきたす恐れもあるので、決して適当にあしらってはならない事柄だろう。


「まあ、そう嫌な顔ばかりするな。殿下もお気になさっていたんだ。自分が原因でディリィに害が及んでいるというのなら、自分からディリィを誘って殿下に付き纏っているという噂を消してやろうとしてくれたという意味もある。極々一部だが、政の世界にもしょうもない噂をスキャンダルのように騒ぎ立てる輩がいるものだからな」

「……シェリー様のことでしたら、殿下のせいではございませんわ。むしろ、彼女の奇行は誰にも想像できませんでしょうから」

「違いない。まぁでも、ディリィもけっこう言うんだな。落ち込んでいないならよかったよ」

「え?」

「せっかく夜会に出てきたというのに、けちが付いただろう」


 軽い調子でいったものの、それはヴェルノーがシルヴェスターと同様、コーデリアにも気を配っている表れだ。今だって、心配して来てくれているのはコーデリアもとうに気付いている。

 だからこそ、ゆったりと構えてみせた。


「私がそのような令嬢に見えますか?」

「いや?」

「もう、そこは嘘でも肯定してくださいませ」


 ただ、実際にはその可能性を考えたからこそヴェルノーはそう言っているのだ。

 だからコーデリアも肩をすくめた。


「まあ、気にしないことなど、できませんが。幸いにも今日は命の危険などは感じませんでしたが、なるべく関わることなく、彼女の言い分ではなく私の言葉を信じてくださる方を増やさねばならないと改めて思いました」

「命の危険って……また、ずいぶん物騒だな」


 冗談まがいと受け取ったのだろう、ヴェルノーは軽い調子だったが、コーデリアにとっては決して冗談などではないことだ。


(今日のシェリーからはそんなことができる雰囲気は到底感じられなかったけれど――でも、最初は『コーデリア』だって同じだったはずよ)


 『コーデリア』だってヒロインが身を引くことを疑わず、身を亡ぼすまで己の正義を信じて手段を選ばなかった。シェリーだってそうだ。今の自身を過信している様には、彼女にとっての絶対的な正義を貫くためには方法など選ぶつもりもないだろう。


(私が挑発に乗らなければ流せるというのが、続けばいいのだけれど……)


 ゲームの『ヒロイン』は失敗をばねに、コーデリアとトラブルになった後は礼儀作法をきちんと習得していた。ただし『コーデリア』の前では運悪く失敗して『コーデリア』を怒らせていることがあったが、回数はそう多くはない。逆に『ヒロイン』とシルヴェスターの距離が近くなることを焦った『コーデリア』は『シェリー』にちょっかいを出していたが、コーデリアはそんなことをする必要がない。

 ただ、その数回を流したところでシェリーが納得してくれるとはコーデリアにも思い難い。ならば、やはりできる限り近づかないこと……特にシルヴェスターがいるところに関してはより気を付けなければいけないと思ってしまった。

 しかしそこまで考え、コーデリアはひとつうっかり聞き流してしまっていたことがあることに気が付いた。


「そういえばヴェルノー様、ひとつお聞きしたいのですが」

「なんだ?」

「政ということは……まさかお父様も?」

「まあ、恐らくご存じだろう。だが、伯爵にそっぽを向かれたら困るような奴らだから、自分で自分の首を締める結果になっただけだ」

「そうですか。お手を煩わせてしまっていること、申し訳なく思ってしまいますね」


 そんなこと、エルヴィスからは一言も聞いていなかった。

  もちろん最近までウェルトリア領にいたコーデリアにはどうにもできないことであったのかもしれないが、やはり心苦しくはなってしまう。


「いや、その辺りはむしろ伯爵としては都合がいいんじゃないか? 難癖をつける奴らはディリィのことがなくたって必死で粗探しくらいするし。娘のことを悪く言われたら伯爵も気合が入っていいだろう」

「……それはよいと言ってもいいことなのでしょうか」


 気合が入りすぎることになってなければいいのだけれど、と、コーデリアは一瞬そちらのことも心配したが、さすがにそれはないかとすぐに思い直すことにした。そしてコーデリアが気づかないようにかばってくれていたエルヴィスに心から感謝した。


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