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第七十八幕 再会の夜会(2)

 ゆっくりと近づくシルヴェスターを見て悲鳴を上げたくなるのを堪えながら、コーデリアは優雅に礼を取った。本当ならばこの場から去りたいところだが、パメラディア家の娘としては相手に認識されているのに気付きながら背を向けるということはできなかった。


(でも、ヴェルノー様もヴェルノー様よ……! どうしてこちらに殿下をお招きするの! 自分から挨拶に向かうべきじゃない……!)


 シルヴェスターが気にする様子を見せない以上、コーデリアが気にするようなことでもないかもしれない。加えてお忍び中ということは、あまり恭しくされるのがシルヴェスターにとって心地いいものではない可能性もある。だが、今のタイミングでなくともいいではないか。


「思っていたより早い到着ですね、殿下」

「幸いにも、早くいろいろ片付いたからね。――お久しぶりです、コーデリアさん。覚えていらっしゃいますか?」

「もちろんでございます、シルヴェスター殿下」


 二年前に見た時よりも大人びたシルヴェスターは、優し気な雰囲気をまとう青年に成長していた。そしてそれは、見覚えのある顔でもあった。


(本当に、『シルヴェスター殿下』になられたのね)


 予想範囲内のことではあるが、思わず目をそらしたくなるのも仕方がないことだろう。

 シルヴェスターがこちらへ来たことで、余計に視線を集める中、コーデリアは早急にこの状況を解消したかった。


(……挨拶を済ませた以上、ヴェルノー様との談笑の邪魔になるからと下がるくらいなら不審な行動にもならないわよね?)


 ならば、下がろう……そう判断したが、動揺でそう思い至るまでに遅れが生じたことにより、コーデリアよりシルヴェスターのほうが口をひらくのが早かった。


「しばらく、ウェルトリア女伯のところでいろいろ学ばれていたとお聞きしています」

「はい。有意義な時間を過ごすことができました」


 聞いている、というのはヴェルノーからだろうか? それとも、他からだろうか?

 いずれにしても知らないところで話題にあがっていたことに、コーデリアの頬はひきつった。シルヴェスターにとってのコーデリアが名前を知っている程度の存在であれば、このように質問されることもなかったはずだ。よりによってシルヴェスターに伝えることなどなければよかったのにと思えば余計に、だ。


「実体験には負けるかもしれませんが、また、大書架もご利用ください。たぶん、大書架も貴女の来訪を待っていますから」

「ありがとうございます」


 これ以上話を広げたくはないが、不幸中の幸いはシルヴェスターに悪印象を持たれていないということだろうか。いっそ嫌われてしまえば顔も合わせず済むと思うが、伯爵令嬢という立場がそれを難しくしているのがもどかしい。

 もっとも、シルヴェスターとしてはこの程度社交辞令であるかもしれないし、そうあればいいとコーデリアも願っているのだが。


「そういえばディリィ、さっきマイルズと躍っていたな」

「え? ええ」

「足は踏まずに済んだのか?」


 少しからかい調子でいうヴェルノーに、コーデリアは目を見開いた。


「当然です!」


 何を失礼なことを、しかもこの場で言うのだろうか?

 それではまるでいつもコーデリアが失敗しているような言い方ではないか。ヴェルノーだって以前の夜会でコーデリアを見ているのなら、その心配がないことくらい承知しているはずである。

 だが、コーデリアの反論をヴェルノーは楽しそうに見つめていた。


「ならば都合がいい」

「え?」

「殿下、たまにはダンスでもいかがですか。いつも練習ばかりでは楽しくもないでしょう。ちょうどディリィが上手く踊れると言っておりますし」


 なんということを言ってのけるのかと、さらりと口にしたヴェルノーにコーデリアは悲鳴を上げそうになった。


「私、でございますか? ヴェルノー様がお相手されたほうがよろしいのでは」

「気持ち悪いだろ、その状況。勘弁してくれ」


 苦しまぎれの拒否するセリフは冗談として受け取られたのか、ヴェルノーは肩をすくめて笑っていた。冗談ではなく本気であったが、それを堂々と言えるわけもない。あとはシルヴェスター自身が躍ることを拒否することを願うしかないのだが――。


(そもそもお忍びというのなら、目立つことなんてしたくないはず)


 可能性は決して低くはないはずだ。

 そう信じたコーデリアは、少し考える仕草を見せたシルヴェスターの返答を待った。

 だが、差し出された手に顔がひきつりそうになってしまった。


「じゃあ、一曲お願いできるかな?」

「喜んで」


 即答したものの、内心では真逆の言葉を呟いていた。最悪だ、と。

 相反する想いと言葉にも関わらず、申し分のない振る舞いができたのは令嬢修行の成果というべきか。ヴェルノーに余計なことをしてくれたという思いを抱きながら、コーデリアは再びホールの中央に舞い戻ることになってしまった。これなら喉が疲れたほうが幾分もよかった。マイルズのときも周囲の視線を集めていたが、今はそれよりずっと注目されている。


(逃げたいけど、ここで背を向けることはパメラディア家の令嬢としてふさわしくない)


 ここまでくれば、どうせ一曲終わるまでは逃げ出すことなど敵わないのだ。

 ならば、見惚れるくらいの動きをしてコーデリアの印象を周囲に植えつけなければ意味がない。


(殿下には近づきたくなかった。でも、今は逃げられないなら――せめてこの機会も立派な令嬢としての姿を魅せる場にしなければ、本当に大損よ……!!)


 しかしダンスが始まってすぐ、コーデリアは思わず目を見開いた。


(お上手……!)


 すぐに感じたのはそのシンプルな感想だ。

 決して下手だと思っていたわけではない。ただ、初めて躍る相手であるにも関わらず、歩幅もテンポ感も、コーデリアにとって文句のつけようがない動きだった。たまたまシルヴェスターと一致したのか、それとも、マイルズと躍るところを見ていたからなのだろうか?

 コーデリアが驚いていると、シルヴェスターと視線が交わった。

 シルヴェスターは一瞬虚を突かれたような表情になったが、すぐに優しく笑みを浮かべた。


「練習した甲斐がありました」

「え?」

「付け焼刃では、この緊張で変な動きをしてしまいそうですから。貴女に格好悪いところを見せることになったかもしれません」


 初めてというわけではないだろうが、ヴェルノーが練習ばかりだといっていたのでシルヴェスターも人前で躍るということは慣れていないのかもしれない。


(これだけお上手なら心配なさそうなものだけど……もしものことがあっても、私なら大丈夫だと思ってヴェルノー様は私に言った……?)


 ただ、自信をつけさせるための練習台にたまたま都合がいいので選ばれた。ただそれだけだと思えば、少しだけ落ち着いた。ここは機械的にこなせばすぐに解散だ。


「殿下はとてもお上手で、初めてお相手させていただいている気がいたしません」

「それはとても光栄です」

「今後殿下と躍られるご令嬢たちも、一様に口を揃えるはずでございます」

「……そうなるように、努力しないといけないですね」


 喜びの声に続いた声色が少し沈んだような気がしたのでコーデリアはシルヴェスターの表情を見たが、そこには不安を抱くようなものは浮かんでいなかった。聞き違いだったかと思ったところで曲の区切りとなり、コーデリアたちは元の場所へと戻っていた。

 するとヴェルノーが軽い拍手で二人を迎えた。


「練習の成果を存分に発揮なさったようですね。ディリィもお疲れ様」

「ああ、楽しかったよ」


 コーデリアは軽く一礼して返答するだけに留めたが、ヴェルノーに言葉を返したシルヴェスターはそのままコーデリアの手を離し、コーデリアに向かって微笑んだ。


「お付き合いいただきまして、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」


 何事もなく何とか終わった――その安堵でコーデリアにもダンスを始める前よりは多少落ち着きが戻っていた。

 ヴェルノーには後日なんという無茶振りをしてくれるのかと問い詰めることにするが、今はひとまずもう充分下がってもおかしくはない時間を過ごしただろう。離脱が先だ。


「では、殿下。ヴェルノー様。私は……」


 これにて失礼させていただきます。

 そう言い切る前にコーデリアの腕は急に引っ張られ、ヴェルノーとシルヴェスターに背を向けた。かなり強い力に驚いたが、その手を引っ張る者の正体に目を見開いた。


「貴女、とても綺麗な方ね! お名前は何と仰るの?」


 そこにいたのは、二年前に決別したはずのシェリーだった。




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