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第七十七幕 再会の夜会(1)

 そして夜。

 成人後初めて夜会の場に姿を現したコーデリアは、すぐにマイルズに声をかけられた。


「ようこそ、コーデリアさん」

「ごきげんよう、マイルズ様。今日はお招きいただきまして、光栄です」

「いや、来てくれて嬉しいよ。忙しくてまだ無理かと思っていたから」


 知り合いからの声にコーデリアはほっとした。

 それほど緊張しているつもりはなかったが、それは緊張しすぎて気が付かなかっただけのようだった。


「でも、大丈夫? お店、凄く繁盛しているって聞いてるよ。疲れはないの?」

「少し大変ですが、ありがたい忙しさです。それに、いつまでも引きこもっていると皆様に忘れられてしまうかもしれませんから」

「繁盛してるなら忘れられないだろうに。実際、今もここですごく注目されている。母上もお店にお邪魔したいっていっていたから、あとで話してあげてくれるかな」


 少し離れたところにいるガネル子爵夫人は、今は同年代の女性に囲まれ盛り上がっているようなので、話かけに行っては邪魔になってしまうかもしれない。けれど、興味を持ってもらっているならぜひとも折をみて話をしてから帰りたい。売りこめるときには売りこまなければ損である。


「ぜひ楽しんでいってね。できれば僕もダンスのお相手を申し込みたかったのだけれど……ここで申し込めば女性陣に恨まれかねないかな」


 そして周囲に目配せするマイルズに合わせてコーデリアも視線を走らせると、周囲から……特に若い女性からコーデリアに視線が集まっていることに気が付いた。主催者の息子だからマイルズが注目されるということもあるが、やや自分の方に視線が寄っている気がする。


「僕があまり長くコーデリアさんと話をしていると、彼女たちに自分が喋る時間が減っちゃうって思われてしまうかも」


 少しおどけたようなその言葉に、コーデリアは少しの間を置いてからふっと息を吐いた。女性陣からの期待は嬉しいが――この状況はあまりよろしくない。そう、人脈を築くだけなら女性と話せるだけでもここに来た価値は充分すぎるほどあるのだが、コーデリアが夜会に来た目的は将来の相手と出会いたいという目的もある。

 友人で、しかも主催者の息子にさえダンスに誘いにくい女性だと思われる状況からは、軌道修正を図らなければならない。せめて一曲くらいは踊らせてもらい、周囲に近寄り難いわけではないのだとアピールしたいところである。


「あら、マイルズ様はお相手が私ではご不満ですか?」

「え? そんな、とんでもない」

「あら失礼。てっきり体のいいこと割り文句かと思ってしまいましたわ」


 冗談っぽく言うコーデリアの言葉に、マイルズも驚いたあと、肩をすくめた。


「でも……そうだね。では、ご令嬢。一曲、お願いできますか? せっかく来てくれているのに、誘わないのも失礼だよね」


 そして差し出された手を取り、コーデリアはホールの中央へと向かった。

 踊ることに不安はない――そう思っていたが、途中でふと気が付いた。


(なんか、恥かしい……ような……)


 自分のダンスに問題があると思っているわけではない。

 が、近い。初めて踊るわけではないのだからそんなことはとうに知っていたが、マイルズほどの比較的仲のよい友人でも緊張せざるを得ないということは、今、初めて気が付いた。

 人前ではなかったものの、かつてはジルと踊ったこともある。だが、もしもあれが今なら……あのときほど平静に踊れたのだろうか?


(これが、成長……というものでもないわよね)


 回数を重ねれば慣れると信じることしか、今はできないことだろう。

 一曲踊り終え、コーデリアはマイルズと共にそのまますっと元の場所に戻った。

 思った以上に感じる疲労感に、多くの人と何曲も踊る人々を心から尊敬した。


「お疲れ様、マイルズにコーデリアさん」

「クリフトン。来てくれてたんだ」

「そりゃ、来るよ。暇だしね」


 ハック伯爵家のクリフトンは、初めてコーデリアが出会った時もマイルズと一緒にいた。二人とも海に関わる生業を持つ家同士で穏やかな様子を見る限り、気も合っているのだろう。


「お疲れのところ悪いんだけど、コーデリアさんにひとつお願いがあって……いいかな?」

「どのようなことでしょうか?」

「今度女性に贈り物をしたいんだ。相談にのってくれるかな?」


 軽く言っているが、様子を窺っているのがよくわかる。

 この場で恋愛相談を受けるとは思わなかったが、信頼して頼ってもらっているというのであれば、ぜひとも応援したい。


「そういうことでしたら、喜んで。お店にも可愛いものをそろえていますよ。クリフトン様でしたら、お店の営業時間外に見ていただいてもかまいません。そのほうがゆっくりできますし」

「助かるよ。母や姉に相談するのは、どうも気が乗らなくてね」

「なんとなく、お気持ち御察しします」


 コーデリアだってもしも父や兄に相談するとなれば、なかなか恥ずかしいことだ。――いや、見合い話を断っているエルヴィスの場合はアドバイスをくれるかどうか自体が問題になってしまう。


「じゃあ、また連絡させてもらうよ。いま詰めたいところだけど、そろそろ女性たちの我慢が限界になっている」

「あ、本当だね」


 そして、クリフトンとマイルズは周囲ににこりと微笑んでいた。

 するとそれを合図に女性たちはコーデリアの元に近づいた。同時に二人はコーデリアに「楽しんでいってね」と言い残してその場を去った。


「コーデリア様、お久しぶりでございます」

「今日もお美しくいらっしゃいますね」

「御召し物もですが、やはりコーデリア様の香りは華やかですね」

「昨日、お店にお邪魔させていただきました。ほうれん草をシフォンケーキに使用されていることに驚きました。緑が鮮やかで、とても綺麗で」


 そうして女性たちがあっという間にコーデリアを取り囲んだ。

 その時、コーデリアの頭の中には先日のヴェルノーの表情が頭に浮かんだ。このことを、ヴェルノーは想像していたのだろうか。コーデリアにとっては予想外のことだが、迎え入れられることは喜ばしい。

 知り合いの令嬢も中にはいるが、コーデリアにとって仲がいいと断言できる同年代の令嬢はいまのところヘイル姉妹だけだ。残念ながら今日はヘーゼルはいないようだが、ほかのご令嬢から話かけてもらえるなら、それに応えない手はない。

 しかし、そう思っていたのは、どうも甘かった。


 注目されていることはありがたい。本当にありがたい。


(でも……そろそろ……喉が疲れてきたような気がするわ)


 ニルパマと共に参加した茶会では聞き役が多かったし、ヴェルノーと話す時は同じくらい話す程度だし、ヘーゼルと話す時はむしろヘーゼルのほうが喋っている。

 だから、短い質問を繰る返されると徐々に話すことがしんどくなるなど、思ってはいなかった。


(話題の中心って、案外体力がいるものなのね)


 ニルパマもかなり口数が多いほうだが、そんな素振りは見たことがなかった。

 やはり、こちらも慣れが必要なのだろう。頑張らなければならないようだ。ただ、いい状況なら無理に話を切るつもりもない。せっかく好意を持ってもらっているのに、残念だと思われるようなことはしたくもないし、中途半端にして驕っているとの印象は与えたくない。


(けれどそろそろ、喉が乾いてきたかもしれない……)


 そんなことを思っていた時だった。


「飲み物はいかがですか、お嬢様?」

「え?」

「なんてな。どうだ、楽しんでいるか?」

「まあ、ヴェルノー様」


 ご令嬢の間からコーデリアに声をかけたヴェルノーに周囲の女性たちは小さく声を上げていた。そのヴェルノーはとても楽しそうな表情を浮かべていたので、どうやらこの状況をそれなりに長い時間眺めていたようだった。

 ヴェルノーは冗談めかしに話しかけた様子であったものの、片手にはグラスを手にしており、なんでもないといった調子でコーデリアに差し出した。

 それと同時に女性たちはすっと自然にコーデリアのもとから離れた。それはヴェルノーが自分たちより格が高い家に生まれていることもあるだろうが、ずっと話を続けていたコーデリアにも一旦休憩の時間があったほうがいいだろうと判断したのだろう。

 ヴェルノーは自分用に手にしていたグラスに口をつけ、それと同時にコーデリアも手渡されたグラスに口をつけた。


「なかなかいいタイミングだっただろう?」

「ええ、ありがとうございます」

「貸しはそのうち返してくれ。それより、やっぱり面白いことになっただろう?」

「ありがたいことではありますけどね。ただ、面白いことといえば私だけではございませんよ」

「そうか?」


 離れた令嬢たちの中には顔を赤らめながらコーデリアたちの様子を窺っている者もいる。それは少なくともコーデリアを見てではなく、おそらくヴェルノーを見てのことだろう。あまりに見慣れ過ぎてしまっていたが、ヴェルノーはやはり令嬢たちから顔を赤らめられるほど存在だったのだなと改めて思ってしまった。


「いろいろ収穫はあったようだな」

「ええ。いろいろな人がいらっしゃっていて、とても楽しませていただいています」

「いろいろな人、か。まあ、その通りだな」


 少し含みを持たせるような言い方に、コーデリアは眉を寄せた。


「そんな顔をするな。その通りだと思っているだけだ」

「どういうことですか?」

「たとえば、殿下も来ているというだけの話だ。マイルズも学友の一人だからな」

「え?」

「当然お忍びではあるがな。いろいろな人が来ているだろう?」


 なんの冗談だ……と思いたかったが、ヴェルノーが視線を向けた方を見やれば本当に黒髪の青年がそこにいた。それは間違いなくシルヴェスターであった。

 シルヴェスターの側にはクライヴも控えているほか、周囲の人々もそれとなく気を遣っている様子ではあるが、そこにいること自体に驚いている風ではない。

 少なくとも、コーデリアは自身が一番驚いていることを理解している。いつからいたのだろうか? 女性たちの壁で、まったく気づいてはいなかった。


「そう驚くことじゃないさ。殿下のお忍びはこれがはじめてじゃないし。陛下だってお若いころは折を見て夜会には参加されていた」

「そ……そうなのですね」

「驚いている様子だな」

「だって、そのようなお話は聞いたことがございませんでしたもの」


 むしろ、なぜ驚かないと思ったのか。

 そもそもヴェルノーだってコーデリアが驚く可能性があって、色々先に言っていなかったのではないかと疑いたくもなってくる。おまけにガネル子爵家の夜会を勧めたのはヴェルノーだった。


(いえ、別にヴェルノー様は引きあわせようとしているわけではないのでしょうけど)


 だいたい、お忍びでいるだけなら挨拶に向かわなくてもいいはずだ。

 この場にはとても大勢の人がいる。シルヴェスターだって話したい相手と話していれば、コーデリアが関わることもないはずだ。大書架入場の許可証の授与の際にもう少し話したいと言われたことはあるが、あれから二年。そのような話もとうに忘れてくれている可能性もある。

 あまりシルヴェスターのほうを注視しないように気を付けながら、コーデリアはホールの中央へと視線を投げた。これも、対応としてはおかしくないはずだ――なんて、思っている隣で、ヴェルノーが動く気配を察した。


 それはコーデリアにとっていやな予感しかしなかった。いや、予感ではなく、確信だ。


 ヴェルノーが身体をシルヴェスターに向け、軽く挨拶をしたせいで、シルヴェスターが近付いて来るのは間違いないことだった。



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