第七十六幕 夜会の前に
成人してから初めて参加する夜会の当日、コーデリアは午前中だけ店に顔をだすことにした。店にいた女性魔術師たちからは早く帰るようにせかされたり、働くのを好み過ぎるのはエルヴィスにそっくりだと言われたりもしたのだが、そこはまだまだレベルが違うとコーデリアは苦笑した。エルヴィスと同じくらいになるには、まだまだ努力が必要だ。
そして今日、コーデリアはケイリーが初めて直接客と会話をしているのを見た。
普段は裏方に徹しつつ見本のイメージを伝言で聞き、意思疎通を図っていたようだが、新しいイメージが浮かんだらしく、客と話をしたいと思ったようだった。その様子をコーデリアもそっと見守っていたが、ケイリーは会話中も始終緊張しているようであった。しかしそれでも会話が終了し緊張から解き放たれたときの顔は満足そうに見えた。
客のカードを瞬く間に仕上げたあとは直接渡すことはしていなかったが、扉を少しだけ開けて客の様子をみていたケイリーは小さな声で喜んでいた。どうやら、依頼人の反応は彼女の予想を充分に超えたらしい。
同僚へカードを手渡す時でさえまだまだ緊張が続いている様子ではあるが、楽しみを見つけてもらえたのならコーデリアもやはり嬉しい。
「大人気ですね、ケイリー様」
「あ、ありがとうございます、コーデリア様」
慌てて俯いたケイリーだがそろそろとコーデリアの方を見て、とても小さな声を出した。
「あの……その……私なんかのでも喜んでもらえることができて、むず痒いです」
「その気持ち、私にもわかります」
しかし、それでもやはり嬉しい気持ちが勝っているのも知っている。
ただ、それでも一言だけ聞き逃せないことがあった。
「ケイリー様、せっかくですから『私なんか』はやめませんか?」
「え……?」
「とても素敵なのに、そのような言葉をつけてしまうのは、もったいなくはありませんか」
しかしコーデリアの言葉にケイリーは戸惑っていた。
「でも……」
「お喜びになっている方々は、ケイリー様の作品だから喜ばれているのですもの。もしもその方々がケイリーさまがそう仰っているのを耳にすれば、きっと悲しまれますわ」
だが、ケイリーはゆるく頭を振った。
「私は……私でも喜んでいただけることを見つけていただき、本当に幸せです。でも、この特技を除けば他は本当に何もありませんから……やはり、私なんか、で、正解だと思います」
「ですが、ケイリー様はそう思っておられようとも、私はケイリー様のことをとても素敵だと思っていますよ。もちろん、まだお付き合いさせていただいている日は浅いですが、それでも充分伝わります」
その言葉にケイリーは弾かれたように顔を上げた。
同時に少し狼狽えた様子をみせながらもコーデリアを見つめた。
「あの、よろしければ……どこか、と、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。ですが、たくさんお伝えしてもかまいませんか?」
「え……?」
「とても思いやりがある、優しい方であるのがまず一つ目です。あまり人前は得意ではなくても、相手の喜ぶ可能性を優先される今日のお姿がまさしくそれかと思います。それから知性を感じるお姿でもいらっしゃることも素敵です。濃い髪色も、とても素敵だと思います」
「え……この、髪もですか?」
「ええ、素敵な、落ち着く色ですよね」
「あの……その……本当に……?」
まるでコーデリアの言葉が聞き違いであるかのように、ケイリーは動揺していた。
しかし、それは本当だ。この国で黒髪は多くはないが、コーデリアの中ではとてもなじみのある色である。
「私は、コーデリア様のような髪色がよかったです。もしも、コーデリア様のような色だったら、今より少し、自信が持てたのかもしれません」
「ケイリー様は、ご自身の髪色がお嫌いなのですか?」
「……昔、幼いころに言われたんです。雨に濡れてしまった烏みたいだ、と……。私が、暗いから、そんな風に見えてしまうのかって」
「え?」
「髪色は、私の一家は皆、こうです。でも、そんなことを言われるのはきっと私だけのことでしょう。もしも、性格だけでも……コーデリア様の十分の一でも、明るければ……、そのように見えなかったかもしれません」
その『濡れた烏』という言葉に、コーデリアは絶句した。
(いえ、確かにこの国にはない言葉だけど――)
それは、とんでもない勘違いが生じているのではないか、と、コーデリアの中には疑念がじわじわと込み上げてきた。
「ケイリー様、念のための確認をさせていただけますか? その、烏の話は『雨に』とは言われず『濡烏』という風に言われたのでは?」
「え……? あの……濡烏は、このような色なのかな、という具合でした」
目を瞬かせるケイリーの返事を聞き、コーデリアはほっと息をついた。
「ケイリー様、それはおそらく褒め言葉ですわ」
この国には烏という存在に忌避感も敬意も特にない。
だからケイリーのように『雨に濡れた鳥である』とだけ感じてしまっても不思議ではない。コーデリアだってあえて聞いたことはない。
(でも――多分、あるわよね、その言葉)
この世界にはニホンで好まれていたような品が度々ある。ジルがもっていた狐の仮面もそうだし、ガラスペンもそうである。ニホンを連想させるような文化が世界のどこかで育っているなら、その言葉があっても不思議ではない。
「そもそも、ケイリー様の髪色を悪く言う貴族などおりませんわ。だって、シルヴェスター殿下も同じ色ではございませんか」
「そ、それは……」
「どなたが仰ったかはわかりませんが、ケイリー様に仰ったその方は王室のことがお嫌いでしょうか?」
コーデリアの問いに、ケイリーは勢いよく首を横へ振った。ならば、間違いという可能性もほぼないだろう。
「私が知っている『濡烏』は、女性の髪を褒める言葉ですわ。濡れ羽色などとも言うのですが、艶のある美しい髪を指す言葉です。何かの文献でお読みになって、そうおっしゃったのではないかしら」
下手をすれば口説き文句であった可能性すら感じながら、コーデリアはケイリーに微笑みかけた。ケイリーはまだ信じきれず戸惑った様子であったが、シルヴェスターの名前が出た以上反論もできないようだった。
「ただそれが褒め言葉でも、私からもお一つだけケイリー様にご提案したいことがございます」
「ど、どのようなことでしょうか……?」
「前髪を、少しアレンジされてはいかがでしょうか? きっと、それだけで表情が明るく見えますよ」
先程ケイリーが言っていた、『明るければ』という希望も、それなら少しの工夫で見た目はかわる。残念だが、今のケイリーの前髪は長すぎる。切らないにしても、横に流すように整えるだけでかなり印象が変わるはずだ。その姿はコーデリア自身も見てみたい。
「か……考えて、みます……」
しかしケイリーにとってはそれをするのは恥ずかしかったのだろう。
即答がもらえず少しだけ残念だったが、却下されたわけではない。こっそり期待しておこうとコーデリアは思った。
「でも、やっぱり……私はも、まだまだ知識が足りないのですね。コーデリア様なら、きっと褒められたことにすぐに気づけたと思うと、私の未熟さが原因です」
「偶然知っていただけですわ。それに、相手に伝わらない言葉を仰るほうも悪いんです」
もっとも、本当にそれを言っているのなら、照れ隠しだった可能性も充分考えられるのだが。そしてもしも予想があたっていれば、ケイリーに言った相手は伝わらない可能性は考えても、貶めたように伝わるなど想像していなかったに違いない。
(……私も、気を付けよう。うっかりがとんでもないことになっては、大変だもの)
文化が違えば意味が変わるとは知っていたが、長年心に傷を残すものになっていたことを目にすれば、そう思わざるを得なかった。
「あの……コーデリア様。本日、夜会に行かれるのですよね」
「はい」
「その、お気を付けて、いってらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
しかし礼を言いつつも、コーデリアは何とも言い難い言葉にどう反応すべきか迷ってしまった。まさか基本的なマナーの心配をされているわけでなければ、ほかに夜会で気を付けなければいけないことはない……と、思いたい。
思いたいが、せっかく受けた言葉が妙な前兆にならなければいいと祈るばかりであった。
本日(2018/3/5)コミカライズ版ドロップ!!の1巻が発売されます。
よろしくお願いいたします。




