幕間 兄貴分による義兄弟へのおせっかい
ディリィが会場に戻るまでじっと見つめていたジルに、俺はわざとらしい溜息をつかざるを得なかった。
さすがにこの時間だからバレるようなことはないと思うけど、この王子様ときたら堂々とお忍びをやらかすようになったくせに、相変わらず肝心なところはヘタレている。
「おい。来るならシルヴェスターで来いって、俺、言ったよな?」
だから、俺も今日はジルに変化の魔術をかけなかったんだ。
まあ、俺がパメラディア家に行くためにもともとシルヴェスターをジルに変化させるタイミングもなかったから、俺が無理しないと今日はかけるのは不可能だったんだけど。
でも、それはある意味言い訳に過ぎなかった。どちらかといえば、ディリィにいい加減シルヴェスターとして近づけって発破をかける意味でそのままにしたのだ。だからたとえ時間的な問題がなくても、俺は変化の魔術はジルにかけなかったと言い切れる。ディリィにも配達員をやめようと思うっていうのは言ったけど、いい加減こいつはそろそろ前進するか、できないなら諦めるという判断を下すべきだと思っている。
しかし俺がこんなに考えていても、相変わらずミステリアスな面を好んで収集している黒髪の王子様は、仮面で顔を隠したまま俺から顔を背けていた。今日もなかなか珍しい仮面を使っている王子様は、おそらく今じゃ国一番の隠密行使者ではないだろうか。
一応、俺が言ったことはわすれてはいないらしい。とぼけない正直なところは実にジルらしいが、その態度に余計に呆れさせられた。
「お前ならここの門番だって通さないわけにはいかないんだから、ジルじゃなくて堂々と『シルヴェスター様のお忍び』をすればいいだろ。今夜はいわばただの挨拶会だ。ディリィとはすでに面識がある上に、恩師の娘だ。お忍びで軽く挨拶して帰るくらいのことはできただろうに」
「仕方がないだろ」
「何がだよ」
「……招待されてないんだから。伯爵に悪印象を与えかねないと思ったんだ」
「ああ……」
それはわからない気がしなくもない。
「一応、祝いの言葉は伯爵には伝えたんだけどね。お世辞でも誘われなかったよ」
「お前、あの伯爵がお世辞を言うと思っているのか」
「思わないけど、言ってくれたら行くつもりだったよ。でも、誘われなくてよかった、とも思ってる」
「なんでだよ」
やっぱり覚悟が決まっていないとでもいう気なのだろうか。
「私が登場してしまったら、せっかくのディリィの舞台のインパクトを、奪いかねないからね。やっぱり、今日はディリィが主役だ。私が邪魔していいときじゃない」
「……それがヘタレた言い訳でないことを俺は祈ってるけどな」
あまりに穏やかな声音で言うものだから、俺もそれ以上は突っ込めなかった。
まあ、今日のところは折れてやるか。どうせ、もう今日はシルヴェスターとして登場するタイミングは失われてしまっている。
けれど、せっかくのチャンスだというのにジルは話題を変えなかった。
「ヴェルノーは、やっぱりなかなか厳しいね」
「充分優しいだろ。お前がもう婚約でもできてりゃ、ここで一緒に踊れただろうに、って言うのも我慢している」
「……今、言ってるじゃないか」
「言わせたのはお前だ」
そう言うと、ジルは肩をすくめた。
「そもそも嫌がってるんじゃないさ、ありがたいって思っているだけなんだけどね。ヴェルノーは、本当に兄弟みたいだと思ってるよ」
「ありがたがらなくていいから、前進しろ」
「うん。でも、ちゃんと近づくよ。多分、今までのパターンだと逃げられるとは思うけど」
珍しく前向きな言葉に、俺はジルをまっすぐ見た。
仮面だから顔は見得ないけど、口だけじゃない様子だ。
いつもの『どうしようか』と悩んだ様子も、今は見受けられなかった。
「どうしたんだ、今日は。やけに堂々としてるな」
「少しは格好いいかい?」
「仮面がなかったらな……って、茶化すな」
やっぱり、妙な余裕がある。
なんだ、と思っていると、ジルはくるりと身体を反転させ、俺に背を見せた。
「ディリィが私を避けたがってるのを周囲に見せるのは、噂の払拭にも役立つだろう。ディリィのためになるなら、私も遠慮しないよ」
「えらくポジティブだな。でも、結局避けられるの前提なんだな」
「まあ、最初は。でも徐々に折れてくれたら助かるなって思ってるし、今はちょっと嫉妬もしてるから、余計に話かけようって思ってるのもあるんだけど」
「は? 嫉妬?」
一体誰に嫉妬してるんだ、と、俺が眉を寄せれば、振り返ったジルに指を刺された。
「その嫉妬対象は俺なのか?」
「うん。まあ、ずっと羨んではいたけど、直接二人のやりとりを見てたら、私も会えてよかったってシルヴェスターで言われたいなって、思ってしまったんだよ」
「……お前、そこから聞いてたのか。立ち聞きは行儀が悪いぞ」
でも、火が付いたということはいいことだ。
見守ってきたのも楽しんでいたけど、いい加減、タイムリミットだって近づいている。
「がんばれよ。お前だけじゃなくて、ディリィにだって見合いだの女伯爵だの、話は山ほどくるんだからな。……っていっても、あの伯爵の可愛がり方から察するに急遽ことが動くことなんてないだろうから、お前が先にほかのご令嬢と見合いさせられる心配の方が高いけど」
「わかってる」
「でもお前、王子様なのに相手がいないままよく成人までこられたな」
小さい頃からジルの相手探しは行われていた。
王妃様主催の子供向けのお茶会なんて、その最たるものだ。まあ、そこにディリィが来てくれていればジルとしては嬉しかっただろうし、色々早く話も進んだんだろうけど。
ただ、あれはいつからなくなったのだろうか?
年齢が上がるにつれ頻度は少なくなったけど、季節に一度くらいは行われていたような気がしていたのに。
「……実は母上にばれている」
「は?」
「ディリィのことはばれてない。でも、やりとりしてる令嬢がいることは知っている。十二歳のころだったかな。便箋を選んでいたことで、気付かれた」
そんな些細なことでばれるものなのか。
女性の観察眼というのは俺が思っている以上に鋭いものなのかもしれない。
「幸いにも父上には伝わってないけどね」
「幸いなのか?」
「からかわれたらいやでしょう? ヴェルノーなら、分かってくれると思うけど」
「……ああ、そうだな」
俺の父上がからかってくることはないとは思う。ただ、それより性質が悪いことになりそうだ。万が一にも色恋沙汰の話が父上の耳に入れば、嬉々として根ほり葉ほり聞かれることは想像に難くない。ついでに言えば、そこから散々聞かされた両親の出会いの物語を再び熱弁されるところまで予想がつく。
さすがに陛下はここまで熱くならないとは思うけれど、居心地の悪さでいえば俺もジルも感じるものは大きく違わないのかもしれない。
しかし何が原因にせよ、シルヴェスターとしてディリィに接していく決意をしてくれたことは何よりだ。大きな前進だと思う。
ただ、ひとつ引っ掛かることもある。今のジルは『嫉妬』って言葉を使っていた。それはつまり、冷静ではない状態だ。
だからこそ、たぶん今のジルはどうやって……というよりは、どのタイミングでジルとシルヴェスターが同一人物だということを伝えるかという問題が頭の中からごっそり抜けているのではないだろうか。
いつもは隙があるような奴じゃないのに、ディリィのことになるといつもこれだ。
「それでも、言質はとったからな」
「え?」
「独り言だ」
でもまあ、先に一つだけ言っておいてやらないといえないこともある。
「お前、当たって砕けるつもりでかかるのだけはやめとけよ」
「え?」
「砕けないで、ちゃんと幸せ掴めってことだよ。最初からダメもとだなんて考えるなよ」
その言葉で止まった動きを見れば、仮面の下がどのような顔をしているのかなんて、たやすく想像できてしまった。
「しっかりしろよ、弟」
「え、私が弟なのか?」
「え、って、兄のつもりだったのか!?」
「だってヴェルノーって行儀が悪いし」
「俺はヘタレてるやつは兄とは言わない。絶対にな」
まあ、最大限の譲歩をしても双子だろう……と思ったが、ここで平行線の議論をしていても仕方がないだろう。
「そうだ、一つ念のための確認だが、ジルはクライドレイヌ嬢とはまだ面識はなかったよな?」
「いや、あるよ」
「そうか……って、は? いつだよ」
そんな話は聞いたことがないと驚く俺に、ジルは苦笑していた。
「昨日、城内で父親に忘れ物を届けに来た彼女と”偶然”出会ったよ。パメラディア伯爵との手合わせに向かう道中の回廊で、彼女と話しているクライドレイヌ伯爵と一緒にね」
「それ、待ち伏せされたんじゃないのか」
ジルがパメラディア伯爵との手合わせに使っている場所は一般人の立ち入りが禁止されている区域ではないが、普通なら用事があるような場所でもない。ただ、クライドレイヌ嬢単独ではなく、伯爵も一緒であったのなら、伯爵がそこでジルと引き合わせようとしていたのかもしれないけれど。クライドレイヌ伯爵なら、その道順は知っている。
まあ、あれが”夢見の少女”と言われてるのであれば、その力で知った……なんてこともあるのかもしれないけれど。
でも、そう思ったのは俺だけではなく、苦笑しているジルも同じだろう。
「それで、印象はどうだった?」
「とても可愛らしい容姿の子だよ。言葉遣いも丁寧で、きれいな声もしている。噂とは似ても似つかない印象だったから、ちょっと驚いた」
「違った?」
「うん。話すだけなら普通と呼んでも構わない範囲のご令嬢だよ。夢の話もしてこなかった」
その言葉に俺は眉を顰めた。
今の状況を俺に伝えてくれたヘーゼル嬢は嘘なんてついていないだろう。仮に嘘をついても、彼女が得することもないし、あの堂々と勝負することを好む性格だ。それに二年前にクレイが怒っていたのも、あの令嬢の言動が原因だ。この二年で教養を受けて心境に変化が……って思っても、どうにも妙な気がしてしまう。
「ただ、少し不思議な感じはしたね」
「どんな風に?」
「そんなに長く話をしたわけではないけれど、私のごく一般的な反応に目を丸くして驚いていたかな。あとはまるで違う回答が来ることを前提にしていたような、そんな噛み合わない返答も受けたよ」
「……それは、不思議というかだいぶ変だな。普通に話ができたというカテゴリに入れても構わないのか?」
俺のその問いかけには、ジルは笑うだけで肯定も否定もしなかった。
しかし一体、何を考えているご令嬢なのか。
どうせどこかの夜会で顔を合わすことにはなるのだろうが、出来れば俺も出くわしたくはない……とは思うが、一度どこかで接触はしておいたほうがいいのかもしれない。
そうしないと、この幼馴染たちが困った時に手を貸してやることもできないだろうから。
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