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第七十幕 成人の宴(下)

 少し足が疲れたこともあり、コーデリアはベンチに腰かけた。

 長い休憩はとれないが、早く帰ればエルヴィスからの配慮が無駄になる。許される時間で疲労を和らげてから戻ろう――そう、コーデリアが思っていると、ゆっくりと足音が近づいてきた。やってきたのはヴェルノーだった。


「やっぱり、あの挨拶の山には疲れさせられた様子だな」

「その言い方ですと、ヴェルノー様のときもお疲れになられたのですね」

「ああ。祝われて喜ばしいとは思うんだが、めでたい日に疲労を蓄積させなければいけないのはどうなのかと思ったな」


 しかしそうは言いつつも、本当に勘弁してほしいと思っていたわけでもない様子だ。


「隣、構わないか?」

「ええ。本日はお楽しみいただけましたか?」

「ああ、いろいろな人が来ていたから話をさせてもらったよ。他の皆もたぶんディリィが抜けたのに気づいていないくらい喋りに夢中で、高揚しているだろうな」

「あら、私の存在感は薄いですか?」

「ディリィが薄いなら誰が濃いっていうんだ。今日は皆、ディリィと二回目の話ができるなんて思っていないからこそ、満足したんだろう。これから茶会の誘いが山ほどくるぞ」

「あら、それは楽しみですね」


 ただし山ほどというのなら、ある程度の体力も必要だろう。しかし、いろいろな情報を得たいと思えば顔はできるだけだしたいところだ。


「一つ、真面目な話だ。ディリィは王都に戻ってきてから、まだクライドレイヌ伯爵令嬢と直接関わってはいないな?」

「ええ。このまま、関わりがないままであれば一番だと思いますが」

「残念ながら、あちらにそのつもりはないようだ。名前こそハッキリ言っていないが、どうも『良からぬことを考えている悪しき令嬢がいる』という夢のお告げを言いまわっているらしい」

「そしてその『悪しき令嬢』が私だと?」

「はっきりと名は言っていないが、赤目の娘らしいぞ」

「ほぼ言っているじゃないですか。ご忠告、ありがとうございます」


 赤目の娘など、そうそういるわけもない。

 子供っぽいやり口で攻めてくる、と、コーデリアは溜息をついてしまった。


「まぁ、でも、ディリィはウェルトリア女伯のところに行っていて正解だ。クライドレイヌ伯爵令嬢は『悪しき令嬢』はどんな手を使ってでも殿下に近づこうとしていると言ってるみたいだが、ディリィは近づくどころか二年も王都を離れている。あのご令嬢はそのことを知らなかったみたいだが、社交性のあるウェルトリア女伯やヘーゼル嬢があちこちでディリィのウェルトリア領行きのことを言っていたおかげで、お告げは不正確じゃないのかと疑っている層もそれなりにいる」

「伯母様とヘーゼル様には感謝ですね」

「もとより、ディリィがあちこちで功績を上げていた事実があるからでもあるけどな」


 ヘーゼルからそのようなことを直接言われたことはなかったが、次に会った時には深く感謝を伝えなければいけないとコーデリアは思った。今日の夜会の招待客は基本は各家の当主夫妻であり、そのほかはヴェルノーのような跡継ぎだ。

 しかしヘーゼルからは今日の代わりにと後日茶会に誘われている。曰く、盛大にお祝いをしたいので楽しみにしていてほしいとのことだった。

 だが、そんなことを思いながらもふと気付いたことがある。


「私が思っているより、ヴェルノー様はヘーゼル様と仲良くなさっているご様子ですね」

「なんでそうなるんだ」

「違いますか? 少なくとも、先程の口ぶりから察するに、昔ほど苦手だというわけではないように思いますが」

「……」

「もっとも、仰りたくないのであれば詳しくお尋ねしたりはしませんけども」


 いつもの余裕を持った軽口ではなく、難しい顔をして口を閉ざしたということは何かしら思うことがあるのだろう。少なくとも、先程の話をしていた雰囲気からは悪い印象ではないようだが、今の表情も照れ隠しというようなものでもないので、甘い言葉が出てくるようではなさそうだ。


「……昔みたいに迫られたらどうかと思うが、最近はわりと普通に接してもいいご令嬢のようだ。ディリィが抜けたあとの移動図書館も、だいぶ彼女が張り切ってくれてたしな」

「あら、それはよいではありませんか」


 しかし、ヴェルノーの眉間の皺は濃くなるばかりだ。


「ただ、昔の印象が抜けきらなくて若干身構えてしまうというか……逆に俺の態度が不審になってるんじゃないかって思って仕方ないな」

「ぷっ」

「なんだ」

「いえ、昔も今もヴェルノー様を悩ませられるご令嬢はヘーゼル様くらいではないかと思いまして」

「笑いごとじゃないぞ」


 しかしヴェルノーの余裕が崩されている様子が珍しいので、コーデリアは笑いを収めるのに少しだけ苦労した。そしてヴェルノーにここまで素直な反応をさせるというのは、ある意味ヘーゼルの才能ではないかと思ってしまった。

 だが、完全に引かれた昔の印象を払拭するくらいにはヘーゼルもこの二年でしっかりした振る舞いを見せつけたようである。


(この様子だとまだまだ恋愛に発展してるわけではなさそうだけど、ヴェルノー様もなかなか素直な態度を見せる方ではないし、案外言い組み合わせなのかもしれないわね)


 しかし、そのようなことを冗談でも口にしてヴェルノーを怒らせてはヘーゼルにも迷惑だろうと、コーデリアは何も言わなかった。ただ、少なくとも友人として仲良くしてくれればコーデリアにとっても嬉しいことだ。


「まあ、話を戻すが。あのご令嬢のやり口は拙いが、執着は凄そうだ。不幸中の幸いは成人まで表には出ていなかったから、それほど顔が広くないことか」

「礼儀作法の習得に時間がかかったのかもしれませんね。どうなったのか、私も気になるところです」

「そういえば二年前はクレイが散々言っていたが、今もひどいという噂は聞いていないな」


 ならば、ある程度は形になったということなのだろうか。

 貴族社会で生きていくのであれば必須のものだが、さすがに今の状況では素直にコーデリアも祝福できなかった。


「いずれにせよ、訝しんでいる者がいると同時に、神秘的だの幻想的だの、魅かれているご令嬢がいるのも事実だ。気を付けるようにな」

「はい。ある程度は覚悟しておりました。嫌われているのは宣戦布告を受けた二年前の時点で知っていましたけどね」


 ザハロフの事件の前後でシェリーの態度が大きく変わってしまったのは記憶にしっかり刻み込まれている。


(しかし人を囲い込んで陰口を吹聴するなんて、まるで私の知っている『コーデリア』のような振る舞いね)


 書物で読んだ通り、シェリーは自分のために力を使い始めたためにこんなことを言うようになったのだろうか? しかしよりによって、こんな誤った夢を見られてはたまったものではない。


「証明できることに関しては否定できます。ですが、口先で『私は殿下に近づくつもりなどありません』なんて、信じてもらえませんね」

「ああ。一番心配なのはクライドレイヌ嬢のことを信じる者が増えることより、ディリィがややこしい令嬢に絡まれるやっかいな令嬢だと思われることだろうな。早めにどうにかしなければいけないだろう」

「直接顔を合わせれば厄介事が起きるのも目に見えていますね」

「悪いな、めでたい日にこんな話をすることになって」

「なぜヴェルノー様が謝られるのですか。大事な話ですよ」

「だが、気も滅入るだろう。ただ、昨日ディリィも言っていた通り、俺もそう何度も年頃のご令嬢に会うのはよろしくないかと思ってな。使用人にも、あまり聞かせたい話でないだろうから、今日が都合いいかと思ってな」


 そう肩をすくめるヴェルノーに、コーデリアも小さく笑った。


「なんだか、不思議ですわ。ケーキを食べにだけやって来ていたヴェルノー様から、そんな言葉を聞く日が来るなんて」

「俺も不思議なもんだと思っているよ。父上にあちこち連れて行かれるのは勘弁して欲しいと心底思っていたが、ここには連れて来てもらえてよかったよ。いい幼馴染を得ることができた」


 その言葉を聞いたコーデリアは目を見開いた。

 ヴェルノーはからかうわけでもなく、ゆったりとした、今まで見る中では一番穏やかな表情をしているようにも見えた。


「珍しいですわね」

「祝いの日だからな。明日からは言わないさ」

「それは残念です。でも、私もヴェルノー様にお会い出来たことは幸運だったと思いますよ。ヴェルノー様やジル様と過ごす時間は、とても楽しく、大切ですから」


 これほど遠慮なく話ができる友人と巡り合えたことは、本当に大事なことだ。

 しかしヴェルノーは、先程のコーデリアと同じような表情を浮かべていた。


「なんだかそんなことを言われたら、ディリィじゃないみたいだな」

「ヴェルノー様だって仰ったじゃないですか」

「俺はいいんだよ、今日だけだからな」

「じゃあ、私も今だけの限定です」

「そうか、いまだけか」


 しかし、そう言えばヴェルノーはにやついた笑顔を浮かべていた。


「どうなさいましたか?」

「いや、それならジルにもいってやったほうがいいんじゃないかと思っただけさ。仲間外れは可哀想じゃないか?」

「……」


 確かに、ヴェルノーには言って、ジルに言わないという理由はない。

 しかし、あえてそれを手紙に書いてヴェルノーに託すのも違うような気がした。ただ、次にジルと顔を合わせることになるのはいつなのかわからない。


「まぁ、無理強いはしないさ。ここにいないアイツが悪いんだ」

「そうですね。ひとまず次にお会いできたときに、このような流れになったらお伝えするかもしれませんが……お手紙では記せませんね。保留です」

「まあ、文字に残ったらあとで恥ずかしいこともあるしな」

「別に恥ずかしいことではないとおもいますよ」

「そうか?」


 まるで黒歴史が確定するかのようなヴェルノーの物言いにコーデリアは呆れた。


「でも、大事なことならやはり直接伝えないといけないと思います」

「それなら直接言えるようなら言ってやれ。まぁ、今はそんなことよりもあのご令嬢のほうが気掛かりだしな。あのクライドレイヌ嬢がディリィをそこまで警戒する意味は本当にわからない。よく当たる夢が見れても現実と矛盾に気付かない者なら、ディリィを蹴落としたところで未来の王妃なんて務まらいだろうに」

「そもそも蹴落とすも何も、私は彼女の望んでいる争いに関係ないのですけどね。でも、そう思ってらっしゃるヴェルノー様やクライヴ様が殿下のお側にいらっしゃることは、安心ですね」

「まぁ、俺らがいなくたって、殿下の目も節穴じゃないけどな」


 そう言いきるなり立ち上がったヴェルノーに、コーデリアは軽く額を小突かれた。


「負けるなよ。使えるものはなんでも使え。俺でもクレイでも、ヘーゼル嬢だって喜んで手伝うさ。もっとも、もっと強力なカードを今日手に入れていたようにも見えるがな」

「ありがとうございます。でも、私が負けるとお思いですか?」

「そんなやわな幼馴染だったとは思いたくないものだな」

「やわって……これでもか弱い令嬢ですよ」

「芯がしっかりしてるって褒めてるんだ……って思ったけど、どこがか弱いんだ。か弱いご令嬢が乗馬をしたりお忍びしたりなんてしないだろう」


 そして顔を見合わせ、二人はほぼ同時に吹きだした。


「私はそろそろ戻りますね。さすがに、これ以上の休憩は名が過ぎるかと」

「そうか。一緒に戻れば俺が伯爵に睨まれかねないから、俺はもう少しゆっくりしていくよ」

「ええ。暗くて花は見づらいかもしれませんが、香りはいいので、楽しんでくださいな」


 もっとも、昼間に来た時だってヴェルノーが花を愛でていた記憶などコーデリアにはないのだが。

 しかしその時、柔らかくも強い風が辺りを吹き抜けた。

 その風は一瞬だけで、すぐに再び騒めきが耳に届く。


「……」

「どうかしたか?」

「いえ。……あの、妙なことを申し上げますが……もしかして、そこに、ジル様がいらっしゃいませんか?」


 周囲に何も妙なところはない。そこは見慣れた庭の、いつもの夜の景色だ。

 しかしそれでもどこか普段とは違う、けれど知っている空気を感じてしまった。


「さすがだな。見えてないし気配もないのに、わかるのか」

「やっぱり、いらっしゃるのですか」


 十二歳の頃にヘイル邸で感じたことのある、気配の薄い雰囲気とは少し違う。

 あの時のジルは仮面を利用して相手の認識を阻んでいたが、それよりももっと気配は薄い。

 今はいると知らされてもなお、その気配は感じられない。


(もしかしたら、私も知らない仮面を使われているからわからないだけかもしれないけど……本当に気配が感じられないわ)


 いるということが知らされてもなお、その場所にいるのが気付けないのなら、同じ術ではないだろう。ジルも成長して更に隠密が上手くなったということだろうか。そうだとすれば、わんぱく度は増しているということなのだろうが……いずれにしろ、気配が分からないのにそこにいるのがわかる理由がわからない。


 けれどここにいるということは、祝いに来てくれたということなのだろう。

 コーデリアはジルが姿を現してくれるのを待ったが、ジルの姿は現れない。


「どうか、なさいましたか?」


 不思議に思って声をかけても、返事はない。

 代わりにヴェルノーの声が響いた。


「ジル、今日は顔は出せないって。で、どうも俺に会いに来たらしい」

「ヴェルノー様に?」


 思わず怪訝とした表情を浮かべるのも、仕方がないことだろう。

 ヴェルノーはあきれ顔ながらも、六歩ほど進んだところで止まった。

 そして右手を出すと、そこに急に紙が現れ、コーデリアは目を丸くした。


 (本当に、いらっしゃるのね)


 確認済みのことであっても、突然手品のように現れたら驚かずにはいられなかった。


「ディリィに、これ渡してくれって」


 それを見ると、それは無記名のバースデーカードだった。

 ただ、見慣れた字なのでジルのものだということはわかった。


「これをお届けに来てくださったのですか?」

「ああ。俺も頼まれてたんだけど、さすがに今日、人前で渡すのも変な誤解を周りに与えかねないって断ったから、自分で来たらしい」

「……とはいいつつ、今のように二人でお話する場面もあるかと思ってらっしゃったのでは?」

「まあ、それは置いといて。だから誰かが持って入ってくれるように門の付近にでも置いて帰ろうと思ってたらしいんだ。封筒に入れてなけりゃ、危ないものじゃないってわかるから届くかもって。でも、なんかいるっぽいって思ったから入ってきたらしい」


 今日は多くの人がいるし、警備の場所もいつもより限られている。

 ジルもこれだけ気配が消せるのなら、この場所くらいならなんの問題もなく来られるのかもしれない。

 しかし、だ。


「それならお顔を見せてくださってもいいのではないですか? ここだと、人の目もありませんよ」

「まあ、勘弁してやってくれ。ディリィのためでもあるんだ」

「え?」


 昨日は名を明かして手紙も自分で届けるようにジルに言うと言っていたヴェルノーが庇ったので、コーデリアは首を傾げた。


「下手にジルがここにいるってジルの両親の耳に入ったら、絶対ディリィを嫁にって、ぐっ。オイ、いきなり殴るなって」

「……ヴェルノー様、それは殴られても当然だと思いますよ。冗談にしても、もう少しセンスを磨いてくださいませ」


 何を言うのかと思えば、碌なことを言わなかった。

 真剣に耳を傾けかけたことを後悔しつつ、コーデリアはため息をついた。


(でも、例えばもしもジル様がご長男でなければ、ここにいるのは確かに不自然ですものね)


 ヘーゼルがここに来ないように、ジルもまた、本来の姿を見せたところで来られないのかもしれない。それにも関わらずこの場にいることが誰かの目に入れば、要らぬ噂も立つだろう。

 しかしコーデリアがそう考えている間もヴェルノーとジルはまだ何かやりとりをしているようだが、はたから見ればヴェルノーの一人芝居でひどく滑稽だ。


「いや、だってそうだろ」

「はいはい、わかった、わかった。悪かったって」

「あーもう、また今度聞くから今日は勘弁してくれ。お前、もう帰れ」


 しっし、と、犬でも追い払うかのような姿を見て、コーデリアはついに吹きだした。


「あのなぁ、ディリィ。お前もこいつなだめてくれよ」

「申し訳ございません、私にはどういう表情なのか、お声なのか、まったくわかりませんから」

「あーもう、ジル、お前もう姿見せろよ」

「無理強いなさらないでくださいませ。もとはといえば、ヴェルノー様のせいなんですから」

「いや、ジルが勝手に来たせいだろう」


 しかし、ヴェルノーの言い分を聞いてもおそらく今日は同意できそうにないので、コーデリアは軽く効き流すことにした。

 その代わり、そこにいるだろうジルに向かって一礼した。


「お祝い、言いに来てくださってありがとうございます。いただいた髪飾り、似合っていますか?」


 返事は何も聞こえない。

 けれど、何もない空間から柔らかい空気が伝わってきたような気がした。


「さて、本当にそろそろ戻らなくてはなりませんね」

「ああ。まあ、ジルの不法侵入については俺からも言い聞かせておくから」

「それはほどほどにしてくださいませ、と、私からもお願いさせていただきますね」


 そして、最後にもう一礼をしてからコーデリアは広間へ戻った。

 丸二年会えなかった友人の姿が見られなかったのは残念だが、雰囲気は全くかわっていないのだろうなと、ヴェルノーとの見えないやり取りからは感じてしまった。

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