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第六十九幕 成人の宴(上)

 夜会に訪れてくれた人々の前に出るのは、エルヴィスが挨拶を行ったのち、入場の合図を送られてから。

 そう教えられているため、コーデリアはイシュマとともにじっと待機をしていた。皆に向かって一礼して、踊って、そのままエルヴィスと共に個々に挨拶をする。その際に土産物になる香りを選ぶ――そう、頭の中で流れを整理していると、隣でイシュマが笑った。


「意外と落ち着いてるかと思ったけど、ちょっと笑みが足りないよ」

「……そうですね」

「大丈夫。綺麗だから、コーデリアは堂々としてればいい。新しい香りも、コーデリアによく似合っているよ。何の香りだい?」

「薔薇なんです。以前と精油の抽出方法を変えてみました」

「花は同じなのかい?」

「はい。温室にある、赤い薔薇です」

「へえ、抽出方法でもずいぶん香りがかわるんだね」


 しかしそこまで言ったイシュマが、少し考える仕草を見せたので、コーデリアも首を傾げた。


「お兄様? どうかなさいましたか?」

「……それに使った薔薇はコーデリアが植えている赤いもの、だよね?」

「はい、友人が手配をしてくれました。お母様の御趣味で種類を増やされているそうで、他には出回っていない内緒のお花です」

「そうか」

「薔薇がどうかしましたか?」

「いや、よく似た花を見たことがあったんだ。でも、それなら別のものかな」


 香りを重視したコーデリアの薔薇は、花弁に特徴が強くあるわけではない。赤の薔薇だけなら他にも多くあるため、イシュマでも見間違うことはあるだろう。


「コーデリアはその薔薇を大切にしているんだね」

「はい。とても大好きな花です」


 薔薇の種類、そして抽出法が違うからか、前世とは少し異なる香りをしているが、前世を含めても一番大好きな香りには違いない。


(人生最初の主役の舞台、整えていただいている環境も、私のコンディションも最高のはず)


 そう思いながら、コーデリアは顔を上げ、まっすぐともうすぐ通り抜ける扉を見つめた。

 そこでは執事のハンスがホール内の様子を伺い、コーデリアが出ていくタイミングを図っていた。しかしハンスほど扉に近づかなくとも、ハッキリと中からエルヴィスの声が届くため、コーデリアも自分の出番が近づいていることに充分気付けた。そして、それはイシュマも同じだ。


「コーデリア、手を」

「はい、お兄様」

「笑顔もいつも通りに戻ったね。改めて、おめでとう」

「ありがとうございます」

「まぁ、一つ残念なのは今日のお相手が私っていうことかな。素敵な婚約者でもいればよかったんだろうけど。まぁ、私にもいないから今日は私で我慢しなさい」


 そんな風に冗談を言われてしまえば、コーデリアは思わず吹きだしそうになるのを必死にこらえた。


**


 ホールへの扉が開くと、まぶしい光が飛び込んでくるようにコーデリアは感じた。

 いままでの場所だって決して暗かったわけではないが、きらきらとしたシャンデリアやランプの光が満ち溢れるホール、それから一斉に自分のほうを向いた客人の目がそう感じさせたのだろう。

 しかし、不思議なことに待ち時間の時とは違ってそれほど緊張はしていなかった。

 余裕があるという状態ではないが、冷静に周囲を観察することはできた。出席者の顔と名前は頭に叩き込んでいる。だから正面を向きながらも、視界の端に飛び込んでくる人々の姿を見て出席者の状況を把握した。おそらく欠席者はいないはずだ。


 人々が話す声も思った以上にハッキリと聞こえる。

 その中にはコーデリアが纏う香りについて話す声も混じっており、自然と笑みが零れた。


 そして進んでいるうちに、ニルパマの姿やフラントヘイム侯爵夫妻とヴェルノーの姿も見えた。


(それから……あれは、お姉様?)


 思わずそちらを注視しそうになったのは兄たち以上にその姿を見ることがなかった、サイラスの双子の妹であり、そして公爵家の三男に嫁いだマルヴィナ・オーウェンズだ。噂ではその夫はもうすぐ重要な場所にある母方の伯爵領を継ぐことになるらしい。

 マルヴィナは血のつながった姉なのだからこの場にいても不自然ではないのだが、コーデリアの記憶の中にはほとんどなく、実家にも姿を見せることのない人物だ。

 しかしマルヴィナの表情は穏やかで、純粋に妹の成人を祝福しているようだった。薄い関わりしかないのに、不思議なことだ――そう思っていると、あっという間にホールの中央にたどり着いてしまった。

 そこで目が合ったエルヴィスが小さく頷くことを確認してからコーデリアはイシュマから手を離してターンし、優雅に一礼した。


「今宵はお集まりいただきましてありがとうございます。本日より皆様の仲間入りをさせていただくことになりました、コーデリア・エナ・パメラディアと申します。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます」


 そしてゆるりと微笑んだ。

 周囲から暖かな拍手が起こり、それを合図に楽団が繊細な音を奏で始めた。


「お手をどうぞ、レディ」

「よろしくお願いいたします、お兄様」


 冗談めかしたイシュマの手を再び取り、コーデリアは音楽に合わせてステップを踏んだ。


(あれだけ苦手で必死だった三拍子が踏めるようになったのは、いつの頃からだったかしら)


 イシュマのリードのおかげでもあるとは思う。

 けれど、努力が実っているのも確かにあるはずだ。


「楽しそうだね」

「ええ。とても」


 こうして小さく話すほどには余裕もある。


「昔から怖いもの知らずだとは思っていたけど、やっぱりコーデリアは大物だね」

「あら、怖いものはありますよ」

「怪談、まだ苦手なのか?」

「どうしてそれを知っているんですか」


 そのような話をイシュマにしたことはないはずなのに、どこから一体聞いたというのか。

 しかしそれを知っていて、なおかつ口を滑らせそうな者などロニーしかいないことにすぐにコーデリアも思い至った。そして、イシュマもそれに気付いたようだった。

 

「いい関係が築けているようで何よりだよ」

「それは、とても思っています。でも、ロニーも何もお兄様に言わなくてもいいのに」


 いかんせん、あまり格好のよい話ではない。

 コーデリアが頬を膨らませるのを堪えていると、イシュマは笑った。


「ごめんごめん、言うタイミングが悪かったかな。でも、もうこれで終わりだ」


 そして、曲の区切り。

 優雅に一礼し、そして再び顔を上げる。


「皆様、今宵はお楽しみくださいませ」


 そして場の空気が和んだことを見届け、イシュマと共にコーデリアはエルヴィスの元へと戻った。エルヴィスはたとえ宴の主催者であっても無表情はいつも通りだった。


「戻ったか」

「はい、お父様」

「イシュマもご苦労だった。コーデリアは今からが本当の仕事の時間だ」

「はい」


 そう、お披露目を終えれば、挨拶の時間が始まるのだ。

 相手がどのような人柄なのか観察する必要もあるし、次に会う時のために話の内容もしっかりと覚えておきたいところだが、いかんせん今回は人数がとても多い。しっかりしないとうっかり抜けてしまう――と、コーデリアが改めて気合いを入れていると、明るい声がそこに響いた。


「エルヴィス様、コーデリア。お客様をお連れしたわよ」


 そういったのはニルパマで、その後ろにはエルヴィスと同じくらいに見える年齢の男女がいた。


「お久しぶりですね、パメラディア伯爵に御子息殿」

「これは、オーウェンズ公爵御夫妻。お揃いでご足労いただき、ありがとうございます」

「ご足労、か。むしろ招いてくれなかったら、妻の怒りが大変なことになっていたよ」


エルヴィスの返答に苦笑した公爵は、そのままちらりと夫人に視線をスライドさせた。

コーデリアも同様に視線の先を追うと、そこではオーウェンズ公爵夫人が非常ににこやかな笑みを浮かべていた。


「初めまして、コーデリアさん。噂に聞いていた以上にとても綺麗な子ね。私は貴女の成人を心から祝福するわ」

「そうだね、私からも祝わせていただきたい。おめでとう」

「ありがとうございます」


 コーデリアが感謝を伝えると、夫妻も笑みを深めた。

 しかし次の瞬間、夫人はニルパマを横目でじっと見た。


「私、コーデリアさんと以前からお会いしたいと、ニルパマにはお茶会のたびに伝えていたのよ。けれど、香油等の件ならまだ試作品だといって、取り次いでくれなかったの」

「あら、まさか公爵夫人にテスターをさせるわけにはいかないじゃありませんか」

「そう言いながら、ニルパマは使っているじゃない。それに伯母の貴女はともかく、サーラもでしょう?」


 優雅ながらも、少し子供のように言うオーウェンズ公爵夫人に、ニルパマとコーデリアは小さく笑った。


「ねえ、コーデリアさん。お店、今作っているでしょう? いつから開店予定なのかしら?」

「よくご存じですね」

「もちろん。だって、気にしているもの」

「今は準備が整い次第、とのお伝えになるのですが……ひとまず今日は皆様にお持ち帰りいただけるお土産をご用意しているのです。よろしければ、ご試用いただけたらと思います」

「まあ、本当に!? 楽しみにしているわ」


 コーデリアの返事を聞いた公爵夫人はコーデリアの手を取った。

 その勢いにコーデリアも一瞬目を見開いたが、すぐに笑みを戻した。それと同時に、やや抑えてはいるものの、周囲にも騒めきが起こった。その瞬間、自分がどれほどの期待を持たれていたのか、コーデリアにもわかった。

 ならばその期待以上の品を渡せるようにと、コーデリアは自身の目に魔力を込め、まっすぐと公爵夫人を見つめ、彼女に合う香りを探した。


(……きっと公爵夫人ならゼラニウムの精油なら、お気に召すはず)


 それなら、ゼラニウムのフェイストリートメントオイル、ラベンダーを加えた香油、それからグレープフルーツを加えた芳香浴剤をまとめたお土産セットがちょうどいいだろう。

 コーデリアはそう判断すると、控えていたエミーナを手招いた。そして、エミーナが持つ籠の中から、飾り玉がつけられた緑の飾り紐を取り出した。ビーズも織り込まれた飾り紐はブレスレット状になっている。


「今お土産をお渡ししてしまうと、お荷物になってしまいますから。帰りにお渡しする場を設けますので、それまではこちらをお持ちください」

「ありがとう、コーデリアさん。もっと貴女とお話させていただきたいけど、あまり私が貴女を独占してしまったら、他の皆様とお話できないわよね。今度、お茶会にお誘いするわ。よければいらしてくださいね。貴女のお姉さんもいるから、安心よ」

「ありがとうございます」


 マルヴィナの件については返答に窮するところでもあるのだが、公爵夫人の茶会に招かれるのはありがたいことこの上ない。公爵夫人の茶会は『黒百合の茶会』と呼ばれ、御婦人の秘密が飛び交うとニルパマからも聞いている。


(もしかして、伯母様とサーラ様は私が招いてもらいやすいように、取り計らって下さっていたのかしら)


 しかし公爵夫人を前にしている今、それをこの場で問うことはできない。それに尋ねたところで秘密だと笑われそうな気もした。


「ああ、でも去る前に。貴女も妹さんにお祝いを言わなきゃいけないわね」


 公爵夫人の言葉で姿を現したのは、夫妻の後ろに控えていたマルヴィナだった。

 サイラスよりはイシュマに似ている優し気な雰囲気のマルヴィナは静かに笑った。


「おめでとう、コーデリア」

「ありがとうございます、お姉様」

「私は今夜、こちらへ泊るわ。明日私が帰る前に、一緒にお茶を楽しみましょう?」

「はい、楽しみにしています」


 思いがけない申し出を受け入れながらも、コーデリアは内心とても驚いていた。

 ただ、公爵夫人の前であることもあって、それを表情に出すことはできない。その挨拶を終えるとマルヴィナは公爵夫妻と共にコーデリアたちの前から去っていった。


 そして間を置かず、入れ替わりにやってきたのはフラントヘイム侯爵夫妻とヴェルノーだった。


「やはり綺麗になったね、コーデリアさん。エルヴィスもこの上なく鼻が高いことだろう?」

「おめでとう、コーデリアさん」

「フラントヘイム侯爵様、サーラ様。ありがとうございます」


 ヴェルノーからは軽く手を上げられるだけの挨拶だったが、それは両親の前だからということもあるのだろう。夫妻は軽くエルヴィスにも挨拶したあと、また屋敷にも来て欲しいとだけ告げ、サーラがコーデリアから飾り玉を受け取ったのを期にその場を離れた。その去り際に、ヴェルノーが自らの頭を指さした。それはちょうど、コーデリアの髪飾りの位置だ。

『それ、使ってるんだな』

 そう、言われた気がしたので、微笑んで頷いた。


 それからもコーデリアの元には人々が絶え間なく訪れ、大勢の人と挨拶を交わした。

 これだけ多くの人と一度に言葉を交わすのはコーデリアにとっては初めてのことで、ようやく一つ息を付けた時には心の中で息が上がるような思いだった。

 ちらりとエルヴィスを見上げれば、エルヴィスには特に変わった様子はなかった。

 人前などエルヴィスも決して好まない場所だろうが、それでも慣れているということなのだろう。さすがエルヴィスだと思っていると、不意にエルヴィスと目が合った。


「……疲れたのか?」

「いえ」


 本当は疲れているが、この場を離れるわけにもいかない。

 疲れたというように見えたのなら、それは気を引き締めなおさねばならないことだ。

 しかし近場の給仕を呼んだエルヴィスはグラスを受け取り、コーデリアに渡した。


「少し風に当たってくればいい。身体の中の空気が入れ替われば、頭も冴える」

「ですが」

「一通りの挨拶は終わっている。周囲の歓談も進んでいるようだ。多少外したところで問題もない」


 エルヴィスにそう言い切られてしまえば、コーデリアには反論する言葉はなかった。

 気遣われての申し出なのだから、断る理由がなければありがたく受け入れるべきだろう。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」

「ああ」


 外に出ても、会場のざわめきは耳に届く。

 いつもなら静かな庭も今日ばかりは少し賑やかだ。


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