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第六十七幕 娘による父への帰還報告

 エルヴィスが帰宅するだろう時間が近づくにつれ、コーデリアはつい何度も窓の外を確認してしまった。あまり気にせずともエルヴィスが戻れば誰かが知らせてくれるとは理解しているのだが、緊張が高まれば外がどうしても気になってしまう。


(いけない、いけない。落ち着かなきゃ)


 これではまるで理想の令嬢とは程遠い所作だと、コーデリアは深く息を吸った。

 そうすると少しは頭も冷えたが……いや、頭が冷えたからこそ次の問題に気づいてしまった。


「まずは帰宅のご挨拶をさせていただくとして……その次は、なにからお話させていただいたらいいのかしら……?」


 修行期間中の報告は資料を揃えてから行いたいが、まだ荷解きは終わっていないし、そもそも荷物の一部はまだ届いていない。それに送りだしてくれたエルヴィスなら、改めて都合がいい時に報告の機会を設けてくれるだろう。

 ならば、まずは楽しい話題……とも思うが、エルヴィスが楽しんでくれる話題というのも選択に迷う。何せ、顔を合わせるのも久しぶりだ。もしかすると好みも多少は変化しているかもしれない。

 そうして余計に迷いを深くするコーデリアの様子に、ララが肩をすくめて小さく笑った。


「お嬢様、気分が落ち着くようにお茶でも用意してきましょうか?」

「ありがとう、でも、お茶という気分ではないの」

「なら、髪を結い直しましょうか? 少しは気が紛れるかもしれないわ」

「それは今朝、貴女が気合いを入れて結ってくれたから問題ないし、もったいないわ」


 毎日コーデリアの髪を結ったおかげですっかり髪結いが得意になったララは、ニルパマの唐突な「今日はこの髪形をコーデリアに試してみない?」というような注文に応えれるほど、腕を上げている。今のコーデリアも幼い頃からのツーサイドハーフアップではなく、ハーフアップに編み込が加えられているような髪型だ。


「じゃあ、ホットチョコレートでも用意してきましょうか。もう少し気温が上がってしまえば、美味しく飲めない季節になってしまうもの」


 そう言いながらララは足取り軽く部屋を出ていってしまった。

 紅茶じゃないものが飲みたいというわけではなかったのだが、止める暇もなかったことにコーデリアは苦笑した。

 けれど、そんなララのいつも通りの様子には少しだけ安心させられもした。


**


 そしてそれから小一時間ほど経った頃にエルヴィスは帰宅した。

 緊張しながらコーデリアがエントランスへ向かうと、そこには以前と変わらない様子のエルヴィスが何かハンスに指示を出していた。

 けれどそんな中でもエルヴィスはすぐにコーデリアが現れたことに気が付いた。そのエルヴィスの様子でハンスもコーデリアに気付いたらしく、微笑みながら一歩後ろに下がった。

 どうやら二人の話は急ぎの要件ではないようで、順番を譲られたようだった。


「お帰りなさいませ、お父様」


 コーデリアはそう言ってから、はっと気が付いた。父の帰宅を迎えたつもりだが、先に伯母のもとから帰宅したと告げるほうが先だっただろうか?

 しかし一瞬目を見開いたように見えたエルヴィスも、大して気にした様子は見せなかった。


「……ああ」


 ただの短い返答に、コーデリアは少しだけほっとした。

 どうも伝えた言葉は間違いではなかったようだし、驚いた様子も気のせいだったのだろう。

 だが、その続けられた言葉には驚いた。


「お前も、変わりないようで何よりだ」

「あ、ありがとうございます」


 昔から多々気遣われていることは知っているが、直接言葉にされるのは珍しい。コーデリアは思わず表情を崩して笑ってしまった。

 そんな様子に釣られたのか、ハンスも笑みを深くしていた。


「旦那様、お茶のご準備をいたしましょうか?」

「ああ」


 ハンスの申し出を受けたエルヴィスは「サンルームに」と言うと、一旦自室に戻るようだった。どうやら、それは先に言っていろ、とのことらしい。


**


 茶会を催すことが特に少ないパメラディア家のサンルームは他家に比べて使用頻度が格段に少ない。そのため室内に切り花ではなく、多数の観葉植物が鉢植えで置かれている。そして窓際に固められている花はパステルカラーで落ち着く色合いだった。


 しばらくそれを眺めながらコーデリアが待っていると、やがてエルヴィスがハンスを伴って現れた。そしてエルヴィスが腰かけたのを契機に、コーデリアも席に着いた。ハンスは紅茶をサーブすると、そのまま下がった。


「お父様、こちら、お土産でございます」


 その言葉とともにコーデリアが差し出したのは、ロックグラスが五つ納められた箱だった。ウェルトリア領には色が付いたグラスにサンドブラストのような加工が施されているものが非常に多い。温暖で果物も多く収穫できるウェルトリア領では多種多様な果実酒があり、グラスの製造も盛んなのだ。


「もしよければ、お使いくださいね」

「……ああ」


 エルヴィスはすぐにグラスを箱から取り出して眺めるようなことはしなかったが、ぽつりと「これで約束の酒も……」とこぼしたことでコーデリアは目を見開いた。

 それは本当に独り言のようで、エルヴィスもその言葉を口にしたことに気づいていないのかもしれない。しかし成人後に酒を選んで欲しいと頼んでいたことを覚えてもらえていたことに、コーデリアは嬉しくなった。同時に、エルヴィスが自分のこぼした言葉に気づかないくらいリラックスした状態で一緒にいることにも喜びを感じた。


「……ウェルトリア女伯のもとでは、学ぶことが多かったようだな」


 紅茶のカップを手に取りながら呟いたエルヴィスは、そのまま言葉を続けた。


「女伯からはもう少しお前を手元に置いておきたかったようだ。ブルーノ殿も少し前に『優秀な書記がいなくなる』と、嘆く手紙をこちらに寄越している」

「……伯母様と伯父様が、そこまでお褒めくださっていたのですか?」

「ああ。ウェルトリア夫妻からは『いつでも歓迎する』と言われている。お前の気が向けば、また訪問すればいい。長期滞在についてもまた然り、だ」


 それは幼い頃から話があった、次期領主として学ぶという意味を含めてなのだろうかとコーデリアは思ったが、エルヴィスの雰囲気からは決断を迫られているという印象は受けなかった。


「……お前は、お前が望むようにすればいい。品評会で評価が得られたのも、お前の考えが求められていた証拠だ。ウェルトリア女伯もまだまだくたばらんと自分で言っている」


 コーデリアの考えを察してだろう、エルヴィスは紅茶に口をつけた。


「ありがとうございます、お父様」


 そしてコーデリアもカップに手を伸ばした。紅茶はコーデリアがお土産として持って帰ってきたハイビスカスティーが淹れられていた。もともとウェルトリア領でローゼルの花はお茶としては使用されていなかったが、その特徴的な酸味はウェルトリア領の人々の口には合いやすかったらしく、花のガクを使った茶葉の作り方はすぐに広まった。クエン酸やリンゴ酸が多く含まれ、血流の改善や成人の病予防、疲労の回復にコレステロールの低下が期待できる。今カップに注がれているものはローズヒップをブレンドしたもので、すこしまろやかな味わいだ。エルヴィスも苦手ではなかったようなので、コーデリアはほっとしていた。


「……ただ、何も急がなくても構わないということではない。領主になりたいと思うのであれば、決断は急がなければならない。婚姻にも関わる話になる」


 途中で「はい」と返事をしかかったコーデリアは固まった。


(……こん、いん?)


 それが何の言葉を察しているのか理解するのに、コーデリアは数秒の時間を要してしまった。


(そうだ、私ったら……!!)


 ニルパマから様々なことを学んでいる最中……というよりは、学び始めたころから急激に忙しくなったこともあり、コーデリアは自身がそういうことを真剣に考える年齢になっていることを再び失念してしまっていたことを思い出した。


(大書架に行くようになって、出会いも増えるかもしれないって思っていたはずなのに……)


 しかしそうは思っても、結局ウェルトリア領で修業をしていたのだから、たとえ忘れていなくとも変化はなかったはずだ。エルヴィスがコーデリアの結婚についてはっきり言及したのは四歳の頃以来であるが、告げられたのは実質的に白紙であるということだけだ。


(だって、どうしたいかで相手の条件がかわると仰っているだけだし……しかもそれが領主になりたいなら早く決断しろとおっしゃってるだけなら……)


 もしかすると相手に関しても、コーデリアにも選択の自由が与えられているということなのではないだろうか。


(そうだとすると、初恋をすれば叶えることだってできるかもしれない……! 想った相手にさえ、振り向いてもらえたら……!)


 そう思えば自然と頬も熱くなる。エルヴィスの前なのでここは冷静でいなければいけないとは思うのだが、はっきりと当主から王家に嫁がなくてよいと断言されたのだと思えば、気も緩んでしまうというものだ。

 しかしそんなコーデリアとは対照的に、エルヴィスの目力がいつもより増しているような気がした。眼光が鋭い、とでもいうのだろうか。


「……お父様?」

「いずれにしろ、まだ早い話だ。少なくとも、成人するまで意味を成すこともないだろう」

「え? は、はい」


 しかしひと月後には成人だ。早すぎるという話ではないのだが、かといってコーデリアにもまだ是非にと今願い出られる相手がいないので無理にねだる必要もないだろう。


「夜会の最初にお前が躍る相手は、イシュマに任せておく」


 婚約者がいないコーデリアにとって家族が相手だということは特に不自然なことではないが、エルヴィスが躍ることはやはりないようである。ロニーを窘めたりもしたが、コーデリアも少し残念に感じてしまっていた。どういう風にエルヴィスが踊るのか、正直に言えば興味はあった。


「それから、これはフラントヘイム侯爵からだ」

「侯爵様から……ですか?」


 珍しいと思いながら手紙を受け取ったコーデリアが見たエルヴィスは、とても苦々しい表情を浮かべていた。


「……どうせろくなことなど書いていないだろうが、確かに渡した」

「はい、確かにお受け取りいたしました」

「……たまたま帰りがけに顔を合わせ、なぜかお前が帰ってきたと察した後は来るといって聞かなかった。なんとか置いてきたが、おかげで帰るのが遅くなった」


 もちろんコーデリアもフラントヘイム侯爵に王都に戻ったことなど伝えていないし、ヴェルノーにだってまだ帰宅したとの報告はしていない。だから、本当に侯爵がなぜ察したのかは不思議であった。もしかすると、いつもより格段にエルヴィスが城を出ようとした時間が早かったから……なのだろうか?

 さすがに不満を募らせた様子のエルヴィスを前にコーデリアが手紙を開くことはできず、その後はさらりとウェルトリア領で見学した水に関する技術や、あちらで新たに得た人脈の話などをした。詳しい話は後日とエルヴィスからの指示があったため、あまり掘り下げはしなかったが、それでもあっという間に日は暮れてしまい、一旦お開きとなり、夕食までそれぞれが部屋に戻ることになった。もちろんそのまま共に食堂にいくということもできたが、コーデリアも受け取った手紙を部屋に置きに行きたかった。


「……そのついでに、少し読むのは構わないわよね」


 そう言って手紙の封を切ると、その中には五枚に渡る便箋が封入されていた。いつも数行で終わるヴェルノートは大きく違い、親子でもここまで差がでるのかと、そしてこれが書きあがるまでエルヴィスは待たされたのかとコーデリアは少しだけ苦笑した。これがなければ、エルヴィスの帰宅ももっと早まっていたのかもしれない。

 フラントヘイム侯爵からの手紙は、まずエルヴィスをたまたま見かけたがパメラディア家の訪問を今日は許可されそうになかった、という書き出しから始まっていた。そのあとは妻であるサーラとのことが連ねてあったので、詳細はあとにしようと約三枚分は読み飛ばした。そして四枚目の後半にはコーデリアのための夜会に参加するという話が書かれていた。


『エルヴィスに『君が』躍るのかい? って聞いたんだけど、すごい勢いで睨まれて終わってしまったよ。昔から踊ってる姿を見たことがなかったから、少し楽しみだったんだけどね』


 その文章を見たコーデリアは、フラントヘイム侯爵がそのようなことを言ったからこそ、エルヴィスが躍ることを受け入れなかったのではないかと思ってしまった。昔から一度も、となると本当に苦手にしているのかもしれないが、エルヴィスがからかわれるようなことに自ら飛び込むようなことなど、絶対にない。


『ついでにヴェルノーを使うなんてどうだい、って言ったら反応すらしてもらえなかったよ』


 その文字にコーデリアは脱力した。非常に楽しそうな文字からは笑い声すら聞こえてきそうな勢いなのでフラントヘイム侯爵も本気で言ったわけではなかったのだろうが、仮にそんなことをしてしまえば婚約者だともとらえられかねない。非常事態に陥ってしまう。

 ヴェルノーは友人としてはとても頼もしい相手だが、おそらく互いに恋愛感情を抱くことはできないだろうとも思っている。仮にこんなことを言えば鼻で笑われてしまうだろうことは想像に難くないし、よくて「なんだ俺に惚れてたのか」なんてからかわれるのが関の山だ。そもそも過去にはヘーゼルを避けるために、勘違いしない令嬢ということでコーデリアに白羽の矢を立てたのだから、今更なことだろう。

 しかし一体ヴェルノーもどんなご令嬢を迎えることになるのだろう、とコーデリアは小首をかしげた。夫人への熱い思いを綴るフラントヘイム侯爵は『自分で見つけてこい!』とのスタンスを貫くだろうし、かといってヴェルノーがご令嬢を口説く姿もあまり想像ができなかった。


「……ま、まぁ、ヴェルノー様の将来はいつかにやにやとさせていただくことにして……、私が気にしなければいけないのは、私のことよね」 


 エルヴィスからの言葉で不安の一つが完全に消えたとはいえ、気がかりだったことはまだ残っている。それは、シェリーの存在だ。


「……あいまみえるようなことがなければ、それでいいのだけれど」


 しかし、そうもいかないだろう。ある程度の噂は、コーデリアも掴んでいる。大人しい令嬢に成長した……ということは、現在のところなさそうだ。

 だが、それでもまずは自分が主役の舞台を勤め上げるのが一番大事だ。

 コーデリアはそう気を取り直し、一旦手紙を机の中にしまった。そしてフラントヘイム侯爵の奥方への想いは、またあとでゆっくり読もうと思いながら、食堂へと向かった。




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