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第六十六幕 王都への帰還

 成人を翌月に控えたころ、ウェルトリアでの日々に別れを告げたコーデリアはララとともに馬車で自宅へと向かっていた。

 時間としては同じ日数がかかっているはずなのだが、コーデリアにとっては往路よりも復路のほうがあっという間の距離だと感じてしまっていた。


 そして明るい色の花に彩られた自宅の庭を目にした瞬間、コーデリアは歩きたいと御者に申し出た。


 門扉の内側でララから日傘を受け取り、久しぶりの庭をゆっくり歩く。長い間離れていたのだから、もっと驚きや懐かしさがこみ上げてくるかと思ったが、コーデリアが感じたのは『落ち着く』という感想だった。


「ただいま」


 時折そのように花々に向かって話しかけながら進めば、あっという間にエントランスに到着してしまう。

 到着した先には、多くの使用人が出迎えようと待機していた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「長旅、お疲れ様でした」


 そう、口々に挨拶を受け、コーデリアも笑顔を返す。


「ただいま戻りました。皆、変わりないようで何よりです」


 そしてエミーナに使用人たちへの菓子の手土産を渡し、配ってもらうように頼んだあとは一人で先に自室へ戻った。

 自室は出発前と変わりなく、やはり頬がゆるんでしまった。

 ウェルトリアでも自室のインテリアは好きにさせてもらっていたが、やはり慣れた部屋はとても落ち着く。


「……では、旅の疲れを癒やすためのお昼寝……なんて、言っている暇はないかな」


 そう言うや否や、コーデリアは早速着替えて研究室へと向かった。

 まず、早急にやるべきことは……自分の成人を祝うために夜会へ来てくれた人々へのお土産作りだ。


「あと一ヶ月だし、気合いを入れていきましょう」


 そう決意してから扉を開くと、そこではロニーが木箱を持って片付けを行っていた。


「あ、お帰りなさい。お嬢様」

「ただいま。変わりがないようで何よりだわ」


 互いに感動の再会……というわけでもなく、ロニーは以前と変わらぬのんびりした様子であった。研究室の中も変わりなく、まるで一日ぶりにやってきたと錯覚するほど馴染んでしまう。しかしテーブルの上には行く前にはなかった、そしてウェルトリアでよく見た、知っている箱が置いてある。


「……ここにそのお土産があるっていうことは、ララはもうこっちに来たのね」

「はい。『お嬢様が来られるまでに温室に不備がないか、チェックしてくる!』って言って、すぐに出ていっちゃいましたけどね。俺の管理、どうやら信用が薄いようです」

「久しぶりだから、何を話していいものか迷ったんじゃないかしら」

「そんなことありますかね? そう言ってるお嬢様自身、久しぶりで迷うって様子でもないみたいなのに」


 肩をすくめるロニーも、たいして久しぶりの再開だとは思っていない様子である。

 しかしおそらく間違いはないのだが、と、コーデリアは苦笑いを返した。


「そういえば、お嬢様の成人祝い、舞踏会のスタイルになったんですってね」

「ええ」


 この国では以前は成人祝いなら晩餐会になることが多かったようだが、最近では舞踏会を催し華やかに祝うことも増えたらしく、フラントヘイム侯爵家でもヴェルノーの成人を祝った際は舞踏会の形式を選んだと聞いている。


「楽しみですよね。旦那様が踊るかもしれないってことなんですから」

「……そう、ね」


 しかし舞踏会だとしても、果たしてエルヴィスは踊るのだろうか?

 その疑問にはコーデリアも興味惹かれるが、ひとまず咳払いをしてその場はごまかした。

 確かに非常に気になるが、得意ではないだろうから、あまり注目するのも気の毒だ。


(でも、本当にロニーは相変わらず主人相手でも遠慮がないのね)


 これでは魔術師長が眉をつり上げる回数も減っていなさそうだなとコーデリアは軽く息をついた。


「ああ、そういえば。招待状は奥様がお書きになったそうですよ」

「え?」

「会にはご出席なさらないそうですが。パメラディア家の令嬢の祝いにふさわしい、とても丁寧な招待状だったと、聞いていますよ」


 そんなロニーの言葉に、コーデリアは驚いた。


「お母様が?」

「ええ」

「……それは、嬉しいことね」


 未だ改めて顔を合わせることは叶っていないが、気に掛けてもらえるほどの存在には、なっているらしい。コーデリアは口元を少し緩めた。


「ところでご帰宅そうそうここにやって来て、お嬢様は何をなさるおつもりなんです?」

「夜会に来てくださる方へのお土産を準備しようと思ったの」

「へえ、お土産ですか。それにはもちろん、精油を使うおつもりですか?」


 ロニーの問いにコーデリアは笑みを浮かべた。


「ご挨拶させていただくでしょう? そのときにちょっと魔力の属性を拝見させていただければ、その方に合うものを選べると思うの。おおよそなら香りの好みも、魔力の波長を見ればわかるもの」

「ってことは、どの香りが必要になってもお渡しできるようにたくさん用意しておく、ってことですね」

「そういうこと」


 精油については、販路に乗せる目途がついたものを、工房の試運転を兼ねて量産している。


 柑橘系はオレンジにグレープフルーツ、レモン、ベルガモットにレモングラス、それからメリッサ。

 フローラル系はゼラニウムにネロリ(オレンジフラワー)、ローマンカモミール、そしてジャーマンカモミールにラベンダー。

 ハーブ系はペパーミント、スペアミント、ローズマリー、バジルにクラリセージにアンジェリカ。

 ウッディー系にはティートリーやユーカリ、ジュニパーにマートル……などなど、ケース単位でエルディガから運んできている。


「種類、増えましたよねぇ。これをどういう風にお配りするつもりなんですか?」

「アロマストーンと精油をこの宝石箱に入れてお渡ししようと思っているのだけど、それだけだとインパクトが薄いと思うから、少量ずつ香油や化粧水も付けするつもりなの」

「へぇ……って、この宝石箱、カメオがついてるじゃないですか。お嬢様、本気なんですね」


 薔薇のレリーフが彫られたカメオが蓋に取りつけられた宝石箱を見たロニーは感心したという表情を浮かべていた。


「だって、第一印象って大切でしょう?」

「まあ、大盤振る舞いも広告宣伝費ですよね」

「そういうこと。直接お会いしたときでなければ魔力は読めないから、当日は少し大変になってしまうけど、エミーナに手伝いをお願いしているわ」

「じゃあ、今から精油の調合ですか? 香油もいくつか種類を作るんでしょう?」


 そう言ったロニーに、コーデリアは笑った。


「それは明日の予定なの。それより……一つ、試してみたいことがあるの。ジャスミンの花を用意してもらえるかしら? 溜めている分をありったけ、ね」

「ジャスミン? ……ってことは、薔薇にも使える都合のいい溶剤がやっとみつかったのですか?」


 ジャスミンの精油を抽出には、ローズアブソリュートと同じように溶剤抽出法を使う。

 溶剤抽出法はヘキサンなどの有機溶剤を使い精油を抽出する方法で、水蒸気蒸留法では抽出効率があまりに悪い場合や、熱で精油成分が変質してしまうような植物に用いられる。


「いいえ、それはまだないの」


 コーデリアもロニーとやり取りをしつつ、ヘキサンに変わるような魔術薬を用いていくつか試してはみたのだが、最善といえる溶剤はまだ得られてはいない。

 ただしそのような薬剤がないとはいえ、ほぼ純粋なエタノールに近い魔術薬は得られているので、別の方法として油脂吸着法を使うという選択肢もある。


「でも、そもそも私には別の精製法があったのよ」


 前世の記憶を頼っているために今まで思いつけなかったが、今のコーデリアには前世にはなかった植物に特化した強い魔力がある。そして、解析魔術で会得した分析能力があれば……直に精油が得られる可能性も、少なからず存在する。


(溶剤抽出だと、微量とはいえ精油に溶剤が残留する。でも、これが上手くいけば……純粋なものが得られる可能性が高い)


 ただし薔薇やジャスミンの精油含有量は非常に少ない。

 目視など到底できない量のものを、本当に魔術だけで抽出できるかということには不安もある。けれど薬剤の見つからない今、手間のかかる油脂吸着法よりも確実に精油を得るには、この方法を試さない手はないだろう。


「でも、お嬢様。今の在庫を考えると、薔薇のほうがジャスミンよりよほどたくさんあるんですが……」

「え?」

「お嬢様が薬品を試すのはいつもジャスミンだったでしょう? だから、お嬢様の薔薇のほうがいいんじゃありません? それとも、お嬢様の薔薇以外の品種を使ってみます? それも結構ありますよ」

「……」


 ロニーがいうお嬢様の薔薇はジルから受け取った『コーデリア』の薔薇だ。

 他にも香りが高い種類をいくつか集めているが、コーデリアが一番気に入っているのは『コーデリア』の薔薇だ。

 もちろん精油になったときも『コーデリア』が一番とは限らないが、おそらく一番好む香りになるのではないかと思っている。


(……確かに、そろそろ、一回薔薇を使う、という手はあるのよね)


 魔法道具のおかげで花の保存状態も良好だ。

 ジャスミンの残量が少ないなら、残りのジャスミンは成功を確信してから使いたいとも思っている。


「どうします? 俺はどっちでもいいけれど」

「……そうね、薔薇をお願いしてもいいかしら? 『コーデリア』を、お願いするわ」

「じゃあ、すぐに用意しますね! 一袋、抱えてもってきますよ」


 コーデリアの一大決心とは裏腹に、ロニーは実に軽い様子で地下へ向かった。

 その様子に少しだけコーデリアの肩の力は抜けてしまった。


(……でも、これほど私が緊張しているのも、思い入れがほか以上だから仕方がないのよね)


 花瓶に飾られている薔薇は、コーデリアが戻ってくる前にエミーナが飾ってくれたものだろう。コーデリアはそこから1本だけ抜き取ると、目に力を入れて薔薇の情報を探った。


 葉脈に連なる魔術の回路、そしてわずかに……ほんのわずかに含まれる精油の存在。


(薔薇の精油を得るためには、薔薇が五十本でやっと一滴。だから、目に見えるわけなんて、絶対にない)


 それでも、コーデリアにはわかる。

 パメラディアの家から贈られた、その魔力のおかげで、できる可能性が非常に高いことが。


「お嬢様、用意出来ましたよ」

「ありがとう。ここに、お願いね」


 ガラス容器いっぱいまで、大きな袋から移し替えた薔薇の花を前に、コーデリアは目を閉じて深く深呼吸をし、花の上で両手を重ね、魔力を込めた。

 それからゆるりと、薔薇と同じ色の瞳を開く。


(おいで、精油たち。一か所に、集まっておいで……!!)


 コーデリアは花に向かって語りかけた。

 思っている以上に、精油が花弁の中を動く速度は遅い。


(遅いって言うか、ものすごく重い……!)


 表現としては正しいのかわからないが、とにかく魔力で精油を引っ張っているつもりなのに、魔力が精油に引っ張られている。僅かなものを探るだけに精神を集中させているのに、これほど体力も魔力も奪われる。


 けれど、だからと言って負けるつもりなんてさらさらない。


 目には見えないが、たしかに精油と自分の魔力がつながっている気がするのだ。

 その感覚は、わずかに精油が動いている様子にもつながっていた。


 そして長い時間をかけ、花弁から精油を集めていると、ようやくほんの一滴の雫が現れた。


 それは一度滑らせれば消えてしまうほどの量だが、念願の結晶だ。

 コーデリアは笑みをこぼした。


「強引に精油採取をするって……。お嬢様、なんていう裏技を開発してるんですか」

「……確かにこれは道具も何もいらないけど、量産には絶対に向かないわね」


 量産どころか、自分が使う量を揃えることだけでもとんでもない力が必要になりそうだ。

 額の汗をぬぐったコーデリアの仕草を見たロニーも、肩をすくめた。


「まあ、そうですよね。確かに効率どころの話じゃなくなってきそうですし」

「ええ。だから、都合のいい薬剤を早く見つける……いえ、もう、探すよりも作りましょう」

「ですね。……それでも、やっぱりすごいと思いますよ。元々草花と相性のいい魔力をお持ちですけど相当なコントロール力が要求されることですし……真面目にお嬢様が魔力の訓練に取り組んだ成果ですね。こんな技、俺には絶対に真似できないです」

「ありがとう。でも、あんまり褒めないで。どういう顔をすればいいか、わからないわ」

「まあ、そうですね。それじゃあ俺はとりあえず保管できるガラスを用意してきますよ。まだ試作品だけど、改良したやつもあるんで是非使ってください」

「ありがとう。助かるわ」

「いいえ。お嬢様がウェルトリア女伯様のところに行ってらしても、俺はご用命を受けていますといえば、魔術師塔からの仕事はあんまり来ないってこともありましたので。ギブアンドテイクですよ」

「……」


 それは、果たしてギブアンドテイクと言っていい事柄なのだろうか?

 ロニーのことなのでなんだかんだ言いつつも、コーデリア不在を理由に言いつけられた事柄はきちんとこなしているのだろうが……相変わらず、言いたいことは隠さず言ってしまう素直な性格のままであるようだ。

 そして彼は気にすることなく、地下へと向かった。


「世渡り、もうちょっと上手になってくれてもいいのだけれど」


 ありがたいが、やっぱり惜しい。

 そうは思うが、やはりロニーはロニーなので変わることも難しいだろう。


(とりあえずロニーのことはおいておくとして……私の魔力の消費と回復と、得られる精油の量を考えると、準備期間はギリギリね)


 しかし、何にせよこれで望んでいた薔薇の精油が得られたのだ。

 先程の挑戦で様子は大体理解できたので、少し休憩したら再度挑戦しようと意気込みつつ、コーデリアは精製したばかりの精油に目をやった。


「……この香りが、届くかはわからないけど」


 そう言いつつ、コーデリアは戸棚から一枚の紙を取り出した。

 そして無地の紙の端に、精油を押し当てた。


「届く頃には、ちょうどいいくらいの香りの濃さになってるといいんだけど……ちょっと、濃すぎたかしら」


 しかし、薔薇の都合をつけてくれたジルには、はやく香りを届けるべきだろう。


 王都に帰ってきました。精油もできました。また、ご連絡いたしますね。

 そう、コーデリアはペンを走らせた。


(ジル様にも……私に似合う香りって、思ってもらえればよいのだけれど)


 水蒸気蒸留法で得た薔薇の香り……ローズ・オットーとは違う香りに、驚いてはもらえるだろうか。

 そんなことを思いつつ、コーデリアは香りが飛んでしまわないよう、白紙のまま封筒に入れておいた。封をするのは、夜に手紙を書いた後だ。

 それに、彼に帰還の報告をする前に、告げなければならない人もいる。


「あ、そういえばお嬢様。今日は旦那様は日が沈むまでに戻られるそうですよ」


 道具を持って再び現れたロニーに、コーデリアは礼を告げて微笑んだ。


 そう、まずは送り出してくれたエルヴィスに、報告をしなければいけないのだから。



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