第六十五幕 軌跡と希望を綴りつつ
ジル様へ
久しぶりのご連絡になりますが、お変わりはございませんでしょうか。
ウェルトリアの地はすでに少し暑い日々が続いておりますが、花が最も鮮やかに咲き誇る季節を迎えたことで、街の皆は少し浮き足立った様子です。
もちろん私も様々な花を楽しみにしているのですが、一番気になっているのはクローブの蕾が収穫時期を迎えたことです。今から精油やスパイスとしてなど、どのように使おうかととても心を躍らせております。
さて、私も来月王都に戻る予定でございますが、その前にと、先月伯母に同行しエルディガを訪問いたしました。兄や義姉と会食を楽しんだほか、郊外のハーブ園や、無事正式稼働を待つだけとなった精油工房の確認を行うなど、有意義な時を過ごしました。
ハーブ園も順調に育っており、きっとご覧いただけましたらジル様んいも楽しんでいただけ――
そこまで順調にペンを走らせていたコーデリアだが、文章を読み返したところで一旦手を止めた。
「……これだけだと、誤解を招きかねない表現ね」
独りごちた言葉は部屋に消えるが、一度抱いたその想いはなかなか消えない。
これではまるでデートの誘いではないか。
誤解を与えることを懸念すれば、書き直しが必須になるだろう。
そう判断したコーデリアは迷いなく便せんを四つ折りにし、さっと引き出しにしまった。失敗した手紙は人目につかない時に処分するとして、書き直しが必要だ。
幸いここには『それでいいだろ』とせかす幼馴染もいないのだから、焦る必要はない。
「『ジル様にも』ではなく『ジル様や魔女先生にも』、って書いたほうが、伝わりやすいわよね」
そう修正すれば、きっとジルも妙な気を遣わずに済むはずだと思いながらコーデリアは新たな便せんを取り出した。
コーデリアのウェルトリアの地での生活は、もうひと月ほどで終わりを告げる。
その生活は、普段はウェルトリア領主であるニルパマに指示される雑務を行ったり、彼女に付き従い各地を訪問したり、交渉の記録をまとめたり、茶会を主催したり……と、王都では経験したことがないものの連続であった。
しかしそんな中でも交易で金銭を得ることは絶やさず、また、ロニーとやりとりを行い温室の状況を随時尋ねたり、エルディガのハーブ園の進捗を確認したりと、ニルパマに何度か「早く寝なさい!」と怒られる程度にはいろいろと私用も行っていた。
その、私用の中でもコーデリアにとって大きな収穫となったのは、王都で知ったクローブの調査についてだ。
ウェルトリアの地に来てから真っ先に探したクローブは、巨大な湖の中にある島に生い茂っていた。木は非常に大きく、その蕾であるクローブバットの採収はなかなか大変だったのだが、水蒸気蒸留法で加工し、無事に精油を得ることに成功した。
クローブバッドの精油は記憶力や集中力を高めたいときに使用するとよいとされている。そしてその精油をほかの香りと組み合わせるなら、ローズマリーの精油との相性が最高だとも言われている。
そのクローブバッドの精油の主成分であるオイゲノールは強い抗菌・抗ウイルス作用を持つ反面、非常に刺激が強いため使用の際には特に注意が必要となる。
しかし、南方でコーデリアが一番この精油の利用価値を覚えたのは昆虫忌避効果や抗カビの特性である。アロマランプを利用することで、虫よけとして強い効果を発揮してくれるのだ。
そのお陰で蚊をはじめとした虫対策にとても助かり、コーデリアが王都南方に位置するウェルトリアで一番最初に出会った懸念を無事に解決に導いた。
それから、クローブバットをハーブティーに配合したり、スパイスとして料理に使用したりもした。クローブは胃腸の働きの改善や、頭痛、風邪予防など、様々な効果を持っているものなのだ。
そして――その効果は、あっという間にコーデリアがウェルトリアに住まう主要人物にも可愛がられるきっかけにもなった。
ニルパマとの同行時にそれを持参すれば、数日後にはほかの製品もいつかぜひ、と、声をかけられ、あっという間に顔が広がったことはコーデリアにとって大きな収穫であった。
このような嬉しい声の中、その期待に応えるためにもコーデリアは精油の量産に関する計画は継続して立てていた。
エルディガのハーブ園も計画通り……いや、土地柄なのか計画以上に順調に進んでいるのだが、ハーブの収穫量があってもコーデリア一人では流通させられる量を作ることは不可能だ。
パメラディア家の魔力を持つため、コーデリアが作ればより上質な精油ができることはわかっているが、それだとせっかくの需要に供給が追いつかないことになる。
「今は主にはヴェルノー様のお母様とニルパマ伯母様の分だから、何とかなっているけど……それでも、やっぱりこれからは足りなくなるわ」
フラントヘイム侯爵夫人のサーラやニルパマにより、需要が上がっていることは理解している。そして、彼女らが『コーデリアには内緒で』少しずつ知人に渡していることも、知っている。そして、それはコーデリアという存在の橋渡しになるためだということも、気付いている。
周囲の人の興味を惹く下準備にはありがたいことこの上ないが、このままでは配る量が足りないことはわかっていた。
それならばコーデリアが作るほどとまではいかなくとも、一定水準をクリアした廉価版をはじめから用意しておこうというものだ。幸いにも資金は順調に貯まっていた。
工房では今までコーデリアが使用しているガラス器具ではなく、大きな蒸留釜を用意した。これで誰が作っても、素材はともかく製造過程では状況に左右されないはずである。
「販売場所については、貴族街のほうも、街中も一応目途もつけれてるし……」
貴族街での販売箇所は、エルヴィスから考えておくと言われている。
そして一般市民に流通させるための場所としては、半年前に王都に開いたクレープとガレットの喫茶店の一角を利用するつもりである。
その喫茶店も、本来はコーデリアが王都に戻ってからゆっくりと開店させられれば一番だったのだが、それだと精油販売のための下準備が間に合わなくなるかもしれない……ということと、すでに繁盛している二店舗のアンケートに王都での出店を望む声が多く寄せられたから、ということもある。
王都での開店に際してコーデリアは各種指示を行ったが、監修はエミーナに依頼した。指示書は出せるが王都に戻る時間まではなかったのだ。エミーナのセンスは疑う余地がないし、喫茶店の二人の料理人も一人はエルディガから転身させており、もう一人はパメラディア家の厨房にいた者から選出しているので、心配の必要はない……と思ったからこその判断だったが、それでもなんとか時間を作って開店前日および当日に一泊二日で王都に戻ることにした。
店の内装からは、まるでパメラディア家にできた新しい部屋にいるような気分が味わえた。
そこで久々のガレットを充分に堪能し、きっとこれなら王都の市民にも喜んでもらえるだろうと、安心した。
しかし王都に戻ったときにもコーデリアはパメラディア家には帰らず、エルヴィスにも会わなかった。それは、『コーデリアの店を見てみたいわ』と言ったニルパマがウェルトリア領から一緒に来ていたのが主な原因だ。だからコーデリアが滞在するのは自然と王都のウェルトリアの屋敷となった。
ただ、コーデリアが実家にもどらなかったのはこれが初めてではない。
実は王都を旅立った後、新年や建国祭の折にもコーデリアは王都には帰省せず、エルディガに向かい、サイラスやクリスティーナのもとで過ごしていた。
戻らなかったのはエルヴィスやイシュマの仕事が忙しくなる時期だということも理由の一つだが、修行に送り出されているのだから、と、なんとなく予定期間に帰ることが憚られたのだ。
しかしエルディガでも新婚夫婦の邪魔をするつもりはないので、コーデリアは屋敷に留まっているよりは、娘が嫁いで少々暇をしているジークとともに領地見学をしていることのほうが多かった。おかげでクリスティーナからは次はもっとゆっくりとしていってくださいと言われるほどだ。
また、議会のシーズンでニルパマが領地にいない折には、その夫であるブルーノのもとで仕事を教わっていた。
(でも、もうすぐ久々にお父様にもイシュマお兄様にもお会いできるわ)
そう、コーデリアが考えていると、扉が軽い音でノックされた。
「お嬢様、入ります」
「どうぞ」
コーデリアの了承とともに開いた扉の先には、ララがいた。
ウェルトリアについてから髪を伸ばし始めたララは、今では軽くまとめられるほどの長さになっており、以前より少し印象も落ち着いている。
「お嬢様、本日お越しになるご予定でしたアボット子爵様が、体調を崩されたとのことで急遽訪問が中止になったとのことです」
「あら、それでは今日はお昼からお休みかしら?」
「はい。女伯様より、コーデリア様については資料の整理が終われば、本日はご自由になさって構わないとのことでございます」
そつなく告げるララに向かって、コーデリアはにこりと笑った。
「じゃあ、ララも今日はもうお休みね」
その一言でララは表情を一気に明るくした。
「やった。じゃあ、お嬢様。ちょっと買い物に出てみない? そこの書類の山も、もうおわってるんでしょう?」
「ええ」
部屋に入ってきてからも決して暗い表情であったわけではない。
しかし、少し大人びた淑やかな様子は今のララからは飛んで消えてしまっていた。
ララもウェルトリアに来てから、侍女の修行ということで仕事中は王都にいた頃とは違い、コーデリアに対して丁寧な言葉遣いをするようになっていた。
最初のほうこそ多少気恥ずかしさも見せていたが、それはすぐに捨て去ったようだった。
ただ、仕事が終われば今のように一変してしまうのだが、それはそれでララらしいので、コーデリアは好ましいと思っている。
「でも、お嬢様もお仕事、すごく早くなったわね。そっちにあるのは招待状の代筆でしょ、それでこっちはお茶会の手配なのね。って、え? これ、この、王都に戻る前の最後の夜会って、お嬢様が手配してたの!?」
「ええ。それほど大きいものではないけれど、こちらでお世話になった方々をお招きすることになったから。滞りなく、予定は進んでいるわ」
コーデリアの仕事を一つずつ見たララは目を見開いた後、長い息をついた。
「成人前に全部予行演習をしておきなさいってことなのね。さすがニルパマ様……って、あれ!? もしかしてお嬢様、成人のお披露目も自分で手配を行うの!?」
そして目を丸くしてコーデリアを見たララに、コーデリアは苦笑した。
「私はそれでも構わないのだけれど、すでにお父様と伯母様が手配をしてくださっているわ。私が戻ってからだと、いろいろと間に合わないもの」
「あー……そうよね。それにお嬢様のことが大好きなニルパマ様と旦那様がやるってなると……絶対に安心できる会になりそうね」
確かに絶対に安心、という点ではコーデリアも同意できるが、完璧に用意された舞台で自分が見事に主役を務められるかという点においては、まだ準備が足りておらず、不安はある。
ただ、その準備は王都に戻ってからの話だ。
その計画も、すでに自分の中では立ててはいるのだから。
「でも、それだとお嬢様も今は凄く忙しいわよね。暇が出来ても、時間が出来てるとは……」
「いいえ、私もそろそろお土産を探さないといけないから、一緒に行きたいわ」
「いいの?」
「ええ。一緒に息抜きをしてくれるかしら?」
「それはもちろん!」
頼もしい返事に、コーデリアも緩く笑った。
そう、王都への帰還はもうすぐそこまで来ているのだ。
(王都の皆はどのように成長しているのかしら)
そう思いながらコーデリアは、昼食までに手紙を書き終えてしまおうと心に決め、ちらりと考えた。
(そういえば……ジル様も、成人を迎えられているのかしら?)
未だ詳しい素性はわからない少年だが、そろそろ素性を明かしてもらえるのだろうか。
信頼問題ゆえではないと思うが、明かされるまではあえて尋ねないと考えているジルの本当の名前も、成人すれば知ることにもなるだろう。
ジルがヴェルノーの魔術で姿を変えているらしい理由は、ヴェルノーとお忍びをしていたことが主な原因であったはずだ。成人しても忍ばなければならない、というほどのこともないだろう。
ただジルの年齢も聞いていないので、仮に彼が年下であった場合はもう一年ほどお預けになるかもしれないが、初めて会った八歳の頃の言動から考えて、ヴェルノーより年下ということも考えにくい。
ちなみに、コーデリアより誕生日が早いヴェルノーはすでに成人を迎えている。
(でも、そもそもジル様も黙っているのではなくて、名乗りそびれていらっしゃる可能性もあるものね)
思い返せば、コーデリアとて『ジル』の呼び名があれば困ることも特になかった。
だからあえて尋ねることもなかったのだが、ジルも切り出すきっかけがなければ言えないだろう。もちろん、まだ名乗れないといった状態なのかもしれないが――
「でも、すべては王都に戻ってからね」
久しぶりの王都では、どのように成長をした皆と会えるのか。
楽しみは大きく、しかし気がかりもないわけではない。
(シェリーも、どのような令嬢になっているのかしら……)
王都の友人たち……ヘーゼルやクライヴから届く手紙には、時折シェリーのことが記載されていたが、その様子は判断しづらい状況が続いていた。王子に対する想いをシェリーは周囲に発しているようだが、まだ表舞台には出てきていないようである。
ただ、コーデリアよりも早く、いまから八日後には十六歳になり、成人を迎えるとのことなのだが――
(……いよいよ、コーデリアが破滅に向かったゲームの時間とも重なる時期に入ってくるわね)
ただ、いまの時点ではコーデリアがゲームの『コーデリア』になる要素など、まったく存在していないはずだ。
(……でもそれも、まずは王都に戻ってから、か)
なんにせよ、これからコーデリアには大勝負が待っていることだけは間違いないのだから。




