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幕間 父と娘と、とある休日

4巻記念の閑話です。

 ここ最近の朝食時はずっと空気が重いことにコーデリアはもとより、おそらく使用人も気付いている。そしてその理由がエルヴィスが背負う空気であることは、言うまでもないことだった。


(……)


 エルヴィスが重々しい空気を発しているのは、しばらく前のザハロフの件が理由だろうことはだいたい想像できている。イシュマのアドバイス通りひとまず菓子を買って帰り手渡したのち、マフィンも焼いて届けたのだが、もう一件のアドバイスである『甘える』というほうはまだコーデリアは実行できていなかった。


 そもそも本当に『甘える』の実行で、エルヴィスが気にしている部分が解消できるのかどうかもわからないし、そもそも――


(この重い空気の中、遠乗りに行きたいとは言いにくいのよね……)


 だいたい唯一思いついた『一緒に遠乗りに行きたい』の甘えよう作戦は、エルヴィスの気持ちを紛らわす目的がある甘え作戦であるのに、馬に乗ったままっではあまり話もゆっくりできない。

 だったら、何が最適だろうか?


(そういえば……お父様も城下の食堂にもお詳しい様子だったわよね)


 許可証を受け取りに王城へ行く馬車の中、確かにそう言っていた覚えはある。


(……よし、決めた)


 勝手に行くなとは言われたが、連れていかないとは言われていない。

 B級グルメだって食べたいし、賑やかな場所もエルヴィスの気晴らしにちょうどいいかもしれない。それに何より甘える作戦を行う上でも、ちょうどいいわがままくらいかもしれない。

 コーデリアは意を決した。


「お父様、お願いがございます」

「……何だ」

「次のお休みに、私とデートしてくださいませんか?」


 冗談めかして言ったつもりであったが、その一言はエルヴィスを盛大に噎せさせた。



 **



 もちろん『デート』が戯れゆえの言葉であることはエルヴィスにもしっかり伝わっていた……と、思う。だからその後もいつも通りの堂々とした振る舞いであったように見えたが、微妙にいつもより口数が少なかったような気もしなくはない。

 ひとまず子細は後ほどということになり、エルヴィスは食後部屋に戻ったのだが、その後コーデリアはハンスからにこやかに声をかけられた。


「お嬢様も、そのような言葉を口にされる年齢になられたのですね」


 そしてそれはどこか『旦那様はそのことに驚いていらっしゃいました』と言われたような気がしてしまった。


(……っていっても、そんなにもう子供というほどではないのだけれど)


 成人が十六歳のこの世界、十四歳は大人に近い子供である。

 確かに色恋沙汰についてエルヴィスと議論したことはないので、驚かれても不思議ではないが……あそこまで大きく反応されるのは予想外だ。下手をすればかつてフルビアが幼少のエルヴィスの話をしていた時より咽込んでいた。


(でも、お父様も随分感情豊かになられた気がするわ)


 表情も豊かになった……とは到底言えないが、それでも感情がかなり読み取りやすくなったとコーデリアは思う。自分だけの気のせいという可能性もあるが、最近、使用人たちからエルヴィスに向ける表情がどこか微笑ましそうに見えるのだ。もちろんエルヴィスが直接そちらを見ているときは、そんな表情はしていないが……


 そんなことを考えながらも、夕食後改めて呼び出しを受けた書斎で下町の食堂に行ってみたいと希望を告げれば、多少エルヴィスは考えた様子を見せたものの、それでも受け入れてくれる運びとなった。



 こうして、希望は受け入れられ、そして数日後。



 コーデリアはエルヴィスと並んで、初めて下町を歩いていた。


 エルヴィスの装いはいつもよりかなり肩の力も抜けるだろう軽いものだが、それでも眼光の鋭さは相変わらずだ。

 ただしそれでも周囲から浮かない程度には、気持ちも落ち着いているようではあるのだが。


「……食堂、だったな」

「はい」

「お前が想像しているような食事とは異なっている可能性が高いが、構わないのか」

「はい。むしろ、楽しみです」

「……店もだいぶ賑やかだ。覚悟しておくように」


 それはこの場の空気からでも十分感じ取ることができる。


「お父様は、どういう時にここへ……」

「……しかし、それはこの場には合わない言葉だな」

「え?」


 いつ来るのかと尋ねようとしただけなのに、どういうところがまずかったのだろうか?


「この辺りの言葉にしては不必要な固さがある」


 要するに「この場所で『お父様』という言葉は合わない」と言っているのだろう。

 以前、ヴェルノーに様付けで呼ぶなと言われたのと同じことだと推察できる。コーデリアにとっては「ヴェルノー」や「ジル」と呼び捨てで呼ぶことに比べれば、エルヴィスへ呼称を変えるは難儀しないことだ。

 しかし父上と呼ぶのも同じだろうし、そのほかに父を表わす言葉があるとすれば……


「お父さん……でしょうか?」

「……」

「……」

「……」


 何とも言えない沈黙が降り、自分たちの足音すら消しにかかるほどの賑やかな外野の声ばかりが聞こえるだけだ。


「……やはり、どちらにしても違和感は残る、か」


 かなり道を進んでからかけられたのは、その一言だけだった。

 だが、場所を考えればそれほど不自然ではない……いや、それ以上にそれ以外の呼び方などコーデリアには思い浮かばなかったのだが。


(……つまり、お父様には耳慣れないというお話だったのかしら)


 しかしちらりと横を見やれば、今までに見たことのない表情を浮かべているような気がしてしまった。


(いえ、固い表情というだけなら、見たことないわけじゃないのだけれど)


 結局エルヴィスにとってどういう印象を与えたのか、はっきりとは分からなかった。感情豊かになったと思っていたのに、まだまだ知らない姿もあるようだ。


 ただ、即座に否定されなかったことから不快そうでないというのは間違いないことではあっただろう――。



 **



 到着した食堂の入り口を開けると、人々のざわめく声が耳に届いた。


 明るく元気で威勢のいい声の連続は、時折喧嘩まがいの喧噪まで混じっている。さすがに度が過ぎるものは店主らしき男性が威勢よく怒鳴り散らしていたが、それでも周囲が固まることも鎮まることもまったくない。おそらく日常の一コマくらいのものなのだろう。


「空いてる席に勝手に座ってくださいなー!」


 コーデリアが店内を見回していると、顔も向けないままという雑な対応ながら明るい店員の声が耳に届いた。それはコーデリアに向けられたというよりはエルヴィスに向けられたものであるのだろうが、相手は知らないだろうことだとはいえ、伯爵にこの対応というのはなかなか見ない光景で、少し不思議な気になった。

 もちろんエルヴィスにもそれを気にするつもりがないからこそ、ここに来ているのだろうが――などという以前に、エルヴィスは隅のほうの席に腰掛けていた。さらに言えばすでにメニューらしき紙を手に取り、何を頼むか決めたようだった。

 コーデリアも慌ててその正面に腰掛けると、先ほどまでエルヴィスが見ていたメニューを差し出された。少し食べこぼしのシミのようなものが見られるメニューには数種類の焼き魚や豚・鳥・羊肉料理、それからサラダや卵料理がいくつかかかれていた。メニューを裏返してみれば牛肉の料理がいくつかと多くの酒が記されている。


(お酒……)


 せっかくなのでエルヴィスと乾杯したい気持ちは大きいが、残念ながら飲酒はまだ早いと止められることだろう。しかし多く並べられる酒の名前を見ると、どれがどのような味がするのか、少し気になる。


「……どうした」

「お父様、私が成人しましたら、一緒にお酒を飲んでくださいませんか? お父様がおすすめしてくださるお酒を飲みたいです」

「……」


 どのような酒を選んでもらえるのだろうかとわくわくしていたが、エルヴィスはしばらく硬直した後、咳払いをした。


「……今は注文するものを決めることが先だ」

「でしたら、早く決めてお約束をしていただかないといけませんね」


 どのような酒を勧められるのだろうか。

 エルヴィスの好みか、それともコーデリアの好みを考えたものになるのか、今からたのしみになってくる。エルヴィスも多少困る様子を見せているが、これもきっと今日の外出同様、許容される範囲の我がままだろう――と、自分に言い訳をした。そうだ、問題ないはずだ。


 だが、確かにまずはエルヴィスが言う通り注文しなければその約束も取りつけられない。

 よし、何を注文するべきか。並ぶメニューはどれもこれも屋敷で出ていないものばかり。次にいつ来れるかわからないことも、悩みを深くする原因だ。

 しかしエルヴィスを長く待たせるのも問題だ……そう思った時、ふとコーデリアの視界の端に、店員が客に配膳する料理が目に入った。


「おまちどうさまー!」


 そういいながらテーブルに置かれるそれは、熱々とした鉄板が激しく食欲をそそる音を立てている。


「あ、あれは……」


 どう見てもハンバーグだ。ただしそれは普段見ている皿に乗せられたものではない。

 飛び跳ねそうになる……いや、飛び跳ねているソース以外にも輝く目玉焼きが乗っている。


「お父様、私、あれが食べたいです……!」


 今までの迷いも全て吹き飛ぶ勢いでコーデリアはそれを要求した。エルヴィスがその場から注文をするという姿も貴重だったのだが、それを気にしていられないくらい心は高ぶっていた。

 ハンバーグなら家で何度も食べたことはある。

 しかし、この目玉焼きを乗せたハンバーグというのはこの世界ではまだ目にしたこともない至極の逸品だった。


 そしてしばらくの待ち時間ののちに届いた湯気のあがるそれは、やはりキラキラと輝いているように見えた。どうやら、エルヴィスも同じものを頼んでいたのだと気づいたのはその時だった。


 いただきます、そう唱えてからフォークとナイフで肉を切り分け、口へ運んだ。

 ソースとハンバーグ、共に熱いくらいのそれは口の中で互いのうまみを存分に引きだしている。

 そして次に目玉焼きにナイフを入れ、そしてとろりとした黄身に感動しつつ、肉と共に口に運ぶ。その味は、見た目を裏切らぬ感動的なものだった。


「……美味いか?」

「はい、もちろんです!」

「あまり急いで食べると火傷をする」

「はい」


 急いたつもりはなかったのだが、あまりの感動でそうなっていたのかもしれない。

 早食いは確かに少しはしたない。しかし喧騒だらけのこの空間ではコーデリアのスピードくらいでは浮きすぎることもなかったようで、マナーについての注意は受けなかった。受けてしまえば恥ずかしすぎるので、幸いだった。



「……ずいぶん気に入った様子だな」

「はい、特にこの目玉焼きが載っているところが素敵です」


 もちろん屋敷での食事も美味しいし幸せだが、このような場所で食事をすることも前世が思い浮かべられて懐かしく、また、屋敷のものと比べれば随分小さいテーブルで食事をとることにも暖かさを感じて嬉しかった。しかしこれだとエルヴィスに気を遣うどころか、完全に甘えているだけという自覚もあった。しかし、嬉しいことは嬉しいのだ。


「そうか。……準備は整いつつあるのか」


 感動に震えながら食べているうちに、エルヴィスから唐突な話題の転換を受け、コーデリアは一瞬迷った。準備、というのは言うまでもなくウェルトリア領へ行くことだろう。


「はい」


 予定は遅滞なく進んでいるはずだ。

 それは安心して欲しいとコーデリアがハッキリ伝えると、エルヴィスは頷いた。


「そうか」

「送りだしていただき、ありがとうございます。私、お父様が驚くようなレディになってみせますので」


 ただしこうして大好物を食べながら言うには締まらない言葉だったのかとも思ったが、エルヴィスから返ってきた言葉にコーデリアは驚いた。


「……十分驚かされている」

「それは……喜ばしい意味ででしょうか?」

「お前が私を失望させたことが今までにあったか?」


 エルヴィスの言葉はいつも通りで、決して素直なものではない。

 しかしコーデリアにとってその言葉は、思わず目の前の大好物を忘れてしまうほどの威力があった。


「そう言っていただけるなら光栄です。そして、そのように思っていただけるのでしたら、私はよりお父様のご期待を上回れるよう、心掛けようと思います」


 ナイフとフォークを一旦手から離し、コーデリアはエルヴィスをまっすぐと見てそう告げた。


「……お前がそれを望むのであれば、私はその意思を優先させよう」

「ありがとうございます」

「相談に遠慮は不要だ。リスクを伴うものがあれば、どのようなことでも早めに言えばいい」


 エルヴィスはそう言うと、止めていた手を動かし食事を再開させた。心なしか、ナイフを動かす手が先程より軽くなっているように見えた気がした。


「お心遣い、本当にありがとうございます、お父様」


 心配されることはこれからもあるだろう。

 ただ、積み重ねていけば不安を抱かれることも減るはずだ。任せられているのだ、出来ないと思われているわけではない。少し違うかもしれないが今回は『初めてのお使い』のような、そんな不安を抱かれたのかもしれない。そう、思いたい。


「では、早速お願いさせていただきたいことがあるのですが」

「なんだ」

「お酒もお願いさせていただいたのですが、伯母様のところから戻って参りました折には、またこのように一緒に外出していただけますか?」


 そう尋ねれば、ややあってだが、たった二文字の肯定をエルヴィスから引きだすことに成功した。







四巻発売日を迎えることができました!

ありがとうございました、これからもよろしくお願い申し上げます。

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