第六十三幕 夢見の少女(9)
コーデリアは大書架で先に到着していたロニーと一度顔を合わせ、そのまま一人で聖女の話が集められたコーナーに向かった。聖女の話は単なる歴史の物語としてだけではなく、演劇作品としても昔から人気が高いため、どちらかといえばそういう資料のほうが多い。
そんな中でコーデリアが目的としていた一冊は地味な装丁で埋もれるように本の間に隠れていた。
「あった」
目的の伝道師とだけ書かれた本を書架から引き抜くと、コーデリアはその場で本を開いた。
本を手にしてしまうともはや椅子まで移動する時間も惜しかった。
『これは私が私のために記す記録である。だから、サボらず書くように』
砕けた調子の一文から始まった日記は、教会でクラリッサから聞いた伝道師の日記の写しだ。本人が書いたものをそのまま写しているのだろう、文字は全て古語で書れている。
聖女は不吉な最期を迎えるといっていた幽霊の言葉と、聖女の再来と噂されるシェリーの見当違いの夢。仮にシェリーに聖女ほどの力はなくとも、ヒントが詰まっているかもしれない。
古語は少し読みづらいが、読めないことはなかった。
伝道師が記しているのは、伝道師が初代国王と出会ったころからの話であった。伝道師が正直に書いているのであれば、どうも伝道師は初代国王を随分からかっていたようにも見て取れる。
それはさておき、伝道師の日記には突如聖女が現れた。そう、説明がきも特になく、ある日突然『謎の女』という単語が日記に現れたのだ。その後『謎の女』は、やがて『夢見の』もしくは『聖女』といった単語で登場した。
夢を見ることで初代国王に降りかかる災いを知り、対応策をとり、国の礎を築いた一人となったことなど、おおまかな歴史書にも載っていることが雑感交じりに書かれていた。聖女の性格については穏やかで自分より他人を優先する、人間くさくない人間と評していた。それは聖女を尊敬しつつも仲間として心配する風にも読み取れた。よい仲間だったのだろうと察することも容易であった。
しかし、それにも関わらず後半部分に入ると日記の内容には不穏な空気が漂い始めた。
しばらく聖女が日記から姿を消したと思えば、次に登場した文章はそれまでのものと大幅に異なっていた。
『聖女は、もう夢を口にしないほうがいいかもしれない』
そんな短文が記されると、再び聖女についての記述は途切れる。
やがてひと月ほど経過したところで、再び聖女に関する記述が現れた。
ただしその記述は今までの古語よりもさらに古い。解読するにはコーデリアにも辞書が必要となってしまう。そのため訳が多少正確でない可能性もあるが、大まかな意味はなんとかたどれそうだった。
(……でも、急に当時でも古いと思われているような言葉を使うなんて……。人に読ませない記録という前提でも、そのまま書くことは躊躇われたのかしら)
そしてその想像を裏付けるかのように、伝道師の言葉は好意的とは言えないものになっていた。
『聖女は最近自らに関する予言ばかり口にしている。彼女自身の力をどう使おうが、意見するつもりはない。むしろ今まで自分のために使っていなかったことのほうがおかしいと思う。しかし、あまりに突飛で矛盾ある予言では意図的に人を陥れているようにしか見えない』
「……」
これが幽霊の言っていた悲惨な末路のはじまりなのだろうか。
コーデリアは緊張しつつ、ゆっくりと誤訳しないよう言葉を読み進めた。
それから先、何日かに分かれて再び同様の文字が記されていた。
『最初に彼女は言っていた。この力は人を幸せにする力だと。ただし、その『人』に彼女自身は含まれていたのか』
『むろん、あり得ない未来ではないかもしれない。しかし、破綻した理屈の予言は現状を受け入れられない彼女の逃避のようにも見える。見たくない未来が見えるから、その不安の目を摘んでおきたい――そう言って、現実からめをそむけているように見える』
『彼女が今まで救ってきた人々は彼女のことを未だ聖女としか考えていない。しかし、不協和音が響き始めている』
『彼女は多くの人を幸せにした。だから力を手放して幸せになるべきだ』
『彼女の処遇が決まった。病のために静養してもらう、ということだ』
伝道師が指す聖女の夢は明示されていないので、聖女が何を求めていたのかコーデリアにはわからない。ただ『聖女が求めた何か』はコーデリアにとって重要な問題ではない。
大事なことは聖女は自身が求めた何かのための夢は見れなかったということと、彼女の予言で迷惑を被った人がいるということ、そしてそれが仲間でも庇いがたいことになったということか。でも、最も大事なことは――
(聖女の予言が間違いであると、周囲に認めさせた人がいるということ、ね)
聖女の予言に誤りがあると認めさせ、逆に彼女に引導を渡すきっかけになった人物がいる。そうでなければ、隠居までする必要はなかっただろう。
それがコーデリアにとって一番大事なことだった。仮に先程のシェリーのようにありもしないことをいわれたところで、コーデリアの反論を信じてくれる人が多ければ問題になることもないはずだ。聖女相手でも成し遂げた人がいるのだ、シェリー相手にコーデリアだってできると信じたい。
(殿下やシェリーを極力避けていればなんとかなると思っていたのに、このままだとシェリーから私に関わろうとしてくる可能性がある)
その際にシェリーの力を信じる者から悪評を流されるという被害は被りたくない。
今回のようにシルヴェスターに会っていないということなら簡単に証明することができるのだが、現状では何を言われるか想像がつかない。
「殿下にお会いしていないことを証明するのは簡単だわ。けれど、証明し難いことを言われれば信頼だけが頼りになる」
相手にも確たる証拠など示せないのはわかるが、分が悪くなる危険がある。
力の差こそあれ、建国の聖女とシェリーの夢が同質のものである可能性も高い。
(……教会にいたシェリーは殿下を敬愛していたけれど、とにかく殿下のために役立つという願いを持っていた。けれど伯爵家の令嬢になることで、仮に冗談でも殿下の妃の可能性を示されたら――自分の夢を絶対正義とする彼女なら……)
すでにクライドレイヌ伯爵はそのようなことを口にしていた。
しかし悔しく思ったところで、他に選択肢はなかったのだ。コーデリアは眉を寄せて伝道師の日記に登場する、最後の聖女への言葉まで日記を読み進めた。
『聖女は出発した。これで彼女は綺麗な思い出として、国民の中には残るだろう。功労者の行動だったと考えれば、国も公にはできまい。私も公文書には、このような私事は書かないのだから』
具体的な行動は記されていないが、建国の功労者としては寂しい結末だ。
やむを得ないといった葛藤も見え隠れしているとはいえ、伝道師からの無念は伝わってくる気さえした。
(……そういえば、ゲームの中のヒロインは自分のために力を使うことはなかったわね)
いまのシェリーよりも強い力を持つヒロインが夢をみるのはいつも誰かのためで、その結果ヒロインに好影響があったとしても、最初からヒロインが自分のためにと夢をみたことはなかった。
「きっと私には、そんな真似はできないかな」
そう言いながらコーデリアは辞書と本を戻そうかと立ち上がった。読み慣れないものを読んでいたので、おそらく時間は相当に経過してしまっているだろう。
「何が真似できないんだ」
「っ!? あら、クライヴ様。今日も殿下やヴェルノー様をお捜しで?」
集中していたからか人の足音に気づいていなかったことを反省しつつ、コーデリアは愛想笑いを相変わらず気むずかしそうな表情を浮かべているクライヴに向けた。
「殿下は今、貴女の父と剣の稽古をしているでしょう」
「え? 父が、で、ございますか?」
「……知らないのですか?」
「はい」
初耳のことに対して少し素っ頓狂な声を出してしまいクライヴから怪訝な表情を向けられたが、仕方ない。そのようなことはエルヴィスはもとより兄たちからもヴェルノーからもコーデリアは聞いていないのだ。
(……どういう経緯か知らないけれど、お父様は別に個人的に仲良くなるために指南役を買って出た……わけではないわよね)
そうだ、きっと数いるシルヴェスターの教育係の一人なので、わざわざ言う必要もなかっただけだ。などと思おうとはするのだがエルヴィスや兄達はともかく、あのヴェルノーが何も言ってこなかったことは少々気になる。一度くらい会話にでてきてもよさそうなのに……今度尋ねてみるべきか?
「……まあ、いいでしょう。それより、今日は以前とはかなり趣向の違う本のコーナーですね。それは何の本なのですか」
「聖女伝説の関連本です」
「ああ、女性はその舞台が好きな人も多いですよね。貴女も憧れたり、そのような力が欲しいと思うほうですか?」
「この力は必要ありませんね。私の性格には合っていませんから」
人のためだけに使う力を、正しく使えると豪語するだけの自信はたりない。そしてもとより、その力や予言は欲していない。しかし力が備われば、魔が差すとも限らない。それならば、いまのままできることをしていきたいと思うのだ。
「……しかしその割に、すでにクライドレイヌ伯爵令嬢とは顔見知りでしょう」
「とても情報が早いのですね。でも、顔見知りとはいえ、彼女は私の名前を覚えているかどうかも怪しいですよ」
「……彼女は……相当殿下に入れ込んでいるらしいですね」
そこまでもう知っていたとはさすがに思っていなかったので、コーデリアは驚いた。
「よくご存じなのですね」
「たまたま貴女方のきょうだいと、あちらの親子の遭遇を見かけました。声が届くよな距離ではなかったはずでしたが、なかなか賑やかなご令嬢でしたね」
つまり、シェリーの叫びだけは届いたと言うことか。
人気はなかったと思っていたが、城での言動はやはり気を遣わねばならないと再認識しながら、コーデリアは肩をすくめた。クライヴも知っているなら、話は早い。
「彼女によると、私は殿下にご迷惑をおかけしているそうなのです。押しかけているとのことだとか」
「……それはないだろう」
しかめている顔は、わざわざ知っていることを言うなということだろうか。
しかし他にクライヴが欲しそうな情報……と、考え、すぐに一つだけ思いついた。
「クライドレイヌ伯爵令嬢が殿下の行く先を阻まないか、心配なさっているのですか?」
「……」
予想した言葉は無言で肯定され、やはり当たっていたのか。
「まぁ、有害なのは見たらわかりましたが。……それより貴女は、彼女にああ言われてどう思いましたか」
「どう、ですか?」
それは少し意外な質問だった。てっきり、どういう風に感じているのかシェリーの人柄について尋ねられると思っていたからだ。
「そう……ですね。クライヴ様もご存じかと思いますが、私が殿下のお目にかかる機会はこれまでに二度ほどで、思い違いでしょう」
「それは知っています。腹立たしさはないのですか?」
「ないとはいえませんが……さすがに今後もあの状態だと、迷惑だとは感じております」
言えないという意味もあるし、そもそも色々とつっかえる感情を素直な言葉に表すのも難しい。
「……」
「クライヴ様?」
「……落ち込んでいないなら構いませんが」
「まぁ、心配してくださったのですか?」
予想外の言葉に思わず聞き返してしまったが、その言葉にクライヴは一瞬動きを止め、おおきく咳払いをした。
「……別に、貴女を心配したわけではありません。ただ、いわれなき中傷を受けているのであれば人として見過ごすのもどうかと思うだけで……」
ぶつくさと続く言葉は徐々に聞き取りづらくなってしまったが、間違いなく文句を言われているのだけはわかる。それでも言えるのはただ一つ。
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはありません」
「では、お礼がわりにひとつ。冗談という可能性は十分に含んだ上で申し上げると、クライドレイヌ伯爵は娘が妃になれば父が悔しがるだろうと仰っていました」
そのコーデリアの言葉にクライヴは眉間の皺を深くした。
「……あれを推す気なのですか」
「本気かどうかはわかりません。しかしクライドレイヌ伯爵もシェリーさんの振る舞いが非常にまずいものであるとは理解なさっています。すぐに殿下にお目にかかるという段取りにはなさらないでしょう」
ここまで来ればどこまで当てになるかわからないが、ゲームの中のシェリーも令嬢としてのゲームの開始前から修行をある程度積んでいることになっていた。今日の伯爵の様子を見る限り、今のままの状態で社交界にデビューさせることはないだろう。
「まあ、優雅にできずとも慎むべき言葉や振る舞いを覚えることくらいは最低限必要でしょうね」
相変わらず辛辣な言葉を続けるクライヴは長い苛立ち交じりの溜息をついた。
「今日のような場面に居合わせれば私も一言くらいは言えますが、基本的にご令嬢同士の諍いに口を挟む機会はありません。そもそも仮に私やヴェルノー殿が仲裁に入れば、こちらも貴女も都合が悪くなる場合もあります。ご自身で払拭されることが一番でしょう。ただでさえ、ザハロフ伯爵の件も貴女の策略かと邪推している者もいますから」
「ご配慮、ありがとうございます」
ヴェルノーやクライヴがコーデリアの肩を持てば都合が悪くなるという意味は何となく理解できる。まず一点目はシルヴェスターの側にいる者がコーデリアの肩を持つということはシルヴェスターの意向だと周囲に誤解されかねないということだろう。それがシルヴェスターにとって煩わしいことになる恐れがあるとクライヴが思っていても不思議ではない。そして二点目はコーデリアがシェリーを嵌めようとしているように映るかもしれないという懸念だろう。ついでに言えば、それがクライヴやヴェルノーと組んでいるように見える可能性だってある。名が広がったのはありがたいが、すべてが好意的な感想でないことはコーデリアも理解している。
それでも、大部分が好意的なものだ。注意を払う必要があっても悲観する必要はない。
「……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんですか」
「ご忠告はありがたいのですが、クライヴ様はあまり私のこともお好きではないでしょう? なぜご親切に?」
むしろ嵌めたというのなら、クライヴがコーデリアのことを「やっぱりそうだったのか」という風に疑っても納得できる。しかしそんなコーデリアの問いかけに対し、クライヴは非常に顔を歪めた。
「親切になどしていません。ただ、先ほども言いましたがあまりの言いがかりをどうかと思っただけです」
「そうなのですか?」
「あと……そうですね、あのご令嬢が貴女を踏み台に殿下に近づきたいと思っているなら、その足場は崩しておくべきでしょう。貴女のほうが、まだ話が通じそうだと思っています」
「あら……それは、ありがとうございます、でしょうか?」
言い方には相変わらず棘があるが、どうやらほんの少しは信頼されているらしい。
最初はあれだけ敵意を向けられていたのに、嬉しいことだとコーデリアは小さく笑ってしまった。




