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第六十二幕 夢見の少女(7)

 三日後、コーデリアはロニーと共にザハロフ伯爵から示された時間にザハロフ邸に向かった。普段のお茶会ならば供はエミーナだが、すでにロニーはザハロフ伯爵と面識があるので問題はないだろう。


 ザハロフ邸は静かな屋敷だった。

 剪定された常緑樹と石像で構成された庭は美しいバランスを保ち、立派なたたずまいを見せている。ただ、どこか草木から寂しさを訴えられているような気がしてしまった。


「……静かな屋敷ですね。人の気配も殺されているようです」

「そうね」


 抑えた声でそんな会話を交わしながらも、エントランスの前で馬車を降りる。


 使用人によって屋敷に招きいれられたあとは通常の茶会と同じくロニーとは別々に案内される。従者は茶会が終わるまで別室で待機、招待客は時間が来るまで待機か、直接会場に案内されるのだが、今回他に呼ばれている者はシェリーなので従者はおらず、ロニーは一人で待つことになるだろう。


 使用人に案内されたのは珍しいことに二階の部屋であった。

 通常であれば一階の日当たりがよい部屋か庭であることが多いのだが、案内人曰く、シェリーが屋敷の中の高い部屋のほうが見晴らしがいいと希望したらしい。


 部屋の中にはすでにザハロフ伯爵が待機していた。


「やぁ、コーデリアさん。よく来てくれたね」

「お招きありがとうございます、ザハロフ伯爵様」


 招かれた部屋には多くの光が差し込んでいた。しかしその反面、庭でも感じたような寂しさも感じられる。それはやや殺風景な部屋であることも関係しているかもしれない。


 シンプルというよりも隙間があるという印象を受ける配置に、コーデリアは少し複雑な気分になった。ものがあればあるほどよいというわけではない。しかしザハロフ伯爵がエルヴィスの言うとおり見栄を張るタイプであれば、客人を招く部屋だけでももう少し飾るように思う。それだけ余裕がないということか。


「迎えを遣わしたんだけど、シェリーさんは少し遅れているようなんだ」

「私がお迎えに上がればよかったですね」


 シェリーは結局一日城に滞在したものの、教会に戻ったという。

 ただしイシュマいわくすでにクライドレイヌ家の魔術師が護衛にあたっており、魔力の識別検査もしている最中らしい。ただ、そこまでするからにはほぼ確信があるのだろうとイシュマが言っていた。


「客人にそのような手間は掛けさせられないよ。それより、掛けて待っていてくれたら嬉しいかな」

「では、失礼します」


 頻繁に教会を訪ねるザハロフ伯爵なら、すでに教会にクライドレイヌ家の魔術師がいることも知っているだろう。そうすれば経緯(いきさつ)など察することができるかもしれないし、そもそもシェリーだってうまく誤魔化せるタイプではないと思う。だいたい、コーデリアの口止めだってクライドレイヌ伯爵に会えた瞬間に意味がなくなったと思われていても不思議ではない。


「この間は誘ってしまったばかりに迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳なかった。すまないことをしたね」

「いえ、お気になさらないでください」

「いや、そういうわけにはいかないよ。君がいてくれなければシェリーさんは行方不明になってしまっていたと思うよ。ありがとう、コーデリアさん」

「いえ、私は……ロニーがいてくれたおかげです」

「ああ、ロニーくんだね。ご令嬢の護衛役となれば強いのだろうとは思っていたけど……彼にも本当に感謝が尽きないよ。さすがパメラディア家に仕える魔術師だ」


 そのにこにことする伯爵に、コーデリアはふと違和感を抱いた。

 ロニーに感謝が尽きないと言っている反面、この場にロニーを招いていない。ロニー自身はそのほうがいいだろうが、普段から頻繁に平民に接しているザハロフ伯爵が、ロニーが平民であることを理由にこの場に招かないということをするのだろうか? シェリーに対しては贔屓していたことは否定しないが、普段から慈善事業に積極的である人間であれば、平民との関わりもほかの貴族よりも多くもある。


「……伯爵様、急なこととはいえ、あの場では急に姿を消してしまい申し訳ございませんでした。騎士団の方に伯爵様にご伝言をお願いしたのですが、すぐに伝わりましたでしょうか?」

「ああ、それは問題なかったよ。用事が終わった時に少し驚いたけど、シェリーさんはいろいろ興味を持っていたし、先にテントの付近にいってしまったのかなと思っていたから」

「そうなのですね」

「あそこは知り合いの店でね。つい、いろいろな品を見せてもらってしまったよ」


 そもそもシェリーに好きに見て回ってかまわないと言っていたのに、自分の好みで集中してしまうものだろうか? シェリーのことを最優先で考えていた伯爵の様子とは少し異なってくる。


「……拝見されていたのはシェリーさんへの贈り物でしたか?」

「そうだよ。でも、どうも門出のお祝いにせざるを得なくなりそうだけど」


 やはりクライドレイヌ伯爵家のことは伝わっているようだった。


「残念だけど、仕方のないことだよ。クライドレイヌ家と縁がある子であるなら、私の親類ではないだろう。でも、彼女が社交界に出てくれば私も顔を合わす機会もあるだろうし、仲良くさせてもらえるだけで光栄だよ」

「……そうですか」

「それに、彼女は縁を運んできてくれた。コーデリアさんと知り合えたのも、彼女のおかげだからね。ロニーくんのように、一人であっという間に三人の男を制圧できる人の力を借りたい時も、お願いさせていただくかもしれないしね」


 冗談交じりに言う伯爵に、コーデリアは微笑みながら首を傾げた。


「伯爵様、もしかして今日はシェリーさんはこちらへいらっしゃらないのでは?」

「どうしてだい?」

「どちらでそのことをお聞きになりました? ロニーが捉えた男の人数は、私とロニー、それから取り調べの騎士様たちしか知らないはずです。外部流出させた者がいるのであれば、それはお兄様たちに報告せねばいけない事柄です」


 にこにこと笑みを浮かべるコーデリアにザハロフ伯爵は目を見開き、そして穏やかに笑った。


「君は本当に賢いんだね。いや、私が迂闊だっただけかな。少々浮かれてしまっていたようだ」

「浮かれる? ……どちらかと判断できない状況でしたが、やはり貴方も関係なさっているのですね? なぜ、このようなことを?」


 それでもザハロフ伯爵に慌てる様子はなかった。


「シェリーさんを求めている人間がいることは私も知っているよ。もとより彼女と関わりがある私の元にも、成功報酬を提示してきた男がいたからね」

「では……」

「だが、私はそれに魅力を感じなかった。たしかに額は大きかったが、私の求めているものは金銭ではないし、それが買えるだけの額だとは思わなかった」


 焦る様子もないザハロフ伯爵に、コーデリアは尋ねた。


「貴方が欲しているものは、何ですか」

「称賛だよ。だが提示された額で買える称賛は、一瞬で消えてしまうだろうう。だから、私は君と……コーデリアさんと二人で話ができる機会に繋がると言われなければ、この話も受けなかっただろう」

「私?」


 突然出された自分の名前にコーデリアは眉をひそめたが、満足そうに頷くザハロフ伯爵は雄弁に続けた。


「君の話はずっと知っていた。十にも満たない頃から子供の教育を考え、貴族の子供達を集めて慈善事業を行う娘だと、私たちの仲間内では評判だよ。だから……君も、称賛される心地よさは知っているだろう? いや、あれがなければ私の生きる意味はない」

「……」

「与えれば与えるほど感謝の言葉を伝えられる、その喜びはどんなものにも代えがたい」

「それと、私と話すことが何の関係が?」

「これだよ」


 そう言いながら、ザハロフは小ぶりの鉢植えをテーブルの上に置いた。


「これは?」

「人を魅了する薬草だよ。快楽が得られ、楽しい幻覚、いや、夢さえ見れるようになるだろう」

「……麻薬、なのね」

「このままではただの草で、加工する必要はあるけどね」


 危険な薬草を知る上でコーデリアも麻薬を調べたことはあるが、今目の前にあるものは見たことはないものだった。形状は麻に似ているが、葉の色が紅いなど麻以外の特徴も見られることから、どこからで作られた新種なのかもしれない。


「元々北の植物だけど、こちらの空気も合うみたいで。ただ、私一人では育てるのが大変でね。コーデリアさんにも手伝っていただけたらな、と思ったんだよ。君も、こういう草なら興味あるって教えてくれた人がいてね」


 北という単語を聞き、コーデリアはザハロフ伯爵を睨んだ。


「貴方に話を持ちかけたのは、北の闇ギルドの人間かしら」

「ああ、そうだよ。彼はコーデリアさんはお人好しだから、シェリーさんに危機が迫ると噂でも聞けばきっと出てくるだろうと言っていた。シェリーさんがあのまま誘拐されてくれば一石二鳥でもあったけど、そちらはついでだったからあまり落胆もしてないよ。ただのごろつきに金貨一枚をくれてやっただけだし、あそこまでなついてくれる子を手放すのも、惜しいからね」

「嗜めていたのも、あの子のためではなかったのですか」

「あの子は可愛いけれど、話を止めなければ延々と話して、少しうるさいときもあるからね」


 そう言いきったザハロフ伯爵は最初から変わらぬ笑みを浮かべ、まったく悪びれもしていなかった。


(なるほど、幽霊は嘘は言っていなかったかもしれないけど、一番の本音は隠していたのね)


 すべてを信頼していたなんてことはあり得ないが、まさか自分が本命だったとはさすがに予想はしていなかった。


(でも、幽霊が楽しみたいっていっていたのはそういうことも含めてなのね)


 それなら腹は立つが納得もいく。

 幽霊にとってシェリーが北に来ることは確かに不都合だったのかもしれないが、それを守ろうとするコーデリアが狙われるところを楽しみにしていたのか、と。


「船がなくなった時に、再購入することは考えなかったのですか」

「一瞬で積み重ねてきた多額の財産を失うときの気持ちはわかるかい? わからないだろう。加えて憐みの目を向けられるんだよ。それは耐えられない。そうなれば船を諦めてでもそれまで通りの振る舞いを止めるわけにはいかなかった。幸い財はあった。すぐに次の別の商売を見つけられればと思っていたが、なかなか見つからなかったのが誤算だった」

「選択を間違える貴方なら、誤算でもなんでもなく、道理だったんじゃないかしら」


 しかしコーデリアの言葉はザハロフ伯爵にまで届きはしなかった。


「この薬草はこの国にはまだないということだから、競合相手もきっといない」

「倫理に反しているとは考えないのですか」

「気にすることかな? 欲しい客に欲しいものを売り、喜ばれる。その金を慈善事業に費やし、さらなる称賛を得る。誰も損しないではないか」


 ザハロフ伯爵は自分の言葉にどんどん興奮していくようだった。


「北の彼は言っていたよ。きっとコーデリアさんも協力してくれる、と。貴女のやりたいことにもお金がきっと足りていないだろう、と。お兄さんや伯爵とは違って、少しおてんばで既存の物事にとらわれないこともね」

「……」

「コーデリアさんはパメラディア家の娘さんだ。植物の成長を促すのも得意だろう。これはいくらでも金を生む植物だ。いかに素晴らしいものか、わかるだろう? もちろん公にすれば嫌がる者もいるかもしれないが禁止されているものではないし、非難されるべきものではない。なにより、知らせれば同じように儲けを出そうとする輩も出てくる可能性があるからね」


 なるほど、幽霊の甘言に騙されたのか。


(いや、違うわね。自分で、喜んで泥舟に飛び乗ったという方が正しいかしら)


 コーデリアは険しくなってしまっていた表情を改めて笑顔へと作り直した。


 そしてゆっくりと立ち上がってから腕を肩の位置まで持ち上げ、手のひらをザハロフの植物へ向けた。植物は一瞬で枯れ果てた。


「な……」

「私は喜んでもらえることをするのは好きだわ。けれど、貴方の思想には賛同できない。伯爵様、いいえ、ザハロフ。貴方、最低ね」


 コーデリアの行動がザハロフには理解が追いつかない様子だったが、コーデリアもかまわず続けた。


「お金で称賛が買える? それは違うわ。たしかに金銭がなければできないこともある。けれど今の貴方が得られるのは罵倒のみよ。貴方はばれないと思っているけど、私にはこのことを見逃す理由なんてないのだから」


 にこやかに繕っていた顔も、最後は鋭く変化させざるを得なかった。

 コーデリアが睨んだ先で、ザハロフはゆっくりと枯れた鉢から顔を上げた。

 しかし彼は一瞬失っていた表情をすでに戻し、ずいぶん余裕がある表情を浮かべ、断られたことなどまったく堪えていない様子だった。


「――これではずいぶん彼の話とは違うね。もっとも、コーデリアさんにはいずれにしても協力してもらうつもりだけれど」

「ここまで言う私が協力するとお思いで?」

「せざるを得ないというなら、話は別だろう。コーデリアさんは賢いが、それゆえに少し驕っているところもあるようだね」


 そういいながらザハロフはゆっくりと立ち上がった。


「私も魔術師に遜色ない力くらいは持っている。君の父君や兄君には劣るかもしれないが、武術の嗜みだってある。馬車までだったら君を運ぶのも造作もないことだ。逃げようにもここは二階だ、断ったところでコーデリアさんは協力せざるを得ないんだよ」

「……私がこの屋敷から消えれば、ロニーが不自然に思うでしょう。だいたい、お父様だってご存じよ」

「シェリーさんの時と同じように、怪しい人間が屋敷に襲撃をかけたことにすればいい。本当はあのときだって、コーデリアさんがロニーくんだけを遣わしてくれていれば、こんな手間にはならなかったんだけど、あの時のコーデリアさんは今とは違って用心深かったね」


 なるほど、そういうことだったのか。

 やたら回りくどい手だとは思ったが、すべてがザハロフの予定通りではなかったらしい。それでも今は有利な立場に立っていると思っているのか、ザハロフの余裕は一向に消えていない。

 だが、コーデリアも焦ってはいなかった。


「それなら、私も言わせていただきます。私もパメラディア家の娘。罠の可能性を考えなかったとお思いで?」


 そう言ったコーデリアは素早く種をまき散らした。


「それが君の得意技ということは、私も聞いているんでね!」


 剣を横に一振りされ、コーデリアがたやすく草は薙ぎ払われるが、再び草はすぐに同じ高さにまで成長し、意思を持つかのようにザハロフに襲いかかる。だがザハロフの剣も魔力を纏っているのか、それに屈することはない。


(魔力の根比べなら負けはしない。でも、今はそれをしているわけではないのよね)


 しかしコーデリアはその様子に小さく笑みをこぼした。

 次の瞬間、ザハロフの背後から伸びた一本の太いツタが彼の首に巻き付いた。


「私、護身術程度は覚えておくようにと言われているんです」

「ぐっ」

「頸動脈が締まれば、意識は……と、その前に首が絞まれば息も苦しくなってしまいますよね。背後をまったく警戒なさっていなかったので、遠慮なくとらせていただきました」


 そう言いながら、コーデリアは動きが止まったザハロフの腕から別のツタを遣って剣をはじき飛ばし、同時に手足の束縛も強めた。ザハロフの表情がさらに歪んだように見えた。だが、正直驚いたのはコーデリアのほうだった。


(……思ったより上手くいった)


 少し時間稼ぎができれば十分だと思っていただけに、鍛えられていた自分の魔術に驚かずにはいられなかった。ザハロフの油断が過ぎたということもあるが、ザハロフの油断は普段のシェリーの行動のおかげなのかもしれない。ザハロフの考える子供の基準が彼女であれば、緊張感だって薄れるだろう。それならシェリーにも多少は感謝しないこともない。


「な、んの、これしき……!」


 自身を魔術師と言っていただけあるということか、ザハロフは左半身の束縛を自身の魔力で打ち破った。しかし、コーデリアはそれに慌てることはなかった。

 そう、すでに十分すぎる時間稼ぎはできているのだ。


「ザハロフ、貴方はもう一つ見落としていることがあるわ」

「なにを……」

「ロニーって、貴方が思ってらっしゃるより頼りになるんですよ。相当強力な結界でなければ、私の位置くらいあっという間に突き止めますから。逆に、怪しむ結果にしかなりませんよ?」


 コーデリアがそう言った瞬間、部屋のドアが乱暴に破られた。

 けれどその音にコーデリアは一切動じなかった。


「貴方も言ったでしょう? ロニーって、とても頼りになるんです」

「もー……お嬢様。何かあったら合図をくださいとは言いましたけど、いきなり戦闘してくださいなんて言ってないですよ」


 目を丸くするザハロフに、ロニーは頭を掻きながら溜息をついた。


「話は後からお聞きさせていただきます。ひとまず、お嬢様がこんなことしてるってことは穏便に済まないのはわかりますので」


 そして自称魔術師は枷があったということもあるが、本当の魔術師に一切の抵抗することができず、あっという間に意識を飛ばしてしまっていた。


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