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第六十幕 夢見の少女(5)

 ひとまず現場に到着した騎士にロニーが状況を軽く説明すると、やはり城で詳しい話をきかせてもらいたいという流れになった。コーデリアが騎士にザハロフ伯爵とはぐれている旨を伝えれば、それも騎士のほうで探して伝えてくれるとのことだった。


 城に向かおうとした際にはシェリーも目を覚ましたのだが、彼女は自分がどのような状況にあったかよりも、城に入るということを聞いて非常に興奮していた。


 だから移動中も、そして事情聴取を待つ間も、サーカス会場のときよりさらにはしゃいでいた。


「すごいわ、本物のお城にいるなんて! ずーっと来たかったの! 偶然でも王子様にお会いすることはできないかしら? 廊下にも出たいわ」


 その浮かれっぷりにコーデリアは深く溜息をつきたくなったが、ぐっと堪えた。誘拐がトラウマにならなかったらしいことは喜ばしいが、どうしてこうなったのか原因をもう少し考えてほしいとも思う。


 ロニーは先に話をするということで席を外しているので、ここではコーデリアとシェリーが二人だけで待っており、部屋の外で騎士が一人待機しているといった具合だ。


「……シェリーさん、これからは知らない人に安易についていかないでくださいね」

「もう、わかってるわ!」


 いや、それはわかっていない人間の常套句だ。現に『せっかく楽しんでいるのに』と、こっそり付け足している辺り、本当に反省の色はない。


(この子……憧れの王子様からでも言い聞かせてもらわないと聞かないのかしら)


 もしも自分の内側がシェリーと同じ年齢であれば、かなりの確率で初対面から喧嘩しかねなかっただろうと思わずにはいられない。

 それにしてもシェリーの自分の思いを強く押し進める様はヒロインではなく、どこかゲームにいたコーデリアを思わせる雰囲気も感じてしまう。


「……」


 人の話を聞かない態度、自分への自信、そして王子への執着――一度考え始めると何もかもが重なってしまうように思え、コーデリアは小さくかぶりを振った。考えるのはやめよう。そもそもシェリーの振る舞いや言動には問題も多いが、貴族の娘だと判明すれば教養を受け改善されるかもしれない。もっとも、本質的な思考を改めることは難しいのかもしれないが――


「っと、あら? シェリーさん、これ、落とされませんでした?」


 シェリーの足元に小さな袋が落ちていたので、それをコーデリアは拾い上げた。

 それは匂い袋くらいのサイズのものだが、長い間使われているのか、少し生地はやつれている。シェリーはコーデリアがつまんだ袋を見ると、驚いたようにそれをもぎ取った。


「まあ、ありがとう! これはなくしちゃいけないものなの!」

「え? ええ、それならよかったわ」


 初めてシェリーから礼を言われたことに、コーデリアは目を丸くした。


「それが何か、お尋ねしても?」

「ええ。これは亡くなったお母さんからもらったお守りなの。これがあれば、私は幸せになれるって言ってくれたの」


 そう言いながら首から下げ、衣服の中に隠していた革紐をシェリーは引っ張りだし、袋をその先に下げた。どうやら肌身離さずそのお守りを持っているらしい。


(……もしかして)


 コーデリアは息を飲み、その袋をじっと見つめた。


「中には何が入っているの?」

「本当は見せたくないんだけど……小さい指輪なの。拾ってくれたから、特別に見せてあげる」


 機嫌よくシェリーが袋から取り出したのは、小さな指輪……ではなく、イヤーカフだった。手入れの問題だろう、少し表面が雲ってはいるものの、細かな鳥の文様が彫られている。


「これは……」

「え? 貴女、もしかしてこの鳥を知っているの?」

「ええ。……ねぇ、貴女はこの中身、神官様たちに見せたことはある?」

「見せてないわ。神官様もお守りは開けちゃだめって仰るもの」


 なるほど、それならばここまで判明しなかったわけだ。

 コーデリアはゆっくりと息を吐いてから、まっすぐにシェリーを見た。


「これはクライドレイヌ家の紋章よ」

「……くらいどれいぬ?」

「ええ、クライドレイヌ伯爵家のものよ。貴女のお母様がどうしてそれを持っていたのかはわからないけど……もしかしたら、伯爵様ならご存じかもしれないわ」


 ピンと来ない様子のシェリーにコーデリアが説明を加えると、シェリーは飛びあがった。


「え、え!? 私、伯爵様はザハロフ伯爵様のお名前しか知らないわ!」

「ザハロフ家も鳥をモチーフにしてるけど、確か海鳥。それは鳩。くわえている枝はオリーブの実だから、おそらく間違いないわ」


 ただただ目を白黒させているシェリーの前で、コーデリアは慎重に言葉を選んだ。精巧な作りで相当高価なこのイヤーカフスを持っているとなると、この段階では親子とまでは言えずとも、シェリーはやはりクライドレイヌ家と何らかの縁を持つのだろう。


「どうして貴女のお母様が譲り受けたのか、私にはわからないわ。けれど、どういう経緯でそれが貴女の手に渡ったのか、お尋ねすることもできるかもしれない」

「……」

「……貴女は、どうしたい?」

「そりゃ、気になるけど……でも、これ、本当にその……くらい…? 伯爵家のものなの?」

「ええ。勝手に紋章を入れた偽物を作る人はいないでしょう。身分を偽称する行為になるもの」


 もしかするとシェリーにとっては『思ってたより凄いものだったらしい』という程度の感想なのかもしれない。しかし徐々に混乱が収まったのだろう、彼女の目は輝き始めた。


「もしも……もしもその伯爵様にも私のことを知ってもらえれば、私の力がもっと多くの人に知ってもらえるかもしれないわよね! そうすればきっと殿下にも近づけるわ!」


 関わりがあるとわかったとはいえ、シェリーはまだクライドレイヌ伯爵が父親である可能性には思い至っていない様子だった。


(クライドレイヌ伯爵はお父様と仲がよくないとは聞いているけど、コンタクトをとるのが絶対に不可能というわけではないはずだわ)


 クライドレイヌ家のイヤーカフを持つ少女がいると伝えてもらえれば、それからの判断はクライドレイヌ伯爵に任せられるはずだ。


「シェリーさん、まだ、このことは内緒にできるかしら。段取りがあるから、それが狂うとお話が進まなくなるかもしれないわ」

「そうなの? じゃあ、早くしてよね」


 少し不満げだが、自分に不利なことはあってはならないと考えてのことか、せかす以上のことはしなかった。そして不満げな様子はすぐに上機嫌なものに変化した。ただ、彼女の様子を考えればいつまで黙っておくことができるのかは怪しくはある。


(……急がなきゃいけないことよね、これ)


 少なくとも今日明日のうちは黙っていてくれると願いたいが、それ以上はコーデリアにも自信がない。はやくどうにかしよう……そう思ったとき、コーデリアは別室へと呼ばれた。



 ***



 事情聴取に使われる部屋にコーデリアが通されると、そこには二人の騎士が立っていた。

 そしてそのうち一人は見慣れた人影だった。


「イシュマお兄様」

「まさかここで話をすることになるとは思ってなかったけど……話はだいたいロニーから聞いたよ。災難だったね」


 これも配慮されてのことなのだろうが、イシュマも少し困った様子で笑っていた。


「ただ、コーデリアの口からも相違ないか尋ねなければいけない。言えるかい?」

「はい」


 まず、シェリーがサーカスに向かうことになったのはコーデリアが教会を訪ねた際にザハロフ伯爵から誘いを受けたからということ。その際にコーデリアも誘われて一緒に行くことになったこと。そして彼女が買い物をしていると怪しい男がやってきたこと。シェリーが担がれて空き家へと連れ去られてしまったこと。一連の流れを話すと、イシュマといたもう一人の騎士が記録を残していた。


「気づいたことは?」

「妙だということ、ですね。連れがいる人間を目の前で誘拐しようとするのはあまりに短絡だと思いました。確かに最初は商品を餌にしようとしていた雰囲気はありますが、その後が強引過ぎました。誰でもよかったのなら、ほかの子を狙うのではないかと思いまして」

「じゃあ、コーデリアは彼女だから狙われたと思っているのかい?」

「いえ、彼女が狙われたとしても不自然だと思うのです。彼女の外出が決まったのは直前です。強いて言うなら、知っていたのは彼女を誘ったザハロフ伯爵しか知りません。けれど伯爵は彼女以外に私やロニー、それからクラリッサ様をお誘いくださっています」

「クラリッサ……キースリー殿のことかな」

「はい。私はともかく、誘拐を行いたいのなら顔見知りの騎士やパメラディアの魔術師を同行させるとは思いがたい」

「ありがとう。参考にさせていただくとするよ」


 そう言うと、イシュマは息をついた。

 そして小さく、ロニーとほぼ同じ内容だな、と言った。


「あと、これは浚われそうになった子に直接関係ないかもしれないけど……どうしてお前もサーカスに行くことになったんだ? 誘われたとはいえ、あまりに急だったら断れもしただろう」

「あの子は……シェリーさんというのですが、とにかく元気な方で……伯爵様とお二人では迷子になられる恐れが強かったのです」

「……なるほど、放っておけなかったのか。でもそのおかげで未遂で済んだんだ。あの子も運がよかったね」

「そうだといいのですが……」


 幽霊のことはこれでぼかせたとは思うが、さて、これからどうしたものだろう。


 できればシェリーの所持品についてイシュマに話したいところだが、ほかの騎士の目はできれば避けたい。ましてやクライドレイヌ家の紋章を持つ子供の話など、非常にデリケートな話になる。だからこそシェリーにもしばらく黙るように伝えたのだから、コーデリアのほうでも細心の注意を払わなければならない。


「……そうだ、詳しい発生場所についても聞いておこうか。広場の地図……は、これだと詳しくないな。取りにいってこようか」

「ああ、それなら私が取りに行きますので、妹君とお待ちください」

「すみません、ありがとうございます」


 兄妹で残る方がいいと判断しただろう騎士にイシュマは礼を言い、その扉が閉まるとふっと息をついた。


「さて、人払いは済んだ。言いにくいことは今のうちに」

「申し訳ございません」


 どうやらイシュマの発言はもう一人の騎士が取りに行ってくれるところまで織り込み済みだったらしい。気づいてもらえたことにありがたさを感じると同時に、余計な手間をとらせたことに対する申し訳なさも感じてしまうが、イシュマに気にした様子はなかった。


「いや、いいよ。それよりどうしたんだ?」

「先ほど知ったのですが、あの子……シェリーさんの所持品にクライドレイヌ伯爵家の紋章が入ったイヤーカフがあるのです。これを、クライドレイヌ伯爵にお伝えすることはできますか?」

「紋章が入ったものが……?」

「はい。お母様の形見とのことですが、どうしてそれが自身の手にあるのかはわからないそうです」

「わかった。確かにクライドレイヌ伯爵はイヤーカフをされているし、そういうのを作っていても不思議じゃないけど……ずいぶん個人的なものを与えられたんだね」


 イシュマもシェリーがクライドレイヌ伯爵に何らかの関わりがある人間だという可能性は強く感じたようだった。


「しかしそうなると彼女もなかなか複雑な立ち位置だね。誘拐されかかった子が噂の夢見の少女で、クライドレイヌ伯爵とも関わりがある可能性、か。……捕まってる誘拐犯が早く吐いてくれたら助かるんだけど」

「……」

「夢見の少女のことをコーデリアは個人的に、どう思う?」

「どう、とは」

「単なる感想だよ。人となりを、どう感じたんだい?」

「……殿下のことを、心よりお慕いされているようです。それは幼い恋心なのか民としての敬愛なのか、わかりません。ただ、非常に自信を持っているため、彼女の耳にはほかからの諫める言葉は入らないようです」

「つまり、諫められることをする子ではあるんだね」


 お疲れ様とでも言いたげな顔のイシュマに、コーデリアは苦笑した。

 否定できないところがなんとも悲しいが、兄を相手に取り繕うのも無意味だろう。


「クライドレイヌ伯爵の件は、うまく言っておくよ。父上にも報告するけど、おそらく私が間にたったほうがいいだろう。父上じゃ、ちょっと伯爵も警戒が強くなりすぎるからね」


 イシュマの苦笑は、それほどにエルヴィスとクライドレイヌ伯爵の仲がよろしくないことをにおわせていた。そして、やはり愛想がいい分イシュマのほうがそういうことは得意なのだろう。


「ありがとうございます、お兄様」

「いや、かまわないよ。誘拐と直接関係ない事柄かもしれないけど、関係ないなら伯爵も『知らん』で通されるだろうし、関係があれば貸しを作れるかもしれないからね」


 にこやかに、しかし本心を隠さなかったイシュマにコーデリアも小さく笑った。


「さて、そろそろ戻ってくる頃かな。ほかに急ぎこっそりと伝えたい話はあるかい?」

「いえ、今のところは」

「じゃあ、あとは帰宅後父上とかな」


 そうイシュマが言ったとき、部屋をノックする音が響いた。ギリギリセーフというタイミングに、コーデリアは思わず息を飲み込んだが、イシュマはにこやかな表情を浮かべたままだった。


(……お兄様も、さすがなのね)


 イシュマの仕事中の姿を見るのは初めてだが、やはり彼もエルヴィスやサイラスと同じく、大人の世界で生きているのだと思わずにはいられなかった。



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