第五十八幕 夢見の少女(3)
その後コーデリアはフルビアの家に向かって用事を済ませると、まっすぐ自宅へと向かった。帰宅するとすぐさま書庫に向かい、ザハロフ伯爵家に関する記述を探した。伯爵自体が目立たない人物だといわれていても、伯爵家である以上、関連する資料は見つけられるはずだ。
(……でも、やっぱりご領地は華やかな場所ではないのよね)
海から内陸に向かって細長いザハロフ伯爵の領地における主要産業は農業とされているが、品質が少し低いのだろうか、取引額はやや安価である。収穫高は低くないので無難な収入にはなっているようだが、余裕があるとは言い難い。
(それでも、領内の整備は積極的に進めていらっしゃるわね。さすが福祉事業に力を入れてらっしゃる……と言いたいところだけど、取引額から考えるとやりすぎにも見えてしまうわ)
そんなことを思いながら、コーデリアは新たに約二十年前の資料を手に取った。そこにはザハロフ伯爵家を含む国内の海運業のおおよその取引額や上位の品目が書かれている。そこから想像できるザハロフ伯爵家の当時の収入は、現在の伯爵領の主要産業全体と比べても多いようだった。
資料を読み進めると、やがてザハロフ伯爵家が船を失った年のはじめに、最新式の魔法道具の動力を積んだ船を二隻購入していたことが書かれていた。
(……失った船は二隻とも新しかったのね。だからお金が回らなくなって、船の再購入を諦めざるを得なかった……か)
最新式の船の値段などコーデリアには想像ができないが、魔法道具のドライヤーひとつで魔法道具ではない馬車一台が買えるのがこの世界の相場である。船の二隻同時購入だけでもかなりの資金が必要だというのに、それが魔法道具の動力付きとなれば……失った瞬間に財政が悪化するのは目に見えている。
そう思いながらページをめくり続け、コーデリアは額に皺を寄せた。
「それでも、伯爵様が行っている寄付は昔から変化していない……いえ、むしろ、毎年増えている?」
寄付については額は伏せてあるものの、相手先については基本的に記載され、その場所は年々増えている。一か所当たりの額を減らして相手先を増やす……なんてことはしていないだろう。
しかし、船を失う前より寄付を増やし続けているというのは、どういうことなのだろうか。
(元々はシェリーの親族候補だと言っている人がどんな方なのか見るつもりだったけど……思った以上に、謎が増えてしまったわ)
そしてこのような寄付の増加がなければ、金目的にシェリーの誘拐に加担していると疑うこともできただろうが、収支を顧みない福祉事業を見てしまうと何とも言えない気分になる。幽霊の言う通りであれば誘拐は北の人間からの依頼だ。一時の金を得たところで、ザハロフ伯爵ならすぐに寄付で溶かしてしまいそうだ。金が欲しいならば、寄付をやめればすむ話だ。
(でも、そもそも浚うつもりだったなら、自分の元に迎え入れたいなんて周囲に公言しないわよね)
強い興味を持っていたと思われれば、疑いの目を向けられる可能性がある。普通ならそれは避けたいはずだ。
ただ、そうは言っても謎が多い人物であるし、やはりシェリーに関わりがある可能性を示唆していることも気になる。
「……ひとまず、現時点では経過観察が必要かしら」
明日には再び教会に向かうのだ。
上手くいけばシェリーと顔を合わせることもできるだろう。そしてシェリーの持ち物に、クライドレイヌ伯爵家の娘だと分かる何かがあれば、あるいはそのヒントを見つけられれば――この問題には一旦区切りがつく。むしろそれがなくてはシェリーがクライドレイヌ家の娘だという確証をコーデリア自身も得られないのだから。
「思い出せたらいいのに」
市井の子供が伯爵家の娘だったなど、何かきっかけや証拠がなければ信じられることはないだろう。ゲーム中にそんなシーンがあったのかもしれないが、あいにくコーデリアには覚えがない。しかしそれを見つけ、クライドレイヌ伯爵に可能性さえ見いだしてもらえば、あとはDNA検査と似たような魔力検査でなんとかなるはずだ。
「周囲が気づけないくらい肌身離さないもの、かしら。すぐにわかるものなら、教会の誰かが知っているはずよね」
コーデリアにはうまく会話を誘導する自信はない。
ミックたちと言い争っていたときのシェリーの様子も原因だが、記憶が戻ってから抱いて居るシェリーや王子に対しての拒否反応が会話をすることを嫌がっている。
「そう、決めたのに……もう、本当に本能ね」
しかし見過ごせない理由があると決めたのも自分だと、コーデリアは長い息を吐いて覚悟を決め直した。そしてひとまず調べ終わったと本を片付けていると、書庫にララが現れた。
「お嬢様ぁ、夕食の準備ができたって!」
「ありがとう」
「お城の書庫に行ってたのに、また書庫にいるなんて。お嬢さまって本当に草花と本が好きね」
ララはそのまま自然に本を手に取りながら、コーデリアを手伝った。
「あ、お嬢様。明日、お休みもらってもいいかしら?」
「お休み? いいけど、お仕事の調整はできてるの?」
珍しい申し出にコーデリアが首を傾げると、ララは得意げに頷いた。
「それはばっちり! 実は今日、出入りの商人さんから、サーカスが来てるって教えてもらったの。前売り券も持ってないし人がいっぱいだからショーを見るのは難しいかもしれないけど、テントの周りにも珍しい動物がいっぱいいるって聞いたの」
そう言いながらララは目を輝かせていた。コーデリアは小さく笑った。
「いいわよ、楽しんでらっしゃいな」
「ありがと!」
「ロニーもお共にいるかしら? 一人で行っても楽しくないわよね?」
「ううん、お嬢様は明日も外出予定なんでしょう? 師長に話したら、師長と師長のお孫さんと一緒に行く予定になってるから、ロニーは仕事をするべきよ」
「そうなのね」
「それに、ロニーが動物を見て喜ぶタイプに見える?」
「……それもそうね」
残念そうな様子を見せないと思えばそういうことかと、コーデリアは軽く笑った。そしていつの間にやら師長のお孫さんとまで交友を広めているララに少し驚いた。
「お嬢様も気分転換に行ってみたらどうかしら? また、新しい何かが思い浮かぶかもしれないわよ」
「うーん、ちょっと覚えておくわ」
「もしも行きたくなったら、私が案内するから遠慮なく言ってよね」
そう堂々と宣言するララの心は既にサーカスの会場へ向かっているようだった。
***
翌日、コーデリアは再びロニーと共に教会へ向かい、待ち合わせをしていたクラリスと合流した。今日は休日だというクラリスはブローチを付けたブラウスにロングスカート、そして帯剣しているというシンプルな姿だった。
「本日もお願いいたします、クラリス様」
「こちらこそ、改めましてお願い致します、コーデリア様。それからエリスさん」
「どうも、よろしくお願いいたします」
「いろいろお伝えできるのですが……石像は後にして、まずはメインのステンドグラスからお伝えしましょうか。他にも椅子から燭台までたくさんありますので」
昨日は横やりがはいってしまったからだろう、クラリスは雑談を挟むことなくいきなり本題に入った。移動しつつコーデリアは教会内を見回すと、昨日は緊張で目にはいっていなかっただけなのか、クラリスの言った椅子や燭台のほか、よくよく見れば床すら珍しい石であることに気が付いた。
(……本当にありがたいけど……これ、全部だと……大丈夫なのか、な……?)
シェリーと会うことなどできなくなる勢いで、文化財が豊富に存在している気がしてしまう。好意からの申し出はありがたいことこの上ないのだが、教会にやってきた第一の目的から逸れてしまうのも考え物だ。
(……とはいえ、近くにいれば異変にも気づけるはずよ)
こちらには立番の騎士に加えクラリス、それからロニーもいる。
もしも侵入者がいればすぐに対処できることだろう。誘拐されないようにするという最低限の役割はここにいることで果たせるはずだ。
「書物でお知りになったということでしたら、初歩的な解説などご不要かもしれませんが……こちらのステンドグラスの作品名は「聖女の降臨」です。この国が築かれるきっかけとなった初代国王と、空から舞い降りる聖女様の姿が描かれています」
クラリスが語る歴史はコーデリアも学んでいる。
ニホンでの歴史と同じように、この国の歴史も初期の頃はやや神話がかったものも少なくはない。千年ほどの歴史であるが、ニホンだって平成から見て千年前の平安の書物には堂々と多くの物の怪が登場している。だから不思議ではないのだが、それでも魔術が存在しているこの世界になら、本当にあったことなのかもしれないとコーデリアも思ってしまう。
いかんせん、自分が前世の記憶を持つ者なのだから、空から聖女が降ってくるくらい不思議ではない。
「――では、次に昨日お話させていただいた石像のことをお話させていただきますねえ」
「お願いいたします」
少し思考を反らしただけのつもりが、いつの間にか話が切り替わってしまうくらいには考え込んでしまっていたらしい。失礼なことをしてしまったと反省しつつ、もう一度意識をはっきりさせた。
「あの石像は、初代国王と聖女様のお二人を見守られた、伝道師です」
「伝道師……?」
「伝道師は名前も性別も不明です。ただ、伝道師が生きた期間の公式の記録はほとんどが伝道師によるものだと言われています」
「そうなのですね」
「伝道師には公式の記録とは別に日記があるそうですよ。もっとも、そちらは公式な記録としての扱いは受けておりませんし、教会が好まないので、写本のほとんどを取り上げて焼いた歴史もあるそうです。とはいえ日記ですので元々写本は少なかったそうですが……今も大書架にはあるかもしれませんね」
初代国王と聖女の物語自体に興味があるわけではない。
国の興りを知っていれば、それで困ることも問題もなかったからだ。しかし日記に、もしも幽霊が言っていた『聖女の不吉な末路』につながるものが残されていたのなら――これは、大きなヒントになるかもしれない。
コーデリアは伝道師の石像をゆっくりと見た。
次に大書架に行った折には必ず探してみよう。
そう決意した時、入り口が開く音が聞こえた。
音につられてそちらを見やれば、そこには昨日見たザハロフ伯爵が従者を連れて立っていた。
「ザハロフ伯爵様。珍しいですね、二日続けておいでになるのは」
コーデリアより先にクラリスが少し驚いた声を上げた。
人の良さそうな笑みは昨日と同じで、軽く手を上げていた。
「なに、今日、珍しいものをいただいてね。よければ気晴らしにと、シェリーさんを誘いに来たんだよ」
「珍しいものですか?」
「サーカスのチケットだよ。この辺じゃ見ない動物や鳥、それから軽業師などのショーがあると聞いているんだが、よければコーデリアさんやキースリー殿もどうかな?」
サーカスとの言葉に少し驚きつつ、コーデリアは示されたチケットを見た。おそらくララが言っていた一座と同じものだろう。ただしそのチケット自体が豪華な作りだったので、席は間違いなく上等なのだろう。
しかし、その返事をする前にクラリスの表情は曇った。
「キースリー殿はあまり動物はお好きではないのかな?」
「いえ、その……お心遣いは嬉しいのですが……私、体質的に猫科の動物に近づけなくて」
「あぁ、それは残念だね。大型の猫科の動物も多いと聞くからね」
気の毒そうに見るザハロフ伯爵にクラリスは再び「申し訳ございません」と呟いた。
「気にしないでくれ、もともとは友人が家族で行くつもりだったものを譲り受けただけだからね」
「けれど……シェリーさんが行くとなれば、ほかの子どもたちもうらやましがってしまうことでしょう」
ザハロフ伯爵がシェリーに亡き妻を重ねているのはわかるが、許可はおりるのだろうか?
家族というなら、ここの教会の子どもたち全員の分もないだろう。そもそもシェリーには今はそのような人が多い場所に向かってほしくない。
しかし、伯爵はにこやかなままだった。
「問題はないはずだよ。この間、シェリーさんに素敵な誕生日プレゼントをいただいたからね。そのお返しといえば、大丈夫なはずだよ」
「お誕生日のプレゼント、ですか」
「ああ。可愛い花を一輪もらったよ。神官様も、一度くらいなら私のわがままも聞いてくれるだろう」
「……」
長年支援を続けており教会とも親交が深いザハロフ伯爵がそう言うのなら、その通りになるのだろう。しかし支援を続けているというザハロフ伯爵が一人の子どもを特別視しているという状況も気になってしまう。シェリーを優遇することで不和を生めば、共同生活に亀裂が生まれかねないかもしれないのに、と。
(いずれにしても……放っておくわけにもいかない、か)
目的のシェリーが連れ出されては、コーデリアの目的もかなわない。
ちらりとロニーを見れば、彼はどちらでもかまわないという様子を見せている。
エルヴィスから気を付けるよういくつかの貴族の家名を聞いたこともあるが、ザハロフ伯爵家は特に触れられたことはない。
「では……シェリーさんが、ご一緒なさるなら、ぜひ」
コーデリアの言葉に、ザハロフ伯爵は嬉しそうな笑みを浮かべた。
***
ザハロフ伯爵が言ったとおり、シェリーの外出許可はあっさり降りた。
せっかく案内をしようとしてくれていたクラリスにはまたもや悪いことをしてしまったと思ったが、クラリスもこっそりと「コーデリア様がご一緒なさってくださって助かります」と言っていた。クラリスも理由があるとはいえ、歴史ある貴族の家の当主からの誘いを断るのは気がかりでもあったのだろう。
そしてその後、元気いっぱいに現れたシェリーは挨拶もそこそこにザハロフ伯爵に飛びついた。
「ザハロフ伯爵様! サーカスに連れて行ってくださるって、本当!? 私、見てみたかったの!」
「こんにちは、シェリーさん」
元気いっぱいに現れたシェリーは挨拶もそこそこにザハロフ伯爵に飛びついた。
少しめかした格好は、以前子どもたちにザハロフ伯爵が贈った古着らしい。ただ、それをコーデリアに話す際にも「あの子の分は、本当は新しいものなんだ」と言っていたので、ザハロフ伯爵自身ひいきしているのは十分理解しているのだろう。
自らの子である可能性も考えているのだから心情的に無理はないのかもしれないが、コーデリアには少し引っかかりを覚えた。
「サーカスは、楽しみかい?」
「もちろん! でも、ごめんなさい。今日は伯爵様にお伝えできる夢はないの。夢に出てきたのは露天商だけだったもの。でも、あの夢は今日、そこに行くって言う意味だったのね!」
「私はシェリーさんに会いにきているのだから、気にしないでくれると嬉しいな。子供は笑っているのが一番だよ」
シェリーは子供うほど子供ではない年齢のはずなのだが、コーデリアもそれは言わないことにした。ザハロフ伯爵が言っている言葉は子供が相手でなければ口説き文句にも聞こえかねない。当人同士が何も思っていないうちに横から口出しをするのも余計なことにしかならないだろう。
(……伯爵にお伝えできないって告げる姿だけなら、本当に純粋な子に見えるのに)
伯爵にもシェリーにも引っかかりばかり感じ、いっそう気を抜くことはできなさそうだ。
そんなことを考えていたコーデリアの存在ににシェリーもようやく気づいたようだった。
「あら、昨日の」
「こんにちは」
「雨、降ったでしょう?」
勝ち気な様子の少女に、コーデリアは頷いた。
ミックたちが怒らせた彼女の機嫌は完全に直っているようだ。
四人で馬車に乗り会場まで向かう途中もシェリーはずっと喋っていた。
歌がとても上手に歌えたという話。
絵も上手に描けたという話。
そして、夢で見て落とし物を見つけたという話。
それから見つかった落とし物のおかげで、お菓子をもらったという話。
次から次へと語られる勢いはとどまることなく、口が挟める余裕はなかった。
コーデリアも何か断片的にでもクライドレイヌ伯爵の娘だと言える証拠を導き出そうと試みたが、シェリーの言葉にはヒントになるようなものは見つけられなかった。
(でも、彼女はクライドレイヌ伯爵の娘だということは知っていないわ。これだと夢でも見ていない様子ね)
どのように迎えられるのかシェリーが知っていてくれたら、どれほどよかったことだろう。
シェリーだって王子にその名声を届けさせたいと思っているのだから、クライドレイヌ伯爵が父親だと知れば喜んで迎えも受け入れるだろう。
(でも実際は、そんな雰囲気が全くない)
ゲームとここで差異があれば……もしも本当にシェリーがザハロフ伯爵家に関わりがある娘であれば、コーデリアには不都合が生じてしまう。ザハロフ伯爵家は魔術師を雇う家ではない。勝手な話であはると思うが、夢見の少女を狙う輩がいた場合、保護が不十分だと思えてしまう。
「ねえ……ねえってば」
「え?」
いつから呼ばれていたのだろう? シェリーの声にコーデリアが顔を上げると、シェリーは楽しそうに笑っていた。
「ねえ、貴女は教会にステンドグラスがあるのは知っている?」
「教会の……? ええ、初代国王と聖女の出会いですね。とても幻想的です」
教会を訪ねる言い訳にした理由に、定型的な文章をコーデリアは返した。
「へえ、意外と物知りなのね」と、少し上から目線の言葉がシェリーから発せられた。
貴族か否かということを除いても、少し遠慮が足りないと思わされる雰囲気だ。
だが、やはりこの少女はそんなコーデリアの微妙な心の動きなどまったく気にも留めなかった。その代わり、声高らかに主張をした。
「私、思うの。きっと聖女様と国王様の出会いは奇跡だったんだと思うけど、二人の強い気持ちがこの国を作ったんだって。その聖女様の力が私にもあるなんて、とっても素敵だって!」
両手を組み、うっとりとした表情を見せるシェリーにコーデリアは悪寒を感じた。
(……やっぱり、自身を既に完全に聖女だと思っているのね)
街で噂になっているとはいえ、ここまで強く本人が意識しているなど、どうして想像できただろうか。ヒロインらしい性格でない可能性は考えていたが、ここまで自己主張が強いとも考えていなかった。そして――恋というよりシルヴェスターに心酔している様子も、想像の範囲外だった。
「ねえ、シェリーさん。あなたは、どうして殿下のお役にたちたいと思っているの? 聖女様と同じようになりたいから……なのかしら?」
「それはもちろん! でも、殿下には助けていただいたこともあるの。変装されていたけど、夢でみたもの」
「夢?」
「ええ。いつか助けてくださったあの方に恩返しがしたいって願ったら、殿下が夢に現れたの。姿は違っていてもとても上品な方だったし、優しい雰囲気もそのままだったし!」
そんな風に興奮するシェリーにコーデリアは曖昧な笑みを浮かべて応じた。
王子がシェリーを助ける? そんな話はゲームにはなかった。本当にシェリーが助けられた人物が王子かどうかも分からないが、経緯もそもそもわからない。
「教えてほしい? でもダメよ。あれは私と殿下の思い出だもの」
「……」
いや、この際彼女がどのようにシルヴェスターと出会ったかは関係ないだろう。
むしろ問題になるのは、彼女の思考だけだろう。
(性格が大幅に違うだけなら、私と同じ『ゲーム』を知るものという可能性も考えられたのよね。でも、たぶん違う)
それはクライドレイヌ伯爵を父親だと思っていないことからも明らかだが、何よりシェリーがコーデリアに対して何の興味も抱いた様子がない。仮にシェリーが『ゲーム』を知る者であれば、自分を迫害する恐れがある者に対して一瞬眉をひそめるくらいのことはするだろう。
(……むしろ同じ転生者なら、逆に殿下との仲も応援しやすかったというものなのに)
単に性格が異なるにしても、できればもう少し柔らかな性格であってほしかった。
ヒロインの性格などプレイヤーの行動選択で多少は変わるが、そんな範疇に収まらない。極端すぎる。そして溜息を飲み込んだコーデリアの正面でザハロフ伯爵が笑った。
「聖女様と同じ道を歩みたいというのなら、もう少しお勉強も頑張ってくれないとね。神父様にも言われただろう?」
「ええ、確かにお勉強も必要なことかもしれないけど、私には夢の力があるもの。これさえ磨いて、行動すればいいんだわ」
純粋な発言を恐ろしく感じるのは、シェリーに対する身体の拒否反応だけではないだろう。
自分の力を特別で正しいものだと信じ切っている……そしてそれゆえに自身が特別な存在になれると、信じ切っている。
「……もしも、その夢に間違いがあったら、貴女はどう思うの?」
シェリーの機嫌を損ねるかもしれない発言であることは理解できる。
けれどあまりに重視する姿にコーデリアも尋ねずにはいられなかった。そして案の定シェリーの眉根は寄った。
「なんで、そんなことを言うの? 私が間違うって言いたいの?」
「そういうわけではありません。ただ、それが絶対に間違いないということを、どうやってお示しになられるのかと」
「そんなの簡単だわ。私の夢は、信じたい人だけ信じればいいのよ。信じなかった人は、間違うだけでしょう?」
まったく答えになっていない回答を自信満々にたたきつけるシェリーに、コーデリアも理解した。今の彼女にこれ以上の質問は無意味だし聞いたところで平行線を辿るしかなくなるだろう。
(でもその考えは間違い一つで周囲を、そして彼女を滅ぼすことになりかねない)
信条を貫くのなら、これは伝えなければいけないことだ。しかし彼女の側にいるには伝えて刺激を与えることは避けたい。ここは、我慢だ――そう、指先に力を込めた時、またもや想定外の声が耳に届いた。
「夢は補助だ。説得するだけの力をつけなければ、なかなか信用を得るのは難しいよ」
「そこは数で勝負だと思うの。結果がでれば、みんな信じるでしょ?」
優しく告げるザハロフ伯爵に、シェリーはやはり自信に満ちた様子で答えた。それはコーデリアに答えた時よりも自信ありげで、それをザハロフ伯爵も知っているだろうと言わんとする勢いだった。
(……ザハロフ伯爵に、それだけ成功例を見せているってことなのね)
しかしシェリーの自信とは裏腹に先程と今、二度に渡って彼女を嗜めたザハロフ伯爵には少し驚いた。もちろん装っている可能性もあるが、浚うのならばすべて肯定しておけばいいはずなのに――やはり、ザハロフ伯爵への疑いは思い過ごしだったのだろうか。それなら、それは喜ばしいことなのだが――
「おや、到着したようだね」
「馬車の旅、おわっちゃったのね。お姫様みたいで楽しかったのに!」
そう言いながらシェリーは御者が扉を開ける前に馬車から勢いよく飛び出した。
続いて伯爵が降りる。まだまだ彼女と共にいるわけだが、狭い空間での緊張が解けたことにコーデリアはほっとした。
「……ねぇ、お嬢様。御加減、優れないのでは? いつもならあんな言わせっぱなしにしないでしょう」
「体調は悪くないわ。反論できなかったのは、彼女の夢が間違っているという証明をすぐにできなかったからよ。……あと、少しお父様に告げずにここにいることも気掛かりではあるから、それも考えていたわ」
ロニーの言葉にコーデリアは即座に誤魔化そうとし、そして気が付いた。
そうか、彼女との会話に反論できなかったのは回答が平行線になるどころか、今のところはむしろ彼女の夢が当たるというのが現実なのだ。聞いた話によると、大したことではないが当たっていると皆口をそろえているではないか。
(……夢で、彼女がコーデリアを見ることはゲームではなかったわ)
しかしそもそもコーデリアが今、シェリーに接触していること自体が物語とは異なるのだ。
現実で、セーブデータもなくやり直しなどないこの世界。
(彼女の力が、これ以上強くならないことを祈らざるを得ないわね)
ゲームでは精々人の悩みを解決するような力までしか身につかなかったはずではある。
しかし現状や、彼女の言動を考えるに、仮にそれ以上の力がついてしまえば混乱が生じることも多いにあり得る。
そう考えればコーデリアは小さくロニーに笑いかけることしか、今はできなかった。そして事件の真相は未だ見えないが、シェリーと相いれないだろうことだけはハッキリと理解することができてしまった。
「……あんまり言いたくなかったんですけど、旦那様はよほど危ないことをしない限りお嬢様の好きにさせるよう、俺に言っています。ですので、心配はご不要かと」
「あら、本当?」
「ええ。危ないことをしない限りは。逆に言えば俺が判断を預かってるんですけどね」
妙に強調するロニーにコーデリアは苦笑しつつ、馬車から降りた。




