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第五十一幕 二年ぶりの王子様

 最悪だ。


 現状はその一言に尽きる。

 コーデリアの上げた声でヴェルノーも異変を感じたらしく、床に崩れ落ちる前に受け止めてもらったのは不幸中の幸いだが、そもそもヴェルノーが引っ張らなければこんなことになってはいない。そう思うとありがたさより恨めしさが先に来るのも仕方のないことだろう。


 そして先ほどまでは声が響いていた室内も静まりかえっている。


「……ヴェルノー殿、貴殿は一体何をしている」

「いや悪い、ちょっと待ってくれ。大丈夫か、ディリィ」

「……」


 大丈夫だと思うなら、ぜひとも眼科医にかかってほしい。

 そう悪態をつければどんなによかったことだろう。

 いくら何でもこれは恥ずかしいと思いつつ、コーデリアは現状の打破を考えた。まずはバランスを整えなければ、ヴェルノーの腕の支えをはずすことは叶わない。視線を地に落としたまま慎重に足を元に戻し、同時に必死で心を落ち着かせようとした。ここで焦って本当に転んでしまえば、今度こそ言い訳ができなくなる。今ならまだヴェルノーが状況説明さえしてくれれば、多少の挽回も可能なはずだ。


「で、何をしていたんだ」

「クレイが殿下に口うるさくいっていただろう? そのせいでディリィが遠慮しそうだったから、気にするなと入ってきたつもりだったんだ。引っ張ったのは悪かったと一応反省はしている」

「口うるさ……!? 元はといえば、誰のせいだと!」

「あーあー、後で聞くから。一応客の……じゃない、殿下の御前でそういう態度はどうかと思うぞ? あと、とりあえず扉を俺の代わりに閉めてくれ」


 クレイという眼鏡の少年は長い溜息をつき、それから視線をドアの方に投げた。するとすぐに扉が閉まる音がした。おそらく衛兵が閉めてくれたのだろう。ヴェルノーもクレイではなく衛兵に言えば済むことだっただろうに、どうやら多少は気を動転させてはいたようだ。


 しかし部屋の外でのヴェルノーの言動から、クレイはヴェルノーの知人であることがうかがえていたが、予想以上に互いを知る様子である。これなら、コーデリアのこの失態の半分はヴェルノーが原因だと察してもらえるかもしれない。

 望ましくない状況の中でも、まだ多少はましであったかもしれないことにやや安堵を覚えていると、コーデリアの視界の端に見慣れぬブーツが映し出された。

 その瞬間、思わずコーデリアは固まった。


「……大丈夫ですか? 足を痛めていませんか?」


 それは明らかにクレイとは、そしてヴェルノーとも異なる声であった。

 ただ、それが誰であるかわからないわけではない。


 クレイが苦言を呈していた相手は王子様。

 そうなれば、この声の主が誰であるかなど――顔を見ずとも理解できてしまった。


(シルヴェスター殿下以外に、あり得ないじゃない……!)


 コーデリアは硬直した体に多少無茶な力を加え、ヴェルノーの支えから離れ、そして膝を折った。


「大変、失礼いたしました。本日はお招きに預かり光栄でございます、殿下。コーデリア・エナ・パメラディア、ただいま参上いたしました」


 入り口でこんな挨拶など、全くもって様にならないのだが、致し方ないだろう。


「顔を上げてください。今の事故は、ヴェルノーが悪いでしょうから」


 柔らかなその言葉を聞いた瞬間、コーデリアは唇をかみしめた。しかしいつまでも顔を伏せているわけにはいかない。そもそも許可証を手にするためにはと、顔を合わせる覚悟は決めて来たはずではないか。

 コーデリアはそう自らに言い聞かせ、表情を落ち着かせながらゆっくりと顔を上げた。


 目に飛び込んできたのは、穏やかな表情で金の瞳をした少年の顔だった。


「お久しぶりですね。覚えていらっしゃいますか?」

「――はい」


 二年前にフラントヘイム家で見た時の印象より、少しゲームのシルヴェスターの雰囲気に近づいていると感じた。


 そして、もう一つ気づいたことがある。


(……これと似た構図、見たことがあるわ)


 確かヒロインが街で転んだ時に、こんな角度で見上げていた。非常に印象的で美しいシーンであったが、今のコーデリアにとっては悪夢を見るような気分である。気づかねばよかったと思わずにはいられない。


「……やはり、痛むのですか?」


 反応の鈍い様子を見てだろう、伺う様子を見せたシルヴェスターに、コーデリアは多少躊躇いはしたものの「少し」と返答した。


 本当は痛みなど大したことなどない。

 しかしここで足を痛めたことにすれば、長居せずとも済む可能性だってある。また、全く痛くないわけでもないのだから嘘でもない。


 しかしコーデリアの返答に、シルヴェスターは少し焦った様子だった。


「それはよくないですね。ヴェルノー、医者を……」

「え!? そんな、結構でございます!」

「ですが」


 期待する方向と正反対に話が流れては困る。コーデリアは焦りつつも瞬時に判断し、遠慮を申し出た。しかしシルヴェスターからは納得を引き出せない。


 その時、「ごほん」と、わざとらしすぎる大きな咳払いがコーデリアの耳に届いた。


「シルヴェスター様、彼女もこう言っているのです。それにシルヴェスター様はこの後もご予定が詰まっています」

「クライヴ、そう急かさないでくれ。訪ねてきてくれた彼女にも失礼だろう?」

「ですが」

「きちんと予定は組み替えてあるから心配しなくても平気だよ。それよりコーデリアが怪我をしたのなら、そちらの方が気がかりだ」


 クライヴ。

 その名前を聞いたコーデリアはかつてサイラスからその名を聞いた時のことを思い出した。


(確か殿下のお妃候補を調べようとしていた、イームズ侯爵家の……! クレイって、クライヴ様のことだったの!?)


 眼鏡に長髪、眉間に皺。いたってまじめそうな顔つきのクライヴはヴェルノーと正反対の性格をしているのだろうと感じさせられる。

 そんな彼がシルヴェスターをいさめる言葉に不満を隠そうとしない様子に、コーデリアを歓迎している様子は一切ない。室外にまで届いていた諍いも自分が原因だったのかもしれない――そう思う一方で、早く帰したいと思われているなら自分にとって好都合な状況だとも感じた。


(彼は思いがけない援軍になるかもしれない、かな)


 コーデリアの退出という共通した目標がある以上、うまく話を持って行けばクライヴが退出を促してくれるだろう。

 そう考えたコーデリアはまっすぐとシルヴェスターを見た。


「殿下、ご配慮いただきましたこと、大変ありがたく存じます。しかし、私も未熟ながらパメラディアの者。この程度のことでお手を煩わせることははばかられますし、どうしても痛むようでしたら、自分で医師のもとを訪ねることもできます」

「ですが」

「シルヴェスター様。ご心配があるようでしたら、私が医務室まで案内いたします。ですから、許可証を授与なさってください」

(食いついてくれた!)


 現金なことだが、話がうまく運び始めたことでコーデリアは内心ヴェルノーにも『素晴らしいアシストをありがとう!』と、心の中で感謝した。

 格好悪い思いもさせられたが、ヴェルノーが悪かったことになっているし、さらに結果オーライというのであれば問題ない。


 しかしコーデリアはそんなことを考える傍ら、妙な納得も覚えていた。


(これは、確かにご令嬢たちの憧れるのも無理ない気がするわ)


 物腰が柔らかく、配慮に長けた少年が王子様となれば、少なくとも初対面で悪い印象を与えるようなことはない。むしろ好印象を与えるだろう。ゲームの時以上に紳士的な雰囲気で、コーデリアだって恐るべき記憶がなければ、関わりたくないなど思わなかったはずだ。しかしあのコーデリアの末路を招いた原因だと知る以上、やはりその存在を見ると身が竦みそうになる。すでに拒否反応になってしまっている。


(最終的には「コーデリア」の自滅だとしても、やっぱり関われない。失敗じゃ、済まないわ)


 死にたくない。

 大して関わらなければどうにもならないはずだと思う一方、距離をとっている現状でもクライヴのように勘違いをしてくる人間もいるのだ。それに全く同じ状況にならずとも、例えばコーデリアがヒロインいじめの令嬢だと誤解されれば、ヒロインの生家であるクライドレイヌ家と対立になり家族に迷惑がかかるという恐れもある。


(……やはりシルヴェスター殿下には近づくべきではないわね)


 茶会などを通して自分のテリトリーを作り始めてはいるものの、人の口に戸は立てられぬというものだ。妙な噂を蒔かれては打ち消すことに苦労する。


 もっとも普通に日常を過ごしていれば、王子と顔を合わせることもほとんどないはずなのだが。


「……少し、待っていてください」


 そう言ったシルヴェスターは、そのまま部屋の奥にあるデスクまで移動した。そして卓上から小さな小箱を二つ手に取ると、再びコーデリアの前に戻ってくる。


「こちらをどうぞ」

「拝見いたします」


 箱の中には小さな四角いガラス製らしき濃紺のプレートが一枚入っていた。ガラスの表面には大書架への入場が許可されていることが白い文字で書かれている。


(これは……セキュリティ解除のような魔法道具なのかしら)


 何となく不思議な力を感じながら、コーデリアはそれを手に取った。

 プレートは少し長めの銀色のチェーンがついており、首から下げることもできるものになっている。ドレスには似合わないだろうが、研究者たちには便利な作りになっているだろう。


「大書架を訪ねる際には、そちらのものをお持ちください。割れることはないと思いますが、紛失にはご注意を」

「かしこまりました。ありがとうございます」

「……用件は済みましたね。では、私がお送りいたしますので」


 シルヴェスターとは対照的なクライヴの尖った声は、多くの令嬢を怒らせるのではないだろうか……と、コーデリアは思うが、コーデリアにとっては救いの言葉だ。


「ありがとうございます、イームズ様。お手数をおかけいたします」


 クライヴは一瞬眉を寄せたが、コーデリアが首を傾げる前にその表情を打ち消した。


「任せるよ、クライヴ」

「はい」


 しかしシルヴェスターはその後コーデリアを見たものの、なかなか言葉を発しない。


(……下がれない)


 クライヴも退出を促さないあたり、ここはシルヴェスターの言葉を待つのが正解なのだろう。


「本当は……もう少しお話をしたかったのですが、残念です」


 やや間をおいてから発された言葉に、コーデリアはひきつりそうになる頬を必死に押さえた。


「お話、ですか?」

「ええ。たとえば……どういった経緯で食べる紙を思いついたのか……その発想に興味があります」


 おそらく、褒められてはいるのだろう。

 しかし、その発言だけを切り取れば紙を食べたいと思うほどに、食欲旺盛だとも聞こえなくはない。

 だが、前世の記憶だともいえないコーデリアは控えめな笑みを返すに留めた。


「また、いずれ」


 そう言葉を続けたシルヴェスターに内心『次がないことを願います』と思いながら一礼し、コーデリアはクライヴとともに部屋から退出した。


 そして部屋から少し離れたところで、コーデリアは前を歩くクライヴに声をかけた。


「クライヴ様、医務室へご案内いただくとのことですが、やはり結構です。痛みは、もうほとんどございませんから」


 足を止め振り返ったクライヴは、非常に顔をしかめていた。


「後から痛くなったと言われては、かないません」

「申し上げません。また、万が一にも後ほど痛みが生じた場合、我が家で看てもらうこともできますわ。不慮の事故といえば、深くは追求されません」


 クライヴはよほど用心深いのだろうかと思いつつ、とりつく島もない様子には少しあきれもした。


(……完全に殿下から害を遠ざけようとしているのだろうけど……対話する気もなさそうなあたり、どうなのかしら)


 その人の人となりや第一印象以前に、自身が持つイメージで物事を判断しているのではないか。しかし一方ではそういう態度で接する相手にもしっかり自ら医務室まで送り届けようとする律儀さはあるようだ。

 それでもやはり、医務室には行かずとも問題はない。むしろ怪我をしていると思っていないので、行くだけムダだ。

 ならば、納得してもらえるだけの理由を並べなければいけないだろう。


「たとえばですが……私が怪我をしたと父の耳に入れば、フラントヘイム侯爵様にも伝わってしまうかもしれませんわ。侯爵様にお気遣いいただくのは、申し訳なく思います」


 その言葉に、クライヴはぴくりと眉を動かした。

 もっともコーデリアにとっては、フラントヘイム侯爵にかける心配よりも、エルヴィスの耳に入ることのほうが気掛かりだと思うのだが……ひとまずはクライヴも思うところがあったらしい。


「……しかし、私もすぐにシルヴェスター様の元には戻れない」

「そういうことでしたら……大書架までの道を教えてはいただけませんでしょうか?」


 確かにすぐに戻れば不自然に思われることもあるだろう。

 それならば時間潰しにちょうどいいと思われる願いを口にした。コーデリアがわかるのは、東門から今の場所までの道のりだけだ。

 しかしクライヴは再びためらう様子を見せる。


(もうひと押し、ね)


 まだクライヴの中では納得しがたいものがあるのだろう。

 それでもお堅い様子のクライヴが多少迷いを見せたのならチャンスのはずだ。


「クライヴ様は私を医務室に連れて行くと仰いましたが、医師に引き合わせるとは仰ってませんわ」

「……」

「ですから問題はございませんよ、ね?」

「貴女は……ヴェルノー殿のようなことをいいますね」

「……」


 仮にその言葉を放った相手がクライヴでなければ、コーデリアもやんわりと、しかし即座に反応しただろう。自分が自由にさせてもらっている自覚はあるが、ヴェルノーほどフリーダムではないと信じたい。

 ただ、クライヴとヴェルノーが気の合う相手ではないらしいことはすでに見た。だから、彼が自分をヴェルノーと同類に見ているのなら、反論したとしても今は通じることもないだろう。

 だから苦々しい表情を浮かべるクライヴに内心『私も同じ気持ちです』と思いながらも、コーデリアはただただ笑みを浮かべていた。


「……まあ、いいでしょう」

「ありがとうございます」

「あぁ、一つ言っておきましょう。大書架へ、シルヴェスター様が向かわれることはほとんどありません。あったとしても早朝や深夜がほとんどですよ」


 お前が会える御方ではないぞ……と、暗に警告しているのだろう。

 聞いてはいないことであるが、それだってコーデリアにすれば有益な情報だった。


「それならば、私も書物に集中させていただけますわね」


 どうやら、大書架へは思いのほか安心して通うことができるらしい。

 しかし安堵しつつそう口にしたコーデリアは、少し発言を誤ったかもしれないとわずかに焦った。聞きようによっては王子を邪魔だと言っているようにも聞こえなくもない。それでは、あまりに失礼ではないだろうか。


「……」


 幸いにもクライヴは怪訝そうな表情を浮かべるだけで、なにも言わなかった。そしてそのまま、再び足を運び始めた。


(冗談だと捉えていただけたのかしら……?)


 向けられた背を見たコーデリアは胸をなでおろし、そのままクライヴに続いた。




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