第五十幕 吉報は嵐と共に(3)
エルヴィスの姿を目にしたコーデリアはハンス同様、急ぎ側へと歩みを進めた。
「おかえりなさいませ、お父様」
「ああ」
しかし帰宅したとはいえ、外では馬車が待機している様子だった。どうやらエルヴィスの帰宅は一時的なもので、再度城に戻るようである。しかしコーデリアにはわざわざエルヴィスが一時帰宅する理由が思い浮かばなかった。エルヴィスが忘れ物をするとは考えづらいし、万が一そのようなことがあっても使いをやれば済む話だ。代理では難しいこともあるかもしれないが、そうなればそれこそエルヴィスが忘れるとも思えない。
しかしたった一言の返事の後は、エルヴィスからの言葉は続かない。
だが明らかに外出を控えた様子のコーデリアを見ても何も言わないあたり、すでにエルヴィスに手紙は届けられているらしいことが窺える。とはいえ、手紙は手紙。改めて受賞のことは直接報告すべきだろうが、その前に尋ねたいことがある。
「この髪……似合いますでしょうか?」
「……」
おおかた予想した通り、返事はすぐには返されなかった。
エミーナの腕を疑うわけではない。パメラディア家の娘として、コーデリアはエルヴィスから率直な意見を聞いておきたかったのだ。
しかし尋ねたものの、緊張はしている。
息を飲み返答を待つコーデリアに、やや間をおいてからかかった言葉はコーデリアが想像していた二択のどちらでもなかった。
「……寒くはないのか?」
「え? はい、寒くはございませんが……」
ドレス自体をエルヴィスに見せるのは初めてではない。だから髪型に対する問いかけであるだろうことは、恐らく間違いないだろう。確かに普段は首から背まで覆っている髪が結い上げられているので、空気に触れる面積は多い。しかし季節が季節なので、寒いという感想は持っていない。
(そんなに寒そうかしら?)
そう首を傾げるコーデリアをよそに、エルヴィスはハンスに視線だけで何かを伝えた。恭しい礼をとったハンスはコーデリアに微笑むと「すぐにショールをお持ちするよう、エミーナに伝えます」とその場を離れた。
(本当に、寒くはないんだけど……)
どうやらよほど寒そうに見えたらしい。
ただ、「似合わないから目立たないようにしろ」ではないらしい。
エルヴィスから明確な返事がもらえないことは少々残念だが、この髪型も却下という訳ではないようだが――
「……悪くは、ない」
「――ありがとうございます!」
様子を窺っていたコーデリアに、いつもにも増した仏頂面のエルヴィスから、褒め言葉はかけられた。それ以上の言葉はなかったが、エルヴィスからと考えれば十分だった。
「いまから城に向かうのか?」
「はい。東門でヴェルノー様がお迎えくださるとのことです」
「ならば、そこまで送ろう」
「え!? あ、ありがとうございます」
まさか自分を送るために一時帰宅したなど考えていなかったコーデリアは驚いた。城の中までは無理だとしても、門まではエミーナに同行を願おうと思っていたのだが、いつも城に向かっているエルヴィスが一緒なら心強いことこの上ない。
「お父様とご一緒させていただけるのでしたら、とても心強いですわ」
できれば王子の前まで一緒にお願いしたいくらいであるが、それは叶わないことだろう。通知自体がコーデリアに来ているのだから、保護者同伴を求められているとは思えない。現にエルヴィスも同行するのはヴェルノーのところまでと言っている。
(わがままを言いたいところだけど、ここで無理を言えばお父様が無理に介入したように見えかねないわね)
それはコーデリアにとってもエルヴィスにとってもマイナスにしかならないと、すぐにあきらめざるを得なかった。
「……気がかりがある様子だな」
「え?」
「城に向かう程度、堂々としていればいい」
そう言うなり「先に行く」と背を向け歩き出したエルヴィスを、コーデリアはあわてて追った。
心配してくださってありがとうございます、など口にすればエルヴィスの居心地は悪くなるだろう。だからぐっとこらえたが、心の中では深く感謝した。そしてそのお礼は後日菓子を焼いて返そう、と心に決めた。
馬車の中では気を紛らわせるために、ガレットやクレープ店の話をしながら、エルヴィスとなぜ王都にまで話が伝わったのかということも話し合った。同時にコーデリアは軽いアンケートを実施する方針について伝え、許可を受けた。エルヴィスからはおそらく珍しい料理ということもあっただろうが、内装や調度品のほうが評価されたのではないかという予想も伝えられた。
「下町の食堂も悪くはない。が、普段と違う雰囲気も話題を呼ぶことになったのかもしれんな」
その言葉にコーデリアはいつもとは違う、下町の賑やかな食堂でB級グルメを食する自分を想像した。立場は逆になるかもしれないが、いつもと違う雰囲気を味わうことができれば……それはきっと、特別な気持ちになる。
「……勝手に行くことはないように」
エルヴィスがそういわざるを得ないほどに、コーデリアは興味を示している様子を顕わにしてしまっていたらしい。
少しはしたなかったかなと思いつつも、コーデリアは笑顔で返事をした。事前に言っておけばいいと、せっかくエルヴィスが言っているのだ。
楽しみだ。可能ならば、エルヴィスと行ってみたい……などと思っていたコーデリアは、しかしすぐに現実に引き戻された。
ふと馬車の外をのぞき見ると、すでに白い壁が迫っていたからだ。
++
東門にたどり着くと、そこにはすでにヴェルノーがいた。
ヴェルノーはエルヴィスを見て目を見開いたが、すぐに表情を改め、エルヴィスに挨拶しようとした様子だったが、エルヴィスはさっさと歩いて行ってしまった。
ヴェルノーはそれをしばし目で追ったが、やがて「行くぞ」と声をかけた。そうなるといやが応にもコーデリアの緊張は再び高まった。
そしてしばらく歩いているとヴェルノーはぽつりと漏らした。
「……伯爵、怒ってたよな?」
「お父様が、ですか? どうしてです?」
「顔が怖かっただろ」
「さすがにそれは失礼ですよ。お父様は表情が少し控え目なだけですわ」
確かに朗らかなフラントヘイム侯爵を父に持つヴェルノーからみればエルヴィスはそう見えたかもしれないが、人の父親に向かってなんたる発言だ。
そんなコーデリアの抗議に、ヴェルノーは「いや、明らかに控えめな表情じゃなかっただろ」と頬を引きつらせていたが、ヴェルノーとすれ違うときのエルヴィスはコーデリアからは見えなかったので判断しようがなかった。
「まぁ、今まで鉄壁ガードだったしな……」
「それは、どのようなお話ですか?」
「まぁ、それは機会があればな。それより……身なりを整える必要があるっていうのは、本当のことだったんだな。確かにいつもと違う雰囲気だ」
まじまじとヴェルノーに見られ、コーデリアは少しだけ目を逸らした。
いつもの格好と違う格好で幼なじみの前に出ることなど大したことだとは思っていなかったが、改めて指摘されると少々恥ずかしい。
「本当のこと、とは……ヴェルノー様は私が嘘を言ったとお思いだったのですか?」
「いや、悪い。正直に言うと適当なことを言っているのかと思ってた」
「許可証をいただくのに、適当なことを言ったりしませんわ」
コーデリアは拗ねたようにそっぽを向いた。少し子供っぽい自覚はあったが、気恥ずかしい思いを隠すにはちょうどよい言い訳になる。
しかしヴェルノーから顔を背けると、綺麗な庭が目に入る。
「気になるのか?」
「少し」
「庭だけじゃなく、ここの温室も見て帰ればいいさ。温室に関しては元々伯爵が設計したも同然なんだ、殿下に言えば許可もくれるだろう」
しかしコーデリアはそれには頷けなかった。
「気にはなりますが厚かましいように思いますから、また、機会がある折りにお願いいたしますわ。お父様が設計なさっても、私が関わったわけではございませんから」
王子に強請るという行為はわがままな令嬢である「コーデリア」を連想してしまうので、コーデリアにとっては最も避けたい行動だ。
そもそもできるだけ早く王子の前から退出したいのに、そんな願いを告げるなどあってはならない。
「遠慮しなくていいぞ。さっきの詫びに、俺から言ってやろうか?」
「お気になさらず。お詫びとおっしゃるなら、おいしい茶葉をくださいな」
コーデリアの言葉にヴェルノーは肩をすくめた。
そして会話がとぎれ、静かに廊下を進み続けた。
やがてヴェルノーが立ち止まる。
「この先の部屋に殿下はいらっしゃる。準備はいいか?」
「……いつでも、大丈夫です」
入室、挨拶、受領……そのイメージを頭の中で浮かべるが、作法自体に疑問はない。
まっすぐと前を見据えたコーデリアとは対照的に、ヴェルノーの様子は非常に軽かった。
「人払いをしているから、まぁ、本当に気楽にしてたらいいさ」
「……人目はあったほうがいいでしょう」
「何でだよ」
「私が無茶を言ったり、妙な話を周囲に吹聴することも考えられるでしょう。殿下と親しい方ならともかく、私では問題がありすぎるかと」
「そう言うディリィなら、心配はしてないさ。ああ、人払いはしてるっていっても俺はいるから証人にはなれるぞ」
「……」
ヴェルノーがいることで安心してもいいのか、否かは迷うところだ。
そもそもヴェルノーと初めて会ったときには王子を回避するための情報を彼から得たいと思っていたのに、実際には王子と顔を合わせることになるのはヴェルノーが原因になっている気がする。
(……いまさらだけど、ずいぶんな予定外だわ)
どうしてこうなったのかと思わなくもないが、それでもまだ致命的なことは起きていない。授与を受ければ、しばらく王子に目通りするようなこともないだろう。
そうコーデリアが思っていると、あっという間に扉の前にたどり着いてしまっていた。
扉の前には二人の衛兵がおり、ヴェルノーが軽い調子で挨拶をしてから入室の旨を伝えたのだが、衛兵は少し困ったような表情を見せた。
何か問題があるのか? そうヴェルノーが口にする前に、扉の中から威勢のいい声が聞こえてきた。
だから、あなたは――だと、申し上げていたでしょう!
でしたらせめて――……さい、と!
それは、年若い男性の声だということだけはコーデリアにも分かった。
コーデリアはヴェルノーと顔を見合わせた。
「少し、にぎやかなご様子ですね」
「……クレイの奴、またなにを暴走してるんだ」
どうやらこの声の主はヴェルノーの知り合いらしい。
しかし確かにこの騒ぎで来客を通すのは躊躇われる。
だが、ヴェルノーは「まあ、いつものことか」とあっさり扉に手をかける。
「ヴェルノー様、ちょっと様子を見た方が……」
「どうせこの様子だとすぐには終わらない。殿下も参ってらっしゃるだろうし。ほら、いくぞ」
途端、腕を捕まれたコーデリアはヴェルノーのペースで引っ張られた。
すでに脳内リハーサルとずれてしまう状況に抗議したいが、すでに王子の御前となれば大声も出せない――いや、それ以前に驚きすぎたせいで『あとで覚えておいてくださいよ』などという余裕すらコーデリアにはなかった。
そしてさらに運が悪いことに、動きだしたヴェルノーの歩幅がコーデリアの想像以上に広かった。ドレスにあわせた少し高いヒールでは突然のことには対応できず、バランスが崩れる。しかしヴェルノーは気にせず扉を開ける。
「ちょっと待ってくださ……きゃっ!?」
自分でもわからない声でコーデリアは上げ、そして前につんのめった。




