第四十九幕 吉報は嵐と共に(2)
王家主催の品評会での褒美が支援と許可証であるのなら、授賞式も行われるのかもしれない……それだけなら、コーデリアの頭にもまったくなかった訳ではない。
(でも、そこに殿下が関わるなんて思ってなかったかな……! )
成人をしなければそういった行事に関わらない……などという決まりを確認していたわけでもないのに、うっかりそう思いこんでしまっていた。
関わらないどころか、むしろ経験を積む上ではちょうどいいくらいの行事なのかもしれない。迂闊だった。
(でも、知ってたからといって……出品しなかった、ということもないかもしれないし……だって、大書架への入場許可証が得られる機会なんて、ほかに早々ないはずよね? 拝領するだけなら、すぐに終わるはずだし……)
だから、これは仕方がないことなのだ、「たら、れば」で仮説を考えても仕方がないことだ……そう自分に言い聞かせながら、コーデリアは心を落ち着かせようとした。
しかし、そうしているとほかに気になる言葉があったことを思い出す。
「……ヴェルノー様、今、『行くぞ』とおっしゃいましたか?」
「ああ。早い方がいいだろ?」
「ちょっと待ってください、そんな知らされてすぐに参上だなんて……そんな段取りはありませんでしょう?」
いくら何でも急すぎる。
やはり王子には会いたくない、目通りする機会が避けられないにしても準備を整えてからにしたいという抵抗を含んではいるものの、発言事態は至極まっとうなものではるはずだ。そんな無茶なスケジュールなど、予定されているはずがない。
するとヴェルノーはあからさまにイヤそうな顔を浮かべた。
「気づかなくていいだろう」
「いえ、気づきますよ」
動揺して流されそうになったが、気づかない方がおかしな話だ。
少しにらむようにヴェルノーを見れば、ヴェルノーは面倒臭そうにため息をついた。
「ディリィの想像通り、後日正式な授賞式……ってほどのものでもないけど、陛下からもお祝いの言葉がある。けど、それは例年展示が終わった後になるから、先に大書架の許可証だけ渡す流れになってるんだよ。早くに入れるに越したことはないだろう?」
「それはありがたいですが……発表当日に渡すことになっているのですか?」
「いや、殿下からはいつでも構わないって言われてるから、今日連れて行こうって思っただけだよ。早い方がいいだろう?」
やはりこの突拍子のなさはヴェルノーが原因か……! そう思いつつ、コーデリアは脱力した。
「今日私が参上させていただく旨は、すでに殿下にご了承いただいているのでしょうか?」
「ああ、一応言ってる。でも無理はさせるなとは言われた。あまりに急だと予定もあるだろう、と」
どうやら王子もヴェルノーの強引さは十分に把握していれてくれているようだ。ほんの、ほんの少しだけ王子に対する好感度を上げつつも、コーデリアは少し悩んだ。後日で構わないけど今日でも構わない……そう言っている相手に、さて、どのような理由で日を改めさせてもらおうか。今日は都合が悪いと言ったところで、ヴェルノーが深く尋ねてくるのが目に見えている。
そう考えながら視線を落とすうちに、コーデリアには見事ないいわけが見つかった。
「ヴェルノー様、やはりすぐにお城に向かうことは難しいですわ。だって、今の私はこのような格好ですもの」
今の格好は、決して外出できないような格好ではない。
ただし、貴族のお嬢様というよりは裕福な街娘という雰囲気の格好だ。
事務所を訪ねるのに差し障りのない格好を選んだのだが、これは登城に見合う格好ではないだろう。例え今日参上せずとも、いずれ許可証を得るのなら先延ばしになるだけかもしれないが、動揺している今の状態で登城するよりはましなはずだ。
しかしヴェルノーは首を傾げた。
「別にいつもと変わらないだろう?」
「自宅ではないのですから、いつもと変わらないことは困るのです」
「殿下は女性の装いについてうるさくいうタイプだとは思わないが……そこまで言うなら、まあ、別の日に改めても悪くはないがな」
ヴェルノーの主観はともあれ、理解してくれるなら助かった。
「別の日なら茶話会でも催せるのにと、殿下も仰っていたしな」
「申し訳ありません、ヴェルノー様。自宅で着替える時間が必要なだけですので……少し時間を頂ければ大丈夫ですわ」
助かったと思えたのは一瞬だけだった。
茶話会なんて面倒なことになるなら、今日行ったほうがどれほど気が楽であるだろう。すぐには無理だと伝えたが、今日が無理だとは伝えていない。ならば問題ないだろう。
「無理はしなくていいんだぞ?」
「いえ、せっかくいただけるのですから。もちろん殿下のご都合が悪いようでしたら、後日にさせていただきます」
「わかった。是非というなら、断る理由もないからな」
にっこりとした笑顔の応酬に、やっぱりイヤな予感で当たっていたなと思わずにいられない。大書架への道までに、とんでもない壁が立ちはだかっていたではないか。
しかし今日ということで一つ気になることもある。
「……ヴェルノー様。私、作品の出品はロニーと共同での形を取らせていただいたのですが、ロニーも共に参上したほうがいいでしょうか」
「ああ、一応そのつもりで来てはいるが……都合が悪いのか?」
「ロニーは少し、体調が悪いようなのです。もし可能なようでしたら、私だけでも構わないものでしょうか? そろってということでしたら、後日に改めさせていただきますが……」
ロニーはただの寝不足ではあるが、可能ならゆっくりさせてやりたいとの思いは強い。コーデリア一人で王子の前に出る状況は好ましくないが、そもそもロニーは礼儀作法が非常に不安だ。ロニーだって行きたくないと思うし、誰の得にもならないのなら、ここは一人くほうが無難かもしれない。ロニーが欲しがっていたのは緊張ではなく、有給だったし。
ヴェルノーはしばらく顎に手を当てていたが、そうだな、と、軽く頷いた。
「主体はディリィだったし、許可書渡すだけだから問題ないだろ。一応、詳しい時間を聞いてからそれも一緒に連絡する。案内するから東門まで来てくれ」
「東門ですね。わかりました」
そうと決まれば急いで家に帰らねばならない。
気持ちよさそうに寝ているロニーには申し訳ないが、一旦起きてもらって帰宅後改めて睡眠をとってもらおう。ここの椅子より、きっと自室のベッドのほうが彼も気持ちよく眠れるだろう。
じゃあな、と城に向かうらしいヴェルノーを見送りながら、コーデリアは一応父親にも伝えておこうと考えた。ロニーを起こして帰宅する中、城にいるエルヴィスに向けた手紙を認める。まずは品評会の結果報告を受けたということ、それから今日城に向かうことになったこと。揺れる馬車の中で書く文字はやはり揺れてしまうのだが、この際仕方のないことだろう。
(私が城についてしまう前に、お知らせしておいたほうがいいわよね)
出品の許可は得ているので、許可証をもらいに登城することも問題はないだろう。
しかし城は普段エルヴィスが働いている場所でもある。何となく、一言も断りを入れないことは気が引けた。
(勝手なことが言えるなら、お父様に許可証を持って帰ってきてくださいと言いたいくらいだわ)
便箋を折りながら、コーデリアは小さくため息をついた。しかしこれを乗り越えれば、大書架を訪ねることもできるようになる……そう思いなおしたコーデリアは、自宅に戻るとすぐにロニーと別れてまっすぐ自室に向かった。
「殿下の御前ということなら、すぐに忘れていただけるような薄い印象になるような格好がいいけど、道中ほかの方の目にも触れるかもしれないし……センスに疑問をもたれそうなものは避けなければいけないわね」
しかしそうなれば自然と自分の好みのものを選ばざるを得なくなってしまう。
そもそも自分の持っているドレスは自分の好みのものしかあにのだから、特徴がないというものもない。
「……」
好きなドレスを着るはずなのに、心が重いのは何となくドレスに申し訳ない気持ちになる。
しかし結局はどのような格好でも王子の前に立つのだ。地味な格好でも一度は視線を受けてはしまうのだ。そう思えば、その場を乗り切るためには気合いを入れた格好で自らを支えることも悪くはない……かもしれない。
許可証を貰うだけ、許可証を貰うだけだと自分に言い聞かせながら、コーデリアは一つのドレスを手に取った。
「気合いを入れるなら、これ以上のものはないわねね」
それは以前、オルコット伯爵より受け取ったシルク・フローラのドレスである。
コーデリアはこのドレスを晴れ着のように、家族の誕生日を祝う食事の際や、少し気合いが必要なお茶会などの出席の際に着用していた。しかしとても気に入っているドレスの唯一の問題は、そろそろサイズの問題で着用が難しくなりそうということだ。
(お兄さまの結婚式まで、私の身長はとどまってほしいものね)
エルヴィスやサイラス、それからイシュマを見ていると自分もある程度は伸びるのだろうと想像がつく。だが、そろそろ止まってくれてもかまわない。特に、このフローラ・シルクのドレスが着られなくなるのは非常に惜しい。子供というよりは若い女性のデザインなので、背丈さえクリアできればまだまだ着れるのに……と。
「でも、せっかくだし……今日はこのドレスから元気をもらおうかしら」
ドレスを決めたコーデリアはエミーナを呼び、着替え手伝いを頼んだ。
そして軽くことの成り行きを話し、城に向かう旨を伝えた。着替えを終えると次は髪の結い直しを頼んだのだが、少し悩んだ様子のエミーナは、コーデリアに提案をした。
「お嬢様、今日は一度アップをお試しになられませんか?」
「アップに?」
「はい。いつもの髪型もとてもお似合いですが、登城なさるのでしたら、少し大人びた雰囲気もよいかと思います」
「大人びた雰囲気……?」
決して今が子供っぽいといわれているわけでないことはコーデリアにもわかる。ただ、大人の雰囲気を意識したことがなかったコーデリアには少し驚く単語でもあった。
「きっとお似合いになられると思いますよ」
「そうね……お願いしようかしら」
少しだけ迷いもしたが、コーデリアはエミーナの勧めに応じた。待ち合わせ時間の連絡はまだ来ていないが、もしも似合わなかったとしても結い直す時間くらいはるだろう。落ち着かない気分も、結い上げてもらう様子を見れば紛れるかもしれない。コーデリアは髪を切ってもらう時や、結ってもらう様子を見るのは好きなのだ。しかし残念なことに今は思惑が外れ、綺麗に整えてもらう間も落ち着くことはなかった。
ただ、仕上がった髪には思わず目を瞬かせてしまった。
「よくお似合いですよ」
「……あ、ありがとう」
どうしても見慣れないという感想が先に来るので、コーデリア自身ではこの髪型が似合うかどうかは判断できなかった。しかしこのドレスにはとても合っているような気がした。エミーナの予想した通り、少し大人びた雰囲気にもなったようで、どこか少し嬉しくもむずがゆい。
「せっかくですから、少し紅も差しましょうか」
「エミーナは本当にすごいわね。ありがとう」
「いいえ。私も楽しませていただいておりますから」
そして恥ずかしいような、照れくさいような気持ちになりつつ、コーデリアは再び鏡をのぞき込み……「いつもよりおめかし」というよりは全身全霊でドレスアップした自分の姿が映し出されていることに気がついた。
(……私、相当冷静じゃなかったかもしれない)
これは少し、気合いが入りすぎているかもしれない。
確かに気合いを入れようとはしたが、ここまで全面に押し出すつもりはなかったはずだ。これではまるで王子に見てもらうために背伸びをしてめかし込んだようではないか――?
(結ってもらえたことが嬉しいことには変わりないけど、少し行き過ぎたかも)
せっかくのエミーナに似合うといってもらえたものだし、解いて欲しいというつもりはない。むしろ再び頼むことだってあるだろう。しかし以降は多少のハプニングでも冷静に努めるべきだと思いつつ、コーデリアはもう一度鏡をしっかりと見た。
(大丈夫。平穏に……何事もなく、帰ってこれるわ)
そうコーデリアが自分に言い聞かせた時、扉をノックする音が聞こえた。
音と共にエミーナがそちらに向かい、そこでやりとりをする声がコーデリアの耳にも届く。
「ヴェルノー様からの使者より、お嬢様にこちらを、と」
「わかりました、お渡しいたしますね」
やって来たのはハンスだったのかと思いつつ、コーデリアは大人しくエミーナが戻ってくるのを待った。もう、時間が決まったのか……そう思いつつ、戻ってきたエミーナから渡された手紙を開いた。
手紙には時間が決まったという旨と、昼食をとって向かえばちょうどになるような時間が記載されていた。
コーデリアはわずかに訝しんだ。
(この時間、本当に殿下のご予定はあいていたのかしら?)
まさかヴェルノーが無理矢理あけさせた……なんてことはないと信じたいが、あまりわがままな振る舞いをしているように見られるのはコーデリアにとっても困ることだ。午後のいい時間に無理にねじ込んでもらったというのなら、それは望んではいないことだ。
「……お嬢様?」
「ごめんなさい、改まってお城に向かうのは初めてだから、少し緊張しているみたい。ヴェルノー様から、昼過ぎの待ち合わせを指定されたの」
せっかく着飾り、登城の時間がきまったというのに反応が妙だと感じたのかもしれない。エミーナの不思議そうな声に返事をしながら、コーデリアは少し考えた。いずれにしても指定された時間を変更する権限はコーデリアにはない。しかし、思っていたより時間もある。
「エミーナ、お昼は何か軽く食べる程度にしたいのだけど」
「かしこまりました、伝えてきます。夜にはたっぷり、ですね」
「ええ、お願いね」
本当は食事という気分でもないのだが、人前で腹が鳴るのは女性としてはなんとか避けたい。そう思えるくらいに、今は落ち着けてもいるようだ。
「全部終わったら祝杯ね」
本来勝ち負けなどないはずの登城だが、気分的には勝利の美酒を味わいたい。残念ながら、まだアルコールに勝てる自信がないのでジュースにはなってしまうが、昼に食べる予定だったものまで取り戻したい。
そんなことを考えているうちに昼食は用意され、軽くヨーグルトとフルーツをあわせたものを食べたコーデリアはさっそく出発の準備を整えた。
そして城までの同行をエミーナに願おうかとしていた時、少し急いた様子のハンスが視界に映った。何かあったのだろうか? そう思いながらコーデリアが視線を走らせると、そこには本来この時間には絶対に帰らないであろう、エルヴィスの姿が見えた。




