閑話 王妃様による観察記録 *二巻発売記念小話*
2017年1月12日、ドロップ2巻発売しました。
(詳細等は活動報告にて)
頼んでいた羽ペンが私の手元に届けられた時、そこには思いがけない素敵なものが一緒に届いた。
「とても素敵な便箋ね」
どうやら女官が気を利かせてくれていたらしい。
頼みごとをした時にはいつも必要になるだろうものを一緒に届けてくれる女官には、後日改めて礼を伝えよう。私は既に退出してしまっている女官を思い浮かべながら、心の中でそっと感謝した。
しかし思わず声を上げた私に、私の侍女の一人は少し不思議そうに首を傾げた。
「陛下がいつも好まれているものと、少し雰囲気が違いますね」
「ふふ、そうかしら?」
「はい」
侍女の言うことは間違いではない。むしろこの侍女は私のもとにやってきてまだ日が浅いというのに、よく私のことを見てくれているのだと思ってしまうほどの言葉である。
女官が届けてくれた便箋は、普段シンプルな便箋を多用する私の好みより、少し華やかさが強いのではないかと思ったのだろう。
とはいえ、便箋自体は決して派手すぎるというものではない。
花の透かし絵が入ったそれは、若い女性が好みそうな綺麗な柄だ。また花の透かし絵の横には淡い青と桃の二羽の小鳥が描かれている。とても可愛らしい、落ち着いた雰囲気の便箋だ。
ただ、それでも普段私が使うものよりは色味が強い。
私とて許されるなら好きなものを多用したいが、何分使うものひとつで邪推されることが多い立場にある以上、つい深読みされないようなものを選んでしまいがちなだけで、このようなものはとても好ましいと思う。
(友人に送るものとして使用してもいいんだけど……)
私はこの手紙を見つつ、考えた。
私も使いたいと思うけれど、これをもっと役立てそうな人に心当たりがあるからだ。
これなら、男性が女性に送るものにしても似合うだろう。
「少し、シルヴェスターのところに行くわ」
息子の名を告げると、侍女が「では、ご在室かお尋ねして参ります」と言ったので、私は一人で向かいたいとの言葉を告げた。
散歩がてらなのでいなくても良いと言うと、行ってらっしゃいませと見送ってくれた。
手紙を持った私は息子の部屋を訪れた。
部屋の前には二人の兵が番をしていたけれど、私を見て敬礼の後、すぐに中に合図を送ろうとした。けれど私はそれを制した。少しシルヴェスターを驚かせようと思ったのだ。
既に過去にも行ったことのあるいたずらに、兵士もやや苦笑した面持ちながら心得た様子だった。
私はゆっくりとドアを開けた。
音もなくドアを開けるのは、私の得意とするところだ。
けれどほとんど音がない中でも、ドアが開いたことに気づいた人はいた。それは室内にいるシルヴェスターではなく、その親友のヴェルノーだったけれど。
ヴェルノーはソファに腰かけていたが、少し驚いた様子で立ち上がろうとしたので、私は人差し指を唇にあて、礼は不要と伝える。ヴェルノーは少しだけ目を見開いたけれど、優雅に心得ましたと目で伝えてくれた。
そして私に気付かなかった私の息子はというと、ヴェルノーから少し離れた窓辺の、背もたれのない四角い椅子に腰かけて薄桃色の手紙を呼んでいた。足は延ばし、左手は椅子の縁を掴んでいる。その表情は非常に穏やかだった。
だから声をかけるのは少し躊躇われたのだけれど、きっと声をかけなければ夕暮れまでそうしていると思ってしまったので、私は遠慮せず声をかけた。
「シルヴェスター」
「……っ、母上!? いらしてたんですか!?」
突然の声に驚いたらしいシルヴェスターは、決して気配を感じ取るのが下手な子ではない。
親の欲目も入っているとは思うけれど、文武両道の真面目な優しい子だ。
それでもこれほどのんびりとした……ややもすれば間抜けともとも思わせられるようなことは、少なくとも王太子としての振る舞いでは見せたことはない。
自室でリラックスしていたこともあるのだろうが、彼の手にしている手紙がそれほどシルヴェスターの心を掴んで離さないのだろう。
「それでは、私は失礼いたしますね」
私の悪巧みに付き合ってくれたヴェルノーは、優雅に一礼するとその場を去った。
フラントヘイム侯爵に似た、華やかな子に育っていると、この頃はよく思わせられる。
「母上、急にどうなさったのですか?」
ヴェルノーが去ってすぐに尋ねるシルヴェスターに、私は持ってきた便箋を差し出した。
「素敵なものをいただいたから、あなたが使わないかと思ったの」
私からそれを受け取ったシルヴェスターは、何度か目を瞬かせて、それから少し困ったような表情を浮かべた。
「ありがとうございます、母上」
その表情は、便箋を受け取ることに困っているというよりは、どう反応すればよいか迷っているように見た。私は幼い頃からシルヴェスターがどうやら誰かと手紙のやりとりをしていることを何となく気付いているが、シルヴェスターに直接言ったことはない。シルヴェスターも私に誰かとやり取りをしているということは言ったこともない。それなのに女性に向けて送るような便箋を突然手渡されれば、どう答えればよいのか困るのだろう。
普通の子供ならわからないが、シルヴェスターは立場がある王太子であるし、彼にもその自覚はある。
もっとも、知っていると示した以上、とぼけるつもりもないのだけれど。
「父上も、お気付きで?」
「あなたの父上がそういうことに敏感な方であれば、私ももうすこし早く甘えられたかしら?」
すこし困った表情で尋ねたシルヴェスターに対し少し冗談交じりに応えると、シルヴェスターはその表情をより何とも言い難いものにした。
「どこのどなたかわからないけれど、いつかお会いできると嬉しいわ」
あれだけの表情をして手紙を読んでいた息子は、おそらく手紙の送り主にほとんど会えてはいないだろう。城で行っている茶会に来た令嬢達に、いつも微笑んではいるけれど、それはいつも少し完璧すぎるくらいの笑顔だった。
残念ながらあのような表情を浮かべているなど、見たことも無いし聞いたことも無い。
(探れば、わかるかもしれないけれど)
それでも、それはしないでおこうと思っている。
少なくとも一緒にいたヴェルノーは知っているだろうし、シルヴェスターだってヴェルノーには伝えている……いや、むしろヴェルノーが仲介をしているのだろうか?
(いずれにしろ、この子も色々考えているのだから様子を見守りたいと思うわ)
王太子の行動をあまり自由にさせすぎるのはどうかと、苦言を呈されることもあるかもしれない。けれど現状ではそもそもシルヴェスターの片思いであるだろうし、茶会にだって王太子の名で呼び出せば、相手も姿を現すだろうに、それをしていないという事は色々伏せいるのだろう。何を考えているのかはわからないが、何も考えていないわけでもないことはわかる。
(あなたには制約も多いけれど、後悔しないように頑張りなさい)
相手がわからない以上、私には「自由になさい」と応援することはできず、可愛らしい便箋を譲るくらいのことしかできない。
それでも息子が見せた表情を思い浮かべれば、幸せになって欲しいと願わずにはいられない。




