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第四十五幕 穏やかで、ざわめく春(1)

コーデリアが生まれてから十四回目を数える春は、例年以上に穏やかな気候が続いていた。冷たい空気が去り、暖かな季節になったことで庭の花々も彩りを増やしていた。

風や雲が少ない今日は、いつもにまして暖かい。そう思ったコーデリアは今日のもてなしは庭で行うことにした。


「しかし、相変わらず花の多い家だな」

「きれいでしょう?」

「女性が好きそうな光景だな」


自ら話を振っておきながらヴェルノーはやはり花のことには興味がないらしい。


(らしいといえばらしいけど、少しくらい愛でる心があってもいいのに)


コーデリアは肩をすくめるが、ヴェルノーらしいといえばヴェルノーらしい。成人までのカウントダウンが始まった今でもヴェルノーには花より団子、花よりケーキらしい。

本日二人の前に鎮座しているのはレアチーズケーキ。イチゴの層とピスタチオの層で市松模様が作られている。とても春らしい彩りだが……さて、ヴェルノーがどこまで見ているだろう。

いずれにしても味わって食してくれているのはよくわかる。

あとで料理長には礼を言い行こう。


「忘れないうちにご報告いたしますね。来月分の書物の発注は完了しました。すべて希望通りに納品される予定です」

「それならよかった。あの淡めの絵本も手に入りそんだな?」

「ええ。個人的に別の書物を数冊求めたところ、大喜びで確保を約束していただけましたわ」

「まあ、なくても断られる確率は低いかもしれないが……ディリィはいったいどれだけ本を注文したんだ」

「お小遣いの範囲内でございますす」

「その『お小遣い』とやらはいったいいくらなんだか」


呆れるといわんばかりのヴェルノーの様子だが、コーデリアにとっては自身の儲けから買っているものなので全く悪びれる必要もない。だいたいその本とは草花の育成法であったり、薬草学の記述がある本なのだから研究のための必要経費なのだから。


移動図書館計画による巡業が開始されてから、すでに三ヶ月。

事務所を構える際や、交易に使う村々の特産品についてコーデリアはエルヴィスに相談しているが、本の種類についてはヴェルノーを通じてフラントヘイム侯爵に監督役を依頼している。

一応本の種類についてはエルヴィスも相談には応じてくれる。が、割と渋い顔で、それが「フラントヘイム侯爵に聞けといっただろう」と言っているようにも見えるので、あまり相談しないようにしている。


逆に侯爵はエルヴィスの「フラントヘイム侯爵に聞け」という旨の言葉が伝わったことで、移動図書館の話をするときはとても機嫌がいい……と、ヴェルノーが言っていた。ただしうれしいと言うよりは悪巧みをしているようにも見えるといっていたが。


もっとも追加のフラントヘイム侯爵からは追加で提案を受けることはあっても、提案が却下されたことはいままで一度もない。

もとより各村に話を聞きに行ったり、事務所の管理者として雇用した司書や貸本屋の店主といった多くの意見を聞いたり、移動図書館計画のメンバーによる検討会を行った上で提案しているのだから、一言で却下されるようなものを提出しているつもりもないのだが……実際計画に全く穴がないわけではないだろうとコーデリアもわかっているので、回答がくるまでは毎回どきどきしているのが実状ではあるのだが。


ちなみに検討会ではヴェルノーが会長を務めている。

ヴェルノーはコーデリアにやってもらうつもりだったようだが、呼びかけを行ったのはヴェルノーであるのだから、ヴェルノーにやってもらったほうが立ち回りやすいとコーデリアが押し通した。検討会には寄付者全員が参加しているわけではなく、一部の熱心な者が参加している形であるが、その中にはヴェルノーと仲のよいマルイズやガネル、それから……ヴェルノーの天敵ともいえるヘーゼルの姿もある。

もっとも検討会においてはヘーゼルもいたく真面目でしっかりとした発言をしている。ただ、終わればヴェルノーが即座に逃げ出す程度には、相も変わらず積極的な様子だが。


「まあ、おおよそ順調だな。思った以上に本の修繕が必要になったり、悪路を見つけて舗装することになったり……なんてことはあったが、まあ、ちょっとしたアクシデントで片づくだろう」

「そうですね」

「ところでディリィ。ひとつ聞きたいんだが……そのテーブルの中央にあるのは何だ?」


そういいながらヴェルノーが視線を投げたのは、テーブルの中央に花とともにおいている透明瓶だ。瓶の中には紙に包まれた小さなキューブが入っている。


「召し上がりますか?」

「菓子か? うまいのか」

「私は好きですよ」


コーデリアはそういいながらエミーナに瓶をとってもらい、自ら立ち上がってヴェルノーに近づいた。そしてヴェルノーの前でふたを開け、中身を差し出す。


「お一つどうぞ」

「ずいぶん薄い紙にくるまってるな。よくくっついてるし……はがしにくそうだ」


手に取ったものを冷静に眺めるヴェルノーを見て、コーデリアはゆるく笑った。


「いえ、はがす必要はございません。溶けますから」

「は?」

「その紙、溶けるんです。食べれますよ」


そういいながらコーデリアも菓子を一つつまみ、そのまま口の中に放り込んだ。ヴェルノーがぎょっとした目でコーデリアを見た。

コーデリアもヴェルノーがそんな顔をする理由はわかる。端的に言えば「頭おかしいんじゃないか」というものだろう。山羊じゃないんだと言われても不思議ではない。この食べれる紙がオブラートだなんて、ヴェルノーには判断できる材料がないのだから。

すこし行儀は悪くなるがと思いつつ、コーデリアはオブラートに包まれていたゼリーを軽く噛んで、それを指さし、もう一度口の中にもどして飲み込んだ。


「ね? 紙、溶けていましたでしょう?」

「……害はないのか?」

「ええ。詳しくは申しませんが、お父様にもご試食いただいていますから」


コーデリアの答えに「……また妙なものを作ろうと考えたんだな」と言ったヴェルノーは手にしていたゼリー菓子を口の中に放り込んだ。


「思ったより甘い菓子だが、この紙……なんだか溶ける感覚がおもしろいな。紙にくるまっていれば菓子同士がひっつく心配もないし、本を読んでいるときに摘むのにも都合が良さそうだ」


おそらく斬新だからだろう、ヴェルノーは菓子自体よりもオブラートが気に入った様子だった。味はないのだが、興味を持ってもらえるならそれはそれでうれしいことだ。


「しかし……ずいぶんおもしろいとは思うが、マフィンを焼いて菓子作りに目覚めたのか? これも菓子のために作ったんだろう?」

「確かにこのオブラートのおかげでそのお菓子はお披露目できていますけど、いずれは医療分野で使っていただければと思っていますわ」

「これが、オブラート?」


知っているものと違う、そうヴェルノーが感じているのはコーデリアにも伝わってくる。煎餅のようなものとペラペラの紙のようなものだと、同一に見えないことに不思議なんてなにもない。


「まだ開発途中ではありますけどね。もう少し薄くなればいいかな、と」

「……なあ、ディリィ、一つ提案がある」

「あら、なんでしょう?」


コーデリアの実験に関して、ヴェルノーから口を挟まれたことは今までない。

真面目な顔でなにを言い出すのだろう?

そう思うコーデリアにヴェルノーは提案を投げかけた。


「これを品評会に出してみないか?」

「品評会ですか?」

「ああ。知っているとは思うが、王家主催の学術祭だ」


品評会という催し自体はコーデリアも聞いたことはがあり、各々が新たに開発した品を持ち寄り、発表する展示会だと認識している。提出する品の分野に制限はないが、王家主催というだけあって展示までの審査基準もなかなか厳しい。ただし一定水準をクリアすれば研究補助費も供与されるし、何より販売時には『王家が認める品』として宣伝になる。

ただしあくまで公益に繋がることを前提とした補助なので、ある程度は流通や価格帯に関しても干渉を受けることにはなるのだが。


「ディリィの精油は独自で使うつもりだろ? だから出すのは無理だと思うが、これが医療分野で元々広めるつもりなら……悪い話じゃないんじゃないか?」

「そうですね。幅広く使っていただきたいと思っています」


コーデリアが答えを聞いたヴェルノーはさらに言葉を続けた。


「品評会に出すには製造の課程も示す必要はあるが、だがみだりに公開はされないし、もしも利用することがあればロイヤリティも支払われる。どうだ?」

「……なんだか今日のヴェルノー様は商人のようですわね」

「はぐらかすな」

「はぐらかしてはいませんわ。でも、私だけで判断できることでもないのですもの。お父様にもご相談させていただかないと」


自分の一存で勝手に出品できるわけもないと肩をすくめるコーデリアにヴェルノーは長いため息をついた。


(……そこでなぜため息なのかしら)


納得いかないと思いつつ、しかし尋ねたところで素直にヴェルノーが答えるとも思わない。コーデリアは瓶にふたを乗せつつ、自らの席に戻った。


そもそもオブラートの言い出しっぺはコーデリアだが、開発自体はロニーに任せっきりなのだ。作ることを楽しんでいるロニーが仕上がったあとのことを考えている様子は今のところないのだが、意向は尋ねるべきだろう。


「ディリィ、品評会に出したら一ついいことがあるが、知っているか?」

「なんでしょう?」

「品評会の結果次第では、大書架の入場許可証が与えられる」

「え?」


大書架は話でしか聞いたことのない、王家所有の巨大図書館だ。

学術書だって豊富に取りそろえてあるだろう……と思えば、興味を持たずにいられない。パメラディア家の書庫も立派だが、王家のものとなれば規模が違うだろう。まだまだ知識が欲しいコーデリアからすれば新たな知識の宝庫など興味をそそられない訳がなかった。


「もちろん出品が即許可証につながる訳じゃない。去年は許可証はでなかったらしいしな。だが、これなら許可証ももぎ取れるんじゃないか?」

「そう……でしょうか……?」


そうであれば詳しく品評会のことを調べ、問題ないようであればエルヴィスに許可を求めたい。コーデリアはそう思ったが、ふと気になることが一つあった。


「ヴェルノー様のそのお顔……、何か企んでいるようにしか見えません」


先ほどまで実に真剣な表情をしていたヴェルノーはニヤニヤと口の端を上げていた。


「いや、なにも?」

「本当のことをおっしゃってるようには見えませんわ」


ヴェルノーはしれっと言っているが、絶対に本心でないとコーデリアは思う。いくらヴェルノーでも普段からこのような顔をしているはずがない。

万が一にもそうであれば、あまりに悪人顔だと言っても問題はないだろう。むしろ常日頃からこの顔でれば、オウル村でも王子だと勘違いされなかったはずである。

そう思ったコーデリアは失礼ながら思い出し笑いをしてしまいそうになり、中途半端に咳でごまかした。あぶない、あぶない。


「……なんだ、今のは」

「いえ、お気遣いなく」

「まあいいけど。でもそうなれば、ディリィもちょくちょく城に顔を出すようになるんだな?」


ヴェルノーの問いに、コーデリアは一瞬固まった。

確かに大書架は城の一角に存在する。それはつまり、自ら城に向かわねばならないということだ。


「……」


一瞬、ためらう気持ちが生じる。しかしすぐにその思いは打ち消した。


(……許可証が出るっていっても一般人が出入りするところだし、王族に遭遇なんてないわよね)


もちろん身元を調べた上での許可ではあるだろうが、易々と他人を王族に近づける必要なんてどこにもない。警護の面からも普通にしていればすれ違うこともないと考えるのが妥当だろう。


だからコーデリアはにこりとしながらヴェルノーに答えた。


「まずはお父様に許可をいただかないことには始まりませんわ」

「それもそうだな。ま、楽しみにしているよ。ところでさっきの、瓶ごとくれないか?」

「あら、お持ち帰りに?」

「ああ。これくらいなら持って帰っても食べやすそうだからな」


お変わりを要求するヴェルノーに、コーデリアは「どうぞ」と譲った。

相変わらずフラントヘイム家では甘味はでない様子である。


「学習のお疲れには、甘いものも大事ですものね」

「ああ。そういえば、そろそろディリィも菓子を焼かないのか? ジルが楽しみにしてるぞ」

「また適当なことを。先月お送りしたではありませんか」


これは絶対にヴェルノーが菓子を催促しているだけだと思いながらコーデリアは「また、いずれ」と曖昧に返した。しかしその返答をずいぶん楽しそうな表情でヴェルノーが聞いていたので、いったい何を企んでいるのだと思わずにはいられなかった。


(……まぁ、今気にしても仕方ないか。ヴェルノー様ですし)


そう思ったコーデリアは、大書架への入場を夢見、小さく「よし」と気合いを入れた。

すべては許可を得てからだ。



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