第四十二幕 緑の魔女(9)
午後、小さなバスケットに入れたマフィンを持ってコーデリアはロニーとともに魔女の店に向かった。
その道中、コーデリアはロニーに尋ねた。
「ねえ、ロニー。今日は先生と二人でお話したいの。少し外してもらえるかしら」
「いいですよ」
「え、いいの?」
「いいのって……お嬢様が言ったんでしょう?」
確かにその通りだが、あまりにもあっさりと答えたロニーにコーデリアは少し驚いた。拒否されると思っていたわけではないが、多少渋られることも想定していた。しかしロニーはさも当然のような返答だった。
「もちろん店の外で待ってはいますよ。あまり離れてちゃ、何かあっても間に合わないし、それじゃ職務怠慢になっちゃうんで」
「ええ、それはもちろん」
「お嬢様がそういうってことは、何か気になることがあるんですよね」
「少しだけね」
少し濁しながら答えにロニーは「わかるといいですね」と首の後ろで手を組みながらあくび混じりにそう言った。相変わらず緊張感とは無縁そうだなと思いつつ、魔女の店に着いたコーデリアはロニーに手を振って店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ、ディリィちゃん」
「こんにちは、先生」
コーデリアが入るとすぐに魔女から声がかかった。魔女は抱えていた薬草入りの瓶を棚に置くとすぐにコーデリアのほうに近づいた。
「この間はありがとう。……とても大変なことになったけど、いろいろ……大丈夫だった?」
「ええ。確かに帰るのは遅くなってしまいましたが、父からは何もいわれませでしたので、また村にもお邪魔させてください」
心配そうに魔女が言った「色々」には体調のことも入っていたかもしれないが、コーデリアはそのことには触れなかった。
すでにもう状態は良好であるし、気を使ってもらうのも本意ではない。
そして話を逸らすようにコーデリアはバスケットを両手で差し出した。
「今日は先生に教えていただいたマフィンを焼いてきたんです」
「まぁ、素敵だわ。じゃあ私はとっておきのお茶を淹れるわね」
「ありがとうございます。実は、それを期待して紅茶は持ってこなかったんです」
すこしいたずらっぽくコーデリアが言えば、魔女もそれにつられて小さく笑った。
「ミックがとても反省してたわ。でも、すぐにディリィちゃんには会いたくないんですって」
「それはどうしてですか……?」
「かっこよく謝りたいらしいの。でもまだどうすれば良いか見つかってないから、まだ来ないで欲しいと言っていたわ」
「それは困りましたね」
その言葉をどのように言ったのかコーデリアには想像できなかったが、格好の良い謝罪というのも思い浮かべることができなかった。しかし少なくとも真っ向からの拒否ではないので安心はする。一応和解したつもりではあるが、一晩経って元通り……ということもなかったようなのだから。
「でもほかの子は早く来て欲しいっていってたから、ミックには我慢してもらわないとね」
「では、私は先生から何もお聞きしなかったことにしておきます」
「そうね、それがいいわ」
そうして互いに苦笑しつつも一息ついて、それぞれカップを口に運んだ。
紅茶で喉を潤したコーデリアは魔女に尋ねた。
「先生は、父と面識がおありなのでしょうか?」
しかし口にしてからコーデリアは話が唐突すぎたかと少し後悔した。
魔女は話を濁していたのだから、ここまでストレートに聞かなくてもよかったはずだ。だがそれが制御できなかったのは、それほどに気になっているからだろう。
幸いにも魔女に気を害した様子はなかった。彼女はゆっくりとコーデリアに尋ねた。
「ディリィちゃんのお父さんがそうおっしゃったのかしら?」
「父は、もし先生とお知り合いだったとしてもずいぶん昔のことだと言っておりました。だから本人か否かはわからないので先生に聞くように、と。ただ、もし先生がお話になりたくないことでしたら、私もお尋ねするのはやめようと思っています」
付け足しのようになってしまったが、コーデリアは念のために言葉を添えた。
エルヴィスの様子も魔女の様子も気がかりだ。けれどもしも絶対に言いたくないというこことであれば、興味本位で踏み込むこともためらわれる。
魔女は貴族を好ましく思っていないらしいとの事前情報もある。
だが、コーデリアにはだからこそ気になっている部分もある。もしも貴族であるからエルヴィスにマイナスの印象を抱いているということであれば、自分からも話せることがあるのではないかと思うのだ。誤解とまではいかずとも、何か行き違いもあるかもしれない。
コーデリアはじっと魔女からの答えを待った。魔女は小さく長い息を吐き、視線を落とした。
「話したくないわけじゃないの。ただ、もしも伯爵様が嘘だと仰れば嘘だという前提で聞いて欲しいの」
「……やはり、父をご存じなのですね」
「ええ。本当はディリィちゃんを最初見たときから、知っていたの」
そう言いながら魔女は落としていた視線をゆっくりとコーデリアに合わせた。
「ただし私がお話したことがあるのは今の伯爵様ではなく、幼い腕白小僧のエルヴィスだったけれども」
「え?」
一瞬コーデリアは自分の耳を疑った。腕白小僧?
エルヴィスに幼い頃があるのはもちろん理解しているが、あまりに似合わない単語に心の中で首を傾げた。しかし魔女の表情は真剣だった。
「私の名はフルビア。男爵家に生まれ、薬師になる前は火の車だった家計を支えるためにパメラディア家の使用人をしていた……エルヴィスの生みの親」
「……え?」
「誰も幸せになれなかったお話があるのよ。少し長い、昔のお話になるわ」
そうしてフルビアと名乗った魔女はゆっくりと語り出した。
「私は紹介を経て十六の頃からパメラディア家で使用人として働いていたわ。でも働きだして間もないある日、屋根裏へお掃除にあがった時に、たまたまそこに隠れて昼寝をしてらした先代様とお出会いしたの。その後も何度か似たような遭遇をして、お話する機会があって……おこがましくも私は先代様に想いを寄せていたわ。もちろん身分を考えれば想いが通じるとは思っていなかったけれどね」
「……」
「だから先代様から想いを伝えていただいたとき、私は本当にうれしかったし、同時に悲しかった」
「それはどうして……」
「先代様は早くにご両親を亡くされ、後ろ盾が少なかったの。だからそのために婚約者がいらしたわ」
フルビアの答えにコーデリアもはっとした。
そうだ、自分にはフルビアではない祖母が……つまり先代にはれっきとした妻がいた。そして誰も幸せになれなかったと先にフルビアは言っていた。
言葉を失ったコーデリアと対照的にフルビアは続けた。
「本当はそこできちんとお断りをするべきだった。でも、それを言おうとしていた時に婚約者様……後の奥方様が私に仰ったの。「私の地位を脅かさなければ、貴女が伯爵様がどのような関係でもかまわない」と。奥方様には先代様ではない、別の想い人がいらしたとも、お話いただいたわ」
「……」
「驚いたわ。だって、使用人の誰にも気づかれなかったことを、奥方様は一目でお気づきになられたのですもの」
しかしそれは悲しいことだとコーデリアは思った。
今は先代夫人の実家とパメラディア家に強い結びつきはないが、若い伯爵の後ろ盾には十分な家柄だということは理解できる。
(……でも、それは彼女にとって不本意だったのね)
だからこそ同じく想い人と沿うことが叶わないフルビアに同情したのか、それとも先代に同情したのか。もしくは自らの想いが叶わないからこそ、先代を拒む意味でそう言ったのか。
真意はわからないが、それでもその言葉が若いフルビアには甘い誘惑になっただっただろうということは予想できる。
「私はその言葉に感謝し、甘えたわ。でも道理をわきまえるべきだった。気づいたときにはエルヴィスを身ごもっていたわ」
「……」
「いくら奥様以外に気づかれていなかったとはいえ、子を生めば状況がかわるかもしれない。そうればとんでもないことになる。だから私はお暇いただき、王都を離れて南に下ったわ。しばらくは慣れない生活で大変だったけど、おかげで寂しいと思う時間も、反省する時間もなかった。だから罰が当たったのでしょうね。エルヴィスが四歳の時に私は流行病にかかって、動けなくなった。でもお薬は高くて買えなかった。……そのとき、奥方様は私の前に現れたわ」
「……先生のお住まいをご存じだったのですね」
「ええ。そのときまで、私も知らなかったし、エルヴィスの存在が奥方様に伝わっているとも考えていなかったわ。奥様は私にエルヴィスを差し出せば薬をくださると仰った。同時に薬を飲まずに死ねばエルヴィスも苦労すると言われたわ。それでも私は治すと宣言して断った。でも、エルヴィスがそれを自分で受けたの。あの子は「母親の病気を治したかったら、こちらに来なさい」と言われたと言ったわ。行きたくないけど、私が死んだらいやだ、って。それと……貴族っていうのはひどいことを言う、ひどいやつらだって。だからどんな手を使っても偉くなって、僕らみたいな人が暮らしやすくなるようにするから、迎えにくるって」
長い言葉を一気に吐き出したフルビアは、そのまま口を閉ざした。
コーデリアは黙ってフルビアを見つめていた。
「……だから言えなかった。奥方様は悪いことを仰ってるわけではないって。こうなったのは私のせいだって、言わないといけなかったのに……あの子に正直に話す勇気が持てなかったの」
「でも……その、突然四歳の子が屋敷に現れたら、使用人からもおかしいとの声はあがらなかったのでしょうか?」
「それは私も思ったわ。でも、奥方様もエルヴィスより後に子を生んでらしたらしいの。ただ……その子は生まれた直後から奥方様の実家で育てられていたらしく、パメラディア家の者は誰もその成長した姿を知らないという話だったわ。むしろエルヴィスが現れたことで本当に子が存在すると安心される、と、奥様は仰った」
「もしかして、その奥方様の子は……」
「……奥様も先代様にも似ていない子だったのかもしれない。でも、確かめるすべのない私にはわからないわ」
それならばいずれはエルヴィスを迎えるつもりであったということではないだろうか。フルビアの病などたまたま理由になっただけにすぎないのではないか。もちろん推測でしかないことだが、コーデリアにはフルビアの言っていた”誰も幸せになれなかった話”という意味は理解できた。
「私が庶民でも手が出る薬を求めるようになったのは、そのことがあってからよ。贖罪になるわけではないけれど、気づいたら薬師のもとで昼夜問わず勉強していたわ」
「お父様とはそれからお会いになってらっしゃらにのですか?」
「遠目で見たことはあるわ。遠征の凱旋の時はよく目立っていたし、陛下をかばって大けがをしたと聞いたときには心臓が止まるかと思ったわ。でも、私から会いたいとは言えないし、会うことはあの子の害にしかならない」
「どうしてですか?」
「貴族に噂はつきものだけど、ゴシップは失脚にもつながるわ。もっとも私が母親だなんて思われる可能性は低いけど、余計なことに力をさく必要なんてないのよ」
フルビアの声は決して大きくなったわけではない。
しかし先ほどより芯がしっかりとした声だった。
「もしもエルヴィスが貴族の世界から逃げ出したいと言えば、私も地の果てまで逃げる手助けをしたいと、今でも思ってるわ。でも、今のエルヴィスに私は会うべきじゃない」
「……」
それはまるで自分に言い聞かせているようにコーデリアには見えた。
そしてその姿を見ながら、確信を持ったことがある。
「だから、なんですね」
「え?」
「一目見て私がわかったと仰ったことです。先生は……ずっとお父様のことを見てらしたんですね」
まだコーデリアにはパメラディア家の娘として人前に出る機会はあまりない。そんな子供を一目でわかると言うのだから、王都を離れていた期間があっても、今も王都でひっそりと見守っているのだろう。
「……ディリィちゃんは、私に何も言わないの?」
「行動が正しかったかと問われれば、答え辛いことではあります。けれど残念に思うことは、できればおばあ様とお呼びしたいけど、人前でそうお呼びすればご迷惑がかかってしまうということです」
誉められたことではないのは確かだろう。
しかし誰が悪いと言って終わる話ではないし、コーデリアにはフルビアを責める理由もなかった。誰よりも後悔している相手に告げる言葉など、そもそも責める資格を当事者ではないコーデリアは持ち合わせていなかった。
「私の勝手な言い分になりますが、先生がその選択肢を選んでくださらなければお父様も私も、お兄様やお姉様も生まれていません。先生とお話しすることもできなかった。これからも、先生からは色々教わりたく思います」
「……ありがとう」
礼を言われることは言っていないし、その言葉も単にほかに言葉がなかったからではないだろうかとコーデリアは思う。フルビアからも話してすっきりしたという様子も特に感じられない。
しかしコーデリアは引っかかりはしていた。
エルヴィスがこの件を隠そうとしなかったことから、恐らく過去を恨めしく思ってはいない。むしろフルビアに対して気を使ったからこそ、フルビアが言えばと言ったのだと思う。
(……お父様はどうしておばあ様にお会いされないのかしら)
フルビアの立場からの懸念はエルヴィスを案じていることはわかる。
が、フルビアが薬草使いであるのなら薬師として招く選択肢だってあっただろう。再会を約束した母親に会わない理由は、いったい何なのか。
だが、フルビアを”おばあ様”だと思ったコーデリアはそこでひとつの全く関係ないことに気づいてしまった。
「……先生。ひとつ、とても失礼なことをお聞きしたいのですが」
「なにかしら?」
「先生はおいくつなんですか……?」
エルヴィスよりは少し年上だろうと思っていたが、さすがにエルヴィスの母親世代だとは想像すらしていなかった。
コーデリアの質問にフルビアは虚を突かれたらしく目を丸くしていた。
やがてフルビアは人差し指を唇に当てた。
「ディリィちゃん、女性に年はあまり聞くものではないのよ?」
それは少しコーデリアをからかうような言い方だった。
ただ、エルヴィスが今五十代に入っていることを考えれば……美魔女だという言葉がコーデリアの頭の中を占拠した。さすが緑の魔女、何らかの美容法を実践しているに違いない。
(……って、そうじゃなくて)
魔女の言葉に曖昧な笑みで応えながらもコーデリアは自分にかつを入れ、その質問を頭から押しやった。
なぜエルヴィスがフルビアに会わないのだろうか。
(おばあ様は、きっと会いたいと思ってらっしゃるのに)
エルヴィスに話を聞こうとコーデリアは思った。
お節介なことかもしれない。だが、はっきりとした理由がないのであれば、一度会ってほしいと思う。コーデリアにとっては二人とも大好きな人たちなのだから。




