第四十一幕 緑の魔女(8)
「お、お父様……」
まさか登場するとは思っていなかった父が現れたことにコーデリアは動揺を隠せなかった。確かロニーはハンスに迎えの手配を頼んでだはずだ。ハンスがエルヴィスを向かわせることなどあり得ない。つまりエルヴィスは自身の判断でここに来たということだ。
「おや、ディリィちゃんのお父さんかい?」
驚きで硬直するコーデリアとは対照的に、村長は驚きながらも「雰囲気がそっくりだねぇ」と笑っていた。当然エルヴィスが伯爵だなどとは思ってはいない雰囲気である。
そしてそれはエルヴィスにも伝わっていたようだった。
「……娘が世話になりました」
エルヴィスはごく自然に村長にそう告げた。
その言い方は本当に「遊びに行った娘を迎えにきた丁寧なお父さん」という具合だった。
「いやあ、ディリィちゃんも礼儀正しい子だと思っていたけど、お父さんもすごく品がある方だったんだねぇ」
村長は豪快に笑いながらエルヴィスに応じた。やはり伯爵だなどとは微塵も感じていないようだった。だからここで自分が動揺してはいけない、コーデリアは必死で平常心を装った。
「よくディリィちゃんがここにいるって分かりましたね。誰かに尋ねられました?」
「いえ、ただ村長の所で聞けば確実かと」
「それもそうですね。でああ、お父さんも一杯お茶でも飲まれますかな?」
「すぐ失礼しますので、お気遣いなく」
そうして村長の申し出を断ったエルヴィスはコーデリアに尋ねた。
「ロニーはどうした」
「今は所用で孤児院に。すぐに戻ります」
「そうか。戻り次第出発する」
会話はそこで途切れた。コーデリアは心の中で「ロニー、早く戻ってきて……!」と祈った。ロニーを使いにやったのは自分だが、この状況は少々心地が悪い。せめてもの救いはエルヴィスが伯爵であることを自ら伏せていることだ。もしもここで村長に伝わっていしまっていたら、もっと居た堪れない気持ちになっていただろう。
(でも、それだけじゃなくて……お疲れだろうお父様の手を煩わせるつもりはなかったのよ。ロニー、早く戻って来て……!)
その願いが通じたか否かは分からないが、やがて魔女を連れたロニーが戻ってきた。
「ディリィ、魔女先生は今日はここに残るけど顔見るって……って、うわっ!?」
ロニーの素っ頓狂な声は普段なら「お嬢様の顔を見てその奇声はないだろう」と突っ込みたくなるが、今回に関してはコーデリアもその驚きに同意せざるを得なかった。そして「旦那様」と口にしなかったロニーはとても頑張って踏ん張ったとも思った。
「ロニーさん、どうしたの?」
足を止めてしまったロニーの後ろから顔を出したのは魔女だった。魔女はそのまま部屋の中を見回し、その目を見開いた。そして小さく口を動かした。
(……え?)
魔女の口からは音は一切漏れていなかった。
しかしコーデリアの見間違いでなければ、魔女はコーデリアが全く予想していなかった言葉を口にしていた。
「帰るぞ。ロニー、馬車はお前が引け」
「はい、すぐに!」
エルヴィスの言葉にロニーが慌てて外へ飛び出すのを見送り、その後コーデリアは再び魔女のほうを向いたが、すでに魔女は口を閉じていた。
「それでは、失礼」
そう言い残して外に出るエルヴィスに続き、コーデリアも慌てて村長と魔女にそれぞれ一礼した。しかし外に出る前に魔女からショールを借りていたことを思い出し、足を止めた。
「あの、こちら、ありがとうございました」
コーデリアの言葉は決してえ大きな声ではなかったが、魔女はびくりと驚いたようで肩を揺らした。
「先生?」
「いえ、ごめんなさい。ありがとう」
「あの……先生は、父のことをご存じなのですか?」
先ほど声に出なかった言葉がコーデリアには「エルヴィス」のように見えていた。しかし自信があるわけではない。魔女と父親の接点が思いつかないのだ。魔女が過去に作った薬の関係でエルヴィスと接点を持ったことも考えられるが、エルヴィスの態度もおおよそ知人に対するものではなかったように思うし、魔女も魔女で伯爵を呼び捨てるような性格ではないと思う。
コーデリアの問いに対する魔女の答えは、首を小さく振るのみだった。
「また、ね」
それは話は次回ということなのか、それとも今度また会いましょうということなのか。しかしコーデリアにもそれ以上尋ねる時間はない。
「では、先生。またお邪魔しますね」
「ええ、待ってるわ」
そうして魔女と別れ村長の家を出たコーデリアには、すぐに少し離れた所に停車している馬車を見つけた。既にエルヴィスは乗車済みのようで、ロニーがドアの前で待機していた。ロニーはコーデリアを見るなり手招きしたので、コーデリアも小走りで馬車に近き、急いで乗り込んだ。するとロニーはすぐに馬車を出発させた。
馬車の中の空気は重かった。
エルヴィスは腕を組んで目を閉じている。寝ているわけがないのは分かっているが、これではコーデリアも話しかけ辛い。両手を膝の上で固く握りしめながら、コーデリアはじっとしていた。
(……本当に、お父様直々にお迎えに来てくださるのは、想像できなかったわ)
そして、エルヴィスが村長に対して使っていた言葉遣いにも驚いた。決してエルヴィスが敬語を使えないと思っているわけではない。コーデリアは直接見たことないが、国王謁見などの際に使わないわけがないだろう。だが、そこまでの堅い敬語ではなく『街にいそうなお父さん』が使うような言葉だったことが意外だったのだ。そんな言葉を使うことなど、エルヴィスにはなかっただろうに、とコーデリアは不思議に思う。
しかしそれに触れてもよいものだろうか。目をつむるエルヴィスに話しかけるには、コーデリアには度胸が足りなかった。そもそもエルヴィス直々の迎えというのは、帰りが遅いくらいで起こる出来事だろうか……?
「お前は魔力が枯れているようだが、何をしていた」
コーデリアが考え込む中、すっと目を開いたエルヴィスがそう切り出した。声はいつもにもまして低いかった。コーデリアは反射的に身構えそうになったが、決してエルヴィスが怒気を発しているわけではない。むしろ全く感情がないようにも感じられるくらいだった。
「村の子供が一人、森で迷子になりましたので探しておりました」
少し不思議に思いながらもコーデリアは落ち着いてそう答えた。伏せていることはあるが、あくまで嘘はない。しかしこの発言だけではエルヴィスも納得しないだろう。何をしていたかは答えても、経緯を説明していない。
しかし返ってきたエルヴィスからの答えはとても短いものだった。
「そうか」
ただ一言だけで、追求もなにもないことにコーデリアが拍子抜けした。
(それだけ……?)
ありがたいことではあるが、エルヴィスらしくない。
迎えも、村長の家での言葉も、今の反応も……エルヴィスがコーデリアに甘いことを差し引いても、全てに違和感を持たずにはいられなかった。
そしてその時に不意に魔女のことが頭をよぎった。らしくなかったといえば、魔女のエルヴィスを見た反応も彼女らしくなかった。
「どうかしたか」
エルヴィスに問われ、コーデリアは一瞬ためらった。
けれど聞かなければもやもやしたままになる。きっと魔女からは答えはもらえない。
「お父様は先生と……、村長のご自宅ですれ違った女性とお知り合いですか? あの方が以前お話させていただいた、私の先生です」
「なぜそう思う」
「何となく、そう思っただけでございます。間違いでしたら、申し訳ございません」
確証がないコーデリアが口に出来るのは曖昧なものだ。
魔女がエルヴィスの名を口にしていたようだったからだとは言わなかった。それによくよく考えれば、もしもエルヴィスが魔女と知り合いであるのなら、一言も言葉も視線もを交わさずに去ることはしなかっただろう。
やはり見間違いなのかもしれないとコーデリアが思い始めた時、エルヴィスは口を開いた。
「……私が知っているか知りたければ、おまえの師に聞くがいい」
「え?」
「仮に私が知っている人物だとしても、もう数十年も前のことだ。今のことなど、知ってはいない」
抑揚をつけない声で述べたエルヴィスは、それきり口を閉ざした。
コーデリアは短く「はい」と答えた。
(……お父様、本当に珍しいわ。こんなにはっきり仰ってくださらないなんて)
聞けばいいといってくれているのだから、隠さねばならないということではないのだろう。しかしこのような物言いも珍しい。深まる疑問を抱きながら、しかしコーデリアはそこまで考えてはっとした。そのようなことを考える前に、最も大切なことを言い忘れていたことにようやく気付いた。
「お父様、お迎えに来て下さりありがとうございます」
危ない。本来なら一番に言うべき礼を忘れるなどなんたることか。
今まで正面を向いていたエルヴィスの顔は暗い外に向けられ、返事はなかった。しかし聞こえなかったというわけもないだろう。けれど念のためにもう一度言ったほうが伝わるだろうか? そうコーデリアが考えたとき「あぁ」と、かすかな声が耳に届いた。相変わらずエルヴィスは外を向いているが、なんとなく決まりが悪い……照れているような、そんな雰囲気にも感じられ、コーデリアの頬は緩んでしまった。
+++
翌日、コーデリアが目覚めたのは昼過ぎだった。
そんなに長く眠るつもりはなかったのだが、自身が思った以上に身体は疲れていたらしい。さらに全身に筋肉痛のような痛みが走ったので、渋々安静にせざるを得ない状況に追い込まれた。ロニーいわく、その痛みは魔力を使い切った関係ということらしい。歩けないほどひどいというわけではないのだが、顔をひきつらせてしまうほどには痛が響く。
だから一日大人しくしていた。
その翌日は、いつも目覚める時間に起きることができた。
午前は安静にしていたが、午後にはヴェルノーがやってきたので温室でもてなすことにした。身体も痛みはまだ残るが、前日より随分ましになっている。
しかしヴェルノーは紅茶を飲みながら首を傾げていた。
「何だか今日のディリィは動きが妙だな。いや、変というのが正しいか?」
「……ヴェルノー様、女性に向かって妙や変と言うのはいかがなものでしょうか」
「だが本当のことだろう?」
確かに自分でも違和感を覚えるほどなのだから、多少ヴェルノーにも「いつもと違う」と思われても仕方がないとはコーデリアも思う。だが妙や変という言葉はどうにも納得できない。そこまでおかしな動きをしているつもりはないのだ。しかしヴェルノーの追求は止まなかった。
「ほんとに何したんだ。危ないことでもしてたのか?」
「え?」
「ほとんど髪に隠れているが、顔。擦り傷を作ってるだろう?」
どうやらヴェルノーは大分目ざといらしい。
コーデリアもその傷のことは気づいていたので一応手当はしたが、場所が場所だけにほとんど見えないと思って気にしていなかったのだ。
「取っ組み合いでもしたのか?」
「まさか、そんなことは出来ませんわ」
「だよな。けど顔なんて普通怪我しないだろ。転けたのか?」
「……まあ、そのような所ですわ」
転んだというのも相応に格好が悪いが、飛び降りたという本当のことよりは普通に起こり得る理由だ。それに相手はヴェルノーなので、転けたといえばニヤニヤと笑われる程度で話は済むはずだ……そうコーデリアは思っていたのだが、彼の表情は違っていた。笑うどころかとても神妙な表情だった。
「ヴェルノー様?」
「何をしたのか知らないが、あまり無茶はしない方が良い。得に女性は顔に傷が残れば、後悔だってするだろう」
その言葉に意表を突かれたコーデリアは二、三度瞬きを繰り返した。
転けたということが嘘であると見破られたのが意外というわけではない。
「どうしたのですか、ヴェルノー様。ずいぶんらしくないですね」
「どういう意味だ」
半眼で睨まれようが、言葉のままの意味である。紳士なヴェルノーは珍しい。しかし忠告をくれる友人の機嫌を害したいわけではないので、コーデリアはあえて問いには返答しなかった。
「けれど大丈夫ですわ。この程度の傷ではあとには残りませんし、顔に傷が残ったところで後悔するようなことではありませんでしたから」
確かに危険であったことは否めないが、ミックが大怪我もしくはそれ以上の受傷があった可能性を考えると、自身の軽傷など恥じることでも何でもない。確かに素直に「目立つ怪我じゃなくて良かった」とは思っているのだが、たとえうっすら傷が残ったとしても後悔はしなかっただろう。
「まあ、頑固なディリィがそう簡単にわかったなんて言うとは思ってないけど。程々にな」
「ご忠告ありがとうございます」
「ついでにもう一つ忠告しておこう。バレたくない嘘をつくつもりなら、もうちょっとうまく言った方が良い」
「え?」
思わず問い返したコーデリアにヴェルノーは「やっぱり気づいてないのか」と納得した様子だった。
「妙な間があったし、それこそらしくないってやつだ。いつものディリィならしれっと「何か悪うございますか」くらいの雰囲気だろ? それなら俺も「ああ、ディリィだもんな、変なこと考えてて転けたんだろ」くらいしか思わないだろうし」
「ヴェルノー様、とてつもなく失礼です」
「けど知っていて損な情報じゃないだろう?」
「確かにありがたくて涙が出そうなほど、貴重な情報ですわ。ありがとうございます」
コーデリアの言葉にヴェルノーは満足そうに笑った。
まったく、いい性格をした友人様であるとコーデリアも肩をすくめた。
++
そしてさらに翌日、コーデリアの調子は大方元通りという状態だった。
一○○パーセントという訳ではないが、特に動きに支障はない状態だ。もしもヴェルノーの訪れが一日遅れていれば、変だと言われなかっただろうという自信もある。
その回復早さに驚くロニーにコーデリアは昼過ぎに魔女の元へ向かいたいと告げ、魔女宛の訪問を願う手紙を預けた。そうしてロニーを使いにやったコーデリアは次の用意のため、一枚のエプロンを片手に実験着で料理長に会うべく厨房へと向かった。
「お嬢様、どうなさいましたか?」
厨房にいた料理長はコーデリアが声をかけるより早くコーデリアの姿を見つけ駆け寄った。幼い頃からハーブの入手やらハーブを用いたドレッシングの作成やらを依頼しているので、今日もおそらくそのあたりの理由で厨房を訪れたのだと料理長は思っているだろう。
しかし今日のコーデリアの願いは別だ。
「マフィンを作りたいの。材料をもらうことは出来るかしら? あと、少しこの場所をお借りしても良いかしら?」
「マフィンを? お嬢様が? それならば私達がご満足いただけるものをお作りしますが……」
目を見開いた料理長の反応はごくごく自然だ。
令嬢が調理をしたいなど普通は言わないし考えない。だからコーデリアはゆったりと微笑んだ。
「もちろん貴方にお願いすればとてもおいしいお菓子を作ってくれることはわかっているわ。ただ、お世話になった人から教えてもらったレシピがあるの。作り方も習ったわ。だから私自身でお礼に作ってそれを贈りたいのよ」
「で、ですが」
「大丈夫よ。でも、もし心配をかけてしまうなら、オーブンに入れるのだけはお願いするわ。それなら火傷の心配もないでしょう?」
「……かしこまりました。では、お手伝いさせていただきます」
額に皺を寄せつつも料理長から了承の意を告げられ、コーデリアはほっとした。料理長はおそらく「いったい誰に料理を習ったというんだ」と疑問に思っていることだろう。
しかしコーデリアの依頼は今までも突拍子がなかったので、今更だと思われているかもしれない。いずれにしても臨機応変な料理長にコーデリアは感謝した。
「お嬢様、レシピをお預かりしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
材料を一つ一つ口にするより、見せて揃えてもらったほうが早いだろうと思ったコーデリアは料理長にレシピを渡した。料理長はほかの料理人に指示をだし、すぐに材料を手配した。そうしてコーデリアが手を洗っている間に用意された材料は、見事に計量まで済んだ状態で机の上に並べられていた。
(……大変ありがたいことだけど、お菓子作りの一番大切な部分が終わってしまっている気がする)
小麦粉と、前世のベーキングパウダーに該当するらしいやや黄色みを帯びた膨らし粉に至ってはすでに混ぜてふるいにもかけられた様子で、サラサラしている。本当に混ぜるだけの簡単クッキングの状態だ。
(私の腕、相当心配されているわね)
それはお嬢様に恥をかかせるわけにはいけないという料理長の配慮かもしれない。万が一にもお嬢様に失敗などさせてはいけない――そう思っていてくれるのなら、コーデリアとて何か言うのは忍びない。黙ったままその懸念を晴らしたいというなら、一度料理長に料理ができる姿を見せる以外に方法はないだろう。
まずコーデリアは用意された材料の中でも卵は割られていないことを確認した。
それにコーデリアはほっとしたのだが、後ろで息を飲む音がしたのを耳にした。もしかしたら割り忘れたと思われたのかもしれない。
だがコーデリアにとってはありがたいことだった。少しでも大丈夫だという根拠を見せたいと思いながら、スタードクリームを作るべく卵を手にし、それをボウルの縁で軽く割った。中身はそのままボールには落とさず、卵の殻を使い白身と黄身を丁寧に分ける。
すると後ろから感嘆の声が漏れた。
「お嬢様は殻を入れずに卵を割ることができるのですね」
「……ええ、できるわ」
「手つきも想像以上に流れるようで……驚きました」
料理長の驚きようは魔女がコーデリアの卵割りを初めて見たとき以上だった。卵一つ割る程度で皆誉めすぎです……! などと心の中で思いながらも、コーデリアはてきぱきと作業を進めた。
だがこの程度で感心されてはカスタードもマフィンも完成しない。
そう思いながらコーデリアは工程をひとつひとつこなしていった。既に一度魔女と作っているので、学んだ通りに作れば大きな失敗をすることもないと思うと気は楽であった。しかし、料理長の視線以外にも厨房の他の料理人たちから注目される中で作るのは少し落ち着かなくもあった。きちんと作れるということを見せるにはいい機会だが、目立ちすぎて恥ずかしくもある。
そんな中でも無事何事もなくカスタードとマフィン生地は完成した。それらを軽く混ぜ合わせて型に流し込んだコーデリアは料理帳にオーブンに入れてもらうよう頼んだ。ここまでくれば自分でやりたいとも思ったが、型に流し込んでいるときから既にスタンバイしてくれていた料理長に自分でやるとは言い辛かった。何より料理長の目には『オーブンは絶対に譲らない』というような光が見えた。やはり火傷を心配されているようだった。
それからしばらく待っているとマフィンは無事に焼きあがった。
完成したマフィンは全部で十一個。コーデリアはその中から一つを料理長に渡し、残りを部屋に持ち帰った。
「一つは試食、先生の所には二つ持って行くとして……残りは七個。ロニーとララとエミーナに一つずつで残り四個。ハンスにも食べてもらおうかしら」
そう考えると残り三個だ。
「……一つはお父様に召し上がっていただきたいけど、お父様、甘いものは大丈夫かしら」
令嬢らしからぬこととはいえ、料理をしたこと自体を咎められたりはしないだろう。以前エルヴィスはコーデリア作の焼きレモンの蜂蜜がけを口にしたとき、それを「料理ができるのか」と感心していたくらいだ。
しかしマフィンはエルヴィスの口に合うだろうか?
自然な甘さの蜂蜜と違い、甘さを強く意識した菓子がエルヴィスの好みに合うかはいささか不安だ。エルヴィスが好んで菓子を食べているところをコーデリアは見たことがない。
仮に苦手であっても娘に甘いエルヴィスだ。コーデリアが食べて欲しいと言えば食べてはくれるだろう。しかしコーデリアも無理をして食べて欲しいわけでもない。
「……」
コーデリアは考えるに考えた末、ひとまず父親用にとマフィンを小さな箱に入れてラッピングした。そしてメッセージカードを上部に差し込む。カードには「もしよろしければ、間食にどうぞ」とだけ書き込んだ。自分が作ったとは書かなかった。
「よし、これはハンスに預けましょう。そうなると……残りは二つね」
残り二つはどこに持って行くとするか。
魔術師棟の女性魔術師たちも甘いものを好むとは知っているが、二個では足りない。ならば他に……そう考え、ふと友人たちの顔が浮かんだ。
「……でも、ねぇ」
ヴェルノーとジルに贈ればちょうど数は綺麗に残りはなくなる。
だが、令嬢の作った菓子となれば二人はどのようにとらえるだろう。素人が作った危険物だと認識しないだろうか?
「……いえ、ジル様は何ら疑問を持たずに喜んでくださると思うわ。ヴェルノー様も甘いものはお好きだし、お二人も先生のマフィンを喜んでいたもの。これも先生に習ったものだし、問題はないとも思うけど……」
そう言いながらもコーデリアは試食用のものを口にした。
自画自賛に該当するかもしれないが、口の中で広がる甘味ははなかなか上手にできている。
魔女に教えてもらった通りに仕上がっているはずだ。
コーデリアはマフィンを食べきり、小さく気合いを入れた。そして残っていた二つのマフィンを丁寧にラッピングした。そして戸棚からお気に入りの紅茶を一つ手に取る。きっとこれはマフィンに合うだろう。だがそこでふと気がついた。
「ヴェルノー様に贈るのは良いとして、ジル様に日持ちしないものは良くないわね……?」
手紙なら何日経っていたとしてもさほど問題はないだろう。しかし菓子なら話は変わってくる。ヴェルノーはジルに割と頻繁に出会ってはいるようだが、どれくらいの頻度なのかはコーデリアにもよくわからない。
コーデリアは迷いながら便箋とペンを手に取り、ヴェルノーに宛てた手紙を書いた。
内容は簡潔に焼き菓子を作ったのでよければどうぞ、ということだ。あえてジルのことには触れなかった。もしジルが一緒にいるなら二人で食べてくれればいいとも思う。ヴェルノーだって「二人で食べてね」という意味だと察しはつくだろう。だがもしヴェルノーがジルと合わない期間だったとしても、ヴェルノーなら二個くらい軽く食べるだろう。困ることも腐ることもはないはずだ。
そしてコーデリアはフラントヘイム家への使いを頼み、自身は昼食をとる準備をした。
そして、午後。
コーデリアはロニーと共に魔女の家へ向かった。




