表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/128

第四十幕 緑の魔女(7)

 その後コーデリアは何度かヴェルノーと顔を付きあわせて下準備を行った。


 そこでわかったのは意外とシビアなことだった。コーデリアとしてはざっくりした提示を行った後に内容を詰めていこうと考えていたのだが、『本の購入基準はどうやって決めるのか』だとか『出納帳は外部監査でも行うのか』などヴェルノーはどんどん切り込んだ発言をする。だから一度目は回答を用意していないこともいくつかあり、少々敗北した気分になってしまった。

 無論勝負をしているわけでないことは百も承知だ。だが、いままでお姉さん……とまではいかないものの、ヴェルノーに遅れをとったつもりはない。


「負けてられるか」


 自室で一人発した言葉は、恐らく現世の自分が発した中で一番荒っぽい言い方だ。だが誰も聞いていない場であるので許してほしいと自らを言いくるめる。何にせよ得意げな顔でニヤニヤとされるのはもう御免なのだ。

 だがそのお陰で集める書物や運行方法について十分計画を練ることができたと思う。多少気合いが入りすぎて力強すぎる文字になったりもしたが、それもご愛敬という範囲だ。集中しているが故の文字であり、意識してコントロールしている訳では無いのだ。


 ふとコーデリアは休憩がてらに天を仰いだ。そして目を瞑る。すると浮かんでくるのはトトやラナの笑顔だ。


「もうひと踏ん張りしましょうか」


 出てきた独り言と共にコーデリアは姿勢を正した。

 もちろんヴェルノーに対するライバル意識のようなものもあるが、ライバルはヴェルノーだけでは無い。ジルも何らかのことを考えると言っていた。『ならば私も』と張り合いがでるというものだ。


 しかしそうは思っても時間は有限。自身の学習や温室のチェック、交易の確認に授業の準備、ロニーからの報告、さらにその合間に魔女の所に顔を出して話を聞いたり本を借りたり……となるとコーデリアの毎日は目まぐるしい。

 少し眠気があるなと思っていると、エミーナにくすくすと笑われてしまった。


「お嬢様、昨日も遅くまでおきてらっしゃいましたでしょう?」

「……灯りが漏れていたかしら?」

「いいえ、目の下にうっすら隈ができていますよ」


 その指摘にコーデリアは思わず手近にあった鏡を引き寄せた。確かにうっすらではあるが、肌に影が落ちている気がする。


「少しお昼寝をなさってはいかがですか? 張り切りすぎては良い考えも浮かびにくくございます」


 少し迷ったが、コーデリアはその提案に素直に従うことにした。

 うっかり眠ってしまいそうなほどの眠気ではないが、隈が出来ているということは一大事だ。肌が白いだけに余計に目立つのだ。無論化粧で隠すという方法もあるのだが、それは最終手段にとっておきたい。なぜなら化粧は武装であり、体調を整えるものではないのだ。


(……って、そうじゃない)


 考えが逸れかけたところで再度エミーナから「お嬢様、一度お休みくださいませ」と言葉が入る。


「……そうね。もう少しだけ進めたらそうするわ」


 しかしその『もう少し』が信用ならないとでも思われたのだろうか。

 エミーナは程なくしてカモミールのホットミルクティーを淹れてやって来た。甘く温かい飲み物に、コーデリアの眠気は一気に勢力を拡大した。そして諦めて休憩を挟むことにした。

 横になると眠りに落ちるまではそう時間がかからなかった。だが夢の中でうっかり良い案を思い付き、しかし起きたときには忘れてしまっており少々肩を落とした。そしてコーデリアは決意した。出来るだけしっかりとした眠りをとるためにも、少なくとも自身で納得できるだけの案を作ってしまおう、と。



 ++



 それからさらに数日後、コーデリアは魔女とロニーとオウルに向かった。


 今日の受講生は五人とトトだ。

 トトはいつもの通りすぐに眠ってしまうだろうが、それでも部分部分の気になるところは何となく覚えているらしい。授業用のコーデリアお手製講義資料もトトが読むには少々難しい言葉が多いが、気に入った単語だけぐるりとペンで囲んで楽しんでいるようだった。


「じゃあ今日は前回の続きで、王国初期のお話をするね。あと、当時の衣装やその意味についても触れたいと思います。それからこの頃、鞘に派手な彫刻を入れるのが特に流行ったんだけど、そのときの柄が今もお守りに刻まれるから、そのお話も……」


 そう、コーデリアが授業を始めて間もない時だった。

 部屋のドアが勢いよく開け放たれたと思った次の瞬間、勢いの良い足音とともに一人の子供が部屋の中に押し入った。

 あまりの音に驚いてコーデリアがそちらを見ると、トトのすぐ隣にミックが立っていた。その表情からは苛立ちが見て取れた。


「ミックくん、貴方も聞きにきてくれたの?」


 顔色を伺う限りそうではないだろうなと思いながらも、コーデリアは念のために尋ねてみた。何をしに来たのか尋ねるのは喧嘩を売るようなものだろうとその言葉を選んだのだが、どちらにせよミックには大して意味のある言葉ではなかったらしい。その証拠にミックは鼻で笑った。


「お前の話聞いて何の得になるっていうんだよ。金になるってのか?」


 そういうとミックはそのまま手を伸ばし、トトが持っていた資料を取り上げた。


「トトなんてろくにこんなの読めてねーだろ?」

「トトの! 返して!」

「いらねーだろ!」

「いるの!」


 トトはミックに向かって拳を振り下ろすが、体格差もあることからミックには痛みもないらしい。


「なんだ、肩たたきでもしたいのか?」


 そう得意げに言いながらさらにトトを煽るばかりだ。

 コーデリアはそんな二人にゆっくりと近づいた。


「トトちゃん、だめよ。暴力は良くないわ」


 コーデリアはまずトトを制止した。そしてミックに向かって手を差し出した。


「それはトトちゃんのものよ。あなたが受講するなら新しいものを渡すわ。だから返して」


 コーデリアは声に怒気を含ませることなく、努めて冷静にミックに伝えた。

 ミックが悪くないとは言わない。人のもちものを奪ったのだ。だがわざわざ奥の部屋にやって来た彼に何も目的がないとも思わない。

 だがそのコーデリアの対応にミックは舌打ちした。


「やなこった。ゴミだろゴミ。いらねぇよ」

「じゃあ、それもいらないでしょう? どうして手にしているの?」


 コーデリアはそういってじっとミックを見た。

 するとミックはぎりっと歯を食いしばる様子を見せた。そして徐々に顔を赤く染め、それから大きく叫んだ。


「お前むかつくんだよ!」

「何がですか」

「うざい、遊びのつもりなら他をあたれよさっさと出てけ!」


 ミックはそう言うとレジュメを体の前に突き出し、勢いよく上下に引き裂いた。更に二枚の紙を宙に放り投げる。紙ははらはらと舞い地に落ちた。それと同時、トトが堰を切ったように泣き出した。


「……ミックくん。まずはトトに謝ってください」

「何で俺が」

「あなたが私のことを嫌ってるのはわかるし、私の行動が自己満足と言われても構わないわ。けれど、彼女たちのことまで否定してはいけないことだと思うわ」


 そういったコーデリアはトトを見、それから教室の中を見渡した。そしてその後、もう一度ミックと目を合わせる。部屋の空気はミックにも伝わっているだろう。


「……っ、だからむかつくんだ!」

「ミック!!」


 バンッと大きくドアの音を立てながらミックは部屋から飛び出した。続きの部屋に居た子供たちも驚いた様子だったが、すぐに駆けだしたミックを見て声を上げた。


「ミック、どこいくんだよー!」

「先生、僕も追ってくる!」


 そして二人のこともがミックの後を追い、院から飛び出した。

 コーデリアはそれに目を奪われたことで反応と判断が一瞬遅れた。すると院長がコーデリアの側に寄り、その肩に軽く手を置いた。


「驚いたでしょう? ごめんなさいね。とぎれとぎれだけど、話は聞こえていたわ」

「あの、止めてくるというのは……」

「ここを飛び出しても村の中なら安心なんだけど、森に入っちゃうと

 心配だから、私も見てくるわ。ミックはダメだっていっても時々入っちゃって、おなかがすくまで帰ってこないから」


 そう言いながら院長は外に居た魔女に声をかけた。


「緑さん、ここはお願いするわ。追いかけます」

「ええ。気をつけて」


 何度かあったというのは本当のことなのだろう。

 魔女も院長の言葉に「早く行ってあげて」と特に驚くことなく応じている。だが飛び出した原因はコーデリアにもある。だからコーデリアとしては本当にそれで良いのかと不安もある。

 しかし魔女は院長が出ていくのを見送った後、コーデリアに微笑んだ。


「大丈夫よ、ディリィちゃん。さすがに森の深い所にまで行ってしまうと危ないけど……院長先生が言った通り、ミックはよく森に出入りしているの」


 しかしそれでもコーデリアは素直に頷くことができなかった。

 そんなコーデリアを見た魔女はコーデリアのそばに寄るとそっと耳打ちをした。


「心配かもしれないけど、騒ぐと不安がる子もでてくるわ。それにあの子のことは院長先生もよくわかってる。大丈夫よ」


 魔女はそう言うとコーデリアの両肩に手を置き、コーデリアの向きを反転させた。


「大丈夫よ、ディリィちゃん。ミックは一番森に詳しいわ。さ、授業を頑張って」


 しかしそれでもコーデリアは何か嫌な予感がした。

 だから首だけで振り返り、ロニーを見た。だがロニーはコーデリアのいわんとすることは理解したのだろう。首を横に振った。


 行きたいのは山々だけど無理ですよ


 そう声をださずに口を動かしたのがコーデリアにも見えた。

 確かにお嬢様の護衛としてこの場にいるならそれはもっともなことだ。それが最重要任務である以上、それに反することとであればコーデリアの指示でもロニーが動くことはできないだろう。


(杞憂に終われば良いのだけれど)


 そう思いながらもコーデリアは再び奥の部屋に戻った。

 子ども達は「ミック、また森に行ったのかな?」「いたずら好きなんだから。勝手に入っちゃだめって先生にいつも言われてるのに」と口々に言っている。それは本当に『いつものこと』といっているようだった。


「でも最近ミック機嫌悪いよねぇ」

「ほんとほんと。ダメっていわれることばっかりやるしね」

「でもダメっていわれたらやりたくなるのはちょっとだけ分かるよね」

「もう、そんなこと言って……ラナもティナもミックの真似しないでよね」


 呆れた調子でいう子供は続けてコーデリアに「ディリィちゃんもそろそろ始めよう」と授業の開始を促した。コーデリアは後ろ髪を引かれる思いでありながらも、そっとドアを閉めた。



 ++



 それからコーデリアは休憩を挟みながら二刻ほどの授業を行った。

 休憩の間に外の様子を伺ったが、まだミックや院長が戻った様子はなかった。ただ山菜でも摘んでるのかしらと言う魔女も気にした様子であったのでコーデリアも窓の外を見てみたが、外は穏やかな空気が流れているだけだ。しかしそんな空気を見てもなおコーデリアの心は落ち着かなかった。

 しかし落ち着かないとはいえ、準備はしっかりしてきたのだ。子供たちの集中力の助けもあり、コーデリアはつつがなく授業を終えることができた。


 授業を終えたコーデリアは黒板の片付けを子供たちに任せ、自身は早々に部屋を出た。


「先生、ミックは戻ってきましたか?」


 真っ先にそう尋ねたコーデリアに、魔女は「それが、まだなの」と眉を下げた。


「でも、いくらなんでもそろそろ連絡が入るとは思うの」


 そう魔女が言ったとほぼ同時、キィと玄関の開く音がした。そして姿を現したのは院長と小さな二つの影。ミックの姿はなかった。


「緑さん、ミックは戻ってきたかしら?」

「いいえ、まだだわ」

「そう……入れ違いになったかと思ったのだけど……」


 そう言いながらも院長は一緒に帰ってきた子供の背を押し「夕食のお手伝いの準備をしてきてくださいな」と安心させるような声で言った。


「私はもう一度探しに行くわ。まだ心当たりがあるところもあるし……緑さん、申し訳ないんだけど子供たちのことを、もう少し見ていてもらえないかしら」

「それはもちろん構わないけど……けれどミックが森で迷うかしら。村の方にもご協力をお願いしましょうか」

「ええ。あまり大事にはしたくないけれど、日が落ち始めるとすぐに暗くなる。村長さんのところにお願いに行くわ」


 そう言って院長はすぐにその場を離れて再度捜索に出て行った。

 コーデリアは短くロニーを呼んだ。


「ロニー、私たちも出ましょう」

「森ですよ」

「だからよ。話を聞く限りこの森には凶暴な魔物は出ないようだけど、夜は何が出るかわからないでしょう? 一般の方には危ないわ」

「いや……不慣れな森で迷わないか心配だったんだですけど……まあ、いいか。ただ、くれぐれも俺より前に出ないでくださいね」


 頭をかきながらもロニーはコーデリアの提案を了承した。

 それに驚いたのは魔女だった。


「やめた方が良いわ。もうすぐ帰りの馬車が来てしまうもの。私は泊まることもできるけど、ディリィちゃんは帰れないとお家の人も心配するでしょう?」

「なら、帰りの手配はしておきます。それより彼を見つけなくては行けないのはわかりますから」


 確かに帰りの足がなくなるのは痛いところだ。

 そんな悠長なことを言っている場合ではないのだが、連絡もせず帰宅しないとなれば大事になることは分かっている。孤児院にも迷惑がかかってしまう。


 そう考えたコーデリアは持ってきた白紙に言伝を書こうとしたのだが、それを見たロニーが「あー……俺が書きますよ」と言い、自らの荷物から白紙の紙を二枚取り出した。そして一枚を丁寧かつ素早く折り、封筒に仕上げた。そして素早くペンを動かし要点を記していく。

 その手紙が仕上がるのを待つ間、コーデリアは魔女に尋ねた。


「先生、教えてください。子ども達が言っていたのですが、ミックは今までもよく森に?」

「ええ。でも森はあまり魔物が出ない森とはいえ、足場がいい場所ばかりではない。そんなところも冒険ごっこにはぴったりで、ミックはよく森に入って怒られてるわ。でも、だから院長先生と同じくらい……いえ、もしかしたら誰よりも森に詳しいかもしれないわ」


 それなら迷ったということはないだろう。

 予測できない何かがあったのか、あるいはまだ帰宅時間だと思っていないだけか。


「馬車、来ましたね」

「そうね。じゃあ、いきますか」

「どうしても、というなら止めないわ。村の入り口の生垣に切れ目がある。そこから森には入れるわ。けれど……無理はしないで。あなた達まで迷い込んだら大変なことになる。村の皆もすぐに探しに出るから」


 魔女は自らのショールを外すと「寒くなるといけないから」と、コーデリアの肩に掛けた。


「では、行って参ります」


 コーデリアはにこりと笑って応えた。

 孤児院から出たコーデリア達はまず荷馬車のほうへ向かった。

 すると荷馬車の主人が「もう出るぞー」とまったり二人に向かって声をかける。


「確認なんですけど、馬車って王都で終着ですよね?」

「ああ、この便が終われば酒の時間だ。兄ちゃんも一緒に飲むか?」


 もう何度も乗っている間柄なので主人も気さくにロニーを誘う。

 しかし当然ロニーは「いえいえ」と軽く手を横に振った。


「ちょっと頼まれごとをしてくれませんか。それで……御礼には足りないかもしれないですが、これでお酒のつまみでも買って下さい」

「これは……いいのかい?」

「ええ。ここに住んでいるハンスに渡して下さい」

「いいぜ、いい酒が飲めそうだ」


 くくっと嬉しそうな主人は「乗らないんだな?」とい二人に確認した後、出発した。カラカラと荷馬車が引かれる音を聞きながら、コーデリア達もその場に背を向け森に向かった。


 おそらくミックが入ったであろう生垣の切れ目はすぐに見つかった。


「慣れた人でも見つけられなかった子を、お嬢様はどう見つけるつもりなんですか」

「見慣れないところだから、変に見えることもあるかもしれないでしょう」

「それ素人の常套句ですよね」

「ずいぶん消極的ね。というより、珍しく自信がない感じ?」


 生垣の前で棒読みのような声を出すロニーを見やれば、彼は手を軽く振ってボッと光を生み出した。ランプ代わりの光なのだろうが……器具も何もなく使うなんて、本当にロニーは何の魔術に対しても対応できるのだと驚かされる。


「……俺ん家でも二番目の兄貴がミックくらいの年の時によく家を飛び出して、俺も探すの手伝ってたんですよね。でもあっちが出てくるまで全然見つけられなくて……なのにあっちはこっちの様子全部知ってるんですもん。だからきっとあの子もうまく隠れて見てるんですよ」

「見ててくれているなら安心よ。大変なのは動けないようになってしまうこと」

「まあ、森は確かに危ないんで良くはないと思いますけどね。探すからにはさくっと見つけて早く出ましょう」


 それだけ言うとロニーはコーデリアの前を歩き始めた。森は思ったよりも草が生い茂っていた。しかしロニーが時折草を踏み慣らしながら進んでくれるので、コーデリアが進む分にはさほど難儀はしなかった。

 森の中には分かれ道もあった。ただ比較的低い位置に蜘蛛の巣が張っているなどの状況から「こちらには進んでいないだろう」という具合にあまり迷うことはなかった。が、子供が隠れそうな場所はあちこちにあり進む速度は速くはない。


「ミックくーん、ミックくーん!」


 コーデリアは普段は出さないような大声で呼びかけた。しかし物音すら返ってこない。

 ロニーは茂みを見つけるたびに近づいて草をかき分けているが、人が通った形跡は見つからない。大きく道を逸れた形跡がないことは喜ぶべきか、それとも足取りがつかめないと焦るべきなのか。


「それにしてもお嬢様もだいぶ変わってますね。いや、前から知ってましたけど」

「何がかしら」

「さすがに自身で教鞭を執るって言った時には驚きましたよ。旦那様がお許しになったのはもっと驚きでしたけどね」


 唐突にそんな話を切り出したロニーにコーデリアは首を傾けた。なぜこのタイミングなのだろう、と。しかし手伝ってくれているロニーの疑問には答えておきたい。


「自分の目で見れるのは今のうちだと思ったのよ。おかしいかしら?」

「間違いじゃないですけどね。ただ、あの子供の突っかかり方も普通の貴族のお嬢様なら耐えられないでしょう。まあ、お嬢様が普通だとも思ってませんけど」

「……。ねえ、ロニー。ミックくんが私を嫌ってる理由は何だと思う?」

「お嬢様は何だと思ってるんです?」

「……なんとなく、わからないでもないわ。不愉快なんでしょうね」


 自分を客観的に見た場合、金持ちの道楽だとか同情だとか、そういう風にも見えるんだろうなということは何となく理解している。もちろんそんなつもりは全くない。だが、そうではないといえるだけの積み重ねはまだコーデリアにはない。

 それに、そもそも生まれた時からきまっている格差にだって不平を感じていてもおかしくはない。生まれが違うだけで偉そうにしていると見られているのかもしれない。

 けれど結局は想像だけで、彼の考えなんてコーデリアには分かるわけがない。


「……どうして笑うの」

「いや、だってそのまんまじゃないですか。不愉快も嫌うも大して変わらないでしょうに」

「……」

「お嬢様も相当テンパってますね」

「……そうね。思い浮かぶことは色々あるけど、纏まってないわ」

「まあ俺から見てれば微笑ましいですけどね」

「微笑ましい?」

「だってお嬢様はそう簡単にあきらめないでしょう? 彼とお嬢様の根比べ、外野で見てる分にはね」


 まあ、こうやって探すことになるとは思いませんでしたけどね、と付け加えたロニーは「次はあっちですかね」と分かれ道の右側を指さした。左側はどうやら朽ちた木で通りづらくなっているらしい。


「ロニーにしては随分悪趣味じゃない」

「え、道の選び方がですか? 普通じゃないです?」

「外野見学の件よ。って、ちょっと待って。ねえ、ここはどうかしら」


 コーデリアが足を止め、そして屈んで見たのは低木で出来たトンネルだった。低木はだいぶ奥まで続いているようで、ロニーでも出口がどこかは推測できない様子だった。

 コーデリアはトンネルを覗き込んだ。


「これ、入り口は小さいけれど、中はもう少し通りやすい広さがあるみたいね」

「確かに……でも、子供ならの話ですよね。俺くらいの体格だとかなり厳しそうに見えますよね」

「じゃあ私だけで行ってみましょうか」

「いや、まあ……上着脱いで最悪匍匐前進なら俺でもなんとか、ですかね……。確かにこれは院長先生もスカートじゃ通ることは難しいでしょうし……探せてないかもですね」


 やはりコーデリアだけを行かせるという選択肢はロニーにはなかったようで、彼はローブを脱いで木にひっかけた。そして準備運動に軽く腕を回し、その後決意したように膝を地に着けた。


「じゃあ俺が先に行きますので……って、痛い、地味に小枝刺さる。うわ、服ひっかかったかも。あ、さすがにお嬢様の顔に傷ができたら非常にマズイんで、絶対引っかからないでくださいよ」

「ありがとう、今のところ平気よ」


 通れるのはコーデリアでもギリギリの範囲なので、ロニーは恐らく小枝を折りながら進む勢いなのだろう。だが一方でミックならここを通るのも容易かもしれないとコーデリアは思った。そんな風に考えながら苦心して進むロニーに続いていると「やった、終わりが見えてきましたよ」と解放感あふれる声がコーデリアの耳に届いた。


「よし、これで歩ける……!でも暗いなあ。こんな所にいると思います?」

「いると良いとは思うわ」

「でも本当にこの辺りにいるとすれば、悪戯に捜索を待ってるわけじゃなさそうですね。俺らがスタートしたのはあっちだったと思いますけど、ここからじゃよく見えないですし」


 トンネルに入る前に見たのと同じようにロニーは低木が生い茂る先を見ていた。けれどロニーがひっかけた上着はここからでは全く見えない。だからあの道を人が通っても見ることはできないだろう。


 次にロニーは光を灯す手を動かし、辺りを照らした。


 辺りには比較的背が高い草が生えていた。それから明るい色のついた花がちらほらと咲いている。中には暖色の葉の色をした植物も見えた。おそらく昼間に見るともっとカラフルで綺麗に見えるだろう。


(トンネル前後でずいぶん植物が変わるのね)


 確かにそれなりの時間をトンネルに使ったが、これほど自生する植物が変わると思ってはあいなかった。むしろこの程度の距離なら、同じ草が生えていても不思議ではない距離だ。

 まるで気候が違うような環境も魔力の影響なのだろうか……と、そこまで思った時に一本の登りやすそうな木が目に留まった。


「……あの木、枝が折れた跡があるんだけど。しかも折れたばかりに見えるわ」

「夜目が随分効くんですね」

「夜目が効く訳じゃないわ。でも木の魔力が途切れてるように見えるの」

「ちょっと近づいてみましょうよ」


 そして木の根本まで近づくと、やや太い枝が落ちているのが目に入った。

 そこには無理な力が加わったのであろう跡もある。


「なんか子供が乗ったら折れたって感じの木ですよね」

「そうね。そして落ちたのなら身体のどこかは痛めている確率が高そうな高さよね」

「あっちに泉、ありますね。水の気配を感じます」

「行ってみましょう」


 怪我をしているなら尚更早く見つけなくてはならない。

 そう思いながらコーデリアはやや小走りで泉に近づいた。

 だが泉には誰もいなかった。しかし泉の側には濡れた子供サイズの上着が石に張り付けた状態で干してある。


「もう少し奥かな」


 そうしてロニーが泉の奥に回り込もうとしたとき、コーデリアは大きく息を吸い込んだ。


「ミックくーん! いるんでしょう!」


 精一杯の大きな声は辺りに盛大に響いた。

 それはロニーが思わず硬直し、辺りで休んでいただろう鳥がバサバサと飛び立つほどの声だった。そして同時に、コーデリアは前方の茂みが妙な揺れ方をするのを見過ごさなかった。コーデリアは素早く走り込んでロニーを追い越し、茂みの奥に回り込んだ。


 そこには上半身が裸のミックが座り込んでいた。


「……な、なんでお前らここにいるんだよ!」

「むしろ貴方はなぜここにいるのです。その格好では風邪を引きますし虫にも刺されますよ」

「……ち、近づくな!」


 コーデリアから距離をとるようにミックは座ったまま後ろに下がるが、すぐに茂みにぶつかり下がれなくなってしまう。


「何しに来たんだよ」

「探しに来たんです。いくら森に詳しいとはいえ、夜は危険ですよ」

「余計なお世話だ。なんでお前のために……」

「確かにあなたには余計なお世話でしょうけど、村の皆で探す手配がはじまっていました。皆が心配するので早く戻りましょう」

「……」


 皆とのことを口にすれば、ミックは口を閉じてしまった。

 思うところがあるのだろう。コーデリアはミックの側に屈んだ。そしてミックの前進を眺め、左足に目を留めた。


「やっぱり怪我をしているのね。早くこれも手当しないと……」


 泉で洗い流したのだろう、傷口に土はあまり付いていなかった。しかし既に止まっているとは言え、血が流れた跡がある。加えて打撲跡も見える。ひねっているか、骨にひびが入っている可能性も捨てきれない。


「それでもお前と戻るのなんて嫌にきまってんだろ!」

「え?!」


 処置をどうしようかと考えていたところを急に突き飛ばされ、コーデリアは思わず尻餅をついた。だがミックが逃げようと駆ける様子を見てすぐに起きあがり、彼を追う。幸か不幸か、ミックの足の傷は彼の動きを鈍くさせていた。だからコーデリアはすぐにミックに追いつき、彼の腕をとった。ミックも大人しくつかまりなどしなかった。


「離せ!」

「っ!」


 ミック腕の力は強く、コーデリアの手は離れ、そしてコーデリア自身も身体のバランスを崩した。見えるのは地面とミックの足。だが、そこで気がついた。ミックの怪我をした左足が宙に姿が浮いている。そして地面が途切れている。崖だ。


(落ちる……!)


 それを理解したと同時、コーデリアは倒れそうになった身体を渾身の力で踏ん張り支えた。そして再び右手をミックの腕に伸ばしてその手首を掴む。同時に左手はポケットにつっこんだ。

 腕をとられたミックも左足が地につかないことに気がついたらしい。彼は短く息を飲み、目を見開いた。驚き故にか、ミックはコーデリアの腕を払いのけることも、地に残る右足で踏ん張ることもしなかった。

 そんなミックをコーデリアは一度は引き寄せることができたものの、引き上げきることまでは出来なかった。直後、コーデリアは引きずられるようにミックと共に宙に浮いた。


 しかしほんの僅な時間でも猶予が得れたことでコーデリアには勝機が見えていた。コーデリアはポケットに突っ込んだ左手を素早く引き抜くと、取り出した種を真下に叩きつけた。


(間に合え……!)


 コーデリアはただそれだけを願い、魔術を発動させた。

 次の瞬間、コーデリアとミックは分厚い草のクッションの上にダイブしていた。葉の青い匂いが鼻に届く。


「……まにあった」


 一秒といくらかの時間であったと思う。落ちる時に風の抵抗を強く感じたので、ロニーも何か補助魔法を使ってくれたのかもしれない。ならば二秒だっただろうか?コーデリアは落下場所から上を見上げた。

 だいたい二階から落ちたのと同じくらいだろうか。


「お嬢様っ」

「平気よ、ロニー! 怪我はないわ」


 たぶん。

 ロニーが光を持っているのでロニーの周りは明るいが、コーデリアから見ればロニーの周りは明るすぎて彼の顔さえはっきり見えない。だがその顔色は声だけでも充分想像がついた。


「さすがに俺でも怒りますよ! 動かないで待っていて下さい、準備したら下りますから!」


 そうしてロニーは一端崖下をのぞき込んでいた顔を引っ込めた。

 準備とは何の準備だろうと思ったが、いずれにしろ今のコーデリアは全く動けない。何せ自分たちのクッションにできるくらい植物を急成長させたのだ。どれほどあれば衝撃が吸収できるのかなんてわからなかったので、全魔力をそそぎ込んだと言ってもいい。だが魔力の急激な使用は身体に反動を与えてしまった。


「ミックくん、足以外の怪我はない?」

「あ、ああ。お前、大丈夫なのかよ」

「同じく怪我はないわ」


 声は出せるが指一本動かすのも億劫で、首を僅かにずらすことが精一杯。

 だが、億劫と言うだけで全く動かないわけではない。そんな状況では痛みはなくとも起きあがるっことは困難だ。


「すげえ髪、ひっかかってるぞ」

「そうね」


 見えはしないが、そうだろうなとはなんとなく分かる。切るほどまで痛んでなければ良いのだけれどと思いつつ、コーデリアは深く息を吐いた。するとため息をついたミックがコーデリアに近づいた。そしてコーデリアの耳に葉が揺れ擦れる音が届いた。


「あら、外してくれるの?」

「……」

「ありがとう」

「……」


 ミックは答えなかったが、それが答えなのだろう。彼はどうもコーデリアのからまった髪をほどいてくれているらしい。重たい首を少しだけ動かし、コーデリアはミックを見た。


「怪我、してるね。小枝が刺さったのかしら。それとも切り傷……?」


 彼が服を着ていれば無傷であったかもしれないが、あいにく上着は湖の側だ。打撲跡は見あたらないので痛みは少ないかもしれないが、それでも僅かに滲んだ血を見ると痛みがどうしても気になってくる。


「こんなの怪我にははいらねーよ」

「そう。でも、帰ったら消毒ね。左足もちゃんと見ないと」

「…………」


 今度の沈黙には非常に嫌そうな表情がついてきた。

 コーデリアは吹き出しそうになるのをぐっとこらえ、そして顔が真上を向くよう首を戻した。そして満天の星空を見、ゆっくりと目を閉じ……


「目ぇつむるなよ!」


 ミックの大きな声を聞いて目を見開いた。


「え?」

「やなんだよ。青白くてヤなこと思い出す」


 青白いというのは僅かな月明かりに照らされた肌のことだろうか。ヤなことという言葉にコーデリアは少し考え、それから何となく察することができた。だから目を瞑ることはしなかった。


「……何で飛び降りたんだよ」


 虫の声と葉の音の合間に、やや間をおいたミックの声がコーデリアの耳に入った。


「何でって……落ちるのを傍観するほうがおかしいでしょう。それに飛び降りたのは結果で、あそこで貴方を引き上げられたらそれで問題なかったのよ」

「お前が俺なんて助ける理由ないだろ」


 やや語気を強めながらミックはコーデリアに言葉を投げつけた。


「助かるのに放っておくのは、寝覚めが悪くならない? 逆に助けない理由も私にはないわ」

「あるだろ!」

「ないわよ。貴方も助かりたくなかったわけではないでしょう?」


 コーデリアが空を見上げながら呟くと、ひゅっと息をのむ音が聞こえた。

 だからコーデリアは続けた。


「心配しなくても私だって死ぬつもりなんてないわ。それにミックくんは私が嫌いでしょうけど、私は嫌えるほど貴方のことを知りませんもの」

「意味分からねえ」

「ふふ、でしたら分かるまでお話します?」

「……お前絶対変人だろ」

「私はそうは思いませんけど、友人からは変だと言われることはありますね」

「俺は友達じゃないぞ!!」

「あら、残念」


 明らかに狼狽えた声にコーデリアは笑いながら再びゆっくりと首を動かした。葉が擦れる音はもうしない。だがコーデリアの隣にいるミックは座り込んだままそっぽを向き、それでも遠くに行く様子を見せなかった。


「どうしたのかしら?」

「……お前魔法使いなのか」

「そんなたいそうなものじゃないですけど、少しなら魔術も使えますよ」

「…………魔法の話ならきいてやらなくもない」

「ぷっ」

「なんだよ……!!」

「いいえ?」


 思っていることはいろいろあるが、何を言ってもミックは怒ってしまいそうだ――いや、既に怒ってしまっているかもしれないけれど。

 そうコーデリアが思っていると、ザッと地面が擦れるような音がした。

 ゆっくりと首を動かすと、こめかみを押さえたロニーがそこにいた。


「たく、楽しそうで何よりですけど。これから引き上げる俺の気持ちにもなって下さいよね」

「迷惑をかけるわね、ロニー」


 どうやらロニーはその辺りの蔓を使って即席のロープをこしらえたらしい。

 おそらくロープは崖上の木に結びつけられているのだろう。

 ロープはもとは蔓だとは思えないほどに太く編み込んであるように見えるが、おそらくそれもロニーが魔術で上れるように作ったのだろう。


「あー……ミックだっけ。これ握りながら、崖を伝って登れるか? 足痛めてて無理ってことなら俺の背中に捕まって」


 そういいながらロニーはその場に屈んだ。

 しかしミックはロープとロニーを見比べた後、「できるけど……」と躊躇った。


「けどこいつは」

「大丈夫大丈夫。 放って帰るなんて恐ろしいことしませんよ」


 そうロニーが言うと、ミックはためらいつつも「登れる」と答えた。そしてロープを掴み、崖に足を掛けてゆっくりと登り始める。コーデリアはそれをはらはらしつつも見守った。


 ミックが半分を越えたところ辺りでロニーが呟いた。


「俺、少し怒ってますからね。少しは俺のことも考えた行動して下さい」

「わかってるわ。でも言う時間がなかったの」

「でしょうね。じゃあ、とりあえず起きあがって背中に乗って下さい。汗臭いのは我慢してください」


 ロニーにそう言われたコーデリアは何とかゆっくりと上体を起こした。

 だがすぐにその背に乗ることはできなかった。おんぶされることを躊躇したわけではない。

 まだそれほど力が入らないのだ。それは言わずともロニーにもわかったらしい。ただし言葉には容赦がなかったが。


「気合いで頑張って下さいよ。俺もさすがにお姫様だっこで上るとか無理です」

「……」


 そりゃ無理だろうと思いつつ、コーデリアはロニーの背に乗った。

 ロニーは両手でロープを持つのでコーデリアには支えなどなく、一方的に乗り上げているという表現が一番近い。それはそれでコーデリアも大変なのだが、それ以上にロニーは顔を蒼くした。


「く、首しまる……!! お嬢様手の位置かえて!!」


 本当に苦しそうに言うロニーにコーデリアは本当に申し訳ないと思った。


 しかしそれでも崖上まで登り切った後はそこで待っていたミックに合流した。崖上までたどり着いてもコーデリアの魔力はまだあまり回復せず、歩くのは困難な状態だ。

 しかしミックもミックで足に怪我をしている。崖は上っていたが、それも無理して上ったのかもしれない。痛そうなそぶりは見せないが、怪我をしている方の足を後ろに引いているのがよりそう思わせる。


「……ロニー、ミックくんをおぶることは出来るかしら」

「出来ますけど、そうなるとディリィはどうやって歩くつもりですか」

「気合い、かしら」


 しかしその答えは不十分だったようで、コーデリアは呆れた視線をロニーから受けた。

 けれど撤回する訳にもいかない。ロニーが二人運べるとは思えない。だからコーデリアは意を決してゆっくりと立ち上がった。だが足はがくがくとふるえ、まっすぐ立つのは困難だった。

 ロニーは深くため息をついた。


「……今日だけですからね」


 そういいながらロニーは小さく言葉を唱えると右手でコーデリアを、左手でミックを抱き上げた。それと同時にコーデリアは下から突き上げるような風を感じた。ロニーに二人の子供を片手ずつ抱き上げる筋力はないように思う。そう考えると、おそらくこれは風の魔術なのだろうだと推察できた。

 そしてその後は泉のわきで放置されていたミックの上着も回収した。濡れた服は気持ち悪いとミックは着たがらなかったが、それでもロニーが強く絞って着せることにした。


 それからしばらくするとコーデリア達は通ってきたトンネルの前にさしかかった。

 そこでロニーがミックに尋ねた。


「ミックはどうやてここまで来たんだ? 俺らはここくぐってきたんだけど」

「俺はあっちから来た。あの草を越えたらまた道がある」


 そうして木のトンネルの辺りでミックが指したのは、コーデリアが行き止まりだと感じた場所だった。


「……もしかして村から森に入る道自体が別のところだった?」


 瞬きしながらロニーがミックの指した方向に近づき足を入れると、確かにそこはすぐに草の壁はなくなった。草は背が高いだけで、奥行きはあまりなかったのだ。ただもう少し明るければ見えるかもしれないが、ロニーの作った光でもあまり先はよく見えなかった。


 さすがにロニーも二人を担ぎ上げたまま低木を潜って元の道に戻ることは難しいだろう。だから別の道があるのであればありがたいのだが……しかし、だ。


「……よくこんな所通ろうと思ったな」

「俺、すげー?」

「ああ。悪ガキだ」


 誉めているのかいないのか、それとも単に感心しているだけなのか。

 よくわからない言葉を言いながら三人はその草の壁を越えた。


「でもあのトンネルくぐらなくてよくて助かりました。へばってるお嬢さんがあそこ通れるとは思えないし」

「悪いことをしたとは思っているわ」

「当たり前です。まあ死なないとは思いましたけど、分かってても心臓に悪いんです」

「何度でも謝るわ。ごめんなさい」

「別にお前が悪いんじゃねぇよ」


 コーデリアの言葉を遮ったミックの言葉は早口であったし、声は酷く不機嫌だ。

 だがロニーは目を丸くした。


「かばってもらえるくらい親交深めたんですね」

「な……かばってねぇよ!」

「いや、まあ……どっちでもいいですけど」


 これ以上は尋ねない方が良いと判断したんだろう。ロニーはそれ以上何も言わなかったが、少し見上げれば面白そうな笑みを浮かべていた。ミックは逆に地面を見ているのでその表情に気付いていないが、気づけば絶対に言い合いになるだろうなぁとコーデリアは思う。


 ミックが進んできたという道は途中で岩を飛び越える必要があったり、木の根を階段としたアップダウンがあったりとそれなりに急な道であった。途中「……無理してでもトンネル潜った方が楽だったかもしれない」とロニーが言う程度には厳しい道のりだった。

 恐らくロニーは普段の体力以上に魔力消費もあるので疲れが溜まるのだろう。


 だが幸いにもロニーが魔力切れを起こす前には村にたどり着いた。

 そして村に入った場所は驚くことに孤児院のすぐそばだった。そこには農具を入れる小屋があるのだが、その裏手の柵が壊れていた。


「ここ壊れてたから。壊れてなくても乗り越えたら行けるけど、壊れてたら行きたくなるだろ?」

「柵があるということは行くなということですから、だめですよ」


 そんなやりとりをしながら村に入ると既にどの家にも灯りがともり、暖かな光が揺らめいていた。三人はまず現状報告の為、村長の家に向かった。

 村長の家は孤児院寄りの位置に建っており、長の家らしく他の家より少し広めの作りになっていた。村長は三人の登場に酷く驚いた。


「これは……お客人、申し訳ない。ミック、ほら、謝れ」

「もう謝った」

「村長さま、ミックくんは足を怪我してるんです。看ていただけませんか」


 謝られた記憶はコーデリアにはないが、そっぽを向くミックに必要なのは謝罪の言葉よりも治療だ。しかしコーデリアの言葉を聞いた村長が取った行動はミックの頭に拳骨を落とすという行動だった。


「だから言っているだろう! お前はやんちゃが過ぎる」

「ってー!」

「すまないね、お客人方。わしはちょっとミックを連れて孤児院に行ってくる。治療もそこで行おう。少し待っていて下さらんかな」


 そう言うや否や村長におぶられ連行されるミックは頭をまだ抑えていたが、それでもコーデリアたちを振り返った。


「……ありがとな」


 不貞腐れたような、照れたような、なんとも表現しがたい表情で告げられた言葉は消え入りそうだったが、コーデリアの耳にもしっかり届いた。


 村長はその後程なくして戻ってきた。

 いわく治療は魔女が引き受けてくれたらしい。その代りに村長はミックを探しに森に入った村人たちを呼び戻す手配もしてきたとのことだった。


「孤児院の子たちは心配していましたか?」

「いや、『ミックが森に迷うわけがないのだから寝過ごしてるうちに外が暗くなったんだ』という具合だったからね。ミックもそれに合わせていたよ」

「そうなんですね」

「しかし……ありがとう。でもまさかミックが大人しく連れられてくるとは思っていなかった」


 大人しくという言葉に納得していいのかわからず、コーデリアはあ曖昧に村長に笑み返した。村長はそのままにこやかに言葉を続ける。


「ミックは片親を無くした後、もう片親にこの村に捨てられた子なんだ。だから不確実なつながりに対して臆病なんだ。けれど人との繋がりは欲しがってる。よろしく頼むよ」

「……お願いされなくても、平気ですわ。もう私はお友達だと思っておりますから」

「そうか。それなら頼もしいね。ところで、お茶はお好きかな?」

「はい」

「じゃあ、淹れてくるとするかね」


 そうして奥に下がった村長を見送ったコーデリアはふと窓に近づいた。

 そしてガラスに映る自分の顔を見た。多少擦り傷になった跡はあるが、すでに血は止まっている。幸い髪で隠れるような位置だったので問題もなさそうだ。ただ少し拭った方がよさそうなことには変わりない。帰るまでに水桶を借りようとコーデリアは思った。


「ああ、そうだわ。ねえ、ロニー。先生も一緒に王都に帰られるか聞いてきてくれる?」

「そうですね。園長先生も戻られたらもう一緒に戻れますでしょうし」


 そう言いながらロニーは一旦孤児院に向かった。

 そしてしばらく経つと村長が茶を持って戻ってきた。お茶は程よい暖かさだった。コーデリアはそれを飲みながらしばらく外を眺めていた。あとは迎えの馬車が来れば、今日はひとまずひと段落するはずだ。そう思っていたので割合リラックスしてしまっていた。

 だから次の瞬間、緊張することになるなど想像していなかった。


「夜分、失礼する」


 その声は迎えの声だとコーデリアはすぐに理解することができた。だが同時に『そんな訳がない』と思いたかった。しかし低く芯が通った、そして聞きなれた声がそう何人もいるはずがない。


「お父様……?」


 まさか、聞き間違えるわけもない。だがにわかにも信じられなかった。

 だがその姿を見れば嫌でも間違いだなんて思えるはずがなかった。


「お、お父様……」


 家に迎えは頼んだけれど、まさか伯爵が直々に出向いてくるなど、想像しているはずもなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドロップ!! ~香りの令嬢物語~ 書籍版 (全6巻発売中)コミカライズ版
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ