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第三十八幕 緑の魔女(5)

 翌日。

 コーデリアは昼食後、自室にララを呼んだ。


「匂い袋を作ろうと思うの。手伝ってくれるかしら?」

「もちろん。ロニーからも聞いてるわ。でも私、お嬢様より上手に作ってしまうかもしれないけど大丈夫?」

「それはとても頼もしいわね」


 冗談っぽく言うララにコーデリアは笑った。作る袋は手のひらに乗せられるような小さなものだ。昨夜見本もひとつ作った。中から匂いが漂いやすいよう、中央にやや細かめのレースの生地をあしらっている。なかなか可愛らしく仕上がったのではないかとコーデリアは心の中で自画自賛もした。


「ロニーから聞いたわ、孤児院に行く時のお土産だって」

「ええ。もし要らなくても、小物として市で売れると思うの。香りはカモミールやラベンダーにしようと思っているわ。(かさ)を増すためにいくつかお花を混ぜるけど、精油を垂らすから匂いは強くなるはずよ」

「なかなか可愛い袋じゃない。はやく始めましょう」


 そう言いながらララは裁縫道具を机に並べた。そしてそれぞれ作業を開始する。

 ロニーが言った通りララの手先はとても器用だ。布を裁ち、縫い合わせていく様子は何より正確さを優先させているようだが、速度は早い。袋はとても順調に仕上がっている。


「ララはもともと針仕事が得意だったの?」

「ううん、アイシャ先生に習っただけよ」

「そうなの? それにしてはとても慣れてるように見えるわ」

「そう? でもお嬢様も上手じゃない」

「それはありがとう。ところで、筆記用具の進捗の具合はどうかしら」

「木の部分を削ると黒鉛が一緒にボロボロになるのよね。でも魔術師棟のお姉様に協力お願いして、だいぶ形になってきたわ」

「ありがとう」

「それは完成してから言ってよね」


 ララの口が少し尖っているのは本人にとって進捗状況が不本意ということなのだろう。

 だからコーデリアも「期待してるわ」と話を納めるとララも納得した様に頷いた。


「でも孤児院かあ。どんなところなのか後で私にも教えてね」

「ええ、わかったわ」

「かわりに私はお嬢様が留守の間にちゃんと水やりとか手入れとか終わらせるから」


 そう力強くララは宣言した。全く頼もしい限りだ。

 コーデリアがそう思っているとララは「これはお嬢様用」とコーデリアに袋を一つ手渡した。

 それは今まで縫っていたものと殆ど同じように見えるが、端にコーデリアの名前と青い鳥が縫われていた。


「青い鳥は幸運の象徴ってアイシャ先生が言ってたわ。お嬢様の進む道に幸運があらんことを」


 そうララが芝居がかった言い方をするのでコーデリアは笑った。

 そしてコーデリアもまた、ララのために一つの袋を縫い上げた。もちろんそこには青い鳥の刺繍を添えて、だ。



 ++



 それから五日後。コーデリアはロニーを伴って魔女の家にやってきていた。朝もそれなりに早い時間だが、王都出発前にコーデリアはある目的を果たすために魔女にお願いをしていたのだ。

 そう……先日の美味しいマフィンを自分でも作るため、魔女のマフィン作りの手伝いをする予定なのだ。


 ジルとヴェルノーも後刻来る予定ではあるが、二人とも時間はギリギリになるとのことだった。なので女子会クッキング。ちなみにロニーは店番をしている。早い時間なので誰も来ないかもしれないが、実家の関係で店番には慣れているらしい。

 そんな状況下、魔女のクッキングタイムは始まった。


「じゃあ、始めましょうか」

「はい」

「まずはカスタードから作りましょう。ディリィちゃんは卵、割ったことはあるかしら? 卵黄と卵白を別々にするんだけど、できるかしら?」

「あります、できます」


 あるのは前世で、ですけど。しかも卵を別けたのはお菓子作りではなく、つくねに乗せるためでしたけど。

 しかしそんなコーデリアの内心を知らない魔女は少し感心したように「じゃあ安心ね」と微笑んだ。その反応を見て『やはり貴族だと分かっているんだろうな』とコーデリアは改めて感じた。この年で卵を割ったことがないとなると、貴族かお手伝いををしない家庭の子供くらいしかないのだから。


「まずは小麦粉、砂糖、それから卵黄を入れたら泡だて器で混ぜるのよ。そう、その調子……じゃあ、牛乳を入れるわね。牛乳は温めているのだれけど、これは沸騰させてはいけないの」


 そう言いながら魔女は三度に分けてコーデリアがかき混ぜるボウルに牛乳を加えた。

 コーデリアはその都度ボウルを混ぜ、綺麗に混ざったところで魔女にボウルを渡した。

 ボウルを受け取った魔女は中身をボウルから鍋に移し、火にかけた。


「ここからは好みの問題になるの。固さを調節するだけだから……今回はとろりとしたくらいで十分よ。冷やしたら少し硬くなるしね」

「おいしそうな匂いがしますね」

「そうでしょう? ここでつまみ食いしたくなっちゃうわよね」


 そうしているうちにカスタードクリームは仕上がった。

 続いてマフィンの生地の作成だ。まずはボウルに卵を割り入れ、泡だて器でかき混ぜる。そこに砂糖を加え、バターと牛乳を加える。最後に粉類を振り入れ、土台の準備は完了だ。先程仕上げたカスタードクリームとざっくりと混ぜ、マーブル状態になったところで型に入れていく。あとは焼いたら完成だ。


(思ったよりも作りやすいわ)


 これなら一人でも焼けるかなとコーデリアが考えていると「よかったらこれ、レシピね」と魔女から粉類の配合がかかれた紙を渡された。


「いいんですか?」

「ええ。秘伝というものでもないし、ディリィちゃんは作るのも好きみたいだし。楽しそうだったわ」

「以前いただいたのがとても美味しかったので……ありがとうございます」

「いえいえ」


 しばらくすると辺りに食欲をそそる香りが漂い始めた。

 コーデリアはその香りを嗅ぎながら、魔女に二つの紙袋を差し出した。


「あの、これ。もしよかったらと思って作ってきたんです。お土産に出来ないでしょうか」

「これは……とてもいい香りがする匂い袋ね。ディリィちゃんが作ったの?」

「はい。袋は手伝ってもらったんですが、青い紙袋がラベンダーで、赤い紙袋にはカモミールのポプリを入れています。もし配るのがよくないという事でしたら、市で売っていただいてもいいと思って」


 魔女はそんなコーデリアの言葉を聞きながら袋の中からひとつを手に取った。


「凄く丁寧に仕上げてるのね」

「頑張りました」

「きっと女の子たちが大喜びするわ。ありがとう」


 それから「一息つきましょう」と魔女に茶を振る舞われているうちにマフィンは焼き上がった。そのマフィンを試食と称して食べ、それからカゴに詰め込んだところでヴェルノーとジルがやって来た。まるで見ていたかと疑いたくなるタイミングだが、二人とも息を切らせていた辺り本当に偶然だっただろう。


「……大丈夫? 二人とも」

「ああ。ちょっと大変だった」


 それは、どういう意味だろう。

 ヴェルノーの答えに嫌な予感がしたコーデリアは何も聞かなかったことにした。聞けば共犯になってしまうような気がした。触らぬ神にたたりはないし、善意の第三者で過ごすことも時には大切だと思う。そう思ったのはどうもコーデリアだけでは無かったらしく、ロニーもすっと目を反らしていた。


「じゃあ、出発しましょうか」


 店の戸締りをしていた魔女はそう皆に言うと、入り口にも鍵を書け、そして不在を示す看板を掛けた。

 村までの移動は馬車で、魔女の家のすぐ近くから乗車した。

 本数は少ないが、一日に何本かオウル村を含むいくつかの村を巡回する馬車があるとのことだ。ただし乗客は決して多くない。しかし馬車の主は立ち寄る村で飲食店から頼まれた買い付けなども行っているらしく何とか赤字にはならないようだ……というのは馬車の主の大きな話し声でなんとなく理解できた。何がともあれ、路線があるのはありがたいと思った。

 思った以上に揺れる馬車はゆっくりとオウル村に近づいた。


 オウル村の入り口には小川が流れている。それから森が隣接しているが、魔女によるとこの森の魔力はそれほど濃くないため魔物らしい魔物が出たことは今までないらしい。


 馬車から降りた魔女に続いた四人は、村の一番奥にある建物に向かってまっすぐ歩いた。


 コーデリアは歩きながら村を見渡した。

 王都と違う事はまず家々に距離がある。それは仲が悪そうだという意味ではなく、程良い距離感を保っているという様子だ。犬が欠伸をし、家に隣接して畑が広がっている。二頭ほどの牛を飼っている家が何軒かあり、切り株を土俵にコマで遊ぶ子供や藁を運ぶ農夫など、王都で見る風景と違って新鮮だった。


 そうしているうちに一行は村の一番奥の建物までたどり着いた。建物は教会の雰囲気にも似ていた。建物は白い石造りで、良く言えば歴史がありそうな、素直に言えば少し古い様子だった。そして入り口には孤児院であることが木彫りで記されていた。

 孤児院のすぐ隣には青々とした野菜畑が広がっていた。端の方の(うね)には観賞用の花やハーブも植えられており、麦わら帽子をかぶった子供が数人草むしりに励んでいる。井戸の側にはじょうろもいくつか置かれていた。


「あ、魔女先生だ!」

「先生いらっしゃい!」


 草むしりをしていた子たちが何人か魔女に気付いたようで「院長先生よんでくる!」と建物の中へと走りだした。そしてそのまま魔女についてコーデリアたちも建物の中に入る。


 建物の中には外に居た子供たちより一回り小さい子供たちがいた。

 子供たちは魔女が現れたことに「魔女先生だ!」と喜び駆け寄ろうとしたが、後ろに知らない人たちがいたからだろう、足を途中で止めてしまった。

 そんな中、一人の女性が魔女の方に近づいた。


「いつもありがとう、緑さん」

「こんにちは、院長先生。今日のおやつはこちらで……あとは、お客さんも一緒なの。この四人は王都の私の店に通ってる子たちとそのお兄さん。今日はこちらに誘ってしまったわ」

「いらっしゃい、王都のみなさん。何もないところだけど、ゆっくりしていってね」


 そう院長は笑った。

 そして……院長がそう言った時に、彼女の後ろに隠れていた子供の一人が「あ!!」と大きな声を出した。


「王子様だ!」


 その子供の声は非常に良く響いた。そわそわしていた辺り一帯が一瞬静まり返るほどに大きな声だった。すると次の瞬間「すげー!! ホントに王子だ!!」と、子供の声が響きだした。そして彼らはヴェルノーを取り囲んだ。


「ほら、絵本! これにのってる! 王子が絵本からでてきてる!」


 子供の一人が慌てて本棚から引っ張り出してきた絵本には、確かに今のヴェルノーによく似た人物が描かれていた。子供たちはその間も「王子様だ!」と興奮し続けている。


(……ヴェルノー様が王子サマ?)


 確かに絵本の姿と今のお忍び用の茶髪の姿はよく似ている。だが本来の姿でも彼は金髪碧眼……つまり王子として描かれる王道の姿をしている。どちらにしても王子様といっても遜色はない姿を彼は持っている。

 なのに、なぜだろう。

 あまりにその単語はヴェルノーには似合わない。王子様が常日頃から菓子を食べにやってくるなどあってたまるか。そう思った瞬間噴き出しそうになるのをコーデリアはぐっと堪えた。だが隣でジルは遠慮なく肩を震わせて笑っていた。


「た、確かに王子様に似てるね。くくっ……今日は王子様としてすごす、かい?」

「『確かに』じゃないだろ、笑うなジル! あー……あのな、俺は残念だが王子じゃない。それにこの国の王子は黒髪だ、絵本とは違う」


 ジルにそう言い返した後、ヴェルノーはしがみついてくる子供に言い聞かせた。

 けれど子供の方は全く耳を貸していない。


「王子様、鬼ごっこしよう! お庭に行こう!」

「だから俺は王子じゃなくて……、わかった。俺は王子じゃない。ヴェルノーって呼んでくれたら行ってもいい」

「じゃあヴェルノー、鬼ごっこしよう! 王子様と鬼ごっこってすごいことだよ!」


 そう言いながら子供が数人連れだって外に出ていく。

 だから王子じゃないってと言っているヴェルノーの声は完全に流されてしまっている。


「あらあら、ヴェルノーくんは凄く人気者ね」


 苦笑している魔女に、コーデリアとジルも同じ表情を返した。

 果たしてヴェルノーは鬼ごっこをした経験などあるのだろうかという疑問がコーデリアの中にはあるが、幸い彼はルールを知っていたらしい。外から「王子様がきたー!」「逃げろー!」と威勢のいい声が聞こえてくる。どうやら鬼はヴェルノーのようだった。ヴェルノーも子供たちに負けず劣らず元気だが……まだ、院長に対し挨拶が済んでいないことに今更ながらコーデリアは気付いた。


「連れが失礼いたしました。本日はよろしくお願い致します」

「こちらこそ。ごめんなさいね、あの子たちがはしゃいじゃって」


 そう言いながら院長は自らの足元にしがみつく女の子の頭をひと撫でした。

 どうやら皆が外に出ていった際に女性に駆け寄っていたらしい。

 女の子はくすぐったそうに表情を緩め、それからコーデリアをじっと見た。


「お姉ちゃんはお姫様?」


 女の子の口から零れた言葉はすこし舌っ足らずな、けれど可愛い音をしていた。

 そして内容も声に似合う愛らしいものであったが、コーデリアにとってはあまりに想定外のものだった。

 思わず固まりかけたコーデリアはゆっくりとひざを折り、トトと視線を合わせた。


「私は魔女先生に薬草を教えてもらっているディリィよ。あなたのお名前は?」

「私はトト」

「そう。かわいいお名前ね」


 そう言うとトトはにっこり笑って院長の後ろからコーデリアの正面へと移動した。

 そして両手を強く握りしめコーデリアに続けて尋ねた。


「あのね、私、お姫様なりたいの。どうやったらなれるの?」

「うーん……私もお姫様ではないから、お姫様のなり方はわからないわ」


 コーデリアの返答を聞いたトトは目に見えて残念そうな表情になる。お姫様に余程憧れているのだろう。しかし「やっぱりお姫様でした」などと嘘を言う訳にもいかない。どうしたものだろうか。

 そうして悩むコーデリアの耳に、想定していない言葉が届いた。


「女の子はみんなお姫様なんだよ」


 それは紛れもないジルの声だった。

 彼はその言葉を口にした後、自然な動作でトトを抱き上げた。驚くトトに「だから、そんなに悲しそうな顔しちゃだめだよ」ジルは更に続ける。一瞬コーデリアは呆気にとられたかが、トトはとても嬉しそうに「うん!」と返事をした。


「そうだな……お姫様に必要なら花冠かな。確かシロツメ草が咲いていたから、作りやすそうだし」

「はなかんむり?」

「うん。頭に載せるんだよ」


 そんなジルの言葉にトトはきゃっきゃと嬉しそうに声を上げていた。


「院長先生、この子と外に出てもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん。ジルさん、トトをよろしくね」


 そしてトトを抱いたまま外に出るジルをただ見送ってしまったコーデリアは自分が取り残されてしまったことに気がついた。

 いや、問題はない。

 問題はないが、ジルの意外な一面を見てしまったような気がした。

 紳士だと思っていたが、あのセリフが素面でというのなら天然タラシの疑惑が……じゃなくて。


「おい」

「あら、おひさしぶりです」


 思いがけず気が逸れてしまっていたコーデリアに声をかけたのは、先日マフィンを奪い去ったミックだった。

 彼は眉根を寄せている。


「お前なんでここにいるんだよ」

「それは先生にお願いしたからですよ」

「からかいに来たのかよ」

「違いますよ。というより、からかえることが思い浮かばないです」

「お前がくる所じゃねぇんだよ」

「どうして?」

「どうして……って、」


 ミックが途中で口ごもったのはおそらく側に院長と魔女がいたからだろう。

 マフィンの一件を自ら口にしたいだろうとは思わない。かといってこの妙な空気を中途半端にできもしない。

 しかしそこでコーデリアはふとおもいついた。そうだ。そもそも自己紹介すらしていない。


「改めまして、ミックくん。私はディリィ。私はあなたとはもう仲直りしたと思っていたのだけど、違ったかしら?」

「な……なんで俺がお前なんかと!」

「なんでって……あれは和解ではなかったの?」


 そうコーデリアが言うとミックは顔を真っ赤にし鼻息荒く奥の部屋へと行ってしまった。

 失敗した。言葉の選び方がまずかったか。


「あらあら。ミックは今日も元気ね」


 院長の言葉にコーデリアは曖昧な笑顔で応えた。正直なところ、彼の反応は想定内ではあった。良い印象なんて残していない状態で彼のテリトリーに踏み込んでいるのだ。無理もない。しかしだからといって気にならないかというと、それは別の話である。顔を合わせたのが今日で二回目、まともに話したのはまだ0回。話したいとおもっても焦りは禁物だろうが……さて、どうすれば。


「ディリィちゃん! お花の冠、作って!」

「え?」


 そんな風にミックのことを考えていると、後ろからコーデリアは軽い衝撃を受けた。先程外に出たはずのトトだった。


「ごめん、ディリィ。思ったより難しくて」


 トトに続いて現れたのはジルだ。ジルが持っている花冠はなんとなく形になっているが、少し不安定な様子だった。

 この短時間で作ったというならとても器用だと思うが、トトのお気に召すものではないのだろう。それにおそらくジルは花冠の作り方など知っている訳ではない気がする。器用にまとめているが、花冠の編み方では無い気がするのだ。

 キラキラした瞳のララにコーデリアは微笑んだ。。


「じゃあ、私が綺麗な花冠、作ってあげるね」


 そう宣言したコーデリアは院長と魔女に一礼するとジルとトトと共に外に出、見事な花冠を完成させた。その冠は好評で、トトが周囲に見せて回ったことで他の子供たちからも求められ、二つ三つと続けて作ることになってしまった。

 そうしてコーデリアが花冠を作る傍ら、トトより少し年長の女の子たちがしきりに王都の話を聞きたがっていた。


「ねえ、ディリィちゃん、王子様のお忍びってやっぱりあるの? 何処に行ったら出会えるの?」

「もー、ラナもいつもそれなんだから! ね、そんなことより王都には水晶玉をのぞくだけで行きたい場所にいけるって本当? やっぱりお城に就職したらそんなことできるの? 聞いたことない?」

「ラナもティナも……現実見なよ。ありえないでしょ。でも、そもそもどうして王都ってあそこにあるの? ディリィちゃん知ってる?」

「そうえば知らないね。でもキラキラしてるし、あそこでいいんじゃない? ね?」

「とにかく王都ってなんかすごいとこなんだよねぇ」

「でも王都って良く分からないことだよね」

「良く分からないけど、凄くたくさん人が集まってて、凄いところなんだよね」


 そういう風にコーデリアには次々に質問が投げられた。それは答える暇を与えられない勢いで、答えを待たずして話題が移る。コーデリアははじめはたじろいだが、やがて聞くことに専念することにした。そして気づいたのが、どうやら彼女らはいつもこのような話をしているらしいことだ。

 だが彼女らの話は本当のことと物語とが大分ごちゃまぜになっているようだ。どこにでも行ける水晶玉は王都で上演された演劇の話であったはずだし、早々街で王子に出会えることなんてないはずだ。というか、そんなデンジャラスなことコーデリアとしては是非ともあってほしくない。


「ディリィちゃん?」

「あ、ごめんね。どうしたの?」


 話に聞き言ってしまっていたコーデリアをトトが呼び戻した。


「ディリィちゃん、トトも王都のお話、聞きたいの。絵本、いっぱい読んじゃったの」

「トトちゃんはもう文章が読めるの?」

「読めるよ。難しいのは読めないけど……すごい? みんな卒業までに、文字と計算は覚えるの。トトも、がんばってるの」

「凄いと思うわ」


 コーデリアの返事にトトは恥ずかしそうに両手組んでコーデリアをちらちら見ている。

 コーデリアは作りかけていた花冠を膝の上に置き、トトの頭をなでた。


「今度、絵本を持ってくるね」

「えほん? ディリィちゃんの? また来てくれるの?」

「ええ」


 コーデリアの答えを聞いたトトは大きくうなずいた。


(簡単な歴史の絵本にしようかな)


 話を聞いている限り、トトよりお姉さんであるラナたちも決して王都の歴史に興味が無い訳ではない。

 ただ情報を掴む手段を持っていないだけなのだろう。国の歴史は祝祭日に密接にかかわってる。将来に知っていた方が良い場面もあるはずだ。ラナたちの疑問……王都がなぜそこにあるかということも書いてあるものだってある。


(でも……そうなってくると絵本じゃ収まらない。じゃあトトとラナのものは別ものにするとして……面白いと思ってもらえる可能性があるとすれば、お姉様が書庫に残して下さってる歴史ドラマ風の小説かしら)


 姉が残していったものならばエルヴィスの許可を得れば持ち出しも可能だろう。

 だが欲を言えばコーデリアは自身が選ぶのではなく、もっと自由に彼女らが選べたらいいのにとも思ってしまう。


(本を寄贈することが手っ取り早い話なのかもしれないけど、一回贈ったからってどうこうなる話でもないし、ここだけに一介の貴族の娘が支援する理由にならない。そもそもここは外部からの支援を断ってる)


 かといって王都の貸本屋もこの場所では利用しづらい。貸出料だけではなく運賃もかかってしまうし、距離だってある。

 ではそれを解消するにはどうしたらいいんだろう? そんなことを考えているうちに訪問時間はあっという間にすぎてしまい、結局帰路の馬車の中でもコーデリアは悶々と思案を続けた。


「先生は院長先生には緑さんって呼ばれてるんですね」


 そうしてコーデリアが考えに集中する中、ジルが魔女にそう尋ねた。

 コーデリアも思わず顔を上げて魔女を見た。帰りの馬車もコーデリアたち以外乗客はおらず、ほぼ積み荷と同席しているような状況だ。魔女は優しく答えた。


「院長先生は院長先生になられる前から、私のことをそう呼んでいるのよ」

「緑というのはどういうゆえんなんですか? やっぱり薬草から?」

「ええ。はじめは……もう三十年近く前になるのだけれど、とても伝染病がはやった年があるの。十年前の闇の冬に比べれば死者は少なかったのだけれど、当時はとても騒ぎになって薬も不足していた。価格も高騰していたから私たちが薬を得るためには新しい薬を探す必要があったの」

「……先生はその新薬の開発に成功した、と」


 ジルの問いに魔女は微笑んだ。


「元々私はもう少し南に住んでいたの。でも薬に効果があるとわかった後は各地をまわったわ。病が収束した頃にはオウルにいたの。そしてその後、お店を構えるために王都に移住したの」

「それで今も村と親交があるんですね」

「ええ。オウルに着いた当時はレディ・グリーンなんて恥ずかしい呼ばれ方をしのよ。だから私が『それなら魔女の方が良い』と言って、魔女と呼ばれ始めることになったわ。院長先生だけは魔女なんて似合わない! って私に言って、結局緑さんって私のことを呼んでいるの」


 魔女はとても可笑しそうに話すが、コーデリアの頭の中はすでにそれどころではなくなっていた。既存の薬の代用品を生み出した薬師。その敬意の呼び名が緑の魔女。

 もちろん疑ってはいないが、今の魔女の話が本当ならば彼女は本当にどこでも通用する腕の持ち主なのだろう。そして……あえて権力から遠いところでその力を奮っているのだろうとも思う。そうでなければ自らの名を語ることもせずに王都の下町でひっそりと薬屋を営んでいるとは思えない。


「少しはあの場所の雰囲気を知ってもらえたかしら」

「あ、はい。ほんの少しかもしれませんが……」

「そう。よかった」


 魔女と目が合ったコーデリアは話の転換に驚きつつも、素直な感想を魔女に伝えた。魔女はその応えに満足した様子で頷いた。


「あそこは出身地の差こそあれ病気で親を失った子ばかりなの。大きな病気から、医者にかかれば治っただろう病気まで……。だから私は、そういう人を減らしたいし、残った子が生きるための力にもなりたいと思うの」


 そう言う魔女の声は芯が通っており、とてもはっきりとしている。

 けれど……コーデリアは違和感を持った。

 不思議と決意というより自分を追い込んでいるような声色に聞こえた。視線も下がっている。

 彼女がいままでに話ながら視線を下げた記憶は、コーデリアにはない。


「先生?」

「ごめんなさい、急に。貴方たちも病気にかからないよう、強い身体を作らなきゃだめよ?」


 そう微笑む魔女からは先ほどの空気は霧散しており、コーデリアも尋ねることはできなかった。

 その後王都に戻った時には空の色が朱く塗りつぶされ始めていた。


「もしよければ、また一緒に行きましょう。もちろん無理にとは言わないわ。少し遠いもの」


 馬車から下車した後、魔女にそう告げられたコーデリア達はその場所で魔女と別れた。

 パメラディア家とフラントヘイム家の方向は集合場所の噴水前までは同じである。だからなにも言わずに皆がそちらに歩き出す。


「……三十年前といえば北との情勢が悪くなった時期でもあるな。薬どころか物資全般の値が高騰してたはずだ」


 ヴェルノーの言葉にジルは頷いた。


「以前オウルを支援していたという元男爵について、私も少し調べたんだ。結論から言うと男爵は権力を買おうとして様々な方法で金を集めていた。孤児院も、金集めの名目で殆ど支援した実態はなかったようだ」

「最低な野郎だな」

「失脚の直接の要因は経費の誤魔化どころじゃなかったようだけどね。匿名の告発があったそうだよ」

「……だから男爵が失脚しても外部からの支援を受け入れなかったのね」

「ああ。裏金作りに利用してくる貴族なんて信に値するものではなかっただろう。国からの声も、同等に聞こえたのかもしれない」

「でも、だからといって『わかりました、ではこれからも頑張ってくださいね』は違うと思うわ。先生だって私たちが貴族だって気づいてる上で誘って下さってる。決して関わるなと仰ってるわけじゃないと思うわ」


 コーデリアがそう言うと、ジルも「そうだね」と同意した。


「正直に言えば期待されているとまでは思わない。けれど、意味もなく誘いを出す人ではないと思ってる。それなら出来ることを考えたいよね」

「……お前らってホント物好きだよな」

「付き合ってくれるヴェルノーもね」


 そう、互いにできることを考えよう……と顔を見合わせて決意したときにコーデリアは不意に思い出した。


「……そういえば、ひとつ意外なことを発見いたしましたの」

「何が?」

「ジル様が案外女性を口説き慣れてらっしゃいそうということです」


 その言葉だけで、ジルとヴェルノー、二人の動きは完全に止まってしまった。

 今まで大して聞こえなかった音が大きく聞こえる。そんな中、一番最初に沈黙を破ったのは噴き出したヴェルノーだ。そしてまだ固まっているジルをよそに腹を抱えて笑い続ける。


「ちょ……ヴェルノーも何笑ってるんだ、否定してよ!」

「だ、だって……おまっ、今笑わずにいつ笑うんだよ!! 大体ディリィにはどこがそう見えたんだよ?」

「そうですね。トトに言った言葉を聞いた時だったのですけど……随分自然にお姫様と仰っていたので」

「俺がその場にいなかったことが残念でしょうがないな。でも、くく……っ、安心しろ、こいつは人を口説いたことはまだない」

「むしろ素面だったと聞いても不安な気がします」


 歩くナンパ師に成長しかねない。素直なのは良いことだが、実に心配である。将来刺されないか、と。だがそれはヴェルノーの笑いをさらに大きくさせるばかりだった。


「……あれは母の口癖なんだけど。気をつけるよ」

「でも、ジル様の言葉でトトは喜んでいましたわ」


 ジルの言葉がなければトトをどう笑顔にしていたのかわからない。

 そう思うと彼は彼のままのほうがいいのかもしれない。


「……それを言うのはずるいと思うんだ」


 恐らくきちんと伝わったのだろう、困ったようにジルは笑った。


「あ、そうだ。これ、あげる」

「本? 私にですか?」

「いや、これは私のノートだけど……あげるのはノートじゃないんだけど」


 そういいながらジルは一旦ノートを手元に戻すとパラパラとページをめくった。

 そうしてコーデリアに改めて差し出した。


「四つ葉のクローバー?」

「ディリィなら知ってるかもしれないけど、幸運が訪れるらしいよ。よれちゃうからノートごと一旦持って帰ってもらって構わないよ」

「あ、ありがとう」


 そう言いながらノートを受け取ったコーデリアは改めて思った。

 やっぱりジルの天然は末恐ろしいかもしれない、と。渡したジルのほうが嬉しそうな笑みを浮かべているのを見れば妙に照れくさくもなってしまう。


「ちなみに捨てたら不幸になるって噂もあるけどな」

「……ヴェルノー。それ、今言わなくてもいいんじゃないかな」

「いや、捨ててから知ったら衝撃的だろ」

「安心してくださいまし、捨てません。帰ってしおりに致しますわ」

「だとよ。よかったな、ジル」


 ヴェルノーは茶々を入れながら「じゃあな、ディリィ」と走り去っていった。慌ててジルもそれを追いながら「またね」とコーデリアを振り返った。

 コーデリアは手を振りながら二人を見送る。

 そして二人が去った後、コーデリアは後ろを振り返った。


「ロニー、私たちも帰りましょうか」

「ええ」

「そういば、今日はずっと静かね」

「俺の出番ありませんからね。まあ護衛の出番がないことは良いことです」


 そう言ったロニーと共にコーデリアは家路を急いだ。

 夕闇はすぐそこまでやってきていた。

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